第三十二話 足掻き
最高級のマホガニーで作られた執務机。
豪奢なシャンデリアと世界の様々なワインが並べられた棚。
観葉植物は部屋に彩を与え、程よいクラシック音楽が耳を優しく撫でる。
誰もが羨むような部屋だ。
しかし、そんな部屋の中で満たされぬ渋い顔をしながら書類を捲る男が居る。
「………」
男は部屋に相応する地位には、あまりにも若い。
それは、男にとっても望まぬ待遇であったことは言うまでもないだろう。
渋い顔の一因となっている手元の書類を全て見て、一つ、息を吐く。
その様子を見てねぎらう人間は、今、彼の周りには居ない。
「……全く、難儀なものだな」
彼の元居た場所に居た部下達の顔を脳裏に浮かべ、苦笑する。
どうも彼は、自分が思ったよりも寂しがり屋であることに気付いたらしい。
それは既に、今までの戦いでも分かっていた筈のことではあるが―――
首を回すと、男は不意に立ち上がった。
その手にした先ほどまでの書類を無造作にゴミ箱へと突っ込む。
見ていて気持ちのいい報告書ではない。
握りつぶされた隙間に見えた文字は、“施設職員の生存者は皆無であり”―――と記されている。
「目撃者、関係者、全てを消して証拠の隠滅を図る、か」
先日、軍傘下の研究施設が何者かによって襲撃されるという事件があった。
生存者は一人もなく、犯人はフォードPMCの傭兵達であるとされている。
それが真実であるかどうかは、彼には分からない。
ただ一つだけ言える事は、世間に知らされた情報は決して“真実ではない”ということ。
「これでも中佐になった筈なのだが……やはり、体の良い“飼い殺し”という事か」
だからこそ、彼は“信頼する”彼女を遣わせた。
今頃は現場の土を踏んでいることだろう。
その件を頭の隅に放り、男は再び椅子へと座った。
革張りの触感は心地よく、それが男の苛立ちを加速させる。
かつての仲間を、まだ、一人として見つけられていない。
そんな自分を恥じながらも、着実に前進するための方策を練った。
賭けにも近い、捨て身の作戦だ。
それ故に彼らもまた予測できず、対処も出来ないだろう。
全ては、今の自分の動き次第―――
扉を叩く音がした。
時間を見ると、定期報告を寄越す部下が厳守する時間帯であることに気付く。
「入れ」
「失礼します」
短い言葉の中には、一切の感情が無かった。
扉を開けて恭しく一礼した軍服の男も、その瞳には何も映していない。
そんな男に、敬意も何も抱けるわけが無い。
男にとっては部下だというのに、驚くほど冷めた関係性であった。
「定期報告書です」
「ご苦労、ライズ」
ライズ、と呼ばれた男は再び一礼し、踵を返した。
一度も振り返らずに歩くその姿を、男はまるで機械のようだと思う。
無感情、無感動、無機質。
操り人形に抱く憐憫を向けながら、男は報告書へと目を通した。
代わり映えの無い無機質な文字列の中に、一つだけ、違和を感じる。
「……新型“アルカナマシン”、アモン……だと?」
男の脳裏に様々な疑問が過ぎる。
アルカナマシンの存在、そして、それを軍内部に公表する意図。
そして何よりも目を惹くのが、試験運用の搭乗員の項。
「搭乗員、ベルランド・ヴィスビュー大尉……」
それは実質、報告ではなく、命令書である。
従わなければ、協力者二人の身が危ない。
が、同時に危惧するのは、かつての仲間との敵対。
軍が、そして、その後ろに潜むデイブレイクが相手取るのは、“三英雄”のうちの二柱。
故に危険な不穏分子である、ベルランドを使ってでも討ち取りたいのだろう。
逆らうことは出来ない。
逆らったところで、“新型アルカナマシン”とやらのコントロールを奪われ、反逆者として処分されるのだろう。
ご丁寧にも、“未だ解明されていない機体ゆえの危険性”とやらも説明されている。
「随分と下衆な手を使う」
だが、同時に、これはベルランドが待ち望んでいた展開でもあった。
アルカナマシンを操る実力者を持たない軍では、“三英雄”の一人であるベルランドを使わない手はないだろう。
