第三十五話 同じ想いを持つ者
砂塵が吹き荒れる砂嵐の日は、現地の住民は殆どが家に篭るものだ。
数分歩くだけで髪や肌、衣服の中、果ては口の中まで砂だらけになるような環境を好ましいものと思う者がいる筈も無い。
故に、彼らにとってはこの砂嵐は"天からの恵み"にも等しいものだった。
砂に彩られた旧市街地。
崩れかけた建物や風化した岩が連なるこの土地は、かつての内紛で失われた都だ。
それでも原型はまだ残されており、市街戦と呼べる戦闘を行うには十二分なほどに建物は残されていた。
中でも特に目立つのは市街地の中央にある巨大な教会だ。
信仰心の篤い者の多いこの地方では、恐らく最大規模だったもの。
それ故、彼らはそこに身を隠した。
来る戦いの時のため。
そして、いつか自らを押さえつける傲慢な者に牙を突きつけるため。
彼らにとって、それは"聖戦"だ。
全ての民衆に代わり、"不当に私服を肥やす軍部"に天罰を。
彼らには譲れない信念があり、それを果たすためにはあらゆる手段を用いる事にしてきた。
尤もそれは、リーダーの思惑とは到底"かけ離れた"ものであるが。
今回も、そう。
赤銅色の肌をした男が抱える少女。
それは彼らにとっての"切札"だ。
数度、男達が言葉を交わす。
それは少女の親である軍内部の男から電話越しに伝えられた言葉であり、同時に、彼らの要求を表すものだった。
男達の顔色が心なしか安らぐ。
要求に対して首を振った軍人の賢明さに感謝すると同時に、懸念。
"果たして、これで本当に上手く行くのか?"という、勘繰りにも似た思いである。
リーダー格の男は静かに頭を振った。
吐き出された言葉は、“恐れるな”という鼓舞。
だが、その面には不安の色が今も滲んでいた。
それも仕方の無い事だ。
如何にこれまで完璧に物事が進んでいたとしても、一瞬にして全てが崩れ去る事もある。
彼は第三次世界大戦でその事を学び、この辺境の砂の都で、王になろうと決意した。
そんな元軍人として勘が囁いている。
“このまま終わる筈が無い”、と。
彼の身体が震える。
砂嵐の吹き荒ぶ音に負けずに響いた鐘の音が、教会に集まった十数人の同志の鼓膜を叩いた。
何人かの男は驚きを浮かべたが、直ぐにほう、と溜息を吐いた。
その中で、リーダー格の男だけが長年の勘を頼りに、未だ警戒を続けていた。
鐘は、人間が機械の力を借りて鳴らすもの。
教会に設置された鐘は重く、とてもではないが自然の風で動くようなものではないはずだ。
ここは―――人の居ない、廃墟の都。
「―――ちょっと、気付くのが遅かったね」
教会に響いたのは、この剣呑な場所には似つかわしくない、歳若い少年の声だった。
馬鹿にしたような響きで、余裕に満ちている。
そんな声を発することが出来るのは、無知なのか、相応の実力を持つという事なのか。
男達が視線を彷徨わせると同時に、何人かが倒れた。
間髪居れずに響いた遠い銃声に、彼らはようやく肩にかけていた突撃銃を手にすることが出来た。
だが、彼らに出来たのはそこまで。
続いて響いた銃声は近く、教会の中でのみ反響した。
「油断してるから、こうなっちゃうんだよ。慢心が隙を生む、ってね」
少年の声が響き、男たちは全員が教会の上部を見上げた。
吹き抜けて造られた大聖堂を見下ろす形で設けられたバルコニー。
そこから、一人の少年が大人達を見下ろしていた。
白に染め上げられた髪と、あまりにも冷徹な視線。
ただなるぬ気配を感じた男達は、銃爪に力を入れるのを一瞬忘れた。
それが致命的な隙であったことを後悔するのは、彼らが血溜まりに倒れ臥してからの事。
「全くです。如何に私達が"可憐"で"純真"な少年少女であっても、油断だけはナンセンスと言えましょう」
声を上げたのは、先ほどまで人質として震えていた少女だった。
その手では、最初の狙撃で倒れた男の手から拝借した突撃銃が硝煙を燻らせている。
あまりにも唐突の変貌。
そして、想定外の事態に男達は思わず目を泳がせた。
