審美 (お題 : 暁、矛盾、真のメガネ)
「ついに真のメガネが完成したぞ」
ポン博士はその出来上がったメガネを高々と掲げ、歓喜の声を部屋中に響かせた。
「やりましたね、ポン博士。して、そのメガネにはどのような効用があるのでしょうか」
「このメガネをかけて他人を見ると、その人間の心が善なのか悪なのかが分かるのだ。具体的に言えば、善の者は光輝いて見え、悪の者は黒く染まって見えるのだ」
「ほほお。それは画期的ですな。それで、世間への発表はいつ頃にしましょうか」
「まあまあ、そんな焦らんでもいい。発表の前にこのメガネが正常に作動するか、君に調査してもらいたいんだ」
「ははあ、喜んでお引き受けいたします」
ポン博士から丁重にそのメガネをいただき、早速調査へと駆出そうしたその刹那、ふと私の中で一つの疑問が浮かんできた。
「博士、私の心は善なのでしょうか。それとも悪なのでしょうか」
「ははは、君の心はさっきそのメガネでこっそり見せてもらったよ。大丈夫。君の心は善だよ」
博士の言葉で私は肩の荷が下りた。
好奇心を抑えられず、研究室から出た途端に例のメガネをかけた。すると、目の前に歩く通行人たちがみな真っ黒に染まってしまった。なんだ?こんなにも悪人が多いのか?それからしばらく街を歩いてみるとどこもかしこも黒く染まった者で溢れかえっていた。世の中どうなってんだ!悪人しかいないじゃないか!
とあるビルからリクルートスーツを着た就活生がぞろぞろと出てきた。そのメガネで見ると、彼ら全員が悪人であった。世も末だ。あんなにもドス黒い心を持った者たちが面接を受けて、そのドス黒い心を持った者のうちの何人かがドス黒い心を持った面接官に採用されるのだ。そしてその繰り返しが文字通りブラック企業を産出するのか。いやだねぇ。
またしばらく歩いていると今度は選挙演説に出くわした。周りに群がる民衆はもちろんドス黒いのだが、最も心が黒かったのは選挙カーに乗って演説している候補者だった。それはもう様々な不純物が混ざり合った混沌としたドス黒さであった。あの候補者が当選したならば、いずれ政治資金を私的に使ったことがバレて辞職に追いやられるだろう。
私は辟易し、公園のベンチに腰掛けた。そこには無邪気に走り回る幼児たちの姿があった。そうだ!子供ならばさすがに善の心を持っているだろう。私は慌ててメガネをかけ、その幼児らの姿を視界に収めた。するとそこには奇妙な光景が映し出されていた。確かに光輝いてはいるのだが、その光には不気味なほの暗さが混じり込んでいるのだ。例えればそれは暁の空のような光と闇が混在した明るさであろうか。いやはや、こんな小さな子供の段階ですでにこれほどの暗さを秘めているとは、呆れて物も言えない。
私の中である疑念が沸き起こった。このメガネは不良品なのではないのか。このメガネをかけると見たものすべてが黒く染まるのではないのか。私はその疑念を払拭すべく、友人を呼び出し、そのメガネをかけてもらった。
「お前の体、真っ黒になったぞ。これ、サングラスか?」
ああぁ・・・なんといことだ。恐らくこのメガネは壊れているのだろう。だとすれば、ポン博士は私に嘘をついてたということになる。博士は私の心を善だと言い切ったのだから。仮に壊れていないとしても、友人の証言とポン博士の証言が矛盾する。どちらにしろこれはポン博士に問い詰めなければならぬ案件である。私は友人に一礼し、大急ぎで研究室へと向かった。
「ポン博士、もう一度聞きますよ。私の心は善ですか。悪ですか」
「君の心は善だよ」
「違う!私が信頼を置く友人は私の心が悪だと言っていた。明らかに矛盾している」
「なるほどな。では一度、そのメガネで私の心を見てみなさい」
私は恐る恐るそのメガネをかけ、ポン博士を視界に捉えた。なんと!ポン博士の心までも真っ黒に染まっているではないか!
「分かったぞ、作った本人が悪の心だからこのメガネに映る人間がみな悪人に映るんだ!そうでしょう!?」
「思ったとおりだな。君は大きな勘違いをしている。いいか、心の汚い者の目にはすべてのものが汚く映るのだ。君の心が濁っているから他人の心が汚く見えるのだ。私の数少ない友人はそのメガネをかけて私の心を善だと言っておったし、私もその友人の心が善に見えた。そして君の心も善に見えた。そう、このメガネの本質はかけた者の心を映し出すことなのだ」
私は何も言い返せなかった・・・