第一話 美女と英雄
森の中に、その屋敷はポツリと立っている。
夕焼けのように赤い屋根に、中央に聳える不釣合いな尖塔。
広大な庭を持ち、周囲の森は様々な生き物たちが生息している。
それは決して、この世の楽園と言っても過言では無いだろう。
しかし、この建物に普通の人間が立ち寄る事は無い。
それは決して立地条件が悪いとか、ましてや、人が住んでいないといったことでもない。
彼らは恐れているのだ。
この館の主を。
第三次世界大戦中、“英雄”と呼ばれた男のことを。
だから、彼はここに住んだ。
妙な損得目線や、倦厭、好奇の目から逃れるために。
ここを訪れることが出来るのは、日の光と鳥のさえずり、旧知の友。
それと、望まざる来訪者のみである。
「……しつこい奴だ」
森の中を疾駆する影。
長い白髪を靡かせて、黒いコートを身に纏い走る女。
悪路であろう獣道もなんのその、軽業師のような身のこなしだ。
「余りにしつこい男は嫌われるぞ。雑誌に載っていた」
軽口を飛ばしながら、切れ長の瞳で背後を流し見た。
そこにあるのは遠近感を無視したかのように聳える鉄の巨人。
平和なこの森に、余りにも似つかわしくない存在。
ジョーカーマシン・ソードだ。
一対のアイカメラは獲物を常に捕らえ、睨み続ける。
灰色の巨躯は同じく灰色の装甲で覆われ、剛なる印象を受ける。
しかし、その背部にある巨大なバーニアが飾りである筈も無い。
突然、巨人がその拳を握り込んだ。
武装を持たない拳であろうと、人間にとっては一撃で致命傷となる。
だが、それに易々と当たるほど女も甘くは無かった。
素早く横に転がり、何事も無かったかのように逃走を再開する。
「お粗末な操作だ。折角の第二世代機なんだから、もっと努力すべきだろう?」
その機体は機動力と攻撃力に優れた機体であったが、流石に人間を相手取る設計はされていないらしい。
仕方ないこと、とも言えるだろう。
だが、灰色の巨人は突然その両拳を握り込んだ。
まるで祈りのように組まれた拳骨は、一撃の下に女を粉砕する、という気概。
それは、余りにも隙だらけの一撃。
女の隣で、轟音と衝撃。
「地面を叩いてどうする?全く、手が抜けないようだが」
女の皮肉に反応すること無く、巨人はその握ったままの両拳を抜こうと奮闘していた。
両腕の肘関節部分まで埋っていて、簡単には取れそうには無い。
「それでは、去らば」
女は捨て台詞を残すと、暗緑色の森に消えるように姿を消した。
目標は既に、先ほどから見えている。
この分ならば数分で辿り着くことが出来るだろう。
そこからは―――
「彼次第、か……」
逡巡するような瞳。
だが、頭を振る。
まずは、全てを知らせなければならないのだから。
“選択”は、“選択肢”が無ければ選択できない。
「オルタ。ハインリッヒ。リヒト……!」
それは名前か暗号か。
誰にとも無く呟かれた言葉が風に乗って消えると同時に、彼女の目の前に屋敷が現れた。
赤い屋根に、尖塔が特徴的な屋敷だ。
* * *
汚い部屋に、轟音が響いていた。
整理整頓などとは無縁の、積み上げられた本の塔が震動で崩れる。
その麓で眠っていた男の後頭部に、本の角が直撃する。
「……んあっ!?んだよ!?」
間の抜けた声を上げながら、眠っていた男は飛び起きる。
周りを見回し、自分の頭を襲った犯人を知ると、嘆息してそれを除けた。
少しだけ広くなった栗色の長机に、再び頭を突っ伏せる。
もう一寝入りしようと考えた彼に、再び震動が襲った。
覚醒状態ならば、それは確かに知覚できる程度の揺れである。
「―――ったく、寝てらんねぇ。何処のどいつだ、揺らしてんのは」
元軍人である彼には、この揺れの正体が分かっていた。
地響きと共に遅れてやってくる、重い震動波。
大方、爆薬による爆破のものと考えていた。
確かに危険度で言えば同等ではあるが―――彼は、その正体を知ることは無い。
「この近くには鉱山も地雷原もねぇ筈なんだが……」
緩慢な動作で立ち上がる。
ぼやきながら、油っぽい黒髪を掻いた。
だらしなく伸びたそれが、鳶色の薄暗い瞳を隠す。
近くの椅子の背もたれに掛けてあった暗緑色のコートを着込んだ。
彼はそのまま、その部屋を出た。
この地鳴り騒動の正体を探るために。
今居た史書室から、玄関までは遠くない。
