第七話 超越するアルカナ
一晩で積った雪が朝日を反射し、煌いていた。
街の外れにある湖畔の表面には薄く氷が張り、静かに水面を光らせる。
静寂が包む森は針葉樹の緑と雪の白が綺麗なコントラストを描いていた。
それは正しく白銀の世界であり、改めてその光景を見たリヒトは感嘆の声を上げる。
「こいつはヤバイな……カメラでも持って来るんだったぜ」
「貴様がそんなことを言うとは珍しい。今日は槍でも降るのか?」
リヒトの隣に立つフェリアが茶化す。
しかし、リヒトが大きく否定することは無かった。
朝の静寂、冷たい空気が、リヒトに言葉を吐かせるのを躊躇わせたのだ。
大声を出してしまえば、その白銀の世界が崩れ去ってしまいそうで―――
「リヒト!例のモノを沈めてきた!」
そんなリヒトの感傷はおかまいなしに、遠くからウエマツの叫びに似た呼び声が聞えた。
静寂の中に響くその声に顔をしかめながら、リヒトは笑う。
「どうやら、大体の仕込みは終わったようだな」
「ああ。準備は万端―――後は、結果を待つだけだ」
同意するフェリアが、湖の方向を見据えたままに頷いた。
「しかし、今回はやけに協力的じゃねぇか。お前なら“エンジンを奪ったマフィアからエンジンを奪い返したほうが早い”とか言いそうだ」
「どういうイメージだ私は」
珍しくもフェリアをおちょくるリヒトは、鬼の首を取ったような気分で隣に立つフェリアを見る。
しかし、フェリアはリヒトの視線など気にしてはいなかった。
それどころか、どこかリヒトを見る目は興味深いものを見つけた研究者のような目である。
「なに、貴様の青臭い説教を聞かせて貰った礼だ。“英雄”なんて呼ばれる割には、随分なお人好しじゃあないか」
「……ぐぅっ!」
そう言われ、リヒトはまず唸り、頭を抱えた。
その顔色は赤く、柄にも無く照れているのだろう。
「違う、そういうキャラじゃねぇんだよ俺は……」
などと呟いてその場にしゃがみこむ。
相変わらずに頭を抱えるどころか、その髪を掻き毟る始末。
「まあ、そういうことだ。気にするな」
「でも、お前……やっぱアレは違うって……ァああぁああああああっ!クソッタレ!!」
その挙動不審な動きに、フェリアは薄く、氷のような微笑を湛えていた。
頭を抱えるリヒトはそれに気付かない。
が、一人だけ、その笑みを遠目から見ていた者が居た。
「やはり逸材だな……クールなメイドは男のロマ―――ふごっ!?」
「撮影は許可を取ってからするものだ」
ウエマツは手にしたカメラを取り落として、雪の上に崩れ落ちた。
尤も、と付け加えてフェリアは再び微笑み。
「貴様のような変態に撮らせる事は万が一にも在り得んが」
倒れたまま転がるウエマツは、己の股間を押さえて声にならない叫びを上げた。
いつの間にかフェリアによって作られていた雪玉によって、股間を強襲された結果である。
リヒトが正気に戻り、己の股間に手をやる。
怯えたような目で見上げられても何のその、どこ吹く風といった風体で、フェリアは己の腕時計に目を落とした。
「取引の時間まであと一時間か……」
時間の指定。
マフィアとの取引は、この静かな湖畔で行われる。
人質である少女フーと、ウエマツの持つアルカナエンジンの交換取引。
卑劣で愚直な連中が、純粋で素直な少女を悲しませる。
それは、まるで―――
飛来する思いを振り払って、フェリアは背後に位置する森の奥を見据えた。
そこにある筈の物を思い描き、同時に、己の無力を呪う。
フェリアが無意識に握り締めた拳に、何かが触れた。
「何を考えてるかは知らねぇが、あんま怖い顔すんなよ。なるようになるさ」
いつの間にか立ち上がったリヒトが少し強く、拳をぶつけたのだ。
