長い一日 1
あれから8年、アリスは王都どころか国中にその名を知られる商家のお嬢様になっていた。
意外にも母親が経営の手腕に長け、人のよい父を見事に操縦している。
母が金儲けに走りすぎると父が暴走を止め、父が人のよさに付け込まれると母が助けるという見事な二人三脚で切り盛りしてきた結果だ。
アリスは前世の知識を生かして商品開発と企画、監査を担当している。
「アリスぅ、うう、そろそろお前も、身をぉぉぉ、固めてもいい年ごろにぃぃぃ……」
朝食の席で涙にむせながら縁談話をする父親に呆れたように冷たい視線を母が向けていた。
アリスは面倒くさそうに父親を見る。
「別にいいじゃない。働く女性は24歳までに結婚すればいいって風潮だし」
政略結婚組は17~20歳。
恋愛結婚組は18~24歳が女性の結婚年齢だ。
「でもねぇ……」
母が父に向けていた冷たい視線をアリスに向けた。
「浮いた噂の一つくらいある女が言うセリフよ、それ」
「まったくなくってわるぅございましたねぇっ!」
近隣の花婿候補は、軒並み幼いころの舎弟だった。
しかも姉さん(姐さん)呼ばわりはあたりまえ。
悲しいことに、ガキ大将だったアリスを異性として口説く猛者はいなかった。
こんなところで黒歴史が響くとは思ってもいなかったアリスだった。
「あなたも顔は悪くないのにねぇ……」
「可哀そうな子を見るような目で見ないで」
「いいんだよ~アリスはいつまでもウチの子でいていいんだよ~」
父がぐずぐず泣きながら口をはさんできた。
「婿養子は絶対だからね~」
うっとうしいと言わんばかりの視線を同時に向けた母娘は互いに視線を戻して見なかったことにした。
「あなたが作ったような店だから、あなたがこの店を継ぐのは決定事項よ。嫁入りするとしても、店を切り盛りすることを許さない旦那は絶対ダメ」
アリスはため息をついた。
すがすがしい朝食の席でする話題ではない。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった父親の顔を見ているだけで食欲減退だ。
「ごちそうさまでした」
「あら、もういいの?」
「うん。食欲失せた」
ちらっと父親のほうを見ると、母親はああ、と頷いた。
大人の魅力満載の紳士と評判の父親のはずだが、ロマンスグレーの欠片もない。
母親のほうも20歳の娘がいるとは思えないほどの若々しい美魔女だ。
二人を見ていると、人間は生き甲斐を持たないとだめだとそう思う。
「今日の予定はどうなの?」
「各店舗の抜き打ち視察と市場調査」
「わかったわ。お父さんは商会の集まりがあるのでしょう?そんなみっともない顔で出たらみなさんびっくりしてしまうわ」
「うん、そうだよね。顔を洗ってくるよ」
席を立ち、顔を洗いに行く父の背を見送りながらちらっと母親に目をやる。
「お母さんはお父さんのどこがよかったの?やっぱり顔?」
「それもあるけど、放っておけないところかしら。大丈夫だと分かってはいるのだけど、つい世話を焼きたくなるのよね」
口調は不満そうだが、とてもやわらかい笑みを浮かべている。
その顔を見たアリスは胸がほっこりした。
「ふふ、そんなお母さん、大好きよ」
「あらあら、なぁに突然。ご機嫌を取っても給料は上げませんよ」
「…………いい気分が台無しだよ」
照れ隠しにわざと言っているのだとわかっているのでアリスも冗談っぽく肩を落として見せると席を立った。
「それじゃあ行ってきます」
朝のさわやかな空気を楽しみながら、少しずつ活気づいていく街の中を歩くのが好きだ。
パンを焼く匂いや窓を開ける音、早番なのか急ぎ足で職場へ向かう者。
朝日の光に促されるように静から動へと空気が変わっていく。
「おやアリスちゃん、おはよう」
「おはよう、おばちゃん。今日もいい天気になりそうね」
顔見知りに挨拶しながら仕事に向かうアリスだが、見慣れないものが視界の隅に一瞬映った。
「ん?」
好奇心旺盛なアリスは確かめずにはいられない。
ホラー映画で真っ先に死ぬタイプだと思われるが、目の前に人が倒れていたら無視できない。
数歩戻って小さな路地に目をやると、行き倒れがいた。
「……あーっ、もうっ」
見捨てようと思ったが、見捨てられないお人好しなのがアリスだ。
一応、行き倒れを装った強盗かもしれないので用心しながら近寄るが、ぼろいマントから出ていた手が若くきれいな手だったことに安堵しつつ傍らに膝をついた。
「もしもし、大丈夫ですか?」
「……うう……」
返事はうめき声だった。
フードをとってみると、ポニーテールにした黒髪があらわになる。
「大丈夫ですか?」
顔にかかっている髪をどけてみると、まだ若い女の子だった。
「おーいっ、返事できますか~?」
おなかがぐ~っ、となる音が路地に響いた。
「ふおおおおおっ!お汁粉ってこんなにおいしいものだったんですねーっ!」
正体不明の女子を近くの店に運び込んだアリスはとりあえずお汁粉を出した。
がつがつと腹に入れるさまはもはや飢えた男子のようだった。
めったにお目にかかれない美少女なのに、残念な感じがぬぐえない。
身なりは悪くないが、所作は貴族らしくない。
(平民だけど金持ちの部類……)
少女を観察しながら素性を推測する。
この辺りでも見かけない顔だし、一度でも見れば忘れないだろう美貌だ。
これだけの美少女なら噂話くらいは入ってくるだろうが、該当する人物に心当たりがない。
(余所者の金持ちの娘があんなところで行き倒れって、まさか人さらいにあったとか?)
