特訓開始 4
今朝は驚くべきことにクリス王子がホノカを訓練所まで送り届けてきた。
「マジかよこの馬鹿王子……」
ぼそりとアリスは呟いた。
その場に居合わせた者達の好奇心に満ちた眼差しに頭を抱えたくなる。
「アリス姉さん~、おはようございますーっ!」
アリスに気が付いた瞬間、ホノカは顔を輝かせ、クリス王子の手を振り切って走ってくると飛びつくように抱き着いた。
朝から熱烈な抱擁に、周りの目がいっそう痛くなる。
「ええっと、ああ、うん、おはよう」
クリス王子がじろりとアリスを睨みつけている。
人前で余計な事を言わないあたり、まだ理性が働いている状態なのだろう。
その様子を見ながらアリスはホノカを引っぺがす。
「ありがとうございました」
あえて名前は言わない。
アリスは侍女がするようなお辞儀をクリスにしてみせた。
クリスは鷹揚に頷くと、ホノカの方を見て微笑んだ。
「また会おう」
誰も声に出さないが、雰囲気がざわついたのをアリスは肌で感じた。
クリス王子が自ら案内し、コンラート伯爵が自ら教えている美少女の謎がますます深まっていく。
彼らの脳内ではやんごとなき某国の姫説とご落胤説に加え、新たにクリス王子の想い人という説が加わった。
フェルナンやオルベルトと違ってクリス王子のホノカを見る目はあからさますぎる。
たかが侍女に嫉妬の目を向けるあたり、もう嫉妬深い独占欲の強い男としての評価が付いてしまったのではないだろうか。
面倒だがフェルナンに忠告してもらった方がいい。
誰の息がかかっているかわからない不特定多数のいる場所で、何してくれてんねん、と心の中でなじっておく。
「ようやく行ってくれましたねぇ」
やれやれと言わんばかりのホノカにアリスはジト目をよこす。
「他人事のように言ってるけど、なんで王子が護衛なの?」
「オルベルトが遅刻で間に合わなくて、フェルナンは宰相から緊急呼び出し。で、訓練に遅れたら悪いからって王子が連れてきてくれた」
あっけらかんと答えるホノカだが、アリスの焦りをまるでわかっていない。
「……公の場で二人一緒って、自分で外堀埋めてどうすんの?」
「へ?」
頭にクエスチョンマークを浮かべるホノカに呆れるアリス。
「一国の王子が、わざわざ訓練所まで女性をエスコートするって普通はありえないしやらないから」
「そうなの?」
「なんのために使用人がいると思っているのよ」
「えっ、なんでって……」
「自分じゃなきゃダメってこと以外の雑事を任せるために決まってるでしょーが」
今一つわかっていないホノカ。
「たとえば社長が営業で訪ねてきた人を自分で案内したり見送ったりする?それは部下の役目でしょ。偉い人が自ら動くとなれば自分と同等かそれ以上か、大きな仕事相手だけだよ」
「大きな、仕事相手?」
「まぁ見ようによっちゃそうだけど、この場合は違う」
天然さんには回りくどい言葉は必要ない。
きっぱりはっきり直接的に言ったほうがいい。
「この場にいた人たちは、間違いなくクリス王子とホノカちゃんは相思相愛だって思ったよ」
「げ……」
ようやく事態の重さに気が付いたのか、顔を青くさせる。
「恋愛ルートに入っても知らないよ?」
「だっ、で、でも、私の好感度は高くないわけだし大丈夫!」
どんだけ王子の印象が悪いんだと突っ込みをいれたくなったがそれどころではない。
アリスの気の毒そうな眼差しを受けてホノカがオロオロとうろたえ始めた。
「外堀が埋まっちゃったら強制的に恋愛ルートに入ってもおかしくないと思うよ。ゲームと違って生身の人間なんだし、誤解しちゃった誰かが暴走する可能性も頭にいれておきなさい」
「そ、それって、どういう意味ですか?」
おずおずとホノカが尋ねた。
「絵面だけ見たらお似合いの二人。見ていた彼らが噂して、まわりまわって王子の隣を狙っているお嬢様や野心家のおじ様の耳に入る。あの女、ちょっと邪魔じゃね?となって行動しちゃう」
「……いやいやまさかそんな」
「わけあるって。特に王子ルートは女性関係が事件の発端なわけだし、好感度を抜きにすれば状況的に整っちゃうよ」
ゲームではなく現実世界なのだから、好感度も真実は関係ない。
王子妃の座を狙う者からすれば、王子が気にかけているというだけで排除の理由になるのだから。
「もしかして、やっちまったなっていう状況ですかね?」
だらだらと冷や汗を流しながらホノカが問うと、無情にもアリスはこくりと頷いた。
「立場がはっきりとしていない状況だからこそ、気を付けたほうがいいよ。王子の想い人だからオル様やフェル様、ジャック様が護衛についているんだって思われたら王子ルート確定じゃない?」
今ならまだ間に合う。
場合によってはグレイ小隊の騎士に送り迎えをさせたほうがいいかもしれない。
恋愛ルートにも使命ルートにも入らないでノーマルエンドを目指すには、これ以上の王子の接触はよくない。
「絶対に王子と二人きりにはならないからっ!」
固くお空に誓っているホノカを横目にアリスはため息を一つついた。
「クリス王子の評判、けっこうよかったんだけどなぁ……」
どうしてか、アリスの見るクリス王子という存在はちょっと残念臭が漂う。
ふわふわとどこか地に足が付いていないような。
初恋をちょっとこじらせているだけなのだが、事情を知らないアリスからすればがっかりだという心境だ。
「ああそれと大事な事を一つ聞いていいかしら?」
「アリス姉さんになら何でもっ!」
「聖女って魔法、使えなかったんじゃなかった?」
直球で問いかけると、ホノカは世界の終わりみたいな顔をした。
「……気が付いちゃいましたか。気づいていなかったから大丈夫だと思ったのに……」
「どういう事か説明してもらいましょうか?」
「あっ、あんまり遅くなるとコンラート先生に怒られちゃいますよ」
あからさまに話をそらされたが、たしかにこれ以上は問答無用で遅刻扱いになる。
その際、どうなるかは推して知るべし。
あの先生が笑顔で許すはずもない。
「行こうか」
慌ててアリスはホノカの手を引っ張って歩き出した。




