四日目も忙しい 1
ジャックの護衛でホノカと城にあがったアリスを待っていたのはフェルナンだった。
「おはよう、アリス」
「おはようございます、フェル様」
真っ先にアリスに声をかけたフェルナンはホノカに手を差し伸べ、馬車を降りるのを手伝った。
「君をドット家から通わせるための手配が色々あってね。悪いけれど、今日はアリスを独占させてもらうよ」
「ううっ、わかりました。アリス姉さん、くれぐれもフェルナン様の毒牙にかからないように気を付けてくださいね」
恋愛ルート身代わり作戦はいまだホノカの中では進行中らしい。
「むしろそのセリフ、あんたに返したい」
別れを惜しむホノカにバッサリと言い返したアリスはフェルナンを見上げた。
「それでは行きましょうか」
「アリスねえさ~んっ、カームバァーックゥ!」
叫ぶホノカをスルーしてアリスはさっさと歩きだした。
「はうううぅぅ、アリス姉さんがいない……」
「僕たちもいくよ、ホノカ」
「ふぁ~い……」
時間が惜しいとばかりにせっつくジャックに生返事を返したホノカものろのろと歩き出した。
アリスはとある一室に案内された。
そこにはすでに三人の男女が直立不動の姿勢で待っていた。
大柄な中年の男とひょろっとした中年の男とどこにでもいそうな庶民的な女。
いかにもモブという感じになんだか共感を覚える。
「あれ、小隊長は?」
「団長との打ち合わせがまだ終わっていないようです」
「そう。じゃあこっちを先にすませちゃおうか」
気にした様子もなくフェルナンはアリスに彼らを紹介した。
「左からペトリ、下働き。パグ、庭師。ハンナはメイド」
それぞれがぺこりと頭を下げる中、アリスの目はハンナに向けられていた。
どこかで見たような気がするが、思い出せない。
客商売で養われているアリスはお客の全員の顔は覚えていないが雰囲気は何となく覚えているのだ。
「ハンナは何かあった時にホノカ様の身代わりも務めてもらう」
言われてみれば、背格好はホノカと同じだ。
雰囲気も少し似ている。
茶目っ気たっぷりにほほ笑むハンナはホノカの笑い方と同じだった。
ホノカが正統派美少女だとすればハンナはなんちゃって美少女だが、雰囲気がモブではなく美少女オーラを放っている。
「よろしくお願いします」
アリスがそういったとたん、美少女オーラが消えてモブオーラに変わる。
何がどうなっているのかさっぱりわからないが、なんちゃって美少女がただのモブまでランクダウンしている。
驚くアリスを満足そうにフェルナンが見ていた。
「ペトリは内部の、パグは庭など外周りの警護です。何かあった時は彼らの指示に従ってください」
彼らの指示に従う時、それは危険な状況だ。
アリスは改めて気を引き締めた。
「彼らは午後、ギルドの紹介状を持ってドット家に行くからよろしく」
「わかりました」
「質問は?」
「ええっと、戦闘スタイルだけ聞いていいでしょうか」
アリスの質問にペトリが一歩前に出た。
「私は暗器……服などに隠した武器を使う接近戦です。パグは斧、ハンナはその場にある物を武器として戦います」
「彼らのことは、ジャック様やオル様はしっているのでしょうか」
「いいえ。彼らにはこのことは口にしないでください。内部に警護の人間を潜り込ませている、という事は知っていますが、誰がということは秘密です」
「理由を聞いてもいいでしょうか?」
「ジャックもオルベルトも部外者ですから」
「オルベルト様はわかりますけど、ジャック様もですか?」
教会という組織の人間であるオルベルトに手の内を明かさないのはわかるが、ジャックは城勤めの魔法使いだ。
「彼の性格上、敵味方の区別をつけるより、周りが全部敵だと思っていた方が動きやすいとの判断です」
前衛での戦いを好む魔法使いは一味も二味も違った。
心理戦より肉弾戦、頭脳戦より肉弾戦。
ごちゃごちゃ考えるより面倒だから一掃しちゃえというのがジャックだ。
「えっ、それでいいんですか?」
「何かあった時、ジャックから離れろとは伝えてある」
巻き添えになりたくなければ逃げろという指示だ。
「仮にジャック様がおくれをとるという事があったらどうするんですか?」
「仮にジャックを倒せるような敵がいたとして、ジャックが勝てなかったら他の人間には無理だろうよ」
「えっ、まさかジャック様って最強?」
「周りに味方が一人もいない、敵に囲まれている、周囲を破壊してもよいという状況ならば世界一だと評価されている」
爆発物のような扱いだ。
そんな彼が護衛として活躍できるのかという疑問が残るが、牽制にはなるだろう。
「さて、これで顔合わせは終わりだ。次に会うときは、主人と使用人としての振る舞いを忘れないように」
最後にくぎをさしてから、フェルナンは手で出ていくように指示を出した。
兵士らしくぴしっと三人ともかかとを合わせて敬礼すると、ピンと背筋を伸ばしたまま出ていった。
扉が閉まるのを待ってフェルナンはアリスに向き直った。
「屋敷の外の警護ですが、黒曜の騎士団が請け負うことになりました」
「黒曜、ですか?」
騎士団は黒曜、琥珀、紅玉、瑪瑙、蒼玉、金剛、翡翠の七つ。