その不器用な励ましに、フェリアは無表情で言う。
「セクハラ」
「おい、テメェ、おい。今そういうシーンじゃねぇだろ。雰囲気丸っきりぶち壊しじゃねぇか」
なにやら抗議するリヒトを尻目に、フェリアは再び湖を見据えた。
いつの間にやらその心は、その湖のように晴れやかに澄み渡っており―――
「……助かったぞ、リヒト」
「は?何?聞えなかったんだが?」
「何でもないさ」
微笑を浮かべながら、フェリアは振り向いた。
湖をバックに薄く笑う彼女の姿は、眩しく、輝いていた。
* * *
「―――待たせたなァ。取引に来たぜ、所長サン?」
現れた男は、卑小な笑みを浮かべたスーツの男だった。
睨むようなウエマツの顔色を気にすることなく、飄々と笑う。
距離を開けたまま、ウエマツと男は対峙する。
「……フーは何処だ?」
怒りを堪えきれないように、ウエマツは言った。
男はからからと笑う。
「開口一番、他人の心配かよ?テメェの命でも心配してたほうが有意義ってモンだぜェ?」
「……貴様!」
ぎりり、とウエマツが歯を噛む。
その姿を見て男は、まあ、と続けた。
「約束は約束だからな。会わせてやるぜ、来い」
男が合図すると、地鳴りのような音が響いた。
同時に、ウエマツが異常に気付く。
男の背後から、何か、巨大な物体が起き上がる。
鋼鉄の巨人―――ジョーカーマシンだ。
「よォ―――く手のトコを見てみなァ……?」
男の言葉に釣られるように、ウエマツは巨人を見上げる。
ジョーカーマシンの手の上には、確かに、黒い、小さな影が存在していた。
距離があるにもかかわらず、確信する。
「……フー!!」
思わず叫ぶ。
届くわけが無いその叫び。
衝動のままの行動は、男に歪んだ笑みを作らせた。
「ヒャハハハハハっ!必死だな!そんなに大事か?あァ!?」
「いいから、取引だ!エンジンの場所は教えるからさっ!」
まるで命乞いのような姿。
必死に叫ぶその姿を見て、男は哀れみに満ちた視線を投げやる。
「仕方が無ェなァ。こっちも時間が無いし、さっさと吐いてもらおうか!“アルカナエンジン”を何処に隠した!!」
大仰に、男は叫んだ。
観念したかのように俯き、ウエマツは呟くように答える。
「……そこの湖の底に沈めた。大きいから、見れば解る」
「オーケー、そこで待ってな。あのクソ餓鬼は、引き上げるまではまだ人質だ」
男は言うと、手元の携帯電話に幾つか呟いた。
同時に、男の背後に存在していた巨大な人影が動く。
しんと冷えた湖へと歩み寄り、片手にフーを乗せたまま、片腕を湖へ入れた。
引き上げたのは、鉄色の円筒―――
「これが……アルカナエンジン!!」
それを見た男は、高らかに笑った。
まるで世界の全てが面白い、とでもいったような風体である。
対照的に項垂れたウエマツが、その物体が“アルカナエンジン”であることを暗に肯定していた。
壊れたかのように笑う男が、ウエマツを見下している。
「アリガトよォ!!これで、俺も“新世界”に生きられるぜェ!!」
「さぁ、渡したぞ!フーを返せ!」
その言葉に、男は再び笑う。
その高笑いはまるで悪魔の哄笑。
ウエマツは背筋に寒いものが走るのを、確かに感じた。
「……そういう“約束”だったな。あァ、返してやるよ!!」
まるで役者のように男は、その腕を高らかに掲げた。
同時に、男の背に居るジョーカーマシンはフーの乗った片手を振り上げ―――
「受け取れェ!!」
投げた。
空を飛ぶフーの身体。
その姿はまるで、飛行能力を失った鳥のように、空を滑る。
墜落。
その瞬間を思い浮かべ、男は下卑た笑みを浮かべる。
その瞬間を思い浮かべ、ウエマツはきつく歯を食いしばる。