“御されぬ猛禽”。
それを御すことが出来れば、彼らにとって都合のいいものとなる。
「例えリヒトやアイクを打ち倒す事になろうとも―――今は、まだ」
―――例え他の仲間が倒れたとしても、自分はまだ、終われない。
かつての最愛の人であり、強敵である彼女に、再び出会うまでは。
ベルランドはその書類に捺印をする。
それは決意の証であり、明確な、デイブレイクへの“抗いの意思”。
いつの間にか日は落ち、夕焼けの見える時刻になっていた。
ブラインドを外すと、外に広がるのは真っ赤な夕焼けと、遠くに映る鷹の細工の彫像。
「“御されぬ猛禽”の爪を甘く見るなよ、ミツキ」
* * *
様々な音がけたたましく鳴り響く場所があった。
それは首都郊外に存在する軍基地の一部である、機動兵器研究・開発所だ。
幾人もの研究者が難しい顔をして前を通り過ぎていく廊下の隅に、とある休憩所がある。
ふくよかな男は、そこでコーヒーメーカーを操作して熱々のコーヒーを飲もうと画策した。
「……くそ、やっぱりダメか。魔力の伝達ラグが酷すぎるんだな……。E-32回路を変えてみようか……」
呟きはきっと、彼にしか理解し得ないだろう。
それは専門的な知識を多く持つここの研究者も同様であり、彼が一際飛びぬけた存在であることの証明となる。
他人には理解出来ない悩みを抱え、しかしそれを相談する事は、境遇的にも、技能的にも不可能だ。
それがストレスとなって、彼の体重を数キロ落とす事となっていた。
尤も、それぐらいで丁度良いほどの体格を持つ男なのだが。
「ウエマツ博士……研究は順調ですかな?」
「えぁ?あ、あぁ、オーム所長ですか」
ウエマツの思考を途中で切るように声をかけたのは、オーム所長と呼ばれた壮年の軍人だった。
軍服は新品同様であり、また、その冷徹な瞳からは歴戦の軍人の姿を想像させる。
機動兵器の研究・開発部の研究所所長という肩書きであるが、彼の本質はきっと、頑固な生粋の軍人なのだろう。
「君の研究が我が国の将来を占う事となるのだからね。大事な事だ」
「アルカナマシン“アモン”、及び無人機動兵器“イヴェル”の改良……ですか」
国軍機動兵器研究開発部特別顧問。
それが今のウエマツの立場であり、仕事だ。
「首尾はどうだね?」
「難しいですね。正直、あのデータじゃ量産化にかなり無理がありますよ、アレ」
物怖じせず、ウエマツはあっけらかんと答える。
その言葉に所長は渋い顔をしながらも、乾いた笑いを漏らした。
「はは、そう簡単に行く訳は無いな。まぁ、頑張りたまえ」
「……精精身体が壊れない程度に頑張りますよ」
ウエマツに無謀な注文を出したのはオームだ。
だが、それに答えなければ、ベルランドの策には至ることが出来ない。
今はただ、耐え忍ぶ時。
憎憎しげなウエマツの心模様を知らずに、オームは去り際にウエマツの肩に手を置いて言う。
「君の“家族”も、きっとそう願っているよ」
「……!」
言いたい事を吐き出したか、オームはウエマツとすれ違うようにして別れを告げる。
家族。
その言葉が彼に呪縛を掛ける事が出来ると、オームは知っているのだろう。
オームの後姿を見つめながら、ウエマツは右手の親指を地へと向けた。
「“家族”のために足掻かせて貰うよ……例え、相手が貴方でもね……」
オームへと放った言葉は半分が事実であり、半分が虚偽であった。
ウエマツの技術力は卓越している。
アルカナマシンを作る事など造作も無く、簡易アルカナオーバーなんてものの理論を一から作ることが出来るほどの頭脳。
今更、一機のアルカナマシンを作る事に梃子摺るということは在り得ない。
そして、無人機であるイヴェルの改良など、アルカナマシンを造るよりも遥かに容易いこと。
ならば、何が真実か。
答えはウエマツのみが知っている。
「はぁ……せめて、フェリアが居ればもうちょっと詳しい話を聞けたのかも知れないけどね」
今はそのことを嘆いても仕方が無い。