リーダー格の男だけは焦りながらも、冷静な視野を保っていた。
見下ろす形となっている少年の手には武器は握られていない。
ならば、未だに弾倉の残っている銃を手にした少女の方が数段、脅威だ。
男は隠し持っていた拳銃を、気取られないように少女へと向けた。
少女は気付いていない。
男たちが上手く、リーダー格の男の手の銃を隠してくれている。
今が、好機か。
銃爪に、力が入る。
次の瞬間に響いた破裂音は、彼が思ったよりも遠くから響いた。
「―――あぁあああぁあああッ!?」
「どさくさ紛れで何しようとしてんだよ、この野郎」
少年のものでも、少女のものでもない声は、リーダー格の男の居た祭壇の背後から聞えた。
人を小馬鹿にしたような声は若い男のものである。
聖女の像の後ろから、のそりと這い出した男の手には黒色の拳銃。
しかし、腕を撃たれパニック状態に陥った男にはそれを確認する余裕も無い。
「ピーチクパーチク五月蝿ぇな。男なんだから、腕の一本ぐらい我慢しろ」
悶え倒れた男を見下ろして、若い男が言った。
油っぽい黒神が一陣の風で揺れ、鳶色の気だるげな瞳が覗く。
暗緑色のコートを腰に巻いたその男は、口の端を不機嫌そうに歪めた。
「それとも、なんだ?今直ぐに頭を吹っ飛ばされてぇのか?分かったら下手な演技は止めて、拳銃を捨てる事だな」
その言葉を聞いて、男は観念したかのように拳銃を投げた。
出血が止まらない腕を押さえながら、忌々しげに闖入者を見上げる。
「手前ぇ、一体誰だ……何の目的で!?」
怒り散らした男の言葉に、闖入者、と呼ばれた男は静かに笑った。
しゃがみこみ、男の間近まで顔を寄せる。
「単純だ。俺もお前と同じ。ただ、これが"仕事"だったってだけだ。無論、そこのチビッ子共もな」
「訂正を求めます。何故貴方に子供扱いされねばならないのですか」
「そう呼ばないで、って何度もいったじゃないか……」
二人の抗議の声を無視して、男はにやりと笑った。
その笑み。
リーダー格の男には、どこか見覚えのあるものだった。
「まあ、残りの心残りに関しては奴らにゆっくりと聞いて貰え。尤も、そんな元気があればの話だけどな……」
「何を……ッ!?」
言葉と同時に、教会の門が開いた。
その先に居るのは、数十人の武装した男達。
砂色の野戦服を着た彼らは、誰がどう見ても歴戦の戦士だった。
あっという間に制圧された仲間たちを見て、唖然とする男。
ゆっくりと立ち上がった"闖入者"は、入り口から吹き込んできた砂に目を細めた。
眼下に広がる光景を見て、再び薄く笑う。
「悪がこの世に栄えた事は無い、ってな。一つ賢くなれたな、似非"レジスタンス"さんや」
「貴様……!」
男は怒る、しかし、それを気にする事は無い。
突入者の後ろで指揮を取っていた男にリ-ダー格の男を引き渡し、にやりと笑むだけだ。
「後は、そっちでどうにかしてくれよな。俺は疲れたぜ」
「ありがとうございます、了解です」
その時、男はふと、思い出した。
あれは、かつてこの都の軍人としてこの男と相対した時の事。
圧倒的な速さで全ての軍人を“狩り尽くした”、反則的な力を持つ男。
その男は、今、目の前に―――
「“死神”……!お前、死神か……!?」
男の瞠目に、"闖入者"―――“死神”は、不気味な笑みを浮かべた。
その頭を掴みあげ、目線を合わせる。
鳶色の瞳は、確かに怒っていた。
「そんな渾名は知らねぇな……俺は“英雄”、リヒト・シュッテンバーグだ」
「え、えいゆう……?」
興味を失ったように男を突き放すと、伸びた前髪をかき上げた。
憂鬱気にため息を吐いて、いつの間にか殆どの人が消えた教会を見渡す。
「周りにも敵は残ってなかったみたいだね……意外と楽に終わってよかったよ」
「とにかく、これで最後です。部隊は整いました」
少年と少女がリヒトの周りに集っていた。
リヒトは二人の声を聞くと、虚空を見据える。
「―――ついに、第一歩だな」