国境と王都に配備され、瑪瑙と黒曜の騎士団が王都を守る任についている。
「はい。この際だから黒曜騎士団の一小隊を聖女様専属にすることにしました」
しましたと軽く言っているが、各部署の調整は大変だっただろう。
フェルナンはそんなことはおくびにも出さずに話を進める。
「正確には黒曜騎士団第二小隊です。なぜ第二小隊かというと……」
乱暴なノックの音にフェルナンの声はさえぎられた。
「やれやれ。どうぞ」
バーンッ、と乱暴に開いて、山賊みたいな人相の悪い中年の男を先頭に筋骨隆々の初老の男、がっしりとした体つきの品のいい中年の男が続き、最後に白っぽい金髪の青年が入ってきた。
「団長、もう少し静かに開けてください。彼女が驚いていますよ」
フェルナンの文句に、団長と言われた中年の男が嫌そうな顔をしつつ大きな声で返した。
「うるせぇ。余計な仕事を回してくれたおかげで、忙しくなっちまったんだよ」
「瑪瑙と違って暇を持て余していたのだから、ちょうどいいでしょう」
「しかも警護だと?それこそ瑪瑙のほうが向いてる仕事だろうが」
「何事も挑戦は必要ですよ。それに機動力は黒曜のほうが上ですからね」
言い合いをしながらさりげなく持ち上げることを忘れないあたりはさすがだ。
「小童が、なに知ったような口をきいてやがる」
「やだなぁ、知っているから口をきくんですよ」
へらっと笑いながらフェルナンは冷ややかな口調で返すと、団長はますます渋い顔になった。
「ったく、口が減らねぇな」
フェルナンはアリスに向き直ると、困ったような笑みを浮かべて見せた。
「驚かせてしまいましたね。軍関係の人間はどうも粗野でいけない。さてアリス、彼らを紹介しましょう」
舌戦はこれ以上するつもりはないとばかりにフェルナンは話を進めた。
自分と年はそう変わらないのに、年上の働き盛りの男にポンポンと物を言ってしまうフェルナンにアリスは秘かに尊敬した。
いくら自分のほうが身分が上だとしても、年上に向かって軽口を叩きいなすなど、先輩後輩という縦社会で育った記憶があるアリスには難しい。
と、思っているのはアリスだけで彼女の知り合いだったら何言ってやがると一言物申したくなるだろう。
「彼らはホノカ様が聖女だということを知っていますが、彼らの部下はそのことを知りません。そのことを念頭に置いてください」
「では、彼女のことを何と説明すればよいでしょうか」
「……王国を揺るがす事件の重要人物で素性は秘密。それ以上の説明は必要ありませんし、兵士ならそれで納得するはずです。それ以上の事をあなたに探りを入れるような兵士がいた場合、スパイの可能性もあるので私に報告をしてください」
兵士のいいところは余計な説明はせずに命令に従うところだ。
「わかりました」
「黒曜を動かすからには、邪推で探りを入れてくる輩はどうしても湧いて出てきます。ついでだからそういった輩もあぶりだそうという大人の事情があります」
色々と思惑が錯綜して大変そうだ。
政治の闇の深さをちょっと垣間見てしまったアリスは遠い目をする。
闇の部分は説明する気がないフェルナンは気持ちを切り替えるようにいつもの軽い笑みを浮かべた。
「では彼らの紹介をしましょう。軍部のトップに立つ大将軍、フリードマン侯爵」
初老の男が前に一歩進み出ると右手にこぶしを握り、胸当てた。
「よろしく、お嬢さん」
腰が砕けるほどのつやのある低音ボイスにアリスの目が驚きに見開かれた。
図太さが売りのアリスですら色気の方に動揺したのか役職の方に動揺したのかよくわからないくらい動揺した。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
とんでもない人と知り合ってしまい、少々居心地が悪い。
「王都の守護を取り仕切っている将軍、ガイガー伯爵」
品のある中年男性が大将軍と同じように敬礼を取る。
「お久しぶりでございます。いつも奥様にはごひいきいただき、ありがとうございます」
「うむ」
「新作もそろそろ出る予定なので、そちらに試供品をお届けいたしますね」
「楽しみにしておる」
将軍の顔が一瞬だけ緩んだのをフェルナンは見逃さなかった。
こんなところに甘党派甘味党がいたとは驚きだ。
主に消費しているのはきっと婦人ではなく彼なのだろう。
「続いて黒曜の騎士団長、カリム騎士爵」
「その敬称はいらねぇよ。俺を呼ぶときはカリム団長で十分だ」
山賊風の男は嫌そうな顔をほんの少しだけ緩めてアリスを見た。
「よろしくな、嬢ちゃん」
「はい、こちらこそお願いします」
近衛は顔も資格対象になるが、騎士に顔は関係ない。
洗練とは真逆の野蛮な雰囲気をまき散らしているが、素人のアリスでもはっきりとわかる強者の風格だ。
「最後は黒曜の騎士団第二小隊長。グレイ・グリマルディ殿」
白金の長い髪を後ろで無造作にまとめた青年が恭しく頭を下げた。
「実質的には彼の小隊が専属になる。小隊の顔合わせは訓練場で行うといいだろう」
「かしこまりました」
「アリス、何か質問はあるかい?」
「ふ、フリードマン大将軍は奥様はいらっしゃいますか?」
なぜその質問?
