暗躍 2
お店の事が心配だったアリスはコンラート伯爵に外出の許可をもらった。
今ごろはホノカはマンツーマンで指導を受けているだろう。
ほんの少しだけ、いや、かなりほっとしている自分がいる。
「自由って素晴らしい……」
あほな事を呟きながら店へと向かった。
「やぁ、アリス。お邪魔しているよ」
お店に立ち寄ったアリスに声をかけたのは裏社会の大ボス、ロッシだった。
ちょうど木陰になっているウッドデッキの席に座っている姿は堂々とし、貴族のように見える。
「毎度あり~」
お茶目に言うと、ロッシはふっと口元に笑みを浮かべた。
「元気そうで何よりだ。うちの倅の嫁にこないか?」
もはやあいさつの一部となったそのセリフにアリスは思わず小さく声を上げた。
「どうかしたのか?」
いつにない反応にロッシが訝し気な顔をする。
「いやぁ……嫁においでなんて言ってくれるの、ロッシおじさんだけだなぁって。あはははは……」
最後の乾いた笑いにロッシは首をかしげるが、すぐに何かに思い当たったらしくくすりと笑った。
「お前の親父が死んだら縁談も殺到するだろうよ」
「え?なんでお父さん?お母さんじゃなくて?」
アリスの母も腕っぷしにものを言わせてブイブイ言わせていたのだ。
かくいうロッシもそんなアリスの母に惚れていたくちである。
腕っぷしなのか容姿なのか性格なのか、どこに惚れたのかは未だに聞けないでいる。
「俺たちはお前の父を良く知っているからな。アレの機嫌を損ねたらどんなことになるのか……」
苦笑交じりにコーヒーを口に運ぶ。
「それが怖くて誰も手出しできないわけだ」
「でもおじさんは別だよね」
「さて、どうかな。俺もアイツは怒らせたくないね。だから声をかけるだけで無理強いはしない」
言われてみれば、ロッシはいつも軽い口調で言うだけだ。
「だから忠告を一つしよう」
ロッシの雰囲気がひんやりとしたものに変わった。
近所の気のいいおじさんから裏社会に生きる男独特の雰囲気が前面に出てくる。
「お前のところに来ている居候だが、狙われているぞ」
軽い口調だが、恋愛の意味ではないと彼の態度が言っていた。
アリスの表情がこわばるのを見てロッシはカップを置いた。
「まったく……お人好しだな」
アリスの反応から知っていて引き込んだのだと察した。
「……どんな奴かわかる?」
「さて……面倒くさい人種だな」
「おじさんはあったの?」
「いや、アーロンが見かけた。裏に関わる表の人間だろう」
表社会に法律というのがあるように、裏社会にも独自の法律がある。
もちろん何の保証も根拠もないものだが、無用な争いを避けるために意外と守られていたりする。
しかし裏に関わる表の人間というのは中途半端にそれを破り、ひっかきまわし、自覚なしに火種をおいて回る輩が多いのだ。
「ああ、それは面倒ね。あの子が何者かは言えないけど、陰に護衛が付くくらいの大物なの。知らせてくれてありがとう」
「手伝いは?」
「頼むかもしれない」
ロッシが軽く目を見張る。
いつだってアリスは彼の手を借りようとはしなかった。
彼の手を借りるという事は、裏社会の手を借りるという事だ。
日のあたる世界を進む生き方を選ぶのなら、彼の手を借りるべきではないという事をアリスはよく知っているし、ロッシもまたそれをわかっていた。
ギャング予備軍の子供達との縄張り争いを見かねて手を差し出しても、彼女がその手を取ることはなかった。
裏社会で生きるつもりはないという意思を常に示してきた。
だからアリスが自分手を借りるかもしれないという言葉を聞いて驚いたのだ。
「それほどか」
「……今は何も話せないけど、危なくなったら手を借りる。いい、かな?」
「未来の娘の頼みを断るわけがないだろう」
「ものすごく助かる。それと一つだけ、言っておく。あの子に何かあったら……そうね、人
類滅亡もありえるかもってくらいの重要人物だから」
さすがのロッシもちょっと目を見張った。
「大きく出たな」
「まぁね。だからちょっと、この界隈が騒がしくなるかもしれない。変な依頼もおじさんのところに舞い込むかもね」
「……それは兵士がうろちょろしているのと関係があるのか?」
「うん。この三か月が勝負かな」
「わかった。それじゃあ、またな」
ロッシはお代をテーブルの上に置くと立ち上がった。
アリスがお店に入ると、従業員達は笑顔で会釈してきた。
「お嬢っ、様」
見事なまでにとってつけたような敬称にアリスの笑みがひきつる。
「ルーク。変なところで切らないでよ」
「悪い悪い。ついうっかり、油断すっと呼び慣れたモンが口から出るんだよ」
「うちは飲食業だってわかってる?汚い表現は路地裏でやってちょうだい。ジョンは?」
「裏で帳簿と格闘中。あれ、お嬢様はしばらくお泊りで帰ってこないはずじゃ」
そういってわざとルークは下卑た笑みを浮かべて見せる。
「なんか裏の意味を感じさせる言い回しはやめてね。ちょうどいいわ、あなたも一緒にいらっしゃい」
軽口ばかり叩く幼馴染の従業員を人差し指を振って誘導する。
「おう、あとは頼むな?」
「ヘイ!」
厨房の中に向かって声をかけると、可愛らしい内装からは想像もつかないドスのきいた声がかえってきた。
脳裏に列を作って腰を落としながら親分を迎え入れる某組員達の姿が浮かんだ。
「お客様が驚くから、もっと優しく軽やかな返事を心掛けてね?」
「ヘイッ!」
優しいとは言えないが、どこか楽し気で軽やかでキレのある返事がかえってきた。
(誰が歌の合いの手を入れろと言った?)
めまいがしそうだ。
「……返事はハイで、ね」
もはや何も言うまい。
アリスはきびすを返してスタッフ専用のドアを開けた。