第三十六話 反乱の砂嵐
砂嵐を切り裂くように走り抜けるのは、砂色の迷彩を施した装甲車両。
その中には、二人の男女が居た。
“英雄”リヒト・シュッテンバーグ。
“天才”ハインリッヒ・アウロラ。
彼らはただ、砂嵐の向こうにある遥かな敵の影を見つめていた。
揺れる車体は、彼に懐かしさを覚えさせる。
それはかつて、相棒と共に初めて訪れた時の事。
あの時もこうして、揺れる装甲車両に乗っていた。
ただひとつ違うのは、今のパートナーが彼女では無いことだけ―――
「そういえば」
砂色の砂漠用迷彩服に身を包んだリヒトは、隣に居るハインリッヒに話しかけた。
「ハインリッヒ、って男の名前だよな?」
「そうですが、何か?」
しれっと答える彼女は、女性だ。
その矛盾を知っているのだろう、平然とした顔の少女に、リヒトは少し眉根を寄せた。
「あのなぁ……お前は女だろ。何で、そんな名前なんだよ?」
「私の父が、ハインリッヒと言うのです。私は娘なので、その名前を受け継ぎました」
「受け継ぎましたって……」
「そんなことより、ジョーカーマシンの調整の話です」
リヒトの呟きを遮って、ハインリッヒが言った。
何かを言いたげなリヒトを置き去りにして、ハインリッヒは言葉を続ける。
「大方貴方の希望通りに出来ました。準備は万全です」
「という事は、アレもか?」
リヒトは一転して笑みを浮かべ、まるで子供のように楽しそうに聞く。
ハインリッヒは頷きながら、どこか呆れたような様子だ。
「はい。ですが、アレを一体どうやって使うつもりですか?」
「そりゃあ……秘密だ」
リヒトが悪戯っぽく笑うと、ハインリッヒは珍しく溜息を吐いた。
「どうした?」
「いえ……貴方の仲間の苦労を思うと、少し同情の念が」
その言葉にリヒトは笑うばかりで、ハインリッヒは改めて溜息を吐く。
だが、次の瞬間にはいつもの無表情に戻ってリヒトに訪ねた。
「大丈夫なのですか?」
「何がだ?」
けろっとした顔で答えるリヒト。
しかし、今回の作戦で最も危険なのは彼である事は、誰しもが分かっている。
だが、それでも笑顔で居ることが出来るのは、彼が“英雄”であるが故なのだろうか。
それを知る事が出来ずに、ただ、ハインリッヒは彼の顔を見つめていた。
「俺がデイブレイクを相手取って活躍したことぐらい、お前も知ってるだろ?俺はそう簡単にやられねぇよ」
リヒトの言葉には矛盾がある。
彼は一度、デイブレイクに負けたのだから。
だが、それでも、彼の鳶色の瞳に宿る闘志の炎は消えていなかった。
リヒトは単身、死地に赴く。
そしてそれを止める為の言葉を、ハインリッヒは持っていない。
それこそが、彼へ投げかけた言葉の正体であることを、彼女自身が気づくことは無かった。
「私が言っているのは貴方が早急にやられては作戦が成り立たない、という事です。貴方の心配ではありません」
「相変わらず毒舌だな……。だからこそ、オルタに美味い所を譲ってやったんじゃねぇかよ。俺が旧式の雑魚どもに負けることなんてありえねぇ」
「だといいのですが……」
車両が速度を落とし始め、砂嵐も少しばかり弱まっていた。
リヒトは車を降り、不満気に息を吐いて砂嵐に聳える影を見た。
そこには、先日の戦闘を行った廃墟である教会がある。
イナド達人民解放部隊が、敵対していたレジスタンスを撃退できなかったのには、訳があった。
それは彼らの持つ武器があまりにも強大で、大事にしなければ撃退は難しい、とされていたからだ。
その武器はリヒト達の活躍もあり、振り翳される事はなかった。
しかし、今一度。
リヒトはそれを使って、戦場へと舞い戻る。
「よくこんなモン隠してあったな……連中はどうやって手に入れたんだ?」
