第二十四話 鍵語
「テメェ……今、何した?」
ファウストは呟くように聞いた。
バベルに搭載された火砲の中でも、最大級の威力を誇る魔力兵装、ビーム砲だ。
それをワームホールに拡散させて、全方向から不可避の撃ち込みをした筈だった。
『そんなの、聞かなくても解るんじゃないかにゃあ?』
だが、目の前に悠然と立つイフリート。
おどけたように片手を振り、それを見たファウストは舌打ちを零す。
「アルカナオーバー、か……反則だぜ、その力は」
『にゃはは、文句ならこんな酔狂なエンジン作った古代人か異世界人にでも聞いてよ』
原理は、わかる。
恐らくではあるが、ビームで放たれた熱量は全て、バベルのアルカナエンジンで製造された魔力が主だ。
それを更に圧倒的な魔力で押さえ込み、無効化しただけ。
それだけで、絶望的なまでの差があることをファウストは理解する。
『やられっぱなしってのも性に合わないし……』
言いながら、イフリートは爪をきしり、と鳴らした。
その音にバベルは臨戦体勢を取り、両者の間に一瞬の静寂が訪れる。
『行くかにゃ!』
「来いやァ!」
イフリートが雪を蹴る音と共に、バベルはワームホールへと牽制の砲弾を送り込んだ。
集中力が途切れないようにしながら、ファウストはイフリートの挙動を追う。
低く跳躍するような動きで、バベルに対して回り込むような軌道を描く。
鈍重なバベルに対しては、機動力を生かした立ち回り。
道理に適ったその戦法に、ファウストは思わず笑みを零した。
「ちょこまか動く相手の対処法なンて、幾らでも知ッてるぜェ!?」
ワームホールを通った砲弾は、後ろへとも繋がっている。
加えて、バベル自身に搭載されているミサイルポッドから大量のミサイルを射出した。
魔力を追尾して対象を追い、一定の距離で爆発するものだ。
爆発という現象の前では、如何に早くとも意味を為さないだろう。
それはファウストがグラインダーに対処するために追加した兵装であり、それをケットシィに使うことには、多少の無念さを禁じえなかった。
発射から、数秒の時がたった。
そろそろ爆発してもいい頃だろう、と、バベルはその身を動かした。
「……まァ、嫌ァな予感はしてたんだがなァ」
『温ーい風だったにゃ』
無事に立ち、その爪を輝かせるイフリートに、ファウストはげんなりと息を吐いた。
最早どうやってその攻撃を逃れたかはいい。
が、ただ目の前に存在する事実は、ファウストから“勝利”という可能性を奪い去ったように見えた。
『そろそろネタばらしでもするかにゃ。ちょいっと、ミサイルでも何でもぶち込んでみてよ』
「もう驚かねェぞ」
なげやりに放ったミサイル。
それは高速で空を駆け、イフリートの身体を目指した。
が、その身体がイフリートに触れる事は叶わない。
「なッ!?」
ミサイルの弾頭が、融解する。
イフリートへと着弾する直前になって、突如、見えない炎に溶かされたかのようにミサイルが液状化した。
確かに、それは融解だったのであろう。
イフリートに掛かったミサイルだった液体は蒸発し、白い煙となって空気中へと還っていった。
『アルカナオーバーってのは、こんな無茶苦茶なことも出来るんだよ。悪いねぇー』
「在り得ねェ……これじゃ勝つとかッて話じゃねェぞ……」
ぼうっと、ファウストは呟いた。
悪びれもしないケットシィの調子。
そして、目の前に立ち塞がる圧倒的な“現象”という名の敵。
“アルカナオーバー”―――それは、絶望的な壁である。
バベルに残された兵装や能力では、イフリートに攻撃を当てる事は難しい。
不意に、ファウストの胸に虚無感が飛来した。
それはかつて、傭兵として戦場で感じたものと酷似している。
―――ファウストはかつて、死に瀕していた。
傭兵として戦場を練り歩いていた彼は、戦場で死ぬことを覚悟していた筈だった。
だが、その脇腹に鉄の塊が放たれた後に思ったのは、“生きたい”という本音。