空気の冷えた廊下で、彼は背中に走る寒気を感じていた。
寒さからくるものではない。
明らかに、本能からの警告の類。
だが、それでも彼は進む。
安眠を妨害されたことへの怒りと、好奇心が半分ずつの心象で。
洒落た装飾の施された玄関扉を開け、彼はそれを見る。
「―――は?」
目の前には、長い白髪を乱した美女が居た。
真っ黒なコートを筆頭に、ご丁寧にも全身を黒で覆っている。
切れ長で山吹色の瞳は相手を見抜き、威圧感と、異彩を放っていた。
そんな女が、
「捜したぞ。リヒト・シュッテンバーグ」
などと言ったのだから、彼は驚く。
「はぁっ!?」
「もう、来たか。随分と遅かったようだな」
だが、それだけではない。
女の後ろに、鉄色の機械巨人を見た。
「はァああぁああぁあぁああぁあぁあぁ―――っ!?」
素っ頓狂な絶叫を上げて、彼は。
―――“英雄”リヒト・シュッテンバーグは驚きの瞠目をした。
* * *
薄暗い森の中、一人の男が座っていた。
傍らには巨大な黒の物体が鎮座しており、それは高く、男に影を落としていた。
「ヒャハハ、マヌケの“贄”がようやく追いついたか!」
心底楽しそうに、男は下品な笑い声を上げた。
彼が目を落としているのは、地面に直接置かれた携帯電話のモニタ。
そこに映される映像は彼が“贄”と呼んだジョーカーマシンのメインカメラと繋がっている。
「それにしても、随分とヒョロい野郎だなァ。あんなんで“アルカナ”に乗れんのか?」
眉を寄せて男は言った。
だが、その疑問を振り払うが如く、男は己の頭を叩いた。
それはまるで、自らに気合を入れるような仕草である。
「一丁揉んでやるか……ま、揉む、で済めばいいがなァ」
くつくつと笑いながら、男は立ち上がる。
傍にある黒い巨大な物体の脚を愛しそうに撫でた。
置かれたままの携帯電話から轟音が響いた頃、彼はその脚の後ろへと姿を消す。
その姿を見届けた者は、誰も居ない。
* * *
目を忙しなく開閉し、口は半開き。
肩を掴もうとした手は宙でふらふらと彷徨っている。
リヒトの驚き様は、“英雄”とは思えないほどのものであった。
「悠長に説明している時間は無い。私の言うことを聞け。質問は手を挙げて、三回まで可能だ」
「まず、お前の所属と階級、あと名前は!?」
「所属は言えない。階級は無い。名前はフェリアだ」
白髪の女―――フェリアは淡々と答えた。
それは聞き手によっては、まるで感情が抜け落ちたかのように冷たい声音だろう。
「じゃあアレは一体―――」
「質問は三回まで、と言っただろう?」
「さっきので終りかよ!?」
などと、即席コントを続けるリヒトはそこまで頭が回らなかったようだが。
兎に角、彼らは窮地に立たされている事に違いない。
視界を塞ぐように聳え立つジョーカーマシンは、間違いなく標的をフェリアに定めていた。
「―――って、コントしてる場合じゃねぇ!どうすんだ!?」
「焦るな。手はある」
落ち着き払ってフェリアは言った。
「アレに対抗するためには同等の力が居る。つまり、ジョーカーマシンだ」
「そうだな」
「で、だ。詰る所君がジョーカーマシン並みの活躍をすれば……」
「出来るかっ!!」
ぜえぜえと息を吐いて、リヒトは恨めしげにフェリアを見る。
当の本人は涼しげに、からかう様に笑っていた。
が、ジョーカーマシンの足音が聞えたとき、その目を鋭く尖らせ。
「冗談はここまでだ。生きたければ、私の言うことを聞け。いいな?」
「……おう」
その剣幕に、リヒトは圧された。
まるで親の敵でも見るかのような目でジョーカーマシンを見上げたのだ。
「自動操縦でここにジョーカーマシンを呼んである。君はそれに乗って戦え」
「到着まではどうすんだよ?」
「私が時間を稼ぐ」
言い放ち、リヒトに背を向けた。
人間がジョーカーマシンと対峙するなど、前代未聞である。
確かに人対ジョーカーマシンという光景は、過去、戦場では度々見られたが―――
「無茶だ。死ぬに決まってるだろ?テメェ馬鹿か?」
「死なない」
その根拠の無い言葉。
そして、振り返ったフェリアの瞳に、再び圧された。
先ほどまでとは全く違う。
それは一種の、覚悟の輝きであった。
まるで、戦友の背を護るような。
そんな“圧”を、フェリアの瞳は発していた。
