長い一日 3
平民がいきなり城に行って人に会うためには面倒な手続きがいる。
事前に面会許可を取り付けるか、直接城に行って面会の申し込みをするかだ。
「こんにちは」
「やあアリスちゃん、久しぶり!」
門番の兵士に声をかけると、すぐに返事が返ってきた。
流行りのスイーツを扱っている商会なので城に出向くことも多い。
もちろんスマイルゼロ円の根性が前世から刷り込まれているのでアリスは笑顔を惜しまない。
笑顔一つで円滑な人間関係が築けるのなら安いものだという商売人の見本でもある。
アリスは門番や警備の兵士とは自然と顔見知りになっていた。
第一の正門を抜けてすぐにある検問所に向かう。
そこで氏名と用件を明記し、許可証をもらってから通用門を通って中に入り、各部署の専用の面会待合室に入る。
いわゆる市役所の窓口と同じで入り口にある番号札を持ってただひたすら呼ばれるまで待つのだ。
事前に約束があったり特定の人と会う場合は紙に記入して提出し、そこからは電話もFAXもないので連絡係がその人物の元へ行き面会人の書いた紙をわたし、返事をもって面会室に戻ってくるまでひたすら待つ。
待合室にはすでに何人かが面談の許可を待っていた。
アリスは面会相手にフェルナン・アストゥルの名を書き、用件を書き添える。
『ジョシコウセイという名の新作スイーツの扱いについて』
最初はホノカと書こうと思ったが、第三者に聖女の名前だとすぐにわかってしまうのはどうかと思い直し、彼女の身分にしてみた。
彼女のことをよく知っている者ならば、聞いたことくらいあるはずだ。
アリスの予想通り、すぐに連絡役の人があわただしくやってきて待ちわびている人たちの羨望の眼差しの中、連れ出された。
どこに案内されているのかはわからないが、途中で案内役が変わった。
明らかに城の奥に通されている。
緊張で手が冷たくなっていたが、顔には出さないように気を付けた。
「こちらでお待ちください」
案内された場所は、ぺかぺかのピカピカなセレブの部屋だった。
しばらく待っていると、茶色い柔らかそうな猫っ毛の青年がやってきた。
チャラい感じを前面に押し出した雰囲気の美形だ。
アリス基準で言えば時計や香水のモデルが似合いそうなハンサムだ。
「お待たせしたかな、フェルナン・アストゥル侯爵です」
アリスはさっと立ち上がると、淑女の礼をとる。
「初めまして。アリス・ドットと申します。この度は……」
「ああ、社交辞令はいりません」
人の好さそうな顔をしながら人のあいさつをぶった切ったフェルナンは女性ならば蕩けそうな甘い笑みを浮かべた。
アリスの向かい側にどっかりと腰をおろし、手で座るように指示した。
「大変興味深い新作スイーツのお話を持ってきていただいたようですが?」
人のあいさつをぶった切る相手に遠まわしな言葉遊びをするつもりはないので、平民の無邪気な女性らしく直接的に話すことにした。
「率直に言わせていただければ、家出少女を保護しております。彼女の事情も把握しておりますので、急ぎお目通りを願った次第です」
彼の茶色い瞳に安堵の色が浮かんだが、すぐに消えた。
猜疑心をまったく表に出さない態度にアリスは感心する。
「ありがとうございます。では至急、彼女を迎える手はずを……」
「お待ちください、アストゥル様」
アリスは静かに遮った。
「無礼を承知でお話をさせていただきます。まず、なぜ私がアストゥル様に面談を申し込んだのか、です」
「彼女から私の名を聞いたのでしょう?」
「はい。お知り合いの中でとても柔軟な思考をなされる方だと伺いました」
アリスはにっこりと笑みを浮かべた。
「なぜ彼女が家出をしたと思いますか?」
「……さぁ。私は彼女ではないので、何とも」
「簡単に申せば、ホームシックです」
「なんですか、それは?」