願った生と覚悟していた筈の死が交じり合う極限状態で、彼は出会った。
『傭兵。生きたいか?』
その言葉に耳を貸したのが、間違いの始まりだったのだろう。
だからこそ。
「ふざけんなよ……ッ!!」
ファウストはもう後悔しない事を決意した。
故に、忌わしき“デザインマーセナリー”の力は振るわれる。
「この俺様がッ!この程度の手品で諦めて堪るかよッ!!」
愚直な咆哮。
バベルはその山のような体躯を動かして、イフリートへと殴りかかった。
それを軽く避けながら、ケットシィは笑う。
『自暴自棄ってやつ?これだから傭兵上がりはにゃあー』
「ヤケになってるワケじゃねェッ!」
大振りの拳は全て避けられ、一人で踊っているかのような滑稽な姿。
だが、ファウストは本気だった。
本気ゆえに、その行動を止めない。
なぜなら、その拳が目指す先は、ただひとつだからだ。
「ここだオラァッ!」
不意に、バベルはイフリートとはかけ離れた場所を殴りつけた。
何も無い中空に、バベルの拳が消えていく。
『にゃあッ!?』
瞬間、イフリートの中のケットシィは、心底驚いたような悲鳴を上げた。
バベルのモニターには、イフリートの顔面に直撃した己の拳の姿。
ワームホールを通して、確かに、バベルは一撃を与えた。
ファウストは笑む。
「どうだ、この野郎!!俺は諦めねェ!絶対に諦めねェぞッ!!」
それは、決して揺るがぬ反逆の炎。
燈された闘争心は、消えるまで燃え盛り続ける。
『ウザってぇ……調子に、乗ってんじゃないよ!』
人が変わったかのように、ケットシィは叫んだ。
それと同時に、イフリートがその四肢を折り曲げる。
最速の動きを生み出す予備動作。
それはバベルの攻撃をいとも簡単に回避し、致命的な一撃を与えることが出来るだろう。
「いいぜ……来いよ!」
だが、ファウストはその拳を握る。
最早使えない遠距離攻撃の術を捨て、自らの身体を懸ける。
記憶を取り戻したファウストが嫌いな物。
それは、無益な命を奪うこと。
そして、目の前には人道に反した組織“デイブレイク”。
彼の怒りの灯火が。
本当のファウストの想いが、信念が、数年ぶりに燃え盛っていた。
『―――ッ!!』
言葉すら置き去りにする速さ。
イフリートの姿を目視する事は叶わない。
だが、ファウストには見えていた。
そのイフリートの姿が。
そして、拳を突き出す己の未来の姿が。
ファウストは躊躇わない。
銃器を捨て、引き絞った拳を前に。
ただ、目の前の非道を滅ぼすために。
「―――ぉおおおおぉおぉぉおおおおぉおおおッ!!」
叫べ。
その心の正義を。
己が内に秘めた、熱き力を。
言の葉は、ただひとつ―――
* * *
黒く塗り潰された視界。
その中で、ベルランドは苦々しく歯を噛んでいた。
己の不甲斐なさ。
そして己の弱さに、只管に後悔を抱えていた。
ふと、その瞼の裏に微量の光が宿る。
ベルランドが瞼の裏に見る光景は、夜だった。
煌々と月が昇り、爆発のような轟音が響いている。
何が、と問う前に、ベルランドはその答えに辿り着いていた。
「……これは、走馬灯か?」
その声は声になっていたのかは定かでは無いが、確かに、ベルランドは口を開いた。
眼下に見えるのは、基地周辺に存在する森林。
そして、それを舞台に戦う、二機のジョーカーマシン。
片や、黒色をメインとした鋭く、尖った機体。
片や、奇抜な配色の騎士然とした機体。
黒の機体は地に伏せ、騎士はその動きを封じていた。
今、盾に備えられた一撃必殺の兵装が黒色の機体を貫かんと迫る。
「―――……負けるなよ」
ベルランドの口から、自然とその言葉が漏れた。
その言葉に従うように、黒色の機体は右腕を失いつつも辛うじて脱出に成功する。
更に動きを激しくし、黒色の機体は騎士へと猛追を始めた。
一連の攻撃を見ながら、ベルランドはその“意味”を考えていた。
何故、負けるななどと口走ったのか。
これは走馬灯。
記憶の中に在る戦いを追体験しているに過ぎない。