だが、土壇場でウエマツが叫んだ言葉は―――
「リヒト!!」
“英雄”と呼ばれた男の名を呼ぶ。
そして、それに答える影がある。
『任せろ!そしてフェリア頼んだ!!』
ウエマツの背後。
巧妙に隠されたジョーカーマシン、暗緑色の装甲を持つ“グラインダー”が立ち上がった。
その装甲の色と大きさゆえ、森に隠されていたことに気付けなかったのだ。
グラインダーは走りながら、手を伸ばす。
上を向いた掌の上には、人影があった。
見上げるウエマツに向けて、任せろ、とでも言うかのように頷く影は、フェリア。
猛進するグラインダーの上でバランスを取りながら、その両手を広げた。
フーは、その間にも落ちていく。
放物線を描く軌道が、グラインダーの進路と重なろうとしていた。
「届け……!!届いてくれッ!!」
ウエマツは、願った。
改めて認識した、“家族”としてのフー。
それを救うための、大切な一歩を踏み出そうとしていた。
だから、今は―――祈るしかない。
フーにも聞こえるように、叫ぶ。
「帰って来い!!フー!!」
グラインダーの掌が、フーの落下予測地点に入り込んだ。
間を置かず、場には静寂が戻る。
その場に居る全ての人間が、一機のジョーカーマシンの掌の上を見ていた。
不安と、祈りと、願いとが交錯する。
そして、静寂は―――
「御主人!!」
フーの声によって、破られる。
『降ろすぞ!!ウエマツっ!!』
「合点!」
同時に、時が動き出した。
ウエマツは男達に背を向けて走り出す。
目指すべきは後方に存在するグラインダーの掌の真下。
既にグラインダーの掌は高度を下げ、人が飛び降りられる程度の高さになっていた。
「“アルカナエンジン”を知る者を生かして帰すな!!追えッ!!」
男が命令を下すと、どこからともなく現れたスーツの男たちがウエマツの背を追いかけ始める。
ウエマツの足は遅く、いかに距離が開いていようと、その差は直ぐに縮められる。
スーツの男の手がウエマツの服の端を掴もうとした瞬間、男は体勢を崩してその場に倒れた。
混乱したように足を止める男たちの前に、黒いコートの女が立つ。
「悪いが、感動の再会を邪魔する無粋者にはお帰り願いたい」
土産だ、と呟くと、フェリアはその手に隠していた拳銃を構えた。
男たちが色めき立つ間に、ウエマツはグラインダーの掌の下へと辿り着く。
「御主人ーっ!!」
「フー!!」
掌から飛び降りたフーが、ウエマツに飛びついた。
衝撃でその場に倒れるものの、ウエマツはしっかりとフーを抱きしめている。
ふと、頬に垂れ落ちる雫。
ウエマツを押し倒すかのような形になったフーを見上げる。
フーは、泣いていた。
「御主人、ただいまっ!!」
寂しさ、悔しさ、後悔。
様々な感情が入り混じった涙。
その姿を見て、ウエマツは優しく、その頭を撫でた。
「ああ、おかえり……フー」
* * *
「何とか作戦成功か。わざわざジョーカーマシンまで持ってくるとは、肝が冷えたぜ」
森の中へと逃げ込んだウエマツを見送って、リヒトはパイロットシートで安堵した。
地上に存在する敵の対応はフェリアに任せてある。
多少は心配もあるが―――ジョーカーマシンを相手取り戦った女だ、少々の事ではくたばらないだろう。
楽観的に考えて、グラインダーのメインカメラを動かした。
先ほどまで取引に応じていた男が、右手に“アルカナエンジン”を持ったジョーカーマシンに乗り終えたところだった。
相手が取る行動は把握している。
故に、リヒトはフットペダルを踏み込んだ。
「ったく、面倒この上ねェな、オイ!」
ジョーカーマシン・ソードの肩に装備されていたショルダーキャノンが火を噴く。
