第三話 ジョーカーマシン
がたがたと揺れる単車。
それもその筈、単車は人ですら通るのを憚るような獣道を突き進んでいるのだから。
常人では操作不能なレベルの揺れでも、英雄は淡々と乗りこなす。
偏にそれはジョーカーマシンの操縦経験が好を奏した形であった。
本人の顔は明らかに不満だらけの仏頂面であっても、だ。
「……絶対、狙ってただろアレは。マジで」
「何度言うつもりだ?既に聞き飽きたのだが」
恨み言を吐くリヒトに、冷たく声を返したのはフェリア。
彼の腰に手を伸ばしシートの後ろに座る彼女は、呆れたような調子だ。
「だってよ、俺の家がぶっ壊れされたんだぜ?そりゃ大したモンはねぇよ?金も無事だし。けどな、家が無くなるっつーのは幾ら温厚な俺でも許容範囲外ってーか」
「女々しい」
フェリアは断じた。
既にこの問答も幾度繰り返されたか分からない。
―――黒いジョーカーマシン、“バベル”との戦闘で、リヒトの屋敷は崩壊した。
敵機が逃げ去った後の戦場でリヒトが見たのは、焼け野原である。
唯一の娯楽とも言えた裏庭の庭園が瓦礫に押しつぶされ、こげ跡すら残っていなかったのは流石に可哀想なさまであった。
が、現実は非情にも、リヒトにホームレスという不名誉極まりない称号を与えたのである。
更に追い討ちをかけたのが、フェリアの存在。
デイブレイクから彼女を護るための手段“グラインダー”は、既にボロボロの体であり、修理を必要としていた。
最も、リヒト自身がこの『戦闘限りである』と見て酷使したのが問題であったのだが―――
「とにかく!巻き込まれちまった以上は全部ゲロって貰うぜ!?」
「ふむ。貴様ならこのまま逃げるかと思ったが」
「悪いが豪邸ぶっ壊されて笑ってられるほど俺は寛大じゃねェ。次に会ったら絶対ぶっ殺す!」
自棄気味に叫ぶリヒトに、フェリアは淡々と言う。
しかしその声音はどことなく感心しているように聞えた。
が。
その理由自体は八つ当たりに近い。
というか、八つ当たりそのものである。
「まぁ、理由は何でも良い。とにかく、私はこの“グラインダー”を護りたいのだよ」
言うと、フェリアは撫でるように首にかけたネックレスを触る。
「私の息子も同然の機体を、変なことに使われては堪ったものではない」
「我が子ォ……?テメェ、軍学者か何かか?」
当時のジョーカーマシンは一部の軍学者のみが開発を担当していた。
徹底的に情報規制され、乗り込む人間はその動力すらも知らないほどである。
それ故一般にその製造法が知れることも無かったし、無駄な戦火を招く火種となることを防ぐことが出来たのだ。
「確かに、広義では軍学者かも知れんな。まあ、そこらは置いておけ。とりあえず、今は“グラインダー”をデイブレイクに渡してはいけないということだけ知っていれば良い」
有無を言わさぬ口調に、リヒトはそれ以上に踏み込めなかった。
否、踏み込ませなかったというべきだろう。
リヒトも勿論、これ以上の厄介ごとに付き合う気概は無い。
「で、要はデイブレイクの奴らが襲ってくるからそれからコイツを護れ、ってことだろ?」
「そういうことだ。ただ、くれぐれも大事にはするなよ?」
「へぇへぇ、分かりましたよっと……注文の多いヤツだな、オイ」
ぼやき、リヒトはバイクを走らせる。
既に屋敷のあった森を抜け、走る道も獣道からコンクリートの道路へと変っていた。
「んで、デイブレイクはいったい、“グラインダー”で何をしようとしてやがるんだ?」
「ふむ……。それを話すには、ジョーカーマシンの成り立ちから話さなければならんだろう。長くなるが―――」
「どうせ直ぐには辿り着かん。道中の子守唄みてーなモンだ」
単車を走らせ向かう先は、グラインダーを修理する設備のある場所だ。
そこまではまだまだ時間が掛かり、長話には調度良い。
軽口を飛ばしたリヒトだが。
「寝るなよ」
「冗談を察しろ。いやマジで」
―――この女、マジで扱いづらい。
思わずこめかみを押さえたリヒトに、後ろに居るフェリアは静かに話し始めた。
* * *
「信じらんねぇ……」
フェリアの話が終わるやいなや、リヒトは呟いた。
それも仕方の無いことと言えよう。
今まで頼りにしてきた戦場の華、ジョーカーマシンの動力が“魔力”だ、などという荒唐無稽な話だったのだから。
彼女が言うには、ジョーカーマシンのエネルギーは“魔力”と呼ばれる空気中の成分をエネルギー変換して使用しているらしい。
