✽呼び出された俺と呼び出すキミ✽
その昼から、俺は樋口の側にさえも行かなくなったどころか、一切話しもしなくなった。
当然、帰宅も家が近所なのに別々だ。
あれほど仲が良かった俺と樋口。
それなのに、俺のひとことで彼は簡単に俺を避ける。
それは樋口にとって、俺がそれだけの存在だったという証拠だ。
あらぬ恋心を抱いているのは俺だ。そうなのるが当然か……。
自嘲気味に笑う現在は深夜12時40分を過ぎていた。
俺は寒空の下、いつものようにベランダに立っている。
樋口と初めて喧嘩した当日だ。今日はもう顔を出さないだろう。
そう思いながら、心のどこかでは樋口がやって来るのを待っている。
『ごめんな、オレがヘンなこと言ったせいや』
『吉澤がおらへんかったら寒うて寝られへんねん』
そう言ってくれるのを……。
けれどその日、俺のベランダに続く隣の窓は開くこともなかった。
本来ならば樋口の隣は俺のポジションだった。
だが今は違う。
――あんなに寝起きが悪かった樋口。
――寒い寒いと言い張っていた樋口。
それが俺から離れることで、寝坊グセも治ったらしい。
翌朝、俺よりも早くに登校していた。
――ああ、本当に俺はお払い箱になったんだ……。
自分はもういらないのだと思い知らされた。
……いつか、こういう日が来ると思っていた。
覚悟していたつもりがこんなに早く来るなんて思いもしなかった。
それも、俺が馬鹿な発言をしなければ……。
樋口の地雷を踏まなければ――……。
ああ、本当に俺は馬鹿だ。
自分を責めること以外、何も出てきやしない。
――その次の日も、そのまた次の日も。やはり樋口は俺と接点を持つことなく、俺はあんなことを言わなければよかったと自己嫌悪する日が続いた。
そうして樋口と話さなくなってから3日が過ぎた放課後のことだった――。
「吉澤、ちょっと……」
午後のホームルームも終わり、帰ろうと思って腰を上げた直後、もう聞けないと思っていたその声が……以前は聞くのが当たり前だったその声が、椅子にもたれていた俺の頭上から聞こえて驚いた。
茶色い天然パーマと大きなどんぐりのような目をした彼――樋口が話しかけてくれたんだ。
それが嬉しくて、勢いよく顔を上げれば、しかし樋口の表情は曇っていた。その表情はどう見ても『仲直り』といったふうではない。樋口がまとった雰囲気もどことなく固い。
どういうことか樋口の意図を汲み取れないまま、3階のB組とは正反対の場所――滅多に人が通らない隅っこの非常出口に樋口と向かい合った。
「2年の中山 栞先輩やっけ? 吉澤と付き合いたいんやて――」
――はあ?
意味がわからずぽかんと口を開けた。
中山 栞。
彼女は、モデル並みのすらりとした体型に、ショートボブの髪型が大きな目を引き立たせた松林高校のマドンナ的存在で、男なら誰しもが彼女と付き合いたいっていうほど美人で有名だ。
樋口を好きな俺は置いておいてだが……。
――樋口が俺に声をかけた理由はわかった。
だが、なぜそれを樋口の口から聞かなければならないのだろうか。
俺は樋口を好きなのに、どうして好きな相手から他人の告白を聞かなければならないのだろう。
思わぬメンタルダメージくらって黙っている俺を無視して樋口は話しを続けた。
「もし、オッケーやったら今日の夕方5時30分に松林公園まで来てって言うてた……」
「それで?」
「それだけ……」
長々と聞きたくもない情報を告げた樋口の唇はようやく閉じた。
あんなに可愛いと思っていた桃色の小さな唇が、今はとても憎たらしい。
どうして樋口が俺にそんな残酷なことを言うんだろう……。
樋口にとって本当に俺が誰と付き合おうと気にしないんだろうな。いくら恋をしているのは俺だけでも、これはあんまりだ。
「……なんでお前はそんなことをいちいち俺に言いに来たんだ?」
「オレだって迷惑してるんや。仲が良いいってだけでこんなお遣いみたいなんさせられて……」
「仲が……いい……か」
ここ数日、樋口とは一緒にいない今でも仲良く見えるのか。
他の人間には3日程度でも、俺からすれば樋口と話さなくなって1年にもなるように感じる。
「もうオレと吉澤は関係ないのにな……」
ボソリ。
しゃべった樋口の言葉が俺の胸を貫いた。
関係ない?
樋口と俺が?
俺がこんなに想っているのも知らないクセに!!
樋口のことを好きなのに!!
「ふざけんなっ!!」
あまりの樋口の発言にイラついた俺は、樋口の体を非常通路の口の壁に押し付けた。
だが、俺の怒りは樋口を押さえ込むだけでは終わらない。
気がつけば、自分の口で樋口の唇を塞いだ。
「……んむぅ!!」
はじめ、俺に何をされているのかわかっていないようだった樋口も、俺がキスしていることを理解したらしい。
ただ開閉させていただけのどんぐりの大きな目は見開き、両腕に力を入れて抵抗しはじめた。
――これでもう修復不可能だ。樋口とはもう視線さえも合わせてもらえない。
絶望がやってくる中、腕の中で暴れはじめる樋口を開放してやる。
「そうだよな、俺がお前を好きでいても、お前は関係ないもんな、そうだよな……」
「っ、よしざわ……?」
はあはあ、と大きく呼吸しながら俺の名前を呼ぶ樋口。
今後はもう、名前を呼ばれることさえなくなるだろう。
樋口が今どういう顔をしているのかさえも、怖くて見ることができない。
「バイバイ、樋口」
俺は永遠のさようならを告げ、痛む胸を無視して樋口から背を向けた。