にやり、と獣のような笑みを浮かべる男。
その名は、リヒト・シュッテンバーグ。
第三次世界大戦の"英雄"にして、現在、国から追われ、消息不明とされている男である―――
* * *
―――事が始まったのは、彼が目覚めた数週間前の事だった。
「………ッ!?」
目覚めた黒髪の男、リヒト・シュッテンバーグは見慣れぬ光景に息を呑んだ。
それは一面が白い、病室であった事に由来する。
最後の風景―――リヒトは記憶を思い返し、そして頭を抱えた。
堕ちていく身体。
伸ばした手。
届かない、フェリアへの叫び。
そして、フェリアの心の叫び。
「……くそッタレが!」
拳を柔らかなベッドに叩きつけた。
後悔や絶望が頭の中を巡るが、リヒトはそれを堪える。
今はただ、前だけを見据える。
それだけがリヒトに許された唯一の“努力”。
現状一番にやるべき事は―――状況の把握か。
「何も置いてねぇのかよ……シケた病室だな」
リヒトは辺りを見回すが、この位置情報と状況を把握できるようなものは無かった。
嘆息し、己の身体の状況を調べる。
幸いな事にあの高さから落ちていながらも、身体には大きな怪我は無いようだ。
「しかし……この包帯は巻いているってか、無理矢理巻きつけたって感じじゃねーか」
全身に巻かれた包帯はかなり大雑把で、相当がさつな人間がこれを巻いたのであろう事が窺える。
雑な扱いを受ける事に懐かしさを覚えながらも、リヒトは自分に与えられたベッドを覆っていたカーテンを引いた。
「………」
「……うぉッ!?」
そこには、二人の人間の姿があった。
二人とも身長はリヒトよりも数段低く、まだ子供と呼ばれる年齢である事が窺える。
「………目が、醒めましたか」
一人は、少女だった。
大きな白衣を身に纏った、理知的な少女といった風貌。
それに似つかわしくない無造作なままの金髪が、少しだけ揺れていた。
「大分前に目覚めてたって知ってて覗いてたんでしょ、博士……」
もう一人は、少年。
柔和で温和な顔立ちであるがゆえに、それが益々彼を幼く見せている。
しかしながらその鶯色の瞳は真っ直ぐにリヒトを見つめており、氷のような冷静さを持ったものだと理解できた。
「お、お前らは……?」
リヒトが呻くように零した呟きを聞いて、少女は言った。
「私達は貴方の味方です。“英雄”リヒト・シュッテンバーグ」
「そうそう。ここも僕達の仲間……っていうか、リヒトさん自身の仲間のアジトさ」
捲くし立てるような言葉に、リヒトはしかめっ面を浮かべた。
二人の子供から説明を受ける半裸の包帯男、という状況を意識したわけではない。
ただ、目の前に居る二人の姿が異質であり、それゆえ、リヒトの経験が“警戒”を促したからだ。
「……で、俺は何故ここに居る?俺の乗っていたモノはどうした?何故、お前らは俺を味方だという?」
「ちょっと待って。そんな一杯質問されても答えられないよ……」
少年はしょんぼりと眉尻を下げた。
代わりに、ずいと前に出てきた白衣の少女が口を開く。
「まず、一つ目の質問ですが、私達が助けたからです」
「……ちょっとばかし答えになってねぇな。お前等、俺がどういう状態で気を失ったか知ってるか?」
「勿論。気を失っていた貴方を“グラインダー”から引きずり出したのは他ならぬ、私達ですから」
少女の言葉に、リヒトは俄かに瞠目した。
が、それを悟られぬように平然とした表情を作る。
「驚くのも無理は無いね。何せ、グラインダーの事を知っているのは、貴方にとって敵か味方かでしかないもんね」
「……お前らは、味方だってのか?」
「無論です」
少女の氷を思わせる感情の込められていない言葉には、力強さがあった。
リヒトは半信半疑のまま、二人の姿を改めて見つめる。
しかし、少年少女というカテゴリに属するであろう味方は、かつての仲間の関係からも見出す事は出来なかった。
「グラインダーはリヒトさんの信頼できる者に任せています。修理も終えました」