見目麗しい乙女ならばそれもありだ。
彼女の口から何を聞かされてもいいように心構えだけはしておく。
「……自分で出しておいてなんだけど、よくそんな甘いものが入るわね」
見ているだけで気持ち悪くなるが、甘党という生き物は得てしてそういうものなのだということをアリスは甘味処を始めてから知った。
血糖値の心配をしている間も、少女はがつがつと汁粉を口にする。
お椀の山が築いていくのを見ながら、わんこそばのようだと思った。
(わんこそばかぁ……いやまてよ、わんこ汁粉大会を開催してお店の宣伝もいいかもしれないわね)
企画を考えて時間をつぶしていると、ようやく満たされたのか少女が顔をあげた。
「あの、たすけていただいてありがとうございますっ!あいにくお金は持っていないので、よければここで働いて返したいと思います!たりなければ住み込みでもかまいません!」
「随分と義理堅いのね。私はアリス・ドット。貴女は?」
「西城穂香ですっ!」
「えっ、日本人?」
前世の記憶が間違っていなければ、この響きは日本人だ。
うっかりそれを口にしてしまい、後悔をしたのはホノカの驚いた顔に気が付いてからだが、もう遅い。
黒い瞳がキラキラ輝きを放ってじっとこちらを見つめていた。
「な……なんで私が日本人だってわかったんですか?あ、もしかして貴女も召喚されたとか?でも城にいませんでしたよね、ということは私と同じく逃げ出してきたんですね?」
ホノカは興奮のあまり立ち上がる。
かなりおかしなことを耳にした。
アリスはまじまじと目の前の少女を見た。
「召喚って何?私は生まれも育ちも生粋の王都っ子よ」
江戸っ子のようなノリで言い返すと、穂香は思い切り首を横に振った。
「いいえ、違いますっ!私の名前を聞いて日本人といい、日本人のソウルフードであるお汁粉を作れることといい、貴女は間違いなく日本を知っていますっ!」
「ソウルフードは味噌汁だよね?」
「言い換えましょう、ソウルスイーツです!というかその突っ込みは明らかに日本を知っている証拠です!」
うっかり突っ込み属性が顔を出したため、アリスは墓穴を掘った。
ビシッ、と音が付きそうなくらいの勢いでホノカはアリスを指さす。
「あなたは日本人ですっ!」
「とりあえず人を指さすのはやめようね」
「あ、すいません」
ぺこりと頭をさげてホノカは腰を下ろした。
「とりあえず、落ち着こうか。まずはあなたの事を教えてくれるかな?」
「はい、三か月前にこの世界に聖女として召喚された西城穂香、16歳の日本人でありますっ!」
ビシッ、と右手を水平にして額に当てるような敬礼をとった。
ホノカのテンションの高さに引きつつもアリスは話を促す。
「意味が分からないわ」
「ただいまこの世界は魔界の門が開いて瘴気が溢れ始めています。このままだとこの世界と魔界がつながって魔族が征服しにやってきて人類滅亡です」
いきなり人類滅亡の危機を言われてもピンとこない。
だが、この一年で瘴気によって魔物が大量発生しているというわさ話は耳にしている。
「そうなる前に門を閉めることができる聖女をこの世界に召喚しようということで、三か月前に神殿で召喚の儀式がありました」
言われてみれば、王都で一番大きい神殿の付近一帯が封鎖され、近くの住人は大変だったことを思い出す。
しかも支店が神殿の斜め前にあったので、その日は王命で営業停止だった。
王族の誰かが参拝にきたのだろうと思っていたが、召喚の儀式のためだったのかと納得する。
「で、聖女として召喚されたのが不肖この私、西城穂香、花の女子高生で腐女子の16歳です」
「なんか今、さらっといらない情報入ったーっ!」
突っ込まずにはいられないアリスはつい声をあげてしまった。
護持の詩的があったので直氏てみました。
ありがとうございます。
↑もちろん突っ込みをいれてくれたよね?