「恐らく最初にデイブレイクが介入したときに軍へと配備された物を横流しされたのでしょう。当時は資金繰りにはこのようにして武器の横流しをしていたものですから」
「デイブレイクも世知辛いな……」
リヒトが呟く。
それと同時に、ノイズ特有の耳障りな音と共に耳につけた小型通信機が声を上げた。
『―――こちら、作戦本部。聞えますか、ハインリッヒさん、リヒトさん?』
「おー、ばっちり聞えてるぜ。流石は“天才”か?」
「感度良好。通信に問題は無いようですね」
耳に流れ込んでくるイナドの言葉に、リヒトは感嘆の声を上げて茶化した。
このイヤホンタイプの小型通信機を作った本人であるハインリッヒは、無表情のまま言葉を促す。
『作戦の準備が整いました。そろそろお願いします、リヒトさん』
「了解!」
リヒトは、教会の中に潜んでいた巨大な影を見上げた。
まるで品定めするような赤い瞳が、リヒトを見下ろす。
薄汚れた布を羽織ったそのシルエットは、暗闇の中で視認する事は難しい。
だが、リヒトにはそれが旧知の友のように理解できた。
「……また、使わせてもらうぜフェリア」
レジスタンスが持っていた切札。
それは、教会の中に納まるほどに小さなジョーカーマシン。
その名は―――
* * *
強力な砂嵐は、時として磁気を孕み、通信機器を狂わせる一因となる。
特に今日のような前を見る事も難しい砂嵐の日には、通信など不可能となるだろう。
しかし、彼らは違う。
彼らの耳に一様に取り付けられた通信機器は特殊なものであり、このような砂嵐の中でも自在に通信をすることが出来る。
連携の取れた動きであっという間に敵の本拠地へ―――即ち、この地の軍事基地へと侵攻していた。
基地にある防衛兵器は未だ沈黙している。
解放戦線の先頭を行くイナドは、今、迷っていた。
ここで躊躇い無く踏み込むか、それとも、用心深く様子を探るべきか。
少しの逡巡の後に、後ろを来る同志の姿をちらりと眺めた。
顔の大部分は砂漠迷彩柄の布に覆われて表情を窺う事は出来ない。
が、ありありとしたやる気が、熱意が、願いが、熱気となって、イナドの背中を押す。
ならば彼が次にするべきことは、“突入の報せ”だった。
「―――こちら、作戦本部。聞えますか、ハインリッヒさん、リヒトさん?」
『おー、ばっちり聞えてるぜ。流石は“天才”か?』
『感度良好。通信に問題は無いようですね』
通信機の性能は、ここまで無事に彼らが接近できた事が証明している。
感謝の念を覚えながらも、それを言葉にして伝える時間は無い。
「作戦の準備が整いました。そろそろお願いします、リヒトさん」
『了解!』
リヒトの言葉は力強く響き、イナドの決意をより強くさせた。
“作戦”の中で最も危険な役目であるのは、リヒトである事は間違いない。
だからこそ、彼の立てた目標は“被害を最小限に抑えること”。
勿論、その中には死にたがりと揶揄された“英雄”の事も入っており―――だからこそ。
「皆さん、予定を変更します。これから私達も“囮”として突っ込みます。嫌だと思う方は、今、部隊を離れて下さい」
彼は危険な場所にも、平気で飛び込む。
それは“英雄を死なせてはならない”という理屈では理解できない義務感であり、優しさ。
そんなリーダーの声に賛同する声は無い。
ただ、彼らは手にした銃器を掲げ、一発の弾丸を放った。
それこそが人民解放部隊の賛同の声であり、覚悟の声。
一つに重なるほどに綺麗に澄み渡った銃声は、必ずや敵の耳へと届いただろう。
だからこそ、イナドは口の端を上げて、笑む。
「行きましょう。祖国を取り戻す戦いへ」
砂嵐の中、敵の基地から発せられる五月蝿いサイレンははっきりと聞えた。
地面を耕すように降り注ぐ銃弾を覚悟し、その手にしたちっぽけな獲物を握る。
