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成果

でも、そんな心の中で沸々と湧き上がってくるものがある。彼女だ。名前も知らない小柄な彼女。お団子の頭がトレードマークの彼女。自然と力が湧いてきた。相変わらず体の調子はオーバーヒート状態だがそれでも前へ、少しずつ進む。疲れもランナーズハイなのか定かではないがある地点で一定になっていた。相変わらず口の中は血の味に似たような状態ではあるが。


「(いける)」


そんな感情が湧き上がる。走るスピードはさっきとはさほど変わらないがそれでも腕はきちんと振れているし、何より刺すような脇腹の痛みがもうほとんど感じられなくなっていた。ハァハァと呼吸自体は荒いが、さっきとは比べ物にならないくらい楽だ。悪い言い方かもしれないが。

 ジョギングコースの一周は大体2キロと500メートル。大体1周が終わったときに時計を確認したら25分が経過しようとしていた。自分の中で毎日1時間走ると決めていたので大体2周すれば1時間になるという計算だ。2周目はこのランナーズハイの効果のせいか順調に進んだ。ひたすら遠いゴールを目指してトロトロと走る。周囲から見たらさぞ無様かもしれないが。僕にとっては真剣だ。いよいよゴールが見えた。ゴールがもう少しと見えた時、何故かスピードが上がるのは人間の性なのかもしれない。僕も例外ではなく走るスピードが上がった。1歩、また1歩とゴールに近づき、そして今まさに最後の1歩を踏み出そうとしていた。


「ゴ~~~~~~~~~~~ル」


僕は無意識にそう言葉に出していたのかもしれない。そして両手を両膝に付き、休んだ。汗が雨の雫のように地面にし垂たり落ちた。元々、汗かきのため、汗の掻く量は普通の人の比ではないのだが今日の汗の量は一味も二味も違った。止まるとドッと疲労が襲ってきた。もう呼吸をするのも億劫で堪らない。


 「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ・・・はぁはぁ」


もはや呼吸音も定まらない。身体もストッパーがかかったのか、その場から動かすのも困難だ。僕はその場にゆっくりと倒れた。倒れ込んだというほうが正しいかもしれないが。体力が少し回復するのを待つ。彼女のためならやれる。そのことだけを考えた。単純な精神かもしれないが今の僕には十分だった。それから僕はむくりと立ち上がり、ざまぁない身体を気遣いながらアパートへの帰路に立つのであった。


「うらああああ!」


今日のジョギングが終了した。ジョギングを始めて3日目。僕の身体に変化が多少なりとも現れていた。体重は1日走るだけで1キロ少しは減り、この3日で4キロほど減少していた。これでもまだまだ余分な脂肪は付いてはいるが。何よりこのやる気のない僕自身が3日も続けているのが自分自身信じられない。

継続は力なり。この言葉が僕の心に染みた。




 いよいよ、皮膚科に行く日がやってきた。別にいつものように大学に行き、その帰りで病院に立ち寄る。ただそれだけだ。難しいことは何もない。大学では相変わらず、いつもの光景が肉眼から入ってきた。つまらない退屈な講義に、どうしようもない学生。まともな人間がいないのかというほど僕の目に写る世界はくだらなく、陳腐に見えた。ここに僕はいていいのだろうか。そんな複雑な感情を抱えたまま、僕は大学を後にした。行きの上り坂は帰りでは下り坂。物凄いスピードで一気に自転車で下り坂を駆け下りる。タイヤから耳障りなブレーキ音が聞こえ、アスファルトと擦れる感触がサドルから伝わってくる。行きの半分の時間で帰りは帰ることが出来る。足取りはとてつもなく軽い。彼女に会えることに心が舞い上がっている。ペダルさえ今はこぐ重さすら感じられない程だ。皮膚科にいよいよ着いた。ドアが開く。この間の開かなかった時のことをふと思いだし、くすりと心の中で僕は笑った。ドアはゆっくりと開き、僕を迎えてくれた。前方に受付が見える。


「(いた)」


僕は無意識に思っていたことを心の中でつぶやいていた。見たことのあるお団子頭が僕を迎えてくれていた。そう思っているのは僕だけだが。僕は受付にゆっくりと進んだ。彼女はまだ僕に気がついていない。受付の前に行き、僕が挨拶をし、診察券を出そうとした時だった。


 「こんにちは」


彼女は僕に気がつき、先に挨拶をしてきたではないか。僕は今、言おうとしていたことを先に言われて、少し動じたがすぐにこんにちはと微笑みながら挨拶を返す。心拍数が少し上がる。そしてそのことを気取られないようにすぐに診察券をお願いしますと言って渡し、待合室のイスに座った。


 「(ふぅ・・・)」


瞳を閉じて心の中でため息を付き、心を落ち着かせようとする。大学ではこんな緊張することないんだけどな。やはり気になる相手がいるとこうも違うものなのかねぇ。心の中で色々と自問自答や考えを張り巡らせていると


 「・・・原様、藤原様、藤原様」


近くで聞きなれた声がする。何だ。僕は瞳をうっすらと開けるとそこには受付を離れた彼女がいた。どうしてここにいるんだ。彼女は今しがた受付にいたのに。


「はぁ、あっ、はいっ」


僕は少しきょどりながら彼女に返事を返した。手汗がじわりと両手からにじみ出て、背中の汗腺からは緊張の汗が出るのが分かる。体も強張り、身構えている。


 「藤原様、1ヶ月に一回の健康保険証の提示をお願いしますね」


彼女の言葉が耳の穴から入り、鼓膜を振動して僕の頭の中に伝達される。少し考える。頭の中で保険証の言葉が反復される。


 「(健康保険証ね、保険証・・・」


僕は横目で自分がしている腕時計についている日付を彼女に気がつかれないように確認すると次の月に入っているのに気がついた。 


 「!? すみません」


僕は合点がようやくいき、急いで長財布から保険証を取り出し、彼女に渡す。僕の一部始終の動きを見て彼女は一瞬くすりと笑ったのように見えたがすぐに表情を戻して保険証を受け取り、すぐに受付の方に戻っていった。変に意識してしまった僕は少し恥ずかしさを覚えながら、ゆっくりとイスに座り、自分の名を呼ばれるのを待つのであった。




