王道 1
「いやぁ、いい汗かいた」
「貴様、馬鹿だろう!」
やり遂げた感満載のアリスとは対照的に、いまひとつ復活しきれていないドラリーニョは床に転がったまま悪態をつく。
二人は暴れた罰として食糧倉庫に仲良く放り込まれていた。
「貴様のせいで私の経歴に傷がついた!」
「手を出してきたのはそっち。私に叩きのめされちゃったのはそっち。くだらない嫌がらせをするような取り巻きを持った自分を呪いなさい」
「なぜ呪いっ!」
突っ込みが入るあたり、意外とノリはいい。
「もうさぁ、こっちもストレスがたまっていたのよ。女がどうの、庶民がどうのってうるさいったらありゃしない。こっちに聞こえるように影でこそこそってどこの乙女だよって感じ」
影でこそこそ悪口を言っていた覚えのあるドラリーニョは気まずげに視線を逸らす。
「不満があるなら直接言えっての。そしたらこっちだってちゃんと説明できたのに」
「説明だと?」
「そうよ。ここにいるのは魔法を使うための体力づくりなの。コンラート伯爵が指導してくださっているわ」
「お前に魔力は感じられないが?」
不思議そうに言い返されてアリスはちょこっとだけイラっときた。
別に英雄願望があるわけじゃないし日常で困ったことはない。
だが、最近は他人に魔力の事を指摘されるとなぜか腹が立つのだ。
ひがむのは好きじゃないが、魔法をバンバン使ってみたいというのは前世も現世も変わらない。
魔法を思う存分使ってみたいという欲求と願望。
ないものねだりだと分かっていても羨ましいと思ってしまうのはしょうがない。
「指導されているのはもう一人の方よ。マルグリート様に匹敵する魔力の持ち主だけど、うまく魔法を使えないの。私はたんなる付き添い」
護衛ではない、あくまでも付き添いだ。
ここ、大事。
「そうなのか……」
ドラリーニョはものすごく驚いたようにこちらを見ていた。
「なんだ、てっきり……」
貴族のご令嬢が思いつきで騎士になりたいとごね、権力のある父親が訓練所にねじ込んだと思っていた。
ごくたまにそういうお嬢様が出没するので、今回もそうなんだろうと思い込んでいたのだ。
陰口を言っていた輩はそれが不満だったのだろう。
騎士になるのは大変なのに、権力と金にものをいわせて騎士の立場を買おうなどと言語道断。
勝手にそう決めつけていたのだ。
「見習いの人たちが剣を振っている間、私たちは魔法の訓練をしているの。隅っこでやっているからきっと目に入っていないのね」
とげとげだった空気がほんの少しだけ柔らかくなったような気がする。
「そうだったのか……。お前は護衛だったのだな」
「護衛じゃなくて付き添い。そこ、譲れないからね」
そもそも護衛だったらあんな派手な立ち回りはしない。
「そんなに強くてただの付き添いだと?」
「場所がよかったのよ。私、喧嘩しかしたことないから」
「格闘技を教わった経験は?」
「ないわよ。せいぜい、近所の悪ガキと一緒にケンカしたくらい」
ここにヘンリーがいたら一言、モノ申していたかもしれない。
徒党を組んで縄張り争いという時点で近所の悪ガキの喧嘩レベルではないのだが。
ドラリーニョはあっけにとられるしかなかった。
護衛でもないただの付き添いと言い張る女がなぜあんなに喧嘩が強いのか謎だ。
だが、負けたという事実にドラリーニョのプライドは粉々になっていた。
「喧嘩なら、負けない」
アリスはクスリと笑った。
負けたドラリーニョは悔しそうにうつむく。
「今日、叩きのめした人たちと試合形式で戦っても、私が勝つ」
自信はある。
ルールに触れない程度の卑怯な手段で正々堂々と勝つだろう。
唇をかむドラリーニョを見ながらアリスはなんともいえない顔で笑った。
「だけど戦場で戦ったら、死ぬのはきっと私の方ね」
びっくりしたようにドラリーニョが顔を上げた。