「生家が恋しくて泣いておられます」
フェルナンは気まずそうな顔をした。
彼自身も彼女の様子に気が付いていたのかもしれない。
「結論を先に申し上げれば、彼女はお役目を嫌がっているわけではありません。城という環境になじめないので、我が家で生活したいと申しております」
「興味深い話ですが、貴女が彼女を悪用しないという保証はない」
「悪用ですか……。うちはスイーツを扱った店を展開しています。御用達の看板は出すかもしれませんが、利用価値といえばそれくらいですね」
フェルナンは意外そうな面持ちでアリスを見ていた。
「うちは商いをしているのであって、政治をしているわけではありません。せいぜい看板娘が関の山ですわ。もちろん彼女にはその旨を伝えたうえで、うちにいたいそうです」
「信用できない」
「当然です。ですから、うちにきて彼女と話をしていただけないでしょうか。彼女が何を求めているのか、あなたがたはご存じないでしょう?」
帰りたい、というホノカの気持ちは知っている。
だがどうしようもない事なので代わりに色々と便宜を図ってきたつもりだ。
フェルナンの不満が透けて見える。
一般庶民にはとうてい味わえない贅沢をさせてやっているのに何が不満なのか。
アリスは静かな怒りを押し殺し、友好的に話を進める。
「お話を聞いていると、彼女は庶民の出だそうですね。そんな方がいきなり城で生活すれば、息が詰まるのも道理かと思います」
「国賓級に好待遇だが?」
「やはりわかっていないようですね。貴族が平民の生活に満足できないように、平民もまた貴族の生活に満足できないものなのですよ」
「質が上がった生活を捨てて、質の低い生活を送りたいと?」
「貴族が平民の生活に慣れないように、平民もまた貴族の生活には慣れません」
理解できないとばかりにフェルナンは首を振る。
「家族のいない異国の地に一人放り出されて慣れない生活を送る……そのご苦労を考えたことはございますか?」
「だとしても、知り合ったばかりの貴女に彼女を託すという理由にはならない」
「ですから足を運んでいただいて、彼女の口から直接お話を聞いてくださいと申し上げました」
フェルナンが言葉に詰まる。
「いきなり縁もゆかりもない国へ拉致されたあげく、健気にもその国を救うべくがんばろうとしている彼女の心意気に私は胸を打たれました。そんな彼女に手を差し伸べて何が悪いのです?」
アリスはここぞとばかりに畳みかける。
「私はこの国で商売をしている身です。彼女を守ることは我が商会を守ることにもつながるのです」
利害と情を絡ませながらアリスは持論を展開する。
「我が家から城に通いたい。彼女の願いはそれだけです。もちろん尊い御身を守るために警護と送迎はそちらにすべてお任せしたいと思っております」
むしろそうしてくれた方が費用が掛からなくて済む。
お城の兵士たちには気の毒だが、さすがにドット家だけではお金も人材も不足だ。
「わかりました。では、彼女の元へ案内していただきましょう。その言葉が真実か否か、彼女の口から聞くまでは保留です」
ドット商会はこの数年で王都に甘味処というカフェを何件か展開し、変わったスイーツを売りにしている。
飲食業界で一番右肩上がりな勢いのドット商会を知らない者はいない。
季節の新作は手に入れるのが一苦労だが、それを手に入れることができるのも一種のステータスになっている。
仮に取り潰しにすれば甘党派が黙っていないだろう。
敵に回すには少々厄介な商会だ。
何しろどこに甘党派が潜んでいるのかわからないからどこで恨みを買うかわからない。
古今東西、食べ物の恨みが恐ろしいのはどこも一緒だ。
フェルナンはアリスに向かって女受けしそうな笑みを浮かべた。
「それではいきましょうか、ドット嬢」
見直しているのに誤字脱字……絶対にあの職業にはつけない……。