「………」
無謀。
余りにも無謀なその行為に、でも、リヒトは言う。
「……なら、俺が来るまでに倒されないようにしておけよ。心中は御免だ」
「無論」
その覚悟を無碍にすることなど、リヒトには出来無かった。
軽口を叩きながらも、再び、その瞳を見つめた。
覚悟の篭った瞳には、同じく、覚悟を込めた瞳で返す。
互いが互いの意思を確認し、僅か一秒。
二人は既に、全ての意識を“二人での勝利”へと向けていた。
「場所は?」
「屋敷の裏へ回れ。そこに現れるだろう」
リヒトは言われるがままに屋敷の裏へと駆けて行った。
それを見送り、フェリアはゆっくりと振り向く。
先ほどまでの鬱憤を溜め込んだ、凶悪かつ強大な敵が居た。
質量差は歴然。
フェリアが手に握るのは、豆鉄砲にもならない拳銃だけ。
―――だが。
彼女の頭には、“負ける”という言葉は浮かんでこなかった。
「さて、戦おうか」
* * *
屋敷の裏庭。
色とりどりの花が咲く花壇があり、リヒトの密かな趣味である家庭菜園もある。
いつ来ても癒される空間であったが、今のリヒトにとってもそれは同様であった。
「しかし、一体何なんだ?フェリアとか言うあの女、怪しすぎる」
癒され、落ち着いた影響だろうか。
気が動転していたため浮かばなかった疑問が、次々と浮かび上がる。
何故、フェリアは追われているのか。
何故、フェリアはここへと来たのか。
何故、ジョーカーマシンを持っているのか。
疑問は尽きない。
しかし、その疑問を吹き飛ばすようにリヒトは頭を振る。
今は、生き残るための。
そして、フェリアを助けるためにも、勝つことだけを考えるときである。
密かな決意を新たにした瞬間。
「―――ッ!!」
轟音。
衝撃。
砂煙。
三つの要素が辺りを襲い、リヒトも例外なくそれを受けた。
幸いにも、身体に影響は何も無い。
砂煙が晴れれば、自動操縦で飛んで来た件のジョーカーマシンがある筈である。
リヒトが、黒いシルエットの奥の機体を視認した。
「これが……!」
まず目に付く事は、その小ささだった。
通常のジョーカーマシンに比べ、一回り小さい。
18メートルほどが一般的だから、この機体は12メートルかそこらか。
暗緑色のなだらかな装甲は、風の影響を極限まで減らすためのものなのだろう。
風を切るようにしなやかな肢体は、歴戦の格闘家を髣髴とさせる。
両腕両脚から伸びた鉄色のバイパスは一体何に使うのだろう。
リヒトの興味は尽きない、が。
「まずは、一刻も早く助けに行かねぇとなんねぇんだ。乗せてくれよ、“切り札”」
赤い瞳が、リヒトを射抜く。
まるでパイロットを品定めするかのような瞳。
だが、リヒトはそれに臆する事は無かった。
堂々とその胸を張り、静かに一歩踏み出す。
呼応するかのように、機体背部のコックピットが露出された。
乗れ、とでも言うというのか。
「生意気なマシンだ。だが、俺には調度良い」
呟いて、リヒトは滑り込むようにコックピットへと入った。
それなりに狭い機体内部は、通常のジョーカーマシンとの相違は無い。
ウインドウパネルを手早く操作し、ジョーカーマシンの戦闘状態起動へと移行する。
「これなら操作出来そうだ……っと。こいつは、パイロット登録か」
画面一杯にでかでかと現れたウインドウは、パイロットの名前を要求していた。
リヒトは素早く、“リヒト・シュッテンバーグ”と打ち込む。
認証されると同時に、彼の元に新たなパネルが現れた。
それは、この機体を示す固有名詞。
「―――Arcana Machine 04 Grinder。“粉砕機”、か」
何回か、呟く。
その名がしっくり来たのか、リヒトは躊躇い無くフットペダルを踏んだ。
同時に操作する手の中のレバーで、忙しなく機体制御を行う。
“切り札”改め、“Grinder”は、その場に堂々と立ち上がった。
「元第十五遊撃部隊隊長、リヒト・シュッテンバーグ。階級は元陸曹。あー、っと。あとなんかあったかな……」
おどけた調子で、リヒトは言う。
そこに、戦場に対する恐れや不安は一つも無い。
彼の頭に“勝ち”以外の未来は、一つとて存在しなかった。
「―――まあいい!コードネーム“グラインダー”、行くぞ!」
次回バトルが出来ると思います。
そこまで大したモンじゃあない気もしますが。