暗躍した者
教会の中に入ると柱に寄り掛かるオルの姿があった。
予定通りの合流なのだが、抜身の剣には血が付いている。
「何があった?」
教会の中は聖騎士が守ることになっている。
「血の匂い……それも大量の」
鼻をすんと鳴らしてからフェルがぼそりと呟いた。
「襲撃があった」
「何っ!」
クリス王子はきょろきょろと辺りを見回すが、不気味なほどに静まり返っている。
「賊は秘密の通路から内部に侵入し、内から警備体制を崩した。一時、聖堂が敵の手に落ちたけれど、今は聖堂から追い出すことに成功して逆に奥の方に追い詰めている最中だ。僕は君たちと待ち合わせていたからそのあとはわからないけれど」
「そうか」
耳を澄ませば、確かに奥の方が騒がしいとわかる。
「聖堂はどうなっている?」
「敵は残っていない」
オルの先導で聖堂に向かうが、その途中、生きた人間とすれ違う事はなかった。
黒いローブを着たのが賊で、白い鎧をまとっているのが聖騎士だろうか。
あちこちにみてとれたがどれも動くことはない。
「ホノカちゃん、集中!」
見ちゃいけないと、見つけちゃいけないと思えば思うほどに見つけてしまう。
アリスの声にホノカは視線を戻した。
「いい、これから何があろうともみんながホノカちゃんを守る。ホノカちゃんは自分のすべきことをすればいいの」
するべきことは封印であって戦う事ではない。
どこの戦場かとアリスはため息をつきたくなったが、今は余裕のある大人の女としてホノカを安心させる必要がある。
「封印さえ終われば、敵は手を引く可能性が高いから、さっさと終わらせちゃいましょう」
「はいっ!任せてください!絶対にやり遂げてみせますっ!」
アリスはホノカの右手をとると、手をつないだ。
暖かな温もりが心地よい。
強張っていたホノカの顔がへにゃっと緩むのを見てアリスも微笑んだ。
「封印の場所って、入り口からすぐのところじゃないの?」
ホノカの質問にオルが首を振った。
「あそこは出入り自由の祈りの場所。神に仕える中でも特別な者達だけが祈ることを許されている場所があってね。そこが最後の封印がある場所なんだ」
禁則地でおいそれと入れる場所ではない。
教会関係者でさえ立ち入ることが許されるのはほんの一握りの人間で、おそらく王家の人間が入るのも前回の封印の儀式以来初めてではないだろうか。
奥に行くにつれて空気が変わっていくのがわかるくらいだ。
この区域に限れば聖域といっていいだろう。
「ここが最後の封印がある聖堂だ」
オルがそういって大きな扉に手をかけた。
ゆっくりと開け放たれ、まずジャックが飛び込んで安全確認をする。
しかし戻ってきたジャックの顔は、彼にしては珍しく蒼白だった。
「……やられた。もう敵の手の内だ。ああ、入っても大丈夫。生きている人間はいない」
不吉な言葉の羅列に慄きながらもホノカは右手の温もりに意識を集中させて中に入った。
「なっ……」
悲鳴も上がらないくらいホノカは驚いた。
むせ返る血の匂い。
正面の壁には教会の最高責任者である六人が磔にされていた。
そして中央の床の上にはジョンが横たえられていた。
「ンだよ……儀式は終わったって?」
震える声でルークがアリスに訊ねた。
「ジョンがまだ寝ているってことは、終わってはいないんじゃない?」
ルークが渋い顔で歩き出した。
「出入り口を見張る」
「それじゃあホノカちゃん、行きましょう」
ジャックが見張りに立つのなら、アリスはホノカと一緒にルークの後に続いた。
そのあとをオルとクリス、そしてフェルは磔にされた六人の様子を間近で見るためにその後ろに続いた。
近づいてみると、横たわっているジョンの胸が微かに上下に動いている。
「これ、触って大丈夫か?」
「ん~、念のため聖女にお祓いしてもらってからの方がいいかな。ホノカちゃん、お願い」
「はいは~い」
軽い口調で返事をしたホノカはアリスから手を放した。
アリスの肩越しに笑みを浮かべたオルが見える。
剣先を床に向けたまま立っていた。
脳裏に横切ったのは剣道部のアニメで、副将の得意技が下から上へはね上げると見せかけての中段での突き。