一般に浸透させなかったのは、国が利益を独占するためとも、単に利用効率が悪いことともされていたという。
ただ、その情報が魔力の真贋を明らかにすることは無い。
しかし、リヒトは半分納得した気もあった。
何せ、“グラインダー”の出力は通常のジョーカーマシンとは桁違い。
それこそ、規格外の代物であったからだ。
鋼鉄製の巨人を音速に近い速度で飛ばすのは、現代科学では不可能であろう。
「マジで荒唐無稽だな、オイ」
「まだ、話は続きがある。“グラインダー”は、その核に特殊なエンジンを積んでいるんだ」
「大方“魔力のエネルギー変換効率が高い”とか、そんな感じだろ?」
「よく分かったな。その通りだ」
そのことに関しては、概ねリヒトも見当がついたらしい。
納得したような声音で言う。
グラインダーの特異さは、操縦した本人が一番分かっているのだろう。
「問題は、そのエンジンが世界に限られた数しかない、ということだ」
「なるへそ、そりゃあ争いも起きるわな」
あれほどのスペックを持つグラインダー。
戦時中にあれば、どこの国もが喉から手を出してでも奪い取るだろう。
そして、それを狙い暗躍する組織、デイブレイク。
危険な存在である事は、既にリヒトも察していた。
「読めたぜ、テメェの経歴。概ね、エンジンを狙うデイブレイクから、同じくエンジン持ちのグラインダーを持って逃げ出してきた、って感じか」
「そうだ。デイブレイクの掲げる野望は……余りにも、危険すぎる」
「んで、その危険な野望ってのは一体?まさか世界征服でもやらかす心算か?」
「確かに、エンジンがあれば一国程度ならば落とせるだろう。だが、そんな生易しいものではない……」
いつものリヒトならば一笑に付す所であったが、既に当事者であった故に、半ば本気で問う。
しかし、フェリアは浮かない声音で言葉を止めた。
「じゃあ何だよ。もっと、世界的規模の野望ってのか?」
「……聞きたいか?」
続きを促すリヒトに、フェリアは躊躇いがちに一度だけ問う。
だが、リヒトの腹は決まっていた。
「当然。既に俺ァ当事者だぜ?俺にも、知る権利っつーのがあるだろうが」
「……そうか」
リヒトが初めて、この面倒ごとに自ら肯定する意見を出した。
その理由は、決して子供じみた八つ当たりのためではない。
彼の心に確実とされる理由は見当たらなかった。
が、強いて言うなれば、リヒトの腰に回されたフェリアの細い腕。
それが、まるで不安を訴えるように力強く締め付けていたからであろうか。
フェリアが安堵の息を漏らした後、リヒトは腰に回された腕を叩いて続きを促した。
「奴らは新しい世界を創る気だ。22のエンジンを使ってな」
「世界を創る……正直胡散臭い話だが、マジなのかそれは?」
「残念ながら大マジだ。貴様の考えているものとは少し離れているかもしれないがな」
「ふーん……」
興味無さそうにリヒトが鼻を鳴らした。
「興味無いのか?世界の危機だぞ?」
「要は俺が“グラインダー”をデイブレイクに渡さなきゃいいんだろ?なら、起こらない。起こらないことを心配してもなぁ……」
最早、不遜とも呼べるほどの大した自信だった。
しかしその表情には何ら揺らぎは無く、至極真面目に放たれた言葉であるのだろう。
それに頼もしさと危うさを感じながら、フェリアは呆れたように首を竦めた。
「それよりも、だ。22のエンジンってことは……」
「そう。エンジンは全て、タロットカードの大アルカナに擬えて作られている。数も合計、22だ」
「やはり、グラインダー起動の時のアルカナマシンってのは、そういうことかよ」
心の中の疑問一つ片付けると同時に、懸念も生まれる。
22のエンジンの一角、グラインダー。
前回の敵ファウストの駆るバベルもまた、アルカナエンジンを積んだものであろう。
でなければあの、物理法則を無視した空間跳躍は不可能である。
そして、未だ発見されない総計20のアルカナエンジン―――
「ぞっとしねぇ話だ」
「だろう?各地に争いの火種が残っているようなものだ。私はこれを除く為にデイブレイクを抜けた」
言うに易し。
しかし、その言葉の軽さからは分からぬほど、その行動は簡単ではない。
斥候としてジョーカーマシンを繰り出せるほどの組織を、一人で相手取るのだ。
並みの決意で出来る話ではない。
改めて、リヒトはフェリアと名乗る女をバックミラー越しに見た。
