魔力が減ると? 1
「ものすごい倦怠感……」
装備した者の魔力を吸い取って放出するという赤い色のブレスレットを両手合わせて10個つけたまま、ホノカはソファーに寝転がっていた。
アリスはテーブルに突っ伏したまま動かない。
「君は少し、鍛えたほうがいいね」
伯爵の恐ろしい宣言にアリスの魂は半分抜けた。
仕立ての良い私服に着替えたコンラート伯爵は物静かな学者に変身していた。
「……魔法使いじゃ……ないですから……」
「君は商人だろう?いつ何時、どこかに転がっている商機を掴むためには体力も必要だよ。いい機会だから聖女様に付き合って体力をつけるといい」
嫌味を込めて言い返すが、あえなく撃沈された。
劣等生の魔法使いを優秀な魔法使いに育て上げるという触れ込みはどこに行ったのだろうか。
これでは昭和のスポーツ根性を題材にした漫画のような展開だ。
「だらしないですわよ、アリス」
「……お願いですから……見逃してください……持久力はないんです……」
クローディアは心底驚いたようにアリスを見た。
「そうなんですの?あれくらいで動けなくなるなんて、意外ですわ」
「……クローディア様は……公爵のお嬢様……ですよね……」
「何か今、失礼な事を考えていません?」
クローディアはむっとしたようにアリスを見た。
「私は妃候補として育てられましたのよ。襲撃者から逃げるための体力、暗殺者を退けられる武力、ダンスを踊り続けるための持久力……そういったものも必要なのです」
「なんて物騒な世界なんだ……」
横で聞いていたホノカの顔色が一気に悪くなった。
「本物のお嬢様って……大変なんだね……私、庶民のままでいいや……」
アリスは遠い目をしながら呟いた。
「クローディアって、ひょっとして剣を持って戦えるの?」
「基本的な型は習いましたが、近くにあるものを武器に襲撃者を退ける戦い方を重点的に教わりました」
人気のない場所、部屋などで身を守る術を叩き込まれたのだとクローディアは説明する。
お妃教育の一環には身を守る術も含まれるのだ。
「……あれ、ということは今の王妃様も戦えるってこと?」
「当然ですわ。有事の際、剣の一つも扱えない者のいう事に軍の人間が耳を貸すと思いますの?」
クローディアという女性を侮っていたのかもしれない。
ホノカとアリスはそう思った。
「彼らは命令一つで命をかけ、または命を奪うのです。その重みを知る人間の命令だからこそともに戦い背中を預け、従うことができるのです」
とても重みのある言葉だった。
「……クローディアは人を殺した経験、あるの?」
思わずホノカが聞いていた。
「それはどこまで含みますの?直接的に?間接的に?」
「ごめんなさいっ、なんでもないです失言です失礼いたしましたーっ!」
ソファーから飛び降りると土下座を始めるホノカ。
「よいのです。聖女となる貴女には知っておいてほしいのですよ。過分な力を持つという事は、平凡からはほど遠くなるという事を。力を行使するからには責任が生じるという事を」
真に上に立つ者は綺麗ごとだけではすまないのだ。
清濁併せ持つだけの胆力と精神力が必要だ。
「……聖女にも、そういうのが必要なのかな」
「いいえ。ですが、聖女を取り巻く人間の多くは権力者だという事を忘れてはいけません」
ホノカの眉がハの字になった。
ふつうの女子高生にそんな事を言われても困るだけだ。
政治家のおじ様たちに囲まれてあたふたする自分の姿しか思い浮かばない。
「クローディア様は、別に同じことをしろって言ってるわけじゃないよ」
ようやくアリスがテーブルから顔を起こし、ホノカの方を見た。
「そういう世界もあるんだって覚えとけってこと。それからさ、ここで聖女の頑張りを見せておけばいざというときにみんなも協力的になるって話」
「へ?」
「頑張る聖女様を見たら応援したくなるでしょ。協力したくなるでしょ。いざというとき、手を貸してくれるかもしれないでしょ」