体が自然に動いた。
殺気がないからアリスは気が付いていない。
アリスに抱き着きながらダンスの要領でくるりと入れ替わる。
入れ替わっていなかったらちょうどアリスの心臓の位置だが、今そこにはホノカの首があった。
ドン、という誰かに背中を押されたような衝撃に思わず目を閉じ、次にアリスの温もり以外何もない事に気が付いて目を開けた。
顔を上げればアリスの驚いた顔があり、その横には眉間にしわを寄せたジャックがいた。
「えっ、なに?何があったの?」
「それはこっちのセリフよ、ホノカちゃん」
うろたえる二人を背にするようにジャックが移動した。
「魔法が発動した。今お前、殺されていたところだ」
「ホノカちゃん、腕輪がっ!」
彼女の左腕に常にあった銀の腕輪は鈍色に変わっていた。
「なんで……」
「役目を終えたからだ。一度きりだといっただろう」
ジャックは剣を抱えたままびっくりしたようにこちらを見ている男を見据えた。
「どういうつもりだ、オルベルト・カルティオ」
愛称で呼ばずにフルネームでジャックは問いかけた。
ホノカがかばわなければアリスは死んでいた。
「ああ、失敗してしまったね」
くすりとオルは笑った。
「まさかホノカに気が付かれるとは……予想外だったよ」
そういって爽やかにほほ笑むオルに誰もが違和感を覚えた。
彼の態度が変わらな過ぎてこちらが困惑してしまう。
「アリスを殺せば、聖女様は動揺から立ち直れなくて失敗するだろう?そうしたら魔王が目覚めると思ったのに」
「こちらの情報が筒抜けだったのは、お前のせいか。どうやって真偽を欺いた?」
「僕は聖騎士だ。魔道具の扱い方を熟知しているからね。欺いてはいないかな」
嘘はついていないしごまかしもしていない。
ただ真実とは別の真実を話しただけ。
コインに裏と表があるように、表の問いかけに裏の答えを返しただけ。
「質問してきた人の能力にもよるけれど、馬鹿で助かったよ」
フフッ、と彼は楽しそうにほほ笑んだ。
「私を殺しても、ホノカちゃんはくじけたりしない。最後までやり遂げる子よ」
動揺はするだろうが、それを棚上げにすることができる要領のよさもある。
「そうかもね。見た目と違って聖女様は図太いし逞しいから。僕は好きだけどね、素の聖女様」
「オル、本当に、本当に裏切ったの?いつから?」
「裏切ったとは心外だな。初めから僕は味方ですらないよ」
「なんでそんなことを言うの?最初にあった時からオルはよくしてくれたじゃない」
「仕事だからね」
にべもなく彼は言い放ち、そしてクリス王子に向かって困ったように笑った。
「職務には忠実だったはずだけど」
「じゃあなんで情報を流した?」
「それは僕じゃないよ。僕は上司に報告しただけで、そのあと情報を知った誰かがどうしようと僕の責任じゃないだろ」
それはつまり、教会の上層部に敵と通じていた者達がいたということだ。
「そこの彼らが情報を流したからと言って僕に責任を求められても困るかな」
はりつけにされた六人を指さしながらオルが軽快に言った。
「僕は聖騎士だからね。城の兵士と同じで上司の命令は絶対だ」
「その上司を磔にしたか」
忌々し気にクリス王子が呟くと、オルは楽し気に頷いた。
「勝手だよね。自分たちのしでかした責任を僕に押し付けようとしたんだ。上司のしりぬぐいは僕の仕事じゃないのに」
実に分かりやすい言い分だが、納得はできない。
クリス王子達にとって、彼は裏で自分たちを裏切っていたというのが真実だ。
「いつから?」
ホノカが聞くと、オルは爽やかな笑みを浮かべる。
「上司に報告は当たり前だろ」
最初から情報は教会の上層部を通じて敵方に流れていたのだ。
「……ジョンがどうしてここに寝ているのか聞いてもいいかしら?」
「彼は魔王の器だろう?僕はね、秘密裏に魔王の器を探すように、魔王を判別する魔道具を与えられていたんだ。魔王の器は聖女か勇者のそばに現れるからね」
迷子のネコを探しだすかのような口調に一同は心が冷えていくのがわかった。
彼の中の歪な部分に恐怖すら覚えたのだった。