一同の疑問をよそにフリードマンは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「長年連れ添った妻がいる」
「……そうですか」
アリスが残念そうな顔をしたのでフェルナンは興味を覚えた。
「今の質問って、何か関係あるの?」
ホノカと何かあるのだろうか。
そう思わずにはいられないくらい唐突な質問だった。
「いえ全く。完全に私情です。ちなみにお子様は?」
「残念だが、子に恵まれぬでな」
「そうですか……残念です」
なぜ残念なのか。
フェルナンが目で問いかけるとアリスは視線をそらした。
「アリス、質問の意図を尋ねてもいいかい?」
「……他意はないですよ。完全に私情です」
「だからなぜ?今のはちょっと聞き逃せない質問だったからね、君の意図を知る必要があるんだ」
真面目な顔でそういわれると、アリスとしても困ってしまう。
ものすごく言いたくないが、変に誤解をされてもこれから先が困るので、仕方なく白状することにした。
「…………フリードマン侯爵が素敵な方だったのでつい」
確かにアリスは私情だとはっきりと口にしていた。
「そういう私情かよ……てかどんだけ守備範囲広いンだよ」
呆れたように団長が呟く。
当のフリードマン侯爵は柔らかな笑みを浮かべた。
「光栄ですな」
「子供のことを聞いたのは、まさかとは思うけど……」
嫌な予感がしてフェルナンが聞くと、アリスはごまかすように笑った。
「将来、フリードマン様のようになられるかなぁと」
アリスの発言に将軍と団長が思わずといったように吹き出した。
何だろうとアリスが思っていると、フェルナンが少々困ったようにアリスを見た。
「実はね、そこの小隊長はフリードマン侯爵の甥なんだ。将来は養子となって侯爵家を継ぐ予定でね……」
「ええっ、ぜんぜん似てないですよねっ」
アリスの発言に小隊長はちょっとだけ傷ついたように顔をしかめた。
フリードマンはがっしりとして逞しく男らしい魅力にあふれた男だが、グレイ小隊長はどちらかといえば貴公子といった繊細で優美な魅力の持ち主だ。
見た目の共通点が全くない。
「彼は母親に似ているんだよ。話を戻すけど、甥である彼が伯父である侯爵にあうのはなにもおかしくないし自然だ。しかも将来は養子に入って跡を継ぐともなれば頻繁に会っていてもおかしくはない。それもあって彼の小隊が選ばれた」
外部にばれず、速やかに情報伝達を行えるという意味ではいい隠れ蓑だ。
ホノカが何者なのかを知る人間は少ない方がいいが、何かあった時に動くのは軍部だから必要な情報を共有するのは大事なことだ。
「大事になった時にいちいち順番に上にお伺いをたてるのは時間の無駄だし面倒だから、場合によっては小隊長殿から大将軍に直接連絡をとる。そういった意味では彼ほど適任者はいない」
「本来は許されないが、状況が状況だからな。迅速さが求められると判断した。何かあれば我らのうち誰かに連絡をとってもらえば全員の知るところとなることをアリス嬢は理解してもらえばよい」
将軍の言葉にアリスは頷いた。
そしてアリスの中で商売の神様がチャンスをつかめと囁いたような気がした。
「いきなり私と懇意にしては憶測を呼ぶと思いますので、足を運ぶ理由ですが……騎士団で扱う菓子の試食というのはいかがでしょうか?」
「ああ、それがいいね。君は本当に機転が利く」
フェルナンのお墨付きが出たので、これで堂々と商売の話もできる。
心の中でニヤリとしつつ、すました顔でアリスは確実なものにするべく頭を働かせる。
真っ先に浮かぶのは時代劇でお代官様にお菓子を渡す商人だ。
「私が行けなかった時や緊急時には菓子を包む紙などに用件をかくようにします。後で簡単なサインを話しましょう」
アリスに何かあった時のためにも、連絡手段は色々とあったほうがいい。
「サインとは?」
「丸ならさらわれた、バツなら殺されかけた、三角なら追われてるとか、そういった暗号です」
「あらかじめ決めておくのはいいな。それはこの六人の間の取り決めとして他言無用としよう。では、話が長くなりそうだから座りましょうか」
フェルナンの言葉にそれぞれが頷いた。
誤字脱字の訂正をしました。