とはいえ、何かきっかけがある度に思い出してしまうのだ。
かつての仲間であり、今、敵へと降った事となっているフェリアのことを。
彼女はアルカナエンジンについての最高クラスの研究者であり、また、“英雄”の一番の理解者であった。
そんな彼女が、今、この場に居るのだとしたら―――
「……ダメだなぁ、僕は。今はその事は考えないようにとしていた筈なのに」
己の弱さに嘆息し、やれやれ、と頭を振った。
口元に浮かぶ微笑は自分への嘲笑と、少しばかりの、思い出の感情の発露。
それを抱いたまま、ウエマツは手にしたコーヒーカップの中身を啜った。
すっかりと冷めてしまったコーヒーが苦味だけを伝える。
「フーの熱いお茶が、飲みたいなぁ……」
今となっては叶わない願望を呟き、天井を仰ぎ見る。
少しばかり汚れた白の天井は、ウエマツの心のようであった。
* * *
何事も、基本が大事なのだ。
リラ・アーノートは常々そう考えているし、その実戦も怠っていないつもりではある。
それが果たして、周囲の人間にどう見られているかは、彼女の知るところではないが。
「……ダメ、ダメ、これもダメ」
図書館の書物を高く積み上げて、一人唸る。
その顔色は苦々しく、思うようにいっていない様がありありと浮かんでいた。
彼女の周りを埋める書物はどれも、第三次世界大戦に関係するものだ。
“基本を忘れない”リラは、ここ数日、図書館に通い詰めていた。
そして見つけた第三次世界大戦に関する書物を片っ端から読み漁るという行為を繰り返している。
速読という密かな特技を持つリラですら、数日かけて読みきれないほどの量。
しかしその中から手応えは無く、それ故に、彼女の顔はより不機嫌になっていく。
「あぁ、もう!どうしてこんなにあるのに一つも無いのよっ!」
図書館だという事も忘れて、リラが苛立った声を上げた。
周囲に数人居る利用者が目を向けるが、その視線を気にする様子は無い。
ただ、座っていた木製の椅子に背を預け、両手を挙げた。
文字通り、“お手上げ”である。
彼女の調べるべき資料はいくつかあったが、その中でも最重要視されていたのが“過去の戦死者”に纏わる情報である。
それこそが知るべき情報であり、“切札”になりえるものだ―――とは、ベルランドの言だ。
軍部の中にいるベルランドでは、真実の情報を手に入れることはできないだろう。
故に、表立った関係は知られていないリラが、小さな所からこつこつと調べているのだ。
「全く、第一、こんなボロっちい図書館でそう簡単に見つかる訳も無かったのよ……」
図書館に対して酷く失礼な事を言いながら、リラは頭を抱えた。
これでも、首都の中では最も大きく、歴史のある図書館なのだ。
そこから見つからないとなれば、書籍から正しい情報を得るのは絶望的かもしれない。
「本当に、どうするのよ……」
これではいつまでたってもベルランドの計画が進展しない。
“切札”無くして、改革は不可能なのだ。
とは言え、リラもこのまま終わるつもりは毛頭無い。
知らなければならないのだ。
過去の第三次世界大戦における、あの防衛戦の真実を。
―――ロウ・ローレントの最期を。
「……ロウ」
静かに、名を呟いた。
リラの背をいつも慌てたように追いかけていた、その小さな温もりが蘇る。
鮮明な掌の感触、そして、“あの日”の炎の熱も―――
「行くしか、ないかもね」
決意するように、呟いた。
彼女に残された最後の手段。
それは最もジャーナリストらしく、最も原始的な方法である現場への直接取材。
心に決めると、リラは早速立ち上がり、手早く本を片付け始めた。
その瞳に最早迷いや諦めは無く、代わりに、ただひとつのノイズとも呼べる負の感情が渦巻いているのだろう。
目指すべきは、彼女の故郷であり、悲しみの戦史を綴る町。
「セント・マリア……」
瞳にあるのは、かつての“恐怖”。
* * *
「……遅くなったな」
「いえいえ、私達も今来た所ですから」