「一体、何が―――」
「目的は一つ」
リヒトの言葉を遮る少年。
その顔には柔和な表情の中に隠された決意があった。
「僕達も君と似たような理由で、戦わなくちゃいけないんだよ。リヒトさん」
「似たような……?」
疑問符を浮かべるリヒト。
少女がリヒトを真っ直ぐと見つめ、その名を名乗った。
「私の名はハインリッヒ・アウロラ。かつてデイブレイクでフェリアと共に“グラインダー”の研究をしていました」
「僕の名はオルタ。ハインリッヒ博士の部下で、グラインダーのテストパイロットとして“試作機”を操っていたんだ」
その言葉を聞いたリヒトは、一瞬、呆けた顔を浮かべる。
次の瞬間、言った。
「はぁああああッ!?こんなガキが!?」
「失礼ですね。私は“天才”と呼ばれた博士ですよ」
「僕だって、リヒトさんには負けないくらいにはグラインダーを扱えますよ……?」
リヒトの大声は二人の苦言を引き出した。
が、それでもリヒトの驚愕は消えず、ただ、顎が外れてしまったかのように大口を開けたまま固まっていた。
「おいおいおいおい!フェリアといい、ファウストといい、チビッ子といい、デイブレイクにまともな人間はいねぇのか!?」
「元・デイブレイクです。間違えないように」
「そんなことより、これきっと馬鹿にされてるよ、博士」
―――なんてヤツらだ、デイブレイク。
リヒトは自分の思考が最早追いつかない事を感じた。
その結果、彼は自分の思考を放棄することにして、次の疑問を聞くことにする。
「……まぁ一万歩譲ってお前らが元・デイブレイクの連中だったと信じよう」
「ありがとう御座います」
「しかし、だ。お前らが俺に協力する―――いや、違うな」
先ほどまでの間抜けな表情から一点、嶮しい顔つきで問う。
「お前らが俺を利用して、何をしようとしている?俺と“似たような”目的とやらを教えてもらおうか」
「……そのままの意味だよ、リヒトさん」
少年、オルタの声は真剣そのものであり、同時に、どこか切迫したものを感じた。
少女、ハインリッヒもまた、声に薄っすらとした緊張感を乗せて言い放つ。
「私たちの目的は、貴方と同じ。つまりは、“デイブレイクの打倒”。そして―――」
ハインリッヒの口から放たれた言葉は、ある種、リヒトが望んでいたものだったのかもしれない。
その言葉を聞いた瞬間、リヒトの脳裏には一人の女性が浮かんだのだから。
白い髪、山吹色の瞳、その冷徹な表情。
その名は―――
「―――フェリア・オルタナティブの救出」
「………」
「協力して貰えますか?“英雄”リヒト・シュッテンバーグ」
少女の声に、リヒトは薄く笑った。
答えは、数週間前の、フェリアが連れ去られたあの日に決まっていた。
「俺には今、頼る物がねぇ。お前らが俺に何をくれるってんだ?」
「“天才”と呼ばれた頭脳。そして、フェリアを確実に取り戻すための策を」
「上等だ」
リヒトは笑い、ハインリッヒに手を差し出した。
一瞬呆けたように動きを止めたハインリッヒであったが、次の瞬間にはその手を取る。
「これで俺達は仲間ってか?」
「そうですね。今のところはそう言う事です」
「可愛くねぇガキだぜ……」
リヒトは表情一つ変えないハインリッヒを見て、フェリアを思い出していた。
一番最初に出会った時のフェリアも、このように完全な無表情だった。
既視感と共に、リヒトは確信に近い何かの感覚を得る。
この少年、少女は“仲間”である、と。
「―――どうやら纏まったようですね。話の方は」
「はぁ……っ!?」
リヒトが反応した声は、すぐ隣のベッドの下から聞こえた。
ぬるり、といったふうに這い出てくる男は、リヒトには見覚えのある姿。
「お久しぶりです、リヒトさん」
「イナド!?お前どっから出てきてんだよ!」
「無論、ベッドの下からです」
緑色のバンダナを頭に巻き、細う鋭い眼は今は柔和に笑んでいた。
それは、かつて出会った時と何一つ変わらないままのイナドの姿。
「驚かれましたでしょうか?」