長い白髪は日の光に煌き、その表情に変化は無い。
だが、その顔は出会ったときよりも強く、美しく見えた。
使命感―――そんな安い言葉では表現できないほどの、重い決意。
魂に刻まれたその誇りが、リヒトの魂にも火をくべたのか。
朧げながらもまた、リヒトも決意を固めようとしていた。
「仕方ねェな。リターンマッチのカードが組まれるまでは、俺も協力してやるよ」
そう宣言するリヒトに、フェリアは頷く。
「助かる」
と、一言残して、腰に回す腕できつく抱いた。
嘗て戦場にて孤独に戦ってきたリヒトにはそれが、とても暖かいものに感じられた。
* * *
目的地である場所は、再び森の中であった。
しかしその様子はリヒトの屋敷周辺とはうって変わり、しっかりと整地された森だ。
これが戦災の焦土の上に、人の手によって作られた森である事は記憶に新しい。
そしてその森を分割するように、一本のコンクリートの道が通っていた。
その先には、この地方の守護を担当する存在がある。
「地方守備隊機動兵器駐屯基地……本当に、大丈夫なんだろうな?」
「安心しろ、ここの隊長とはダチだ。グラインダーの情報は漏れねぇだろう」
まだ訝しげな視線を送るフェリアに対し、飄々とその基地の廊下を歩くリヒト。
すれ違う人間が時々挨拶をしてこなければ、その言葉の信用性は欠片も無かった。
だが、目の前の存在は“英雄”。
第三次世界大戦の最大功績者なのだ、ということをフェリアは実感させられていた。
「それに、あわよくば協力が得られるかも知れねぇぞ?」
「一体、どういうことだ?」
その言葉に、リヒトは笑って答えた。
「人間、お人よし過ぎるのも困りものってコトだよ」
言葉の意味が分からないフェリアは首を傾げる。
そうしている間にも、目の前を行くリヒトは廊下の突き当りで立ち止まっていた。
鉄の簡素な扉に掛けられたプレートには“隊長室”と乱雑に書かれている。
戸を二度叩き、リヒトは扉を開いた。
「―――久しぶりだな。大戦以来だから、ざっと半年か。しかし、いきなり女連れとは、やってくれる」
「そう言うなよ、ベルランド。俺だってんなことになるたァ思わなんだ」
ぼやく男は、精悍な顔つきを一切崩さずにいた。
ぱりっとした軍服は新品同様であり、撫で付けられた黒髪もその几帳面さを表すようである。
吊り気味の瞳の色は燃え上がるようなバーミリオン。
「改めて、我が基地へようこそ……“英雄”リヒト・シュッテンバーグ」
「存分にサービスして貰うぜ。“猛禽”」
その名を、ベルランド・ヴィスビューと言った。
リヒトと同じく、第三次世界大戦中に多大な功績を残した一人である。
「……で、お前の後ろの御仁は一体?」
「あ?まぁ、色々あるのよ。今は差し詰め、俺の依頼主ってトコか」
「依頼?探偵業者でも始めたのか?」
「始める訳ねぇだろ。絶賛隠居中だったトコに、コイツが上がり込んできたんだよ」
「ほう、押しかけ妻、と」
「殺すぞテメェ。言っとくがアイツと何ら関係は無い」
「嘘吐け」
「マジ殺すぞ」
……だが、この会話が英雄二人の会話に聞こえるであろうか。
ただ能天気にその日の話をしている学生と何ら変らない問答である。
フェリアは無表情に確かな怒りを浮かべると、問答を続けるリヒトの耳をつまんだ。
「……リヒト。いい加減にしろよ」
あまりにも冷たい一言に、リヒトは額に汗を浮かべて頷いた。
その声は戦場の誰よりも冷たい声だった―――と、リヒトの言は後世に語られている。
「本題なんだが……あー、それがだな。格納庫の隅と、ついでにジョーカーマシンの修理パーツを回して欲しいんだわ」
「何だと?何処かで戦闘したのか?」
驚きの声を上げるベルランド。
それをからかおうかと声を上げかけたリヒトだが、背後からのプレッシャーにてそれを断念する。
言い淀みながらも、何とか続ける。
「そんなようなモンのような、そうでないような……。ともかく、ジョーカーマシンを修理させてくれ。これじゃあ商売にならん」
「むぅ……暫し、待て」
言い、ベルランドは執務机に備えられた内線電話を取った。
恐らく格納庫の人間に連絡でもつけるのだろう。
―――商売に、の件は完全にリヒトのアドリブである。
しかし、こう言った方がベルランドの協力を得やすい事は分かっていた。
見た目や態度に反して、彼は情に篤く、困った人間を見捨てられない性格なのだ。
卑怯な気もするだろうが、リヒトはそれを特に気にしていなかった。