「流石に大尉は忙しいようだからね。これくらいは待った内には入らないよ」
とある喫茶店に、三人の男女の影があった。
それらはまるで旧知の友のように親しげで、それでいて、どこか緊張感を持っている。
「全員が集ったという事は、ここからが本番という事だね?」
「今こうしているのも、かなり無茶をしたんでしょう?」
ベルランドは一度だけ首肯して、窓の外を見やった。
そこには一台の車が停まっており、その中にはベルランドを監視するための諜報員が乗っている筈だ。
しかしそれでも気兼ね無く協力者と話せるのは、この喫茶店をリラの知り合いが経営していたからだ。
小さな喫茶店であり、それ故に、訪れる客のことなどは全て店主が知っている。
既に店主の協力を取り付けたこの店ならば、諜報員に会話の内容が漏れる事は無い。
「恐らく、俺がこれ以降に接触する事は難しい。特にリラはな」
「という事は、遂に、かな」
ウエマツの呟きに、ベルランドは再び首肯した。
「アモンの初任務が決まった。最悪の形だがな」
「じゃあ、まさか―――」
「恐らくお前の予想通りだ、ウエマツ」
眉を顰めたウエマツに、ベルランドは眉一つ動かさない。
それこそが、覚悟の表れなのだろう。
ウエマツはそれを悟り、敢えて、その続きを促した。
「アモンを使って反体制派と目される連中の拠点を叩く。地方守備隊機動兵器駐屯基地を、な」
「えっ……!?」
リラは思わず、驚き、瞠目し、声を上げた。
襲撃する拠点というのは、他ならぬ、かつてのベルランドの居た場所だったから。
そこには未だ、ベルランドを慕う数多くの部下が居る。
彼らが反体制派であるという事は在り得ない。
ならばこれは―――仕組まれた戦い、なのだろう。
「汚いねぇ、上層部は」
「最初から予測していた事だ。アモンの時ほど驚きはしないな」
冷静に会話を続ける二人の男。
混乱が支配する中でリラに許されたのは、一言、その男の名を呼ぶ事だけだった。
「ベルランドさん……?」
「俺は、やる」
その短い言葉は、リラの心にある何かを明確に打ち砕いた。
もう戻れない、という一種の強迫観念にも似たそれは、弾丸。
それを放ったベルランドは、表情を崩さないで続ける。
「これは好機だ。かつての仲間を始末する事で、忠誠心を上に見せる事が出来るだろう。そうすれば、取り入りやすくもなる筈だ」
「でも、そんなのって……!」
リラの言葉が示すのは、人間として当たり前の感情。
それでいて、今、最も切り捨てるべき感情だ。
「……襲撃は、成功させる。それは絶対に必要な事だ」
「ベルランドさん……!」
一点の曇りも無い声に、リラは抗議を続けようと立ち上がった。
しかし、ベルランドの握られた拳を―――悔しさに震える拳を見た瞬間、彼を知る。
その覚悟を。
その意思を。
その全てを知ったリラに、かけられる言葉は思いつかなかった。
「ま、アモンの調整は僕がやる事になっているからね。そこら辺は安心していいよ」
「助かる」
ウエマツの言葉に、ベルランドが短く感謝した。
それは心からのものであると知っているからこそ、ウエマツはその目に優しげな色を浮かべたのだろう。
その様子を見て、リラは改めて彼らの覚悟を感じる。
全てはもう、戻れない所まで来てしまっているのだと。
「……私の方も、情報を得る伝手を見つけました」
リラは、ベルランドを助けたいと思った。
その揺ぎ無い意思と信念が、彼本来の優しさを取り戻す日が来るまで。
リラは、ウエマツを助けたいと思った。
その優しさと慈愛の心が、志半ばで果ててしまわないように。
「私は暫く、故郷に戻って現地で調査をしてみます」
「そうか、リラの故郷は―――」
だから、何よりも固く決意する。
例え過去の傷と向かい合う事になろうとも。
その手に真実を掴み、彼らに“光”を差して見せると。
話が遅々として進まないように見えるのは仕様です。
話の展開の関係上そうなってしまうのは諦めました。
次の機会があれば、もっと善処する次第でございます。