「……めっちゃ打算的」
「否定しないけどさ、ここにほだされちゃった人がいるでしょ」
アリスは自分を指さした。
「ホノカちゃんは世界を救うためにがんばってるじゃない。だからこうやって付き合おうって思えたんだよ」
「アリス姉さん……」
自分なりに頑張っていることを認めてもらったホノカは目をウルウルさせていた。
「クローディア様も同じ気持ちだよ」
途端に涙が引っ込むのを見てアリスは苦笑する。
「クローディア様もね、頑張るホノカのために何かしてあげたいんだよ」
「アリス……」
ちょっとクローディアもうるっときている。
「気持ちが大きすぎて空回りしているけど」
クローディアの涙も引っ込んだ。
「ついでに言えばね、今のは悪い人からホノカちゃんを守るわよって意味だから」
「そうなんですか?」
「貴族の悪いところは、婉曲的な表現かな。ツンデレなんだよ、きっと」
「ツンデレ……なるほど……」
「つんでれ?なんですの?」
納得するホノカを不気味そうに見やりながらクローディアが質問をするも、誰も答えなかった。
ただその場の空気がほんのちょっぴり、ほっこりとしていた。
「ところで先生、魔力が大きいと魔力切れの反動も大きいって聞いたことがあるのですが本当なのでしょうか?」
アリスは生ぬるいまなざしでこちらを見ているコンラート伯爵に聞いた。
「ええ、そうです。健康な人ほどちょっとした風邪で騒ぎ立てるのと同じですよ」
返答に困る表現にアリスは黙った。
「より喪失感に敏感なのです」
くすりと笑いながら伯爵は補足する。
「軽い荷物と重い荷物ではおいた後の感覚が違うでしょう。重い荷物を置いた後は体が軽くなるような感覚がありますが、軽い荷物では何も変わらない」
「わかりやすいですけど、魔力と筋力を同じにされても……」
「同じようなものですよ」
本当だろうか。
魔法に関しては専門外なので、正しいのか正しくないのかはわからない。
「ある程度は鍛えられても、その先はもって生まれたものが左右します」
素質がなければ話にならない。
「ちなみに私程度の魔力だと、どこまで鍛えられますか?」
「そうですね……死ぬほど頑張って生活魔法の初歩がこなせるぐらいじゃないですか?」
生活魔法の初歩といえば、風で部屋のほこりを追い出す、水で桶を満たす、なんか湿ってる薪に火をつける、固い土を鍬が入る程度には柔らかくできるといった程度だ。
上級になると風と水の魔法を組み合わせて洗濯機になれる。
アリスの目に生気がなくなった。
もはややる気の欠片もない。
「ジャックも私と同じような訓練をしたんですか?」
みるみるうちに元気がなくなっていくアリスに気付き、ホノカが話をかえる。
「いいえ。彼の場合、更に私と実戦訓練で魔力を放出させましたよ」
このおびただしい数の魔道具を使ったまま実践ではなく実戦訓練。
魔法を使うたびに力が抜けていく感覚を想像したホノカは心の中でジャックに手を合わせた。
ジャックがコンラート伯爵を嫌う理由がよくわかる。
「あれ?先生に教わったってことは、ジャックも落ちこぼれだったってこと?」
伯爵に教わるという事は、そういう事でもある。
「いいえ、彼の場合は特別です。有り余る力を持て余していたので、解消に付き合っていたというところでしょうか。魔力切れを起こさせるのにも一苦労でしたよ」
その解消するという行為がどういったものなのか。
いい思い出のように語っているが、ジャックにしてみれば思い出したくもない出来事だ。
明日は我が身だということにホノカは気が付いていない。
先生と生徒の個人授業というシチュエーションに気を取られてそこまで考えが至らなかった。
そしてアリスはホノカに対してなにか疑問を感じたのだが、疲れ切っていたのでそれが何かすぐに忘れてしまった。
夏の間は土曜日のみの更新予定です。