それと同時に回避するグラインダーは、そのまま相手の周囲を旋回するように空を飛んだ。
速度は通常の三倍ほどで、敵はまず追いつけないであろう、というリヒトの確信があった。
そのまま、鈍く旋回しようとするジョーカーマシンの背後を取る。
グラインダーの真骨頂、超近接格闘による攻撃で終わらせようと、腰だめに拳を引き絞った。
「―――んなっ!?何だァ!?」
だが、返って来たのは轟音。
足元が抉れ、グラインダーのコックピットを少量の揺れが襲う。
攻撃を中断しその場を飛び退いたグラインダーを見つめる、ジョーカーマシン・ソード。
空対地で、二者は対峙した。
「っ!!そういう、ことかよ……面倒くせェ!」
―――否、それは、二者ではない。
『ボス、遅くなりましたァ!』
『今から加勢しますぜ!』
『たかだか一機、サクッとやっちまいましょうやっ!』
『油断するなよ。あの機体は“アルカナ”を持つ存在だからな』
四機。
白く輝く山のシルエットを背景に、四つの巨大な影が立つ。
「ジョーカーマシン・ソード、ワンド、チャリス、ペンタクル……第二世代総出演かよ!懐かしくて涙が出てくるぜ!」
立ち塞がるジョーカーマシン。
ただでさえ小さいグラインダーにとっては、その四機は正しく“壁”と形容するに相応しいものであった。
だが、リヒトは笑う。
「いい機会だ!試させてもらうぜ、“グラインダー”の可能性!」
それは挑戦。
しかし、見据える相手は四機のジョーカーマシンではなく、己とグラインダー。
“アルカナエンジン”の可能性を捜す戦いである。
『ほざけ!』
『さっさと落としたらァ!』
リヒトの目に入っていた筈の“壁”は既に“壁”ではなく、ただの哀れな実験体。
それすら解らぬモルモットは、掌の上で踊るのみ。
二機のジョーカーマシン―――ワンドとチャリスは、それぞれの火器を構えた。
大きな体躯に鋼色の身体、丸みを帯びた、亀のような身体が特徴の機体であるワンドは遠距離狙撃用のジョーカーライフルを。
角ばった装甲に背負った、巨大な通信設備と重火器が特徴のチャリスは背中から突き出した大砲を。
二つの照準がほぼ同時に定められ、銃弾と砲弾が殺到する。
着弾と同時に、土煙の柱が上がり、その場にあった雪を吹き飛ばした。
しかし、そこにグラインダーは居ない。
「遅ぇ……っ!」
『なっ!速っ!!』
獣のように姿勢を低くして、グラインダーは前へと突っ込んだ。
そして、残像を残しながら、右へ、左へとステップを刻みながら全身。
続けて放たれる銃弾、砲弾の全てを紙一重で避ける。
殺到した攻撃のすべてを蛇のようにするりと抜け、その拳を再び腰だめに。
男は直感的にワンドを動かした。
そして、その勘は男の命を救うことになる。
振り向き様に振り回した左腕とジョーカーライフルが吹き飛ぶのと引き換えに、ではあるが。
灰色の腕が弾ける刹那、男は確かに暗緑色の装甲を見た。
その手には何も持たず、ただ、拳を正拳で降り抜いた様。
在り得ない―――その言葉は出ない。
何故なら、彼が相手取ったのは第三次世界大戦の“英雄”と“アルカナエンジン”。
その速度に不可能は、何一つ存在しない筈なのだから。
『お次だ!』
『見切れるかッ!?』
ワンドが体勢を立て直すのとほぼ同時に、グラインダーの真横から二機が斬りかかった。
鋭角的な装甲に赤い単眼、背部に巨大な推進バーニアを積んだソード。
小さく纏まった鉄色の装甲の所々から突起を生やしたペンタクル。
互い、一対の熱剣を構えて振り下ろそうとした。
「角砂糖より甘いな!」
グラインダーはその場で地を蹴った。
跳躍する方向は、先ほど左腕を失ったワンドの下である。
対象に命中しなかった熱剣は地面に刺さり、雪を猛烈な勢いで溶かした。