全ては故郷の、そして、英雄のために。
* * *
慌てに慌てた空気が、男は好きではなかった。
彼自身はどっしりと構えて、余裕を持った状況が好ましいのであって、このような浮ついた状態は大嫌いといえるほどである。
「何を愚図愚図しておる!!早く撃退するのだァッ!!」
『し、しかし、砂嵐で連中の場所が特定出来ないのです……!』
「ジョーカーマシンを使え!!どんな手段を使ってでも、蹴散らすのだッ!!」
だからこそ、通信機の向こうへと青筋を浮かべて怒鳴った。
管制官相手に怒鳴っても仕方が無いのだが、今の彼は知る由も無い。
ただただストレスをぶつけられた管制官は萎縮しながら、軍人へと緊急出撃の旨を伝え続けるのみ。
「……クソ、愚図どもが!テロリストの巣を見つけられないどころか、襲撃されるとは、恥さらしの能無しどもめ……!!」
苛立ちを篭めてデスクを叩く。
我慢が聞かないのもこの指揮官の特徴であった。
イライラしながら実に34回目の舌打ちをしたとき、彼の隣に居る男は厳かに口を開いた。
「―――落ち着いてくださいミスタ・ラディン。所詮はテロリスト……大衆のように迎合できない有象無象の集まりです」
「そんな輩に攻められているのだからこうしているのだろうがッ!!」
「そんな輩にこの基地を攻め落とせるほどの戦力があるとお思いですか?」
その言葉に、ようやくラディンと呼ばれた指揮官の怒気はなりを潜めた。
代わりに生み出されたのは、猜疑心に満ちた瞳だ。
「……本当に貴様はデイブレイクの者なのだろうな?」
「疑うなら、窓の外をご覧ください」
ラディンが窓の外を見ると、砂嵐の中で整然と揃ったジョーカーマシンが見える。
それら全ては新品同様の物であり、決して裕福とは言えないこの国家にあるべきものでは無い。
「あれら全てを用意したのは、私でございます。何を疑う要素がありましょうか?」
ラディンが見た男の片眼鏡が怪しく光り、爛々とした瞳が笑った。
愉悦。
それだけを感じる、子供のような幼稚さを感じさせる笑みだ。
そんな男に疑わしき目を向けていたラディンだが、苛立ったように舌打ちをして目線を外へと再び向けた。
今まさに、鋼鉄の兵士は飛び立とうとしていた。
手にした火器は、人間で構成されたレジスタンスなどゴミのように吹き飛ばすだろう。
それ以前に、圧倒的な質量差で踏み潰すだけでも事足りるというもの。
砂嵐を切り裂き発進していくジョーカーマシンを見て、ラディンは冷や汗を浮かべる。
ラディンは胸に渦巻く言いようのない不安を抑えることは出来なかった。
それは、生物が持つ本来の野生が警告する危機。
即ち、命の危険を伝える警戒信号。
それが何から発せられているのかは、今の堕落したラディンには察することは出来なかった。
「発進の言質もいただきました。貴方は無用の長物です」
首筋から、黒ずんだ鉛玉が飛び出し。
次の瞬間、砂漠の国に似つかわしくない高級なデスクには血が流れた。
持ち主の血を吸って光り輝く姿はまるで、今の男自身のようであり、口の端をゆがめる。
「さて……私も準備しますかね」
言い、男は黒い修道服を脇に抱いて部屋を出た。
がらんどうとなった指揮官室には、ただ、血の匂いだけが充満していた。
* * *
鋼鉄の巨人、ジョーカーマシン。
手にした火器は強力な火力と引き換えにした機動性を、両立させるに至る兵器。
その装甲には生半可な火器は役に立たず、それゆえ、各陣営はジョーカーマシンの獲得に躍起になった。
その製造法を秘匿し、独占した国家から漏れ出した設計書。
それを利用し、ジョーカーマシンを配備し、戦争のきっかけを作ってしまった国家。
とある国と国との争いは、やがて全世界に波及し、それは史上最悪の第三次世界大戦を生み出してしまった。
