第十七話 爪と剣
「臭ェなァ、オイ。鼻が曲がッちまうぜ……」
「下水道が臭いのは今に始まった事じゃねぇんだから、文句言うな」
二人の男が、手にした電灯の灯りだけを頼りに下水道を歩いていた。
隣には悪臭漂う排水の川が流れており、その臭気が二人の顔を一層顰めさせる。
そこは人にとって快適な空間とは言えず、現に、掃除すらされた気配が無い。
故に、ここには人が来ない。
町に潜む暗殺者に追われる二人には、都合のいい場所であった。
「本当にこの道であってんのかァ?さっきから同じような道しか見えねェけど」
「……念のため地図を用意しておいて正解だったな」
リヒトが目を落としたのは、自らの携帯電話に表示された地図だ。
アプリケーションとして携帯電話にインストールしたこのアプリは非常に高性能なことで知られている。
そこには町の詳しい情報はもとより、地下の下水道まで乗っているという徹底ぶりなのだ。
尤も、下水道の地図など金輪際利用する機会は無いだろうが。
「予想通り、下水道には誰も居ねェようだなァ」
ファウストが上機嫌に言った。
事実、暗殺者はおろか、足音以外の音すらも聞えない。
ただただ二人の足音と、濁った汚水の流れる音だけが響く空間だ。
「……しかし、まさか下水道を見張るヤツが誰も居ないとは……。デイブレイクも意外とザルなモンだよな」
「そのザルな組織の戦闘隊長に呆気なく捕らえられたヤツが何を言ってんだァ?」
「五月蝿ぇよ。まぁ、居ない方が好都合だったんだがな」
下水道に人が居ない、もしくは非常に数が少ないと踏んだリヒトは、とある作戦を考えた。
地上で暗殺者を始末、デイブレイクの中に混乱を起こしてから下水道で脱出する。
リラはそれまでの間下水道で身を隠し、最期に隙を見て脱出を敢行するといったものだ。
急ごしらえの作戦ながら、今のところは成功と言えるだろう。
「俺が言うのもアレだが、お前大丈夫なのか?」
「あァ?」
下水道に飽きてきたか、ファウストは苛立ったような返事の声を上げた。
「デイブレイクに帰ったらお前、始末されたりしねぇの?よくよく考えればコレ滅茶苦茶裏切り行為じゃねぇか」
「あァーその話なら心配ねェよ。全部お前の所為にして、知らなかったフリすっから」
さらりと言うが、リヒトにしてみれば堪ったものではない。
呆れと諦めの溜息を吐いて、リヒトは足を進めた。
脚が疲労を感じ始めて暫く。
リヒトが足を止め、その後ろに居たファウストもまた足を止めた。
「……そろそろ、リラとの合流地点の筈だぜ」
「ああ、おかしいなァ」
圧倒的な違和感を感じた二人は、先を見渡した。
電灯でも照らしきれぬ暗闇は何も見えず、先行きはほの暗いままであった。
そして、静寂。
「何も聞えない筈が無い」
「あの喧しい女だったら、さっさと合流して文句の一つでも垂れてるハズ、だよなァ」
リヒトが同意を返し、頷いた。
二人はより慎重に歩こうと、息を潜めて歩行を再開する。
それから然程の時間を要さず、三つ目の足音は響いた。
電灯で先を照らし、浮かび上がる人影は―――二つ。
「御機嫌よう、“英雄”に戦闘隊長」
「……っ!?」
「テメェは……!!」
暗がりに響く声は女性の声。
ハスキーなその声は閉鎖された空間に響き、リヒトとファウストの身体を硬直させた。
「何、そう硬くなるな。取って喰おうという訳ではない」
傍に随伴したリラに銃口を向け、暗がりから現れた女。
黒いライダースーツとフルフェイスのヘルメットを装備し、その容姿は一切が不明。
底知れぬ不気味さに、思わずリヒトは身震いした。
「ミツキ……テメェが何故此処に……!」
「君の監視兼、監督役といったところか。私としても想定外の仕事だった」
ファウストの驚きと言葉は、ミツキと呼ばれた女がデイブレイクに所属していることを告げていた。
リヒトは無意識に拳を作り、その言葉に耳を傾ける。
「……尤も、それも最早意味は無さそうだが」
その言葉に、リヒトとファウストに緊張が走る。
一挙手一投足が既にミツキの行動の引き金となり、結果次第でリラは死ぬ。
そのプレッシャーが、リヒトに一筋の冷や汗を流させた。
「勘違いするなよ。別に争いたい訳ではない。ただ、出会い頭に襲われても困るのでね」
言うと、ミツキと呼ばれた女はその銃を下ろした。
突き飛ばすように開放されたリラは、そそくさとリヒトの後ろへと隠れる。
怯えた様子ではあるものの、パニックになっていない分まだマシなのかもしれない。