そして、グラインダーは誰よりも早く、体勢を整えた。
着地地点は、ワンドの胴体部分―――
『回避……!!』
「させるとでも思うか!?」
リヒトは叫び、連動ペダルの隣にある、もう一つのスイッチを足で押した。
同時に動かしたグラインダーの手の先には、腕部装甲から迫り出した鉄色のバイパス。
そしてそこから、強烈な、指向性の光が放たれた。
回避行動を取ろうとしていたワンドは、その場で、糸の切れた人形のように立ち尽くす。
『なっ!?』
ワンドのコックピットからは驚愕の声が漏れた。
が、リヒトはお構いなしに、グラインダーの足を突き立てる。
一段と激しい音を上げて、ワンドの胸部装甲にグラインダーの脚が埋った。
「濃密な魔力を一気に受けると、通常ジョーカーマシン程度のエンジンじゃオーバーヒートするって話らしいぞ?」
又聞きなんだけどな―――その言葉を残して、リヒトはワンドに蹴りを入れた足を再び伸ばす。
跳躍。
高らかに跳んだグラインダーが頂点に達するのと、ワンドが小爆発を引き起こしながら倒れたのはほぼ同時。
周りのジョーカーマシンは、呆けたように空を見上げていた。
だが、ただひとつだけの例外。
『空中じゃあ身動きは取れねェよなァ!!』
チャリスは、空へと跳んだグラインダーの動きを見ていた。
ワンドが隣でやられる一方、密かに背中の兵器を稼動させていたのだ。
チャリスの背の誘導ミサイル群が、天へと牙を剥く。
『これで終り―――』
それを見下ろし、リヒトは悠然と呟いた。
恐れは無く、諦めも無い。
あるのはただ、好奇心。
「―――いいぜ。そろそろ行くか」
リヒトは思い出していたのだ。
昨日のフェリアの言葉を。
“アルカナエンジン”を操る者にだけ呟かれる、その言葉を。
己が一番知っている―――その、逆転の鍵語を。
それは正に、“鍵”。
アルカナエンジンの全ての能力を引き出すための鍵だ。
全てのジョーカーマシンを“超越する”、“アルカナ”の福音―――
「Arcana Over……!!」
グラインダー。
その真骨頂は速さ。
故に、リヒトは求めた。
その速さの究極の姿を。
一瞬でいい。
一瞬の内に、全てを極める。
一念は、アルカナを通し、エネルギーとして世界に干渉する。
それ即ち―――限り無い時間の遅延。
まるでブラックアウトした、モノクロの世界で、リヒトは自分の感覚が暴走していることを感じた。
血が逆流したかのように全身が痛みに苛まれ、同時に、幸福な全能感もある。
メインモニターを見ると同時に、モノクロの世界の刻はカウントダウンを告げた。
十秒。
それが、今のグラインダーとリヒトに赦された限界値。
時の止まった世界、直前で止まったミサイル弾頭を回避しようとした。
だが、グラインダーは既に爆発をも置き去りにする速さ。
回避する必要も無い、ただ、爆発を受ける前に離脱するのみ。
リヒトはそれに気付き、回避を止めた。
グラインダーは、無傷で地上に再び立つ。
九秒。
頭上で爆発が始まろうとしていた。
ミサイルの弾頭が破裂するよりも早く、グラインダーは駆ける。
今尚ミサイルのバックファイアが残るチャリスを目掛けた。
四肢に繋がれた鉄色のバイパスから轟々と吹き出るエネルギー。
それは既にビームの類といっても過言ではないだろう。
八秒。
濃密なエネルギーは、アルカナエンジンの力で限り無く固体に近づいていた。
そのエネルギーの吹き出るバイパスを握り、グラインダーは跳躍する。
低く、タックルのように、肩を突き出した形。
しかしその型はタックルではなく、右手を左腰に構えたことによる副次的なポーズに過ぎない。
真の狙いは、右手で掴んだ、右足から伸びるバイパス―――
