あの日、君に言えなかった言葉。
居心地の悪い食卓で美味くも不味くもない食事をとり終え、逃げるように自室に向かう。自室に入ると程よい冷気にさらされながら、僕はテレビゲームの電源を入れた。
今から八時間ほど前、無気力にデスクワークをこなしているとポコンっと間抜けな着信音が鳴った。「今日の夜ホロウタウンに来て。イベントがあるんだって!いっしょにいこ?」優からのゲームの誘いだった。了解とだけ返し、早く仕事をしろと言わんばかりの入力画面を一瞥し喫煙所に向かった。外の気温は五月には珍しく三十度を超えていた。煙草を取り出しながら会社の玄関先に作られたツバメの巣に目をやると、我先にと口を大きく開けたヒナが小競り合っている。「求めすぎて落ちるなよ。」危なっかしいヒナたちに届くはずのない注意をし、煙草に火をつけた。
視界が真っ青に染まる。手馴れた操作で優のいるサーバーを見つけてダイブすると、遅いよと言わんばかりに優のアバターが地団太を踏んでいた。「遅くなってごめん。仕事が忙しくて。」マイクを繋ぎ、適当な嘘を吐くと、しょうがないなぁ…とふてくされ気味の声が返ってきた。「こうやって二人でゲームできるのも今日で最後なんだから、もうちょっと時間を大事にしなさい!」優が意地悪く笑いながら言う。それを聞いて少し切なくなったが、それを悟られたくはなかったので感情を飲み込んでうるさいとだけ返した。そうこうしているうちにイベント開始時刻になった。
《季節外れのサンタ》
▼ホロウタウンにサンタが現れた。まだ五月だというのに、だ。
我々スティグマの調査員が独自に調査した結果、このサンタは
プレゼントで子どもたちを騙し、連れ去っている通称ブラック
サンタという魔物だということが判明した。諸君らにはバディ
を組んでもらい、ブラックサンタの討伐にあたってもらう。
黒いサンタを見かけたら是が非でも潰せ。検討を祈る。
「このサンタって子ども集めてなにしたいのかな?」イベントの説明文を読んだ優が疑問符たっぷりに言った。「食べちゃうとか、強制労働とか?」あまり考えずに口から出た言葉に、優はひどーい!と言ってけらけら笑っていた。「それじゃ、食べられちゃう前にササッと片付けちゃいましょー!」そういうと、勢いよく駆け出して行った優のアバターに、僕はほんの少し見惚れていた。
優とは家が近所でよく遊んだ。所謂幼馴染ってやつだ。僕がオンラインゲームに熱中するようになってからはお互い距離を作っていたが、高校二年のある日、突然おすすめのゲームを教えてと言ってきた優に対し、発売されて間もないソフトを勧めた。優がゲームにハマったのはそれからだ。それからは二人でダンジョンやストーリーを攻略しながら互いに強さを競い合っていき、五年も経つ頃にはアカウント名を言えばそれなりに知られる存在にまでなっていた。
ホロウタウンの地下。複雑な水路の中にソイツはいた。暗闇にかすかに感じる気配、遠くから聞こえる子どもの声、対象に近づくにつれ、ところどころ赤いシミが広がっていく。ずいぶん悪趣味な演出だ。ある程度近づくとイベントが発生した。
ぐちゅぐちゅと咀嚼する音…。此方に気がついて振り返ったブラックサンタは子どもたちの血を浴びて深紅に染まっていた。ブラックサンタが薄気味悪い笑みを浮かべ、何かを発しようとしたその時。
「あーもーきもちわるーい!さっさと終わらせるよ!」優が我慢の限界だったようで、イベントスキップボタンを押したらしい。唐突に開始されたバトルフェイズに少し驚いたが、ブラックサンタの動きが鈍かったため、案外すぐに立て直せた。「僕とお前しかいないんだから、せめて確認くらいしてくれ…。」軽く不満をぶつけると、あはは、ごめーんとお気楽な謝罪が返ってきた。ブラックサンタの単調な斧での攻撃パターンを把握し、スキルゲージを溜めながら斬撃を加えていく。優は後方で援護射撃をしながら絶妙なタイミングで回復に回ってくれた。
徐々にブラックサンタのHPゲージを減らしていき、残りゲージがひとつになると、ブラックサンタの攻撃パターンが複雑化し、動きも素早くなった。右手の斧を防いでいる間に左手の斧が飛んでくる。「優、そろそろ片付けよう。」ブラックサンタの振り下ろした左手の斧を掴みながら優に言った。両手を塞がれたブラックサンタにはもう為す術がなかった。僕が合図をすると一気に前方に合流し、武器を弓からレイピアに持ち替えた優がブラックサンタに向かってスキルを解放した。「喰らええええええええ!!!」
YOU WIN
イベントも終わり、周りの参加者も各々がイベントをクリアしたようで続々とログアウトしていく。僕と優は適当なベンチに腰かけた。「はぁ…楽しかったー!けど気持ち悪すぎ!髭とか真っ赤に染まっててさ!もーゾワゾワってしてスキップ押しちゃった…。ごめんね?でも、さすがたっちゃん!バディの時はホント心強いよっ!サンタが双斧になったときなんてさー!まさか腕掴んじゃうなんて思わなかったよ!」今日は、いつになく饒舌な優だ。それがやけに愛おしく感じ、それと同時に強く胸を締めつけられるような感じがした。「お前がしっかり援護してくれたおかげだ。安心してプレイング出来たからこそ冷静な判断が出来ただけだよ」と、照れ隠しに言う。少しの間があって、仮想世界の日が沈む。「ありがとね。」と言った優の横顔は、夕陽にあてられ、とても美しく、触れてしまえば壊れてしまいそうな程儚かった。僕は喉まで出かけた言葉を一度飲み込み、振り絞ってやっと出せた言葉は「幸せになれよ。」だった。
一週間後、優は結婚した。
「おめでとう、ずっと好きだったよ。」
僕はあの日言えなかった言葉とともに
静かにテレビゲームの電源を切った。