食堂といえば 2
訓練も終わり、夕食をホノカとテーブルをはさんで食べていた。
後から来たヘンリーがちゃっかりホノカの横に座って相好を崩している。
まんざらでもないホノカと有頂天な幼馴染をどうやってからかってやろうかと考えていた時だった。
いきなり熱い液体が頭のてっぺんから前髪を伝って顔にかかる。
「アリス姉さんっ!」
周囲に嘲笑う声が沸き起こり、目の前のホノカが真っ青になっていた。
ヘンリーはあわあわとしながらもこの後のアリスのリアクションを想定した逃走ルートを考えていた。
そこでようやくアリスはスープを頭からかけられたのだと理解した。
「おっとすまねぇなぁ、お嬢ちゃん。まさか騎士団の訓練所にお嬢ちゃんがいるとは気が付かなくて、ぶつかっちまったよ」
白々しいにもほどがある。
しかも騎士とは思えない、ごろつきのような言葉遣い。
この時点で礼をもって対処するという考えは空のかなたに消えた。
沸々と沸き上がるマグマのような感情に、我知らず口角が上がる。
「うわぁ……」
ヘンリーは確実に起こるであろう惨劇に、巻き込まれないためにどうすればいいのか考える。
結構な熱さにアリスは無言で水の入ったコップを頭にかけた。
熱を持った頭皮のために、ホノカの水も頭にかける。
ついでにヘンリーのコップもつかみ、髪に残ったスープを流し落とす。
「うわっ、何こいつ」
「自分で水をかぶりやがったぞ」
「頭、おかしいんじゃないか?」
「おかしいのはお前の頭だ」
アリスは男たちに聞こえるようにはっきりと言った。
背後にいる男たちが気色ばむのが分かったが、そんなのは関係ない。
アリスはお盆の上の食器をホノカの横に置きながら、冷めた声で言った。
「私を貶めるために、お前、何をしたかわかっているの?」
何も載せていないお盆を手に取るとゆっくりと立ち上がった。
そして振り向きざまに男をそれで殴った。
「悪辣だな……」
見ていたヘンリーがぼそりとつぶやいた。
アリスはお盆を水平に持ち、男のこめかみにフルスイングで殴ったのだ。
格闘技ならば禁じ手、そく退場もの、最悪所属団体を脱退になってもおかしくないのがこめかみの一撃。
あまりの衝撃に男の体が床に倒れる。
アリスはお盆をひっくり返して食器の上に乗せた。
これから暴れてお皿にホコリが入らないようにという無駄な気づかいだ。
お盆のふちにこびりついている赤いモノからホノカはそっと目をそらす。
「おい、ホノカ様はこっちに来た方がいい」
ヘンリーがそっとホノカを立たせると、人垣を抜けて壁の方に連れ出した。
アリスはそれを横目で確認すると、うずくまるように倒れている男を見下ろす。
「丹精込めて作っている農家の人たちに謝れ。おいしく調理してくれる食堂の人たちに謝れ」
アリスは男の内臓を狙って踏みつけた。
男の悲鳴がしんと静まり返った食堂の中に響いた。
アリスはそんな男から目を離さずに口を開く。
「何が気に入らないのか知らないけど、取り巻きの一人も御せないなら、お山の大将を気取るのを今すぐやめな。子分の不始末は親分の不始末なのよ」
見事な啖呵に男たちが気色ばんだ。
「なんだと貴様っ!」
「ドラリーニョ様を愚弄するつもりかっ」
アリスは顔を上げた。
誰がドラリーニョかはわからないが、どうでもいい。
ストレスが溜まっているうえに悪質な嫌がらせという火を注がれたアリスの鬱憤は爆発の一歩手前だ。
「平民の小娘が何を勘違いしているのか知らんが、そいつが勝手にしたことだ。私には関係がない」
余裕たっぷりに答える金髪の男にアリスは視線を向ける。
「だったらあんたはただのずる賢いだけの親分ね。上官ってのは責任をとるのも仕事のうちなのよ。責任を回避するために指導するのはいいけど、責任を部下に押し付けるのは最低の上官ね。威張っているだけが上官じゃないの」
アリスの言葉に、その場にいた何人かの上官がそっと頷いている。
「平民風情の娘が、誰にものを言っている?」
「あんたによ、ドラリーニョ」
あえて様はつけない。
想像通り、小物たちが騒ぎ立てる。
「貴様、口を慎めっ!」
「無礼だぞ!」
アリスは鼻で笑った。
「何それ。無礼なのはどっちかもわからないの?ついでに言うなら、無礼な奴に払う敬意も義理もないから」
アリスは礼儀にはうるさい。
貴族が平民を侮って見下そうとも、礼儀を忘れないのなら敬意を払うふりくらいできるし、仕事中なら営業スマイルが炸裂する。
足を伸ばして転ばせる、ヨロけたふりしてぶつかる、間違った情報を教えるという自分の体を使って嫌がらせをしてくるのは許容範囲だ。
だが、人質を取る、無抵抗の相手に過剰な暴力をふるう、一人を集団でいじめる、そして故意の器物破損は絶対に許せない。
今回は食堂の人たちが一生懸命に作った食べ物を粗末にしたという事がアリスの逆鱗に触れたのだ。
「平民風情が、我らにたてつけば泣きを見るぞ」
「調教されねば素直になれぬか?」
下劣な発言にアリスの怒りゲージが上がる。
「なぁに、喧嘩?いいわよ。家の家訓はね、『売られた喧嘩は高く買え、お釣りを渡すのを忘れるな』よ。覚悟しなさい」
食堂にいる誰もが思った。
(なんだよ、その家訓)
売られた喧嘩には追撃も忘れるなという相手をとことんまでやっつける恐るべき家訓だ。
「平民のくせに貴族に手を上げる気か?」
「不敬罪でつかまるぞ」
「正気なのか、この娘は」
ボスと取り巻き、全部で五人。
うち一人はアリスに足蹴にされているので、あと四人残っている。
「はぁ?不敬罪、何それ。いいわよ、公にしちゃっても構わないわ。裁判の場で、平民の小娘に貴族の、しかも騎士のお坊ちゃんがどう叩き伏せられたのかを話せばいいのでしょう?裁判記録にしっかり残るように余すことなく話すわよ」
ニヤリと笑い、相手を煽りまくるアリスの姿にヘンリーは目を覆っていた。
二人はちゃっかりと壁際まで避難している。
「ヘンリーさん、アリス姉さんを助けてあげてくださいっ」
「ああなったあいつは止められないし、止めるとこっちが危険だ」
おろおろするホノカを気の毒そうに見る。
「この人数なら心配ない。それにしても……どっちが悪役かわかんねーよ、アリス」
悪そうな笑みを浮かべているアリスを見ながらヘンリーはぼそりとつぶやいた。