負けられない戦い 2
ホノカは必死に祈った。
妄想を糧に現実をシャットアウトする脅威の集中力をもって、純粋な祈りへと妄想を昇華させていく。
二人の幸せはホノカの、ひいてはみんなの幸せ。
誰得?という突っ込みをする人間はこの世界にはいない。
今まで通りに、真っ黒な闇を光に染めていくだけ。
邪悪だが純粋な力故にかえって浄化しやすいのだ。
しかし、今日はいつもと違う。
そこに魔王の魂の欠片を持つジョンという存在がある。
(マジですか……)
闇に触れればわかる。
魔王の器の役割。
邪悪なる祈りを一つにまとめて方向性を示す。
その時の魔王の器によって方向性には違いが出るが、最終的には世界の破滅へと到達するのだ。
(……魔王の器があるだけで、こんなにも違うものなのっ?)
ホノカは焦っていた。
信号機がなくて交通渋滞を起こしている車の波を手信号で流れを作るのがホノカならば、ジョンは最新式の機械の信号機だ。
そこに意思はなく、粛々と己の仕事をこなすだけ。
意志を持つが故に判断にずれが出る人とは違う。
流れはホノカの手信号ではなく、ジョンの信号機を優先させるようになってきた。
(どどどどうしようっ。このままだと向こうに主導権を握られるっ)
焦りが思考を鈍らせる。
(ダメダメダメッ!ルークにはジョンが必要なんだからっ!)
ホノカの妄想は暴走する。
(この四角関係のかなめはジョンなんだからっ!)
そこで気が付く。
ジョンの肉体はそこにあり、浄化しなければならない悪しき闇の塊はそこにある。
(……ジョンは、どこにいるんだろう)
一度気になったら止まらない。
モノクルの男が必要としているのは魔王の器、つまりジョン。
肉体は魂を入れる物。
悪しき祈りの結晶は魂にはなりえない。
それは魔王の力の源。
力をふるうにはそれを使うモノが必要。
それがジョンの、魔王の魂。
(おかしいな……ジョンの気配、感じないんだけど……)
ホノカは首をひねる。
(そもそも魔王の魂って……ジョンなんだよね。でもジョンは、私の知っているジョンは魔王って感じじゃないし)
むしろアリスの方が魔王っぽい。
ホノカの中で、ジョンはよくて魔王の側近といったイメージなのだ。
どこまでいってもジョンはルークとセットでアリス(魔王)の側近でしかない。
しかし魔王の魂の欠片はジョンなのだ。
ジョンは魔王の一部だ。
(魔王の中の良心的な部分なのかな……)
短い付き合いだが、ジョンはちゃんと分別を持っている。
暴走するアリスとルークの手綱を握っているのだから、その時点でもう普通ではないが。
(テンプレだと、ジョンの中の破滅願望とか破壊願望とかが目覚めて魔王として復活しちゃう流れだけど……)
今まではそんなものだろうと思っていたし、そこに至る細かなプロセスは物語には出てこない。
封印してきた悪しき心が良き心を押しのけて表面に出てくる、あるいは闇に捕らわれて闇に染まるというのが魔王に至る王道のパターンだろう。
(ん?まって……闇に捕らわれる?)
闇に染まる、闇に捕らわれる、闇に呑まれる。
(魔王の魂ってもしかしたら……)
純粋な祈りは神の力となる。
純粋な黒い祈りも神の力となる。
自分が神ならいくら純粋で強い力でもそれはいらない。
そのいらない強い力を受け入れるだけの魂があったら。
それが魔王なのかもしれない。
(だとすれば、悪い祈りの力に染まったモノが魔王……)
それならば、核となる魂を染まらないようにしたらどうなるのだろう。
(ジョンがジョンのままで力の方向性を決められたなら……)
ホノカはホノカなりに考える。
(力がジョンに流れ込んで、ジョンの魂が力に飲み込まれて、それでもってジョンが魔王として覚醒するんだとしたら、ジョンの魂を守ればなんとかなる?)
ホノカが浄化する傍ら、ジョンに流れ込んでいる力もある。
そしてジョンに流れ込んだ力をホノカは浄化することができなかった。
(どうしよう、あの闇はジョンの肉体に馴染んでいく……。ジョンの心は大丈夫なのかな……)
ツキン、と胸が痛んだ。
(ルークの事、忘れちゃったりしないよね?)
浄化しつつ、ジョンの魂を探すことにした。
「アリス!」
クリスとフェルが同時に声を上げた。
見たら絶対に意識がそっちに持っていかれるから目を閉じて祈り、妄想に集中しながら祈っていたけれど。
大好きな人の名前を切羽詰まったように叫ばれては否が応でも心はそちらへ持っていかれる。
目を開けたホノカは息をのんだ。
アリスが坂道を転がるようにゴロゴロと横転しているのだ。
「えっ……」
アリスの転がったあとには血が点々と落ちている。
ようやく止まったが、アリスが動く気配がない。
「何……何が起きたの……」
冷たい床の上に、壊れた人形のようにアリスが倒れている。
すっと全身の血が引き、手足が震えた。
「なんで……アリス姉さんが?」
目の前の光景は信じられなくて、ホノカは息を止める。
それに気が付いたフェルが慌ててホノカの隣に膝をつき、背中をさすり始めた。
「彼女なら大丈夫だから」
どの口がそれを言うのだ、と叫びたかったが声が出ない。
背中を行き来する熱がわかるくらいにホノカの体は冷たくなっていた。
「祈って」
穏やかで優しい声が促してくるが、ホノカは首を振る。
「でき、ないよ……」
今すぐアリスの元に駆け寄りたいが、ショックのあまり動くことができない。
「祈って、ホノカちゃん」
「な、なんで……」
「約束したんでしょ?」
「や、約束?」
「君の大好きなアリス姉さんは何と言っていたかな?」
「な、なにがあっても祈れって……」
フェルはこちらを振り返っていたクリス王子に目で合図する。
クリス王子がホノカの隣に膝をつくと、フェルは護衛のために立ち上がった。
震えるホノカの背を今度は王子がさする。
「嘆くのはまだ早い。そうだろ?」
「で、でも……」
「王族を何とも思わないあの傍若無人で図々しい女がそう簡単に死ぬと思うのか?」
嫌そうにクリス王子が言った。
「あの女はズタボロになろうがやられようが、最後には相手を足蹴にして高笑いするような女だ」
見てきたように言うが、その光景は容易に想像ができてホノカは少し心が軽くなった。
「簡単にくたばる様な女か?あの女はできもしない約束はしないだろう。商人は、信用が第一だ」
楽しそうに商品開発をするアリスの姿を思い出し、ホノカはようやく息を吐いた。
自然と目が倒れているアリスの方に向かうが、クリス王子が手のひらをホノカの目の前に出して視線を遮る。
「聖女が祈って封印を完成させればこんな茶番は終わりだ。だからあの女はホノカに祈るように言ったんだろう」
「でも、封印が成功してもあの男が……」
「だとしても、俺には封印が成功した時点であの女がさっさとお前を連れて逃げ出す姿しか想像できん」
王子を置いて、聖女だけを安全な場所に連れ出すという光景は確かに想像できた。
むしろそれ以外に想像ができない。
「わかった。がんばって祈る」
「では私はお前を守ろう」
まだ少し動揺しているが、さっきよりは体が温かい。
背中の熱を感じながら、ホノカは再び祈るべく目を閉じた。