七秒。
「居合斬り……ッ!!」
六秒。
その声が響くと同時に、グラインダーはくるりと回転した。
降り抜いた手をそのまま遠心力とし、己の頭を軸とした独楽のように。
当然、垂れ落ちるバイパスは引っ張られ、螺旋を描くように回る。
そして、遠心力のままに進む方向には、二機のジョーカーマシン。
五秒。
最早、グラインダーは姿勢を正すことすらない。
寧ろ、回転を早めるために、と地を跳ね、両の手を用いてバイパスを振り回す。
リヒトの脳に、割れるような痛みが走った。
思わず顔を顰めた。
だが、その手は操縦桿から離れない。
四秒。
二機との距離は既に無くなっていた。
改めて、リヒトはフットペダルの隣を踏んだ。
そこにあるスイッチ一つで、グラインダーは踊るのだ。
踏み切るタイミングは―――今。
三秒。
光が踊る。
暗緑色の機体とモノクロームの景色を、白色に染めて。
両手両脚から伸びるバイパスの全てから光が噴出し、それら全てが光の剣となる。
呆然と空を見上げたままの二機に、光の牙が食い込んだ。
裁断する感覚すらない。
ただ、リヒトの脳内に映される光景は光である。
二秒。
光を収め、二機を過ぎ去り、グラインダーは雪原へ降り立つ。
振り向くとそこには、何も変らない三機の姿。
そして、今だ爆発を終えていない上空のミサイル群。
モノクロの世界に、少しずつ色が戻り始めていた。
一秒。
そして、リヒトは呟く。
零秒。
「これが“粉砕機”改め―――“裁断者”だ」
時が動き始める。
『だっ!!』
果たして、その科白は断末魔と為る。
音も無く、チャリスは胴体から真っ二つに、ずれた。
ソード、ペンタクルも同様に、その身体を細切れにずらす。
全ての視線は中空に置き去りにされた爆発に注がれた。
それと同時に―――地上で、三つの爆炎が咲く。
『はははははは!大命中ってかァ!?』
『“英雄”とやらも大したこと無ぇな!』
『これで私も、あの方の創る“新世界に”―――』
何も解らぬまま彼らは爆発したのだろう。
全てを知るのは、“限り無い時間の遅延”の中に居たリヒトのみ。
見届けたリヒトは、コックピットの前面に突っ伏した。
「あー、クソ、しんどい……。こりゃあ、迂闊には使えねぇな……」
げんなりと呟き、そのまま活動を停止した。
彼が再び動き出すのは、不審に思ったフェリアがコックピットに乗り込んでくる時であろう。
グラインダーのコックピットに、似つかわしくない寝息が聞え始めた。
* * *
「……割とマジで疑ってたが、こいつは凄いな。マジで研究所だ」
「だろう?このアパートは地下が全て研究スペースになっているのさ。上のは、カモフラージュってやつだよ」
リヒトが驚いた声を出すと、先導するウエマツは嬉しそうに説明した。
ウエマツ研究所と名を打たれたアパートの二階にあるエレベーターに乗って、彼らはここまでやってきた。
冷静沈着、無表情の鉄仮面と謗られたフェリアも、これには瞠目する。
エレベーターで辿り着いた地下には、軍基地で見たものと殆ど変らない研究スペースが広がっていたのである。
「ご主人はこう見えても優秀だからね!ベルランド様が援助してくれたんだよっ!」
フーがひょっこりと、ウエマツの背後から姿を現した。
幸い、今回の事件で彼女は特に怪我を負う事も無く、無事に帰ってきた。
尤も、誰よりも心配されていた当の本人は、かなり恥ずかしそうにしていたが―――きっと、ウエマツの所為だろう。
「しかし、軍は抜けたのではなかったのか?」
「あくまで“個人間”の研究さ。それに、研究対象は“ジョーカーマシン”ではなく“魔力”についてだからね」
フェリアの疑問に、ウエマツは笑いながら答えた。