「一つだけ、条件を付けさせろ。貴様らが何を隠しているか。それを話すことが、条件だ」
「オイオイ……何言ってんだよ。疑り深いヤロウめ……」
リヒトは困り顔で背後のフェリアを見た。
寡ばかりの沈黙があったが、フェリアは静かに頷く。
きっと、背に腹は変えられないようなものだろう。
リヒトはベルランドに、荒唐無稽なその話を語り始めた―――
* * *
「はぁー……。今日はどっと疲れたわ……」
ベッドの上、リヒトは盛大に溜息を吐いた。
両手を後ろ手に組み寝転がる。
疲れた心身にその柔らかいマットレスは非常にありがたかった。
「まさか、殆ど知っているとはなぁ……。俺だけ知らなかった、ってのも癪な気分だぜ」
「仕方があるまい。それに、一般人であれほどの知識を持った人間は稀有だ」
ベルランドは、リヒトの話したデイブレイクの存在以外は知っていた。
魔力のことも、それに伴って巨大な魔力反応が存在することすらも、だ。
それら全てを独自の趣味で解析した、というのだから手に負えない。
「昔から知識欲はハンパなかったが、あのレベルになると流石に引くわ……。人間って怖い」
「独自研究で魔力を明らかに出来る人間など、そうそう存在しないから安心しろ」
アルカナエンジンの存在もあり、ベルランドは想像以上に快くグラインダーの改修を受け入れた。
が、変りに提示された条件がある。
そのことを考えると、リヒトは再び憂鬱気に溜息を吐いた。
「模擬戦……ねぇ。しかも、俺のグラインダーはまだ使えないんだろ?」
「私のグラインダーだがな」
模擬戦。
リヒトは、アルカナマシンを託すに相応しい存在かを試す、という建前だ。
が、実体はベルランドからリヒトに対する一方的な挑戦といっても良い。
何せ、戦時中は互いに腕を競い合った仲だ。
「勝っても負けてもいいんだ。気楽にやれ」
「しかしなぁ……この基地にはっつーか、アイツの近くにはアレが居るからなァ……」
アレ、というリヒトの言葉にフェリアが首を傾げる。
それとほぼ同時に、客室である扉のドアが激しい音と共に開いた。
「よーっすリヒト先輩!元気してたましたか!?」
「来たよ、ハイテンション小僧……」
ハイテンション小僧、と呼ばれたが笑う。
金髪ににきび跡の残る顔で、満面の笑みを湛えていた。
それはまるでハイスクールのお調子者、と言った風体だが、実際にそうなのであろう。
騒々しいその男に、フェリアは僅かに顔を顰めた。
なるほど、アレが、アレか。
「ハイテンション小僧なんて呼ばないで下さいよぉ、俺にはジョークって名前があるんですから」
「冗談は名前だけにしておけ……。んで、何の用だ?」
「へへ、実は明日、先輩とウチの隊長が模擬戦やるって聞いたんでねぇ……!」
軍服の胸ポケットから、数枚の紙を取り出した。
チケットサイズの、長方形の紙である。
「明日の試合のベットっすよ!先輩の連れのねぇさんに一枚差し上げようと思いまして!」
「わ、私かっ!?」
話を振られると思っていなかったのだろう。
珍しく驚いた声を上げたフェリア。
そんなフェリアに近づき、ジョークはその手製のチケットを握らせた。
紙面に躍る文字は“リヒト・シュッテンバーグ”である。
「テメェ、いつもの事ながら人の戦いを勝手に賭けにすんなよ!」
「じゃあ、明日の試合頑張ってくださいよ!今回も俺、先輩に賭けてるんすからねっ!!」
言いたいことを言って満足したのか、駆け足でジョークは去っていった。
肩を怒らせるリヒトに対し、フェリアは笑っている。
「ちょ、テメェ、何がおかしい!」
「いや、貴様も存外、愛されているなと」
「誰がだっ!!」
そこで、リヒトは気付いた。
フェリアの笑顔を初めて見た事に。
いつもの無表情に比べて、その顔の何と可憐なことか。
まるで、無垢な少女のような、自然な笑み。
それを見て、リヒトは―――
「くそっ!こうなりゃトコトン勝ってやろうじゃねぇか!完膚なきまでに!」
言いながら、高らかに笑った。
フェリアの笑顔を見て機嫌を直したとしたのだとしたら、現金な男である。
かくして、“英雄”リヒト・シュッテンバーグのとある一日は終りを告げた。
日常は終りを告げ、新たに始まる日常。
そこに、リヒトは一体何を見、何を聞き、何を感じるのか。
彼の人生において、最も激動の一年が始まろうとしていた―――
説明回ってヤツです、ハイ。
次回思ったより早くバトれると思いますです、ハイ。