「心臓にショックを受けるくらいにはな……」
げんなりと呟くリヒトに対して、イナドは嬉しそうに笑った。
サプライズは成功ですね、と呟く辺り、かつてリヒトに言われた言葉を覚えていたのだろうか。
リヒトの隣にいるオルタは苦笑いで、ハインリッヒはいつも通りの無表情であるが。
「お話は聞かせていただきました、全て。私達も協力しますよ」
改めて向き直ったイナドは、一転し真面目な口調でそう告げた。
リヒトは理解する。
ハインリッヒが言った、“リヒトさんが信頼する者”とは、“人民解放部隊”の事か、と。
「成程……グラインダーを回収したのも、人民解放部隊がやった事か」
「私達が共通に知り合いに、橋渡しを頼んだのです。彼らは遠くまで駆け付けてグラインダーを回収してくれました」
「パートナーですね、持つべきものは」
イナドが満足そうに言う。
しかし、リヒトはその裏にある意思を感じ取っていた。
決して、リヒトを助けたのは善意だけではない筈なのだから。
「……で、イナド。俺達に何をしろと言うんだ?」
「流石、リヒトさん」
驚く素振りもなく、イナドは思惑を見抜いたリヒトに称賛の拍手を送った。
リヒトはそれをあしらいながら、話の続きを促す。
イナドは笑みを浮かべたまま、“要求”を突きつけた。
「単刀直入な事です。私たちは、この地の支配体制を終わらせようと思っています」
「そのために必要な力を貸せ、か?」
「はい、その通りです」
この地はかつて、デイブレイクから支援を受けた国の軍隊が圧政を強いていた。
その体制はデイブレイクという後ろ盾が離れた今でも、どうやら変わらずに続いているらしい。
それを打倒するのは、“人民解放部隊”にとっての悲願なのだろう。
「また、死神と呼ばれるのか……」
「嫌なのですか?」
「嫌だね。俺はあんな中学生みたいな渾名は嫌だ」
苦い顔をするリヒトに、呆れたように笑うイナドとオルタ。
しかしながら、そんな矮小な理由で好機を棒に振るリヒトでは無い。
「条件がある。フェリアを探し、デイブレイクを倒す俺達の目的にも協力してくれ」
「人民解放部隊の戦力は、十二分。役に立つ事でしょう。協力をお願いします」
「頼む!」
二人の嘆願に、イナドは息を吐いた。
それは呆れたような優しいものであり、リヒトは緊張の面持ちを緩めた。
「最初から言っているじゃないですか。“私達”も協力しますよ、と」
「助かる―――」
「その通りです。隊長の言うとおり、私たちも彼らにお世話になったのですから」
「うわぁあああッ!?」
「ひっ!?」
リヒトの驚きの声とオルタの短い悲鳴が響く。
その正体は、ベッドの下から突如這い出てきたもう一人の男の存在だった。
きっとフェリアが見たら、それはかつて彼女を“エスコート”した男だと分かっただろう。
だが、残念ながら今の彼らには“ベッドの下から現れた意味不明の男”の印象が強い。
「部下もこう言っています。私達は、助力を惜しみませんので」
「全力の限りを尽くしましょう」
「お前らは、揃いも揃って、心臓に悪いんだよ!」
リヒトの言葉に反応したように、隣のベッドのシーツが動いた。
オルタが冷や汗を浮かべ、リヒトは顔を引きつらせる。
「まさか……」
「おやおや。みなさんリヒトさんが心配だったんですね」
直後、リヒトの居た人民解放部隊隠れアジトの医務室は、イナドの仲間達で満たされたのだった。
* * *
―――そんな、リヒトの目覚めから数週間。
人民解放部隊に仇を為すレジスタンスを倒し、後顧の憂いを絶った。
それはつまり、この国の武力の象徴、軍部に対してクーデターを仕掛ける時が来たという事。
リヒトは夜風に吹かれながら、先ほど行われた全体説明の様子を思い出していた。
沸き立つ仲間達は、祖国を開放できることを喜んでいた。
一方、ハインリッヒとオルタはこれからが本番だ、というように緊張した面持ちだった。
尤も、表情の変化に乏しいハインの感情は読み取れなかったが。