リラのその様子からある程度の情報を読んだリヒトが、問いかける。
「……で、一体何を考えてる?要求でもあるのか?」
「要求、か。強いて言うならば、君には一刻も早く基地へと戻って欲しい、と言ったところだ」
「テメェ、何を考えてる?」
ファウストが疑問をぶつけるが、ミツキは答えようともせずに、ただリヒトを見つめていた。
その様子に腹を立てたファウストが声を荒げたが、それも意味を成さない。
リヒトの質問だけがミツキの口を開かせる。
「基地に戻って欲しい……?テメェ、一体何者だ?」
「私はデイブレイクの構成員、被検体No2、ミツキ。そして、君の……」
言いかけた言葉を飲み込み、ミツキは首を振った。
「まぁいい、いずれ時が来れば解る。それよりも、今は早く基地に戻るべきではないかな?」
「何故だ?」
「今、基地でジョーカーマシン同士の戦闘が行われている」
「なっ!?」
驚きを隠そうともせずにリヒトは声を上げた。
同時に、いつでも逃走できるようにリラの片腕を掴む。
「ほら、早く行け。手遅れになっても知らないぞ」
ミツキが道を開け、挑発するように言った。
まだわからない事は多い。
だが、今はジョーカーマシンが、仲間が戦っているときだ。
集わぬ“三英雄”が殺される訳には行かない。
「何がなんだか分からねェが……まァテメェは、無事で逃げ出せたならそれに越したこたァねェよな」
「ファウスト」
リヒトの背から声をかけるファウストは、飄々とした調子で言う。
かばかりの短い時間、されども、共に命の危機を潜り抜けた。
リヒトは振り返り、一度だけ強く頷いた。
「さっさと行きやがれ。だが、次に戦場で会った時が最期だ」
その言葉に後押しされたかのようにリヒトは駆け出す。
一刻でも早く、基地へと戻るために。
* * *
打ち合いは数合、互いに譲らない。
キリングはその鋭い動きを活かした“点”への攻撃で。
ダイアモンドはその巨体を活かした“護”故の攻撃で。
鎬を削る爪牙と盾が、火花を散らし、暗闇の中に踊っていた。
「いー加減に離れなさいよ……っ!!」
しかし、状況は拮抗してはいない。
アイリは舌打ちを零し、フットペダルを強く踏み込んだ。
ダイアモンドがローラーダッシュで背後へ逃れようとするが、猛進するキリングは距離を離させない。
気迫を以って、猛追する。
『おぉおおぉおぉおッ!!』
「しつこいわよーっ!んもーっ!」
キリングの攻撃のためには、最大限に接近する必要がある。
一方、ダイアモンドの持つ盾は、そもそも攻撃には向かない武装だ。
残されたのは盾に仕込んだパイルバンカーであるが、その身軽さゆえに、キリングへの攻撃は有効打とはなりえない。
頭を悩ませながら、アイリは意表をつくように鋭くペダルを踏み込んだ。
今まで後退していたダイアモンドが、一瞬にして制動を掛けられてその場に立ち止まる。
『―――っ!?』
慣性に捕らわれたキリングが、腰部の装甲板にナイフを突き立てた。
が、それを見越してダイアモンドは既に攻撃の態勢に入っている。
足の下で構えた盾を、上へとかち上げる。
その軌道にはキリングの左腕があった。
このままでは、唯一残された攻撃手段である左腕すらも失ってしまう。
『ちぃ……ッ!!』
天秤に掛けるまでも無く、キリングはその左腕を引き抜いた。
ナイフと装甲板が擦れる高音が響く。
キリングは後方へと跳び、ダイアモンドの盾から逃れる。
それを、アイリは笑った。
「好機ね!」
ジョーカーマシンに備えられたフットペダルは、特に陸上での移動速度に直結するものである。
踏み込めば前進するし、後退中に踏み込むことで踏ん張ることも出来る。
もとよりフットペダルは踏みっぱなしだ。
ならば機体は、前進し続けるのみである。
「行くわよぉおおおおおおっ!!」
身体ごとぶつかろうとするダイアモンドに、ロウは思わず息を止めた。
逡巡は一瞬、判断もまた一瞬。
地に足を付けた瞬間、こちらも反撃をしようと考える。
もう一度“鷹爪”を、しかもコックピットのある胸部に撃ち込めば、十中八九倒せるだろう―――
互いの思考が互いを読み、凌駕し合おうとする戦闘。
その中で、ロウだけが、違和感を感じていた。
戦闘中に鋭敏化されたパイロットの勘が読み取った物は、明らかな不明瞭。
―――何故、右手に持った剣の柄を離さない?
振り上げた左手、だが、右手に持った剣の柄だけは未だにキリングを狙っている。
故に、ロウは躊躇う。
進むべきか、退くべきか?