本日の診察も終了した。1週間くらいしか経過していないので変化はほとんどなし。また毛根を刺激するスプレーをして診察は終了した。そして会計で名前が呼ばれたのを確認して僕は立ち上がった。受付に行くと彼女とこの間のぷっくりとした小太りのおばちゃんがいる。


 「藤原様、お会計750円になります。そして健康保険証のお返しです」


彼女はそう言い、本日の支払いの書かれた領収書と保険証を渡してきた。僕はそれを受け取るとちょうど小銭で750円があったので彼女に渡した。その時、僅かに彼女の手に僕の手が触れたのを感じた。彼女は何とも思ってはいないが、意識している僕としては、少しばかり小っ恥ずかしい気がしてならない。彼女はそんな僕に気もくれず、淡々とレジを打ち、お釣りを渡してきた。僕はお釣りを丁寧に受け取り、ありがとうございましたと彼女に一礼して病院を後にした。辺りはすっかり暗くなってはいるが僕の心は明るく、足並みは軽かった。彼女と手が触れ合った。彼女と話した。彼女と同じ空間に先ほどまでいた。それだけで今、僕は小さな幸せすら感じている。そもそも色恋沙汰はくだらない、そう思っていた。しかし、今のこの自分に起こっていることや行なっていることは、自分が卑下してきた人間達がやってきたことである。自分が馬鹿にしていた人間のしてきたことを今、自分が行ってこうまでも心が揺さぶられている。自分が少しずつ変わり始めているのをこの時の僕は受け入れるのに戸惑いを感じていた。自分が自分ではないみたいだ。思えば後にジュンの言っていた言葉を借りるならばこれが成長したってことだったのかもしれない。しかし僕は今、自分に起こっている現状に戸惑いながらもアパートへの帰路につくのであった。




 本日も大学を終え、深夜に恒例のジョギングを行う。ジョギングもやり始めてから大体2週間くらいが経過していた。順調に体重も1日、1日と変化が見て取れてやっている自分自身もやり甲斐があることに日に日に実感が湧いてきていた。辛いけど結果が出る。それならばやれる。すっかり努力とは無縁だった僕も今じゃスポーツマンだなとまだだらしのないお腹を見て皮肉りながら冗談を言った。

 しかしそんな順調な僕にも厳しい厳しい壁が立ちふさがった。ジョギングを始めて2週間が過ぎた辺りから体重が減らなくなってきた。今までは順調に走れば走るほど体重が減り、結果が出ていただけにここでのブレーキは大きかった。


 「俗にいう停滞期に入ったな」


ジュンがスカイプ越しに言った。僕は最近の自分の体重が減らないことをジュンとカクの2人に話した。何かしらいいアドバイスをきっとこの2人から貰えると信じずにはいられなかったからだ。


 「まぁね、大体やり始めて2週間くらいでくるらしいし」


カクも淡々とした口調で続けて言った。えっ、もう少し何か言ってよと言う僕の気持ちはどこへ。


 「まぁ、アドバイスを敢えて言うなら続けろとしか俺は言えないな」


ジュンは僕の気持ちを察したのか、ひと呼吸置いてから言った。実際、解決策はこの一択しかない。だからこそ彼はこう言うしかないのだ。


 「辞めるのも自分次第だけどね」


カクが続けて言った。2人の言わんとしていることが分かる。カクもワザと敢えてこう言う。僕の今までの傾向や行動を知っているからこそ言える言葉である。


 「・・・辞めないよ。絶対辞めない。2人が敢えてそう言っているのも理解るしさ。それに今は停滞してるけどいつか減るんでしょ?んだったら減るまでやるしかないっしょ」


僕は自分を鼓舞するかのように言い放ち、全身筋肉痛の身体を奮い立たせた。足を中心とした痛みが全身を駆け巡る。この2週間、今まで鉄くずの塊であった身体を無理やり動かした。体重が減った代償と引き換えに全身の筋肉痛と足の疲労度が結構なところまできていた。


 「(痛っ)」


右足が少しむくれている。僕はその足を見つつも気にもせず、着替え始める。今日も走る。1日サボると1週間の遅れだ。昔、部活の監督がそんなセリフを言っていたのを思い出した。継続は力なり。この言葉が僕の座右の銘になろうとしていた。

 何とか継続することで体重がいきなりがくんと落ちた。1週間程減らなかっただけにこの減少は嬉しかった。それからまた1日ずつ体重は減り続けていった。大学では新しくゼミが始まっていた。新たな仲間達との新たな授業であったが僕はただ挨拶をする程度の間柄だった。しかし、その環境もこのダイエットが始まってから変わろうとしていた。


 「藤原君、痩せた?」


同じゼミで比較的話しかけてくる上原さんの一言である。誰にでも物怖じしない性格の女性だ。


 「あっ、分かる?大体7キロくらい痩せたかな」


僕は上原さんに対して答える。気がついているのが不思議だった。特にこれと言って話していないのに。





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