このクーデタ-を計画した張本人であるイナドは、いつもと変わらない様子だった。
飄々とした彼の態度にはきっと、何か裏があるのだろう。
「助っ人、ねぇ……」
イナドの言によれば、この戦いには欠かせない助っ人がいるらしい。
最初はリヒト達の事かと思ったが、彼らは作戦らしい作戦には組み込まれてはいなかった。
ならば、一体誰なのか。
リヒトはそれが“三英雄”―――いや、“対デイブレイク戦線”の誰かであることを期待していた。
だが、現実はそう甘くない。
「ベルランドが昇進し、軍の幹部クラスに。アイクは全国的なお尋ね者に―――か」
仲間たちを思い出し、手にしていた酒を少しすすった。
味は分からない。
だが、星空を見つめる瞳は絶望に染まってはいない。
瞳の中にあるのは、一筋の光明だけ。
フェリアの友であるというハインリッヒに、アルカナマシンのパイロットであったオルタ。
彼女らの話は、フェリア自身が一度語っていた。
それはあくまで与太話に近いものだったが、こうして今、それが現実になっている。
―――私に何かあれば、きっと彼女達がお前の味方になる。
「自分の心配をしてろってんだよ、あのバカは」
呟く声は夜風に掻き消されそうなほどに弱い。
が、それは決して弱い想いでは無い。
「お前もそう思うだろ、ハインリッヒ」
「何の話ですか」
いつの間にか背後に居たハインリッヒに、リヒトが声をかけた。
振り返ることすらしないリヒトの隣にハインリッヒは立つ。
「ところで、お前はフェリアとどういう関係なんだ?同僚?」
「同僚であり……彼女の言葉を借りるなら、親友、といったところですか」
「へぇ……あの鉄面皮に、親友ねぇ……」
ハインリッヒの言葉に、感慨深げにリヒトは呟いた。
殆ど表情を変えなかったあのフェリアに、親友がいたこと。
それは彼女も人間なのであることの証明であり、何故か、胸の内がすぅ、と澄んだような気がした。
「だからこそ、これからの戦いは負けられません」
「フェリアを助けるための戦いだから、か」
親友。
リヒトにとっては、“対デイブレイク戦線”の面子がそれに当たるだろう。
彼らを助けたいという想いは、リヒトにも十分に理解できるものだった。
―――故に、彼は“グラインダーを手放した”のだから。
「……今更ながら、ありがとうございます」
「何の話だよ?」
「フェリア・オルタナティブの救出に関して、協力していただけることです」
リヒトと同じように夜空を見上げるハインリッヒ。
その横顔はいつになく、年相応のもので、リヒトの心臓は早鐘を打つ。
「私達二人だけでは、到底不可能なものです。が、“英雄”と呼ばれる貴方を仲間に加われば、或いは、可能かもしれません」
「―――っは、関係ねぇな」
リヒトは笑い声を零し、続ける。
「可能か不可能かの問題じゃねぇ。俺は助け出すんだよ、フェリアを」
「しかし、勝算を立てなければ」
「理屈で止まる程度か?お前の“想い”はよ」
リヒトの言葉はぶっきらぼうだった。
が、ハインリッヒはその真の意味を理解し、うつむいた。
「そうですね。だからこそ貴方を仲間に引き入れたのですから」
「それでいい。策士は後ろでどん、と構えときゃいいんだよ」
からからと笑うリヒトに対し、ハインリッヒは無表情。
しかしながら、どこか優しげな目つきを見て、リヒトは益々笑みを深めた。
「次の戦い。軍部の壊滅が成り、この地を開放した後は―――」
「フェリアを救出するためにデイブレイクと決戦、か」
言葉には、確かな感情が籠っていた。
これから襲い来る激戦に対する覚悟と、決意。
フェリアと共に、もう一度星空を見上げること。
そして、言い足りない彼女への文句を並べたててやる。
それが、今のリヒトを―――第三次世界大戦の“英雄”を突き動かす、ただ一つの原動力。
次回、めちゃくちゃ久々のバトルに突入すると思われます。
久々すぎてどうやって書いたらいいかわかりません。
誰か助けてください。