案の定、全てベルランドの知る展開のままに進んでいく。
黒色の機体は吼え、光を放った。
それは、全てを飲み込むかのような黒。
歪に固められた漆黒の爪。
まるで、搭乗者―――ロウ・ローレントの心を無理矢理に具現化したような爪だ。
「ロウ、お前は……」
言葉を遮り、騎士が光を掲げた。
光を凝縮して作られた巨大な光の剣が、黒色の機体に向かって走る。
二機のジョーカーマシンが交錯し、光が溢れた―――
それらの結果は、全てベルランドの知るとおりであった。
故に、ベルランドは静かに拳を握った。
「これが、俺の弱さか」
その言葉に、ベルランドは回顧していた。
あまりにも弱い心に、憤慨した。
だが、それ以上に、その申し訳なさが彼の心を覆った。
言い訳、そして、妥協。
諦めや、或いは、無責任な心。
それら全てが情けなくなり、握り拳を叩き付けた。
何かに当たって切れた皮膚から血が流れ、ベルランドに沸騰するような熱さを覚えさせる。
「……ロウ・ローレント。いや、ロウ・アーノート」
その言葉は、彼自身のカルマだ。
決して許されない嘘と、認めたくないが故に隠蔽した事実。
ロウ・ローレントの事件が残した傷は深く、ベルランドはそれに触れるのを躊躇っていた。
だが、それにあっさりと触れた者が居る。
「……ミツキ。やはり、お前は変わらないな」
独り言のように呟き、今も近くにあるであろうミツキの顔を思い浮かべる。
いつでも良き師であり、また、最愛の人間だった。
そして、今回もまた。
「また、助けられたな……」
過去の過ちは変えられない。
それに気付けただけでも、最上なのだ。
故に、ベルランドは感謝した。
己の罪を気付かせてくれたミツキへと、最上級の感謝を。
「だから、俺は」
ベルランドは、目の前の光景が白く薄れていくのを感じた。
それは薄れているのではなく、光景が新たな光で塗り潰されているのであろう。
瞼を開けると、コックピットの景色が戻った。
モニタに表示されているのは月明かりと、その下で、凶刃を構えるオボロの姿。
刃は今にも振り下ろされそうな、危うい輝きを放っている。
『最後だ。遺言を聞いてやろう』
その言葉は凛と響き、ベルランドの脳を揺らした。
そうだ。
ここで止まっている場合ではない。
何故なら、俺を待っている人間が居る。
進むべき道も、償うべき罪もある。
故に、俺はまだ死ねない―――
「ミツキ……」
ベルランドの心で、“子供のような自分”が終わった。
幼少期を終えて迎えたのは、羽化のような、晴れやかな心。
そして広げる羽根は、高らかな音を響かせて唄う。
決して挫けぬ、決意の唄を。
「俺は……死ねないッ!!」
振り上げられていた断頭台のような刃は既に動き出していた。
止めるのことの出来ない、渾身の一振り。
その一撃に、ベルランドは躊躇い無く右腕を差し出した。
『なッ……!?』
書き換えられた刃の軌道はキリングの身体を避けるように描かれた。
カゲツに次の手は無く、だが、ベルランドも右半身をカゲツに向けた状態。
引きちぎられたような右腕との接続部分がショートを起こし、間近に迫ったカゲツの顔を照らす。
一瞬の視界の交錯。
キリングは、迷わずに―――右腕を引き絞った。
「もう、俺は逃げない」
肩から先の無い腕を、あるように構えた。
腰だめのそれは、周りの空気を歪ませるように錯覚を起こす。
それは、ベルランドの決断の印。
圧倒的な魔力がそこに集中し、形を成す。
「全てを覚悟して、決断した。俺は、もう、迷わん」
それは、悪魔の爪。
己が怒りを力に換えて、罪を贖う一匹の獣。
檻に閉じ込められたそれは、今か、今かと開放の刻を待つ。
それを解き放てるのは、ベルランドのみ。
「だから、ミツキ」
さあ、鍵を。
その鍵を開放し、力の全てを顕現せよ。
ArcanaMachine 05 Killing。
罅割れた過去の自分を、叩き壊せ。
「眠れ!弱かった過去の俺と共に―――!!」
* * *