屁理屈のような返答に唸るフェリアであったが、それを押しのけてリヒトが言う。
「っつーか、こっちにあるアルカナエンジンってのはどれだ?この間のヤツみたいなモンか?」
この間のヤツ、とリヒトが差すのは、つい先日のフー奪回作戦の折に使用された物体である。
マフィアに一度アルカナエンジンを渡す、という手法を取るが故に作られた、急造の鉄くずだ。
取引の直前、ウエマツはこれを湖の底に沈めたのである。
「うーん、それがねぇ……実は、もう僕の手には無いんだよ」
「はぁ!?」
驚きの声が上がった。
話が違う、とリヒトはがなる。
しかし、その言葉を遮ったのは、意外にも、フーであった。
「御主人はアレが危険だと判断して、手放すことにしたんだよ。信頼できる“友人”に送ったんだ」
「誰だよ、信頼できる友人って……?」
リヒトが尋ねようとした瞬間、携帯電話が鳴った。
フェリアはコートのポケットから携帯電話を取り出すと、応答を始める。
その様子を察したウエマツは、小さく笑った。
「噂をすれば影、ってヤツだね。全く、タイミングのいい」
「意味解らんぞ……一体誰だよ、友人……って、オイ、まさかっ!?」
リヒトはこの街へ来る前に聞いた、とある言葉を思い出した。
―――この大陸の東端に、ハルピュイアという街がある。そこには魔力研究に付き合ってもらった知り合いの科学者が居るんだが。
「貸せっ!!」
リヒトはフェリアの携帯電話を引っ手繰るように奪うと、がなった。
「ベルランド、テメェ謀ったな?」
『さて、何のことだ?』
通話先で、ベルランドは淡々と答えた。
収まらない様子のリヒトは罵声を浴びせる。
「クソッたれ!最初っからアルカナエンジンがそっちに行くことが解ってて寄越したな?体の良いボディーガード代わりによ!」
『先見の明があると言ってくれ。それに、満更でも無かっただろう?』
「はぁ?何を言って……」
ふと顔を上げると、フェリアと目が合った。
そして、リヒトは硬直し、形態電話の向こうからは押し殺したかのような笑いが。
『お人好しは恥ずかしがる事では無いぞ?いや、戦士としてはどうかは知らんが……』
「五月蝿ぇええええええええええっ!!」
叫び、携帯電話を投げた。
ウエマツの隣に居たフーが持ち前の素早さでキャッチすると、再びフェリアの手に携帯電話が戻る。
「くそ、何で俺の恥ずかしエピソードが流出してるんだよっ……!」
「まあまあ、落ち着いてくれよっ!スマイル、スマイル!」
「五月蝿ぇ!」
茶化したように笑うフー。
ウエマツがその頭を撫でた。
しかし、フーがそれを拒む事は無かった。
「しかし、本当に助かったよ。一時はどうなることかと思ったが、君が居てよかった」
「けっ、テメェがヘタレてただけだろうが」
「ははは、そうだなぁ……」
そっぽを向いて言うリヒトに、ウエマツは困ったように笑った。
「だけど、お陰で目が醒めた。これからはフーと……家族と、君の活躍を見物させてもらうよ」
「よ!」
言いながら、ウエマツはフーに笑いかける。
フーは笑顔を返し―――否、既に笑っていた。
彼女はいつも笑う。
隣にウエマツが居るその限り、笑って生きていけるだろう。
リヒトはその様子を見ると、満足そうに一度頷いた。
「おい、リヒト。次のアルカナエンジンの所在が分かった」
ベルランドとの通話が終わったようで、フェリアが携帯電話を閉じた。
「マジか。んで、次は何処に飛ばされるんだ?」
皮肉交じりの言葉。
それに対し、フェリアはいつもの真顔で答える。
「今度は、赤道直下のジャングル地帯だ」
「―――は?」
アルカナエンジンについての詳しい言及はまた次の機会に。
次回、まさかの赤道直下。