影 1
「ふぅ。シャバの空気は美味しいわね」
「何をあほな事をいっているんだ?」
心底呆れたようにジョンが突っ込みを入れた。
「しょうがないじゃない。超特大な猫をかぶって動きにくい汚しちゃいけないドレスを着てメイドや騎士や貴族たちに見守られて傷一つ付けたら一か月分の給料じゃすまない修復代や賠償金がかかる調度品に囲まれて寝起きするなんて、拘束着で看守に見張られて牢屋に入れられているのと変わらないわよ」
ノンブレスで言いきるアリスの勢いにジョンは口をつぐんだ。
少し離れた位置に、訓練所で知った顔がちらほらと見えるが気にしない。
邪な考えを持つものに狙われている聖女(身代わり)の護衛だ。
ジョンは彼らの事を意識から追い出すと、買い物客でにぎわう市場の雑踏を見回す。
「帰ってこられて嬉しいだろ?」
「そうね。あそこは私の居場所じゃないもの」
アリスの口が弧を描く。
ガキ大将のように笑う彼女の笑顔に安心する自分に呆れ、自然に口元が緩んだ。
「なぁに笑っているのよ」
「いや。そうやっているほうがお前らしいと思って」
野菜を売るおばさんのように、花を売る若い女性のように、怪しげな薬を売る幼子のように、生き生きとしているアリスを見ると安心する。
依存しているわけではないが、ここが居場所なのだという実感があった。
「お前がいないとつまらん」
アリスはびっくりしたようにジョンを見た。
「何か悪いモノでも食べた?」
「なんでそうなる?」
「いやぁ、なんかこう、変」
ストレートな物言いにジョンは苦笑する。
長い付き合いは伊達ではない。
お互い、隠し事は苦手だ。
「ちょっと悩み事があってな」
「話を聞こうか」
「お前は兵士かよ」
「職務質問はしていないけど」
「口調がそうだったよ」
ふぅ、とジョンは息を吐いた。
「……ちょっとまだ言えない、かな」
「ふぅん。最悪になる前には言いなさいね」
意味ありげな言葉だが、アリスは全く気にした様子がない。
ここでまさか告白かもと全く考えないアリス。
「ほんと、お前は女にしておくのが惜しいよ……」
「……あ~ジョン、恋愛に偏見はないから、相談に乗るよ」
「つまんねぇ冗談はやめろ」
あはは、と笑いながらアリスはちらっと自分の後ろを歩く金髪の男を見る。
脳みそ筋肉で闊達な男、ワイルドな魅力にあふれる美青年ルークが肩を落とし、どんよりとした視線をこちらに向けていた。
「ええっと、何かまずいことを言ったかな?」
「見事に核心をついた。とにかく俺の前にあいつの悩みを聞いてやれ」
アリスはルークの隣に並んだ。
「落ち込んでいるの?」
「……俺は、女に見えるか?」
ぼそりと呟かれた言葉にアリスが目をみはる。
「あんたが女に見えるのなら、医者に診てもらったほうがいいと思うくらいには」
ルークは深々とため息をつき、いやいやを繰り返す子供のように首を振った。
「言いたくねぇ。ジョンに聞いてくれ」
というわけで再びジョンの横に並び立つ。
ジョンは困ったように笑みを浮かべながらアリスに言った。
「アイツ……今……いや、男の客にまとわりつかれている」
真っ先に脳裏を横切ったのはホノカだった。
「やっぱり聖女の強制力の可能性が……」
以前、ジョンとルークを見ながら頬を染めてうっとりとみていたホノカの姿を思い出す。
ストーカーにまとわりつかれて憔悴していくルークを慰めていくうちにどんどんお互いの事が気になっていくジョンとルーク。
そしてストーカーに襲われたところをジョンが間一髪で助けに入ったことが決定打となり自分の気持ちに気づき、気持ちを打ち明けて熱い夜を過ごす。
というストーリーが一瞬で脳内に展開する当たり、アリスも相当にホノカの影響を受けている。
「おい、何を考えている?」
カンの鋭いジョンが嫌そうな顔でアリスを見た。
「あ~、うん、なんでもない。ちょっと自己嫌悪を。で、どうしてほしいのよ」
「どうにかしたいから相談している」
昔なら一発殴ってそれで終わりだが、アリスの元で従業員となると店に迷惑がかかるような手段はとれない。
「えげつない罠を張って貶めるのが得意なジョンが何を殊勝な事を言っているの」
「お前が俺をどう思っているのかよーくわかったよ。というかそのえげつない罠はお前のやり方を参考にしていることを忘れんなよ」
やんちゃな過去では武力のルーク、策士のジョンとしてアリスと一緒に色々とやらかしているのだ。
ブーメランが発動すると察したアリスはさも深刻だと言わんばかりの表情を作ってジョンを見上げる。
「まずは情報収集ね。ルークに付きまとう男の目的が何かがわからないと対応できないし」
「目的?惚れたわけじゃないのか?」
話を戻されたジョンは蒸し返すことをしなかった。
お互い、過去のやんちゃは黒歴史だ。
「ルークは見た目もいいし、戦闘関係ならレベル高いでしょ。見栄っ張りな輩が護衛につけたくなる人材だと思うけど」
粗野な態度はあるが粗暴ではないルークは、野性的な魅力がある。
剣の腕は良し、身軽で動きが早く機転もきく。
冒険者なら高ランク間違いない。
「引き抜きか……。それもありえなくないか?」
「他に気になるの?ジョンは直接みたんでしょ?」
「ああ。身なりから予想すると貴族か商人。年は俺らより上だが、そう離れちゃいねぇ。金はあるが成金じゃねぇ。そうそう、片方だけ眼鏡をかけている」
「それ、モノクルっていうのよ」
頭の中で該当しそうな人物を検索するがヒットしない。
モノクルなんて珍しいものを身に着けている者はそう多くない。
「外国から来た人かしら」
「俺に聞くな」
「ウチの商品を気に入ってくれたかしら」
「……商売より幼馴染の事を真剣に考えろ」
「現物を見てから考えるわ」
「日参して長居しているから会えるだろうよ」
ルークに会えるまで彼は帰らないので、今日も会える確率は高い。
「見た目はいいから、外から一番よく見える席がヤツの指定席になった」
ルークのストーカーは客寄せパンダになっているらしい。
転んでもただでは起きない。
アリスの教えは徹底的に叩き込まれているようだ。