かつての彼を蝕んだのは、敵の攻撃ではない。
ジョーカーマシンを用いた第三次世界大戦。
泥沼化していく戦場で、味方の放つ砲弾の音と、次々と死んでいく戦場の仲間たちの姿。
シェル・ショックと呼ばれる精神病。
ゆえに、彼は麻薬という逃げ道を選択してしまったのだろう。
彼もまた、先の大戦の犠牲者なのである―――
「もう!ちょっとは手加減してくれてもいいんじゃないの!?」
『貴様の言葉など、不要よッ!』
アイリの悲鳴に近い言葉に、ディンゴは甲高い声を上げた。
その声は誰が聞いても正常ではない。
冷や汗を流しながらダイアモンドを動かした。
シールドを目の前に掲げて、その強力な巨鎚の一撃を辛うじて受ける。
「くぅっ!!」
『背中がお留守だぞッ!!』
言葉が発せられた瞬間には、フェンリルのテールスタビライザーが高速でダイアモンドを撥ねた。
衝撃に一瞬視界を失いながらも、アイリは意識を手放す事は無い。
吹き飛ばされたダイアモンドは、土煙を上げながら地面を転がっていった。
『無様だなァ、アイク・フォード』
「本名で呼ばないでって、言ってるでしょ……!」
『貴様がひれ伏しているというのは、いい気分だ』
言葉と共に、未だ這い蹲る形のダイアモンドの傍へとフェンリルが寄った。
体勢を立て直さんとする動きを牽制するように、巨鎚を地面へと叩きつける。
ヘタな行動を取れば、一瞬で潰される。
示威行為だけで、ダイアモンドは行動権を失ったに等しい。
『思えば、傭兵時代から貴様に勝った事は一度も無かった。だが、これを見ろ!!』
「あぅ……ッ!?」
言葉と共に、フェンリルはダイアモンドの右手を踏み潰した。
粉々になるような事は無いものの、腕のフレームが拉げ、使い物にならなくなる。
剣を持つことも叶わなくなり、その手から離れた。
『これで、貴様に馬鹿にされないッ!文句は言わせないッ!俺の方が、強いッ!!』
「ふざけないでよ……アンタ、ずっとこんな馬鹿みたいな事考えてたの!?」
暗い憎悪を持った言葉に、アイリは悲痛に声を上げる。
それはある種、願いを込めた心からの言葉。
だが、それをフェンリルは、剣を踏み割ることで否定する。
『ずっとだ!貴様が現れて、俺の人生は狂ったのだッ!!』
フェンリルがダイアモンドを無理矢理立たせる。
ジョーカーマシン同士の顔を近づけて、憎しみを込めて叫ぶ。
『貴様が居なければ……ッ!!』
「そんな……ジャンゴ!!」
『俺を、気安く呼ぶなァッ!!』
衝撃音と共に、フェンリルの拳がダイアモンドの顔面へと直撃した。
ダイアモンドはそのまま後方へと吹き飛び、派手に土煙を上げて地に再び伏す。
粉砕には至らないものの、その威力は並みの物ではなく、アイリはその衝撃で強く頭を打った。
『ふゥ……!ふゥ……ッ!』
肩で息をしながら、ディンゴはフェンリルをゆっくりと動かした。
募りに募った憎しみ。
それを解消するための人形と化したダイアモンド。
ディンゴはダイアモンドが吹き飛ぶその様子に、満足げな顔を浮かべていた。
一歩、また一歩。
完全な破壊のための巨槌を掲げ、歩く。
ダイアモンドは動かない。
きっと、気絶しているのだろう。
このまま、最後の一撃を―――
『させませんッ!!』
割り込んだのは、聞き覚えのない声。
振り上げた巨槌が不自然な力を受けて後ろへと流れる。
『何してやがるオラァあああああああッ!!』
続く雄叫びと同時に飛び掛かる機影。
しかしフェンリルは難なくその攻撃を防ぐ。
『バドル!』
『分かってる!邪魔は、させねェぜッ!!』
フェンリルにはじき返され、躍り出るのは赤いカラーリングのジョーカーマシン・ソード。
そしてその隣に並び立つのは、青いカラーリングのジョーカーマシン・チャリス。
騎士の忠実な僕にして、盾である二人。
『社長、しっかり!』
『ダメだ、完全にノックアウトしてやがる……!』
『我々が時間を稼ぐしか無いようですね……』