その影響はこの砂の国を根底から変えた。
国軍のクーデターが成功し、軍事的指導者がこの地の実験を握った。
その頃からこの国は発展を放棄し、町では貧しい住民があちこちで倒れた。
だからこそ、彼は反旗を翻したのだ。
そして今、彼らは世界で最大の危険地帯に生きている。
即ち、“ジョーカーマシンの射程範囲”である。
「―――ッ!!第一部隊は散開して下さいッ!!」
彼の号令に答える兵は何人ほど残っているのだろうか。
ただ、彼らは瞬間に蜘蛛の子を散らしたように市街地の一部へと隠れ潜んだ。
ジョーカーマシンのパイロットはその全ての逃げた先を把握することは出来ないだろう。
案の定、ジョーカーマシンはただ、その場で立ち尽くすのみだった。
「磁気嵐に加え、この視界不良……条件は有利ですからね、私たちに……」
磁気を含んだ嵐はジョーカーマシンの索敵能力を麻痺させ、砂嵐は視界を遮る天然のジャミングだ。
こんな砂嵐の中でジョーカーマシンから人を探すのは不可能だろう。
一先ずのかく乱に成功したイナドは、一度だけ息を吐いて通信機を手にした。
『こちら第二部隊!三機目のジョーカーマシンを視認!』
『第四部隊!ジョーカーマシンを撒くことに成功しました!』
『近辺の一般兵を掃討完了。第七部隊は待機します』
耳に向けて次々と流れ込んでくる情報は、イナドの口の端を歪めさせた。
ここまでは順調だが、本番はここからだ。
全ての作戦を成功させなければ、全員が死ぬ。
そんな一蓮托生の男たちだからこそ、彼を信頼していた。
背もたれにした石造りの廃屋は冷たく、イナドは手にした銃器を再び握りなおした。
彼はここまでに、一度しか発砲していない。
ジョーカーマシンに小銃如きでは太刀打ちできない事を知っているからだ。
「ご苦労様です。後は待機です……合図があるまで」
最後の通信にそう返すと、イナドは砂嵐に塗れた大通りを見た。
そこには黒い巨大な影がある。
ジョーカーマシンは時折、威嚇のように火器を起動させるのみだ。
ふと、思う。
イナドにとって、彼はまさに“唯一の希望”と呼べるようなものであった。
圧倒的な相手であるアルカナマシンに向かって挑む姿は、まさに英雄であった。
「……私達はこれより、本来の作戦へと戻ります。貴方には厳しい戦いになるでしょう」
しかし、彼が握りしめた拳からは血が流れていた。
悔しさか、悲しみか、怒りか。
真相は本人の心のうちにしかない。
「だけれども、この地に生きる戦士の誰もが貴方の生還を願っています……だから」
ただ一つだけ明らかになったのは、彼はどうしようもなく悩み、生きる、“人間”なのであると言う事。
―――だから、イナドは彼を慕うのだ。
「頼みましたよ……リヒトさん」
手にした通信機に呟く。
声に応える声は―――銃声。
『“英雄”ってのは、どんな死地からでも生還した人間につけられるモンなんだとよ』
大通りのジョーカーマシンは、増えていた。
そして一方のジョーカーマシンは散々に銃器を振り回す。
が、それはもう一つの影に掠ることもない。
『ましてや俺は“三英雄”の中の“英雄”。絶対に倒れない男だぜ?……だから』
ついに、影が影を捉えた。
次の瞬間、倒れ伏すジョーカーマシンと、露わになるジョーカーマシン。
『任せろ、イナド!!』
砂色のマントを羽織った小柄のジョーカーマシン。
灰色で彩られた全身の装甲からは何も“ヒーロー性”は感じられない。
だが、そのシルエットは紛れもなく―――
『“粉砕機試作機”……行くぜ、三下共ッ!首を洗って待っていやがれッ!!』
英雄と呼ばれた男が、砂の都で咆哮した。
お久しぶりに書きましたです。
そろそろ三英雄個別編も終わりに近づいてきたので、気合い入れて書きたいと思います。