まだ二日目なのに 7
「合格ですか?」
「どうでしょう。判断するのは私じゃないので。個人的には合格ですけど」
悪戯っぽく笑いながらゴングをきんちゃく袋にしまった。
「では、判断するのは誰ですか?」
「どうしても知りたいですか?」
「はい。聖女様を取り巻く政治環境は知っておきたいですから」
「……フェルナン殿から貴女はとても頭が切れる方だと聞いていましたが、聞きしに勝りますね」
どんな話をされたのかと戦々恐々としていると、オルベルトはやり遂げた感満載の顔で紅茶を飲み始めた。
「ああ、美味しいです」
急いては事を仕損じるというから、アリスは黙ってオルベルトの言葉を待った。
それに気が付いているのか、オルベルトは視線をさまよわせながら何を話すべきか頭の中でまとめている。
「そうですね……多分、私の上司と国王様と宰相と賢人会かな」
「賢人会、がなぜ?」
王国の監査役で、主なメンツは第一線を退いた元高官で構成されている。
「懐古主義の権威ですからね。聖女様を取り込んで裏から国王を操って国を牛耳りたいのでしょう」
懐古主義といえば聞こえがいいが、ようは昔の栄華が忘れられない人たちだ。
「そういえば、アストゥル様が老害とおっしゃっていました」
フェルナンが言いそうなことなのでオルベルトは口元で困ったように笑った。
「賢人会のすべての人がというわけじゃないですよ。そのうちの何人かに問題があってね」
「アストゥル様と話し合う必要がありますね……。知らずに呼び出されて……なんてことになったら目も当てられないし」
「君は本当に色々と考えているんだね」
「古株の皆様に鍛えられていますからね」
貴族と庶民は平等ではない。
商人は庶民なので貴族にやられないように知恵を働かせて自衛しなければならないのだ。
「頼もしいですね」
尊敬するようにアリスを見た。
「フェルナン殿はアリス殿のことをかなり買っているようでしたよ」
褒められれば純粋に嬉しいが、相手がフェルナンとなると裏がありそうでちょっと怖い。
短い付き合いだが、彼のチャラそうな雰囲気に騙されてはダメだということはわかる。
「それにしてもホノカさんがこの短時間であそこまで懐くなんて、すごいですね。私たちでは心を開いてはもらえなかったのに」
「彼女のいた世界には貴族もいるらしいですけど、ただの肩書らしいですよ。領地もないし、国政に関わることもないそうです」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。社会構造が全く違うみたいですね。生まれつきの特権階級が存在しないなんて……話を聞くとどうもワラビス共和国と似ているようです」
王様がいない代わりに、民に選出された人たちの中から国の代表を選ぶという変わった形態だ。
「なるほど。同じ召喚でも、ワラビス共和国なら彼女も余計な苦労はなかったでしょうね」
「えっ、どういう意味ですか?」
オルベルトの言葉にアリスは首をかしげる。
「陰謀はどこにでもありますけど、貴族の生活はないって意味です」
役職はあっても階級がない世界。
「まぁ、どんな世界でも人の中身までは変わらないよ」
オルベルトはのんびりとした口調で言い、爽やかな笑みを浮かべた。
(……この人、読みにくい。ホノカも言っていたけど、本当に天然なのね)
直前まで陰謀なんて不穏な単語を出したアリスが言うのもなんだが、向こうの世界にも陰謀をたくらむ輩はいると爽やかな笑顔付きで言うオルベルトは、やはり聖女の護衛に教会代表で選ばれるくらいなのだからただ者ではないのだろう。
少なくとも脳筋ではない。
外見に騙されてはいけないと気を引き締める。
「アリスさんはホノカさんにどうなってほしいですか?」
「普通に幸せになってほしいと思いますけど?」
オルベルトは笑みを深めて頷いた。
「あなたは本当に人がいいのですのね」
「うっ……」
キラキラと笑顔が眩しい。
邪気が洗われるようだ、というか溶けそうなくらいに眩しすぎる笑顔だ。
(天然だ……)
アリスは確信した。
「そういえばカルティオ様はなぜ騎士団ではなく聖騎士団へ?」
「ああ、コネがあったので」
それはもう素敵な笑顔でさらりとおっしゃいました。
「私の叔父が失恋のショックで出家して神官になったのですが、今はものすごく偉くなっちゃって。こないかと誘われたので入団してみました」
そんな予備知識はいらなかった。
アリスは引きつる笑みでうなずくしかなかった。
「男爵家の次男なのでどちらにせよ家を出なければならないし、渡りに船だと思って」
あははとさらりと笑ってはいるが、実力があるからこそその叔父も誘ったのだろうとアリスは思った。
「それから私のことはオルでいいですよ。みんなそう呼んでいますから」
「わかりました。ではオル様、これからもよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
そういえば、と今更ながらにアリスは思った。
目の前の男だけが最初から名前で呼んでいたことに気が付く。
あのチャラそうなフェルナンでさえアリスのことは名字で呼んでいるのに、ごく自然に当たり前のように呼ぶので気づかなかった。
色々と侮れない人だと改めて気を引き締めるアリスだった。
「アリス姉さん!」
部屋へ戻る途中、ホノカが声をかけてきた。
立ち止まると、ホノカはアリスのそばまで来ると、照れたような笑みを浮かべた。
「どうかしたの?」
「うん……あの、ね……そのう……ありがとうって言いたくて」
恥ずかしそうにもじもじする美少女は実に眼福だ。
親父くさい事を考えながら頷くアリス。
「クローディア様もちょっとは落ち着いただろうし、これからは大丈夫だと思うよ」
「うん、そう、それもあるんだけど……今日、私の名前をちゃんと呼んでくれたでしょ。なんかね、それが
すごく嬉しくて……懐かしくて胸が熱くなったの。あ、いやじゃないよ、久しぶりに日本語の発音で名前を呼ばれたから……家族といるみたいな気持ちになった」
クローディアに対抗するためにわざと日本風の発音でホノカの名を連呼したのだが、ホノカはそれが嬉しかったのだ。
自分の名前なのに自分の名前じゃないような発音に、本来、自分がいるべき場所はここではないのだと思い知らされる。
本当に自分は西城穂香なのだろうかと不安になる。
呼ばれるたびに無意識に不安になっていく。
聖女ホノカが自分で、西城穂香は自分ではない。
自分がどこの誰か、見失いそうで怖くて不安だった。
「時々でいいから……ホノカじゃなくて穂香って呼んでほしい」
「それぐらい、いいよ。貴女が望むのなら、何度でも呼んであげる」
アリスが答えると、ホノカは泣きそうな顔で笑った。
「アリス姉さんが男だったらよかったのに。おやすみなさい」
「おやすみなさい、穂香ちゃん。いい夢を」
優しく微笑むアリスを見ながら、ちょっとだけ残念な気持ちを抱えながらホノカは部屋へ戻っていく。
残されたアリスはその背中を見送りながらちょっと切なくなった。
男だったらよかったのに。
男友達にも女友達にも幾度となく言われた。
アリスが男だったら……。
彼女を知る者なら一度は絶対に思う事だった。
「れっきとした乙女なんだけどなぁ……なんでみんな言うんだろう」
考えると悲しくなってくる。
「うふふふふふ、まだ乙女……」
そろそろ独り身が寂しいお年頃だ。
ほんのちょっとだけ、枕を涙で濡らして一人で眠るアリスだった。
二日目、終了
誤字脱字の訂正をしました。