駆け付けた二人の声にも反応せず、ダイアモンドは沈黙を守る。
故に、二人は各々の武器を構えた。
相手はアルカナマシン。
スペックも、潜在能力も、何もかもが彼らを上回る。
だが、立ち塞がる圧倒的な敵を前にしても、一歩も怯むことは無い。
『ザコが……俺の邪魔をするなッ!!』
『社長が起きるまで、我々が相手です』
『逆にぶっ倒してやらァッ!!』
全ては一人の男のため。
信念を貫くための、その礎となるため。
赤と青の騎士は、武器を掲げあげた―――
「―――んぅう……!?」
起き抜けに、アイリは即座に目を丸くした。
気絶していた時間も分からないが、確かに、自分は気絶していたのだ。
そしてまだ生きていることに、疑問を覚える。
ディンゴは、ひどくアイリを恨んでいた。
気絶したのだから、その命は既に無い筈なのだ。
ならば、何故―――
『止めだ、弱者よ!』
「……え?」
思わず、呆けた声を上げた。
ダイアモンドのコックピットから見えたのは、青いチャリスがフェンリルに首を掴まれ、持ち上げられている光景。
それはナドレのものと相違なく、それ故に、アイリの混乱は加速した。
「―――やめっ」
言葉は、届かない。
フェンリルの掌は、チャリスの頭部を粉々に打ち砕いた。
『遅かったな、社長サン?重役出勤が過ぎるぞ?』
「あ、あぁ……!」
『あぁ、そこらの雑魚は掃除しておいた。これで決戦に支障もないだろう?』
心底面白そうに言葉を紡ぐディンゴ。
慌てて辺りを見回せば、晴れた砂煙の中に広がる光景が見える。
あるのは、屍の山。
壊れたジョーカーマシンが至る所に点在している光景。
その中には、見慣れた赤と青の機体もある。
『所詮は羽虫。月を喰らう狼には届くまい』
その惨状を作り出した本人は、嗤う。
しかしその笑みは、惨状へと向けられたものではない。
全ては、復讐心のため。
『これで、遠慮なく貴様を屠れるというものだ』
がり、と、通信先から音がした。
そして、アイリは―――泣いた。
「アンタ達、本当に馬鹿ねぇ……逃げればいいものを……」
壊れた機体を見、アイリは理解した。
倒れている全てのジョーカーマシンが、その眼をダイアモンドに向けているのだ。
最後まで騎士の復活を信じ、散った。
その信念こそが、アイリに立ち上がる力を与える。
『泣いてるのか?腑抜けたものだ』
「違うわよ、これは、心の汗よ……」
ゆらり、と、騎士は立ち上がる。
その手に剣は、もう、ない。
盾もないその姿は、騎士とすら呼べないのかもしれない。
だが、屍が。
戦場に臥す屍が、騎士の存在を証明している。
ダイアモンドは、そっと、足元に落ちた残骸を握った。
右手に青。
左手に赤。
騎士として戦った証しである、赤と青の装甲片。
そして、騎士は蘇る。
決して折れぬ、堅く、鋭い、心という剣を手にした騎士。
その名は、ダイアモンド。
決して砕けぬ、ダイアモンドだ。
『さあ、行くぞ!貴様を屠れば、俺はぁッ!!』
地を疾るフェンリル。
滑るようなその動きは、まさに狼のように鋭い。
無防備なままのダイアモンドが、挙動する。
手にしていた剣の代わりに左拳を正面へ。
手にしていた盾の代わりに右拳を腰部へ。
“相反する二人”の想いが込められた身体。
その想いに答える人は、ただ一人。
「……行くわよ、皆」
アイリ・フォードは戦場に生きた七人の傭兵の誇りを。
己自身の信念と、剣を掲げあげた。
剣は、何よりも堅い。
それを証明するための言葉が、紡がれる。
* * *
―――それは、同時刻。
まったく同じタイミングで、それぞれの戦場に居る四人の男が叫ぶ。
それは逆転の鍵語。
常識を越え、人知を越え、全てを越える為の言霊。
全てのジョーカーマシンを“超越する”、“アルカナ”の福音。
全身全霊の人間に授けられる、“22”の恩恵。
「「「「Arcana Over―――ッ!!」」」」
そろそろ第一章もクライマックスでございます。
第二章の構想も曖昧なのにね、ちょっとヤバいね。