月明かりに照らされたアリスは、慈悲深く微笑んでいるように見えた。
「なにを……」
「最初に倒した彼も、途中から参戦してきた人たちも、あなたも。戦場という場なら、負けるのは私」
試合と喧嘩と戦場の違いは何か。
すぐにドラリーニョは気が付いた。
命がかかっているかどうか。
命を奪えるかどうか。
自分と彼女の違いにドラリーニョは愕然とした。
彼女の強さを目の当たりにして、素直に強いと認めた。
戦場でならば一騎当千の強者として他国に名を馳せてもおかしくないとさえ思えた彼女が、生涯人を殺す事もなく守られる立場の一般人なのだというギャップに愕然としたのだ。
「お前は……」
その時、ドラリーニョの腹が鳴った。
気まずそうに視線を逸らす若者の横顔にアリスはクスリと笑ってしまう。
そういえば、彼らはご飯を食べる前だったなと思い出す。
食糧倉庫だというのに、生で食べられるものがない。
調理器具もないので調理もできない。
食べ物を前に、お預けというのはなかなかに精神的にくる。
「どうぞ」
ポケットからバケットを取り出してドラリーニョの前に差し出した。
彼の瞳が一瞬喜びに輝くが、すぐに視線を逸らす。
「庶民の施しは受けぬ!」
いっそすがすがしいまでの選民意識だが、言葉に力がないのはおなかがすいているうえにアリスに叩きのめされたばかりだからだろう。
「あなたは何?騎士なの?」
「そうだとも。私は騎士だ!」
成り立てなのだろうという事は容易に想像できる。
「だったら貴族という意識を捨てなきゃだめよ。騎士と貴族は違うんだから」
「貴様、何を……」
「騎士は国の剣であり盾なのよ。貴族は違うでしょ」
「貴様、貴族を愚弄するつもりかっ!」
「貴族は自分の領民と王様の剣と盾でしょ。他の貴族のところの領民のためには戦わないじゃない」
うっ、とドラリーニョは言葉に詰まった。
その通りなので何も言えない。
「でも騎士は違う。どの貴族の領民だろうとも、国民であれば剣と盾になる。その覚悟がなきゃ騎士になったらだめだよ」
子供に言い聞かせるような口調にドラリーニョは自分より年下のアリスをいぶかし気に見た。
「あと、有事の際に腹が減って剣が持てませんなんて言える?」
「うっ……」
「だからちゃんと食べる時には食べて、寝れるときには寝ないとダメなんだよ。いざっていうときに体が動
かなくて後悔するのは自分自身なんだから」
労わるようなその言葉にドラリーニョは差し出されていたパンを乱暴にひったくった。
「お前は王都の者だろう?まるで戦場を見てきたような言い草だな」
ギクッとしたが顔には出さなかった自分を誉めてあげたい。
生前の記憶から出てきた言葉なのだから実感があって当たり前だ。
ホノカと会ってからというもの、転生前の記憶がより鮮明になってきた。
やはり刺激を受けるとシナプスが活発になるのだろうか。
そんな事を考えながら、アリスは羊羹を取り出した。
「ほら、デザートにこれもどうぞ」
「なんだこれは?」
「羊羹。中に栗が入っているから美味しいよ」
「……貴様のポケットにはいったい何が入っているのだ?」
淑女には失礼な質問だが、この場合はしょうがないだろう。
食べ物ばかり持っている女だと思われるのも不本意だが、事実なので何も言えない。
「いま流行りの菓子か……」
「甘党には最高の食べ物だと自負しているわ。ケーキやクッキーと違って脂分は少ないけど、おなかにたまるから満足感が違うわ」
つい言葉に力が入るアリスだ。
ドラリーニョはぱくりと一口食べると、目を見開いた。
ハムハムと食べるドラリーニョは金色に輝くリスのようだ。
アリスの口角があがる。
月明かりに照らされたそれは女神か悪魔か。
アリスは完全なる勝利を手に入れた。
ここに一人の甘党が誕生した。