『……っ』
生死の淵に立たされたロウの頭に去来するのは、遠く懐かしい日々の記憶。
脳裏に浮かぶのはいつも、理不尽ながらも優しく、強かった姉の存在。
―――アンタがスポーツ選手になるっていうなら、私はジャーナリストになってやるわ!
『……ぁああぁああ』
―――アンタが活躍すれば私も必然的に儲かる!どう、この作戦!
『ぁああぁあああぁあぁあああ』
―――だから、絶対に叶えなさい!
『ぁああぁあぁぁあぁぁあぁあぁあぁあぁッ!!』
キリングは、踏み出す。
目の前に居るのは、全てを奪った敵の仲間。
故に、蹂躙す。
故に、殺戮す。
怨みは極上の力となりて、アルカナエンジンの光を生み出す。
「アルカナエンジンが―――でも、これって!?」
生み出される光は、全てを飲み込むかのような黒。
全てを塗り潰すような光が、キリングの装甲の隙間から漏れ出していた。
そして、その右手。
構えた右手が取る形は、歪に固められた漆黒の爪。
まるで無理矢理に作ったかのような、痛々しく、鋭い爪である。
それは、明らかに機体のスペックを越えた変形。
「まさか、アルカナオーバーってこと……!?」
歯を噛み、アイリは呟く。
漆黒の爪はどこまでも鋭く、圧倒的なプレッシャーを放っている。
それは一朝一夕で出来るそれではなく、“純粋な力”の象徴。
その威光を前に、アイリは純粋に震えた。
恐れか、感動か、武者奮いか。
真相は本人にすら知り得ぬが―――ただ、アイリは笑っていた。
「……でもね、こっちにだって」
呟き、フットペダルは踏み込んだままに、とある機構を発動させた。
盾に仕込んだパイルバンカーではなく、ダイアモンド本体に取り付けられたその機構を。
引き金は意識。
パイロットの脳波とリンクしたシステムが、人間の情報処理能力を借りてそれを顕現する。
対価は精神力。
顕れるは、奇跡の象徴。
「切り札はあるのよ……っ!!」
構えた右手、その先に伸びる剣の柄。
既に刃は半ばから折れ、武器としての体裁を保たない。
だが、それでもいい。
これは“武器”、その本質は変わらない。
ならば、打ち勝てる。
例え相手が、“純粋な力”の象徴たる、悪魔の爪牙であろうと。
『ぁあぁあぁああぁああぁああぁあぁぁあッ!!』
“亡き者への想い”を抱える亡者。
“大切な友故の怒り”を抱える生者。
想いの重さは―――同等。
「簡易アルカナオーバー、全開ッ!!」
“武器”としての力を失っていた剣。
それに、今一度光が燈る。
比喩ではなく、折れた剣にぼんやりとした紫色の光が。
その光は輪郭を象り、“光の剣”を形成する。
「これならっ!」
いける。
剣の柄を握り、アイリは前を見据える。
悪魔のように爪を振り翳すキリングは、どこまでも無表情だ。
が、その中に滾る意思。
全てを賭けた、最後の一撃になるだろう。
互いが、それを認識していた。
「……ぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ただ、放つ。
全てを賭けた全霊の一撃を。
『―――!!』
漆黒の爪。
「―――!!」
紫光の剣。
互いの一撃が、静かに交錯した。
* * *
「……戦闘被害は?」
「ジョーカーマシン・キリングが中破、ダイアモンドが小破。その他、物的被害は武装数点程度です」
いつもと変わらない隊長室で、ベルランドは重く呟いた。
隣に立っていた新たな副官が即応し、隊長室の空気が更に重くなる。
ロウ・ローレントの裏切り。
そして、アイリ・フォードとの死闘。
決着の時ベルランドが見たのは、燃え散るキリングの姿。
回収したキリングのコックピットは拉げ、中にロウが居たのかすら定かではなかった―――
「人的被害は……言うまでも無い、か」
そう言うと、ベルランドは机の上の資料に目を落とした。
ロウ・ローレントのパーソナルデータが載っているが、それも確かなものであるという証拠は無い。
一瞥し、それを机の隅に下げる。
ベルランドが今一度溜息を吐こうとした瞬間、ノックの音が響いた。
副官がドアを開けると、そこにはリラ・アーノートが立っている。
「……失礼します」
机へと歩み出る姿は、幽かで希薄である。
いつもよりも気落ちしたような、やつれたような彼女の姿を見て、ベルランドは溜息を飲み込んだ。
何故リラが気落ちしているのか―――理由は既に、見当がついている。
「先に言っておく。これ以降の勝手な行動は絶対に慎んでもらおう」
「はい……」
リヒトが暗殺されそうになった事件を、既に当の本人の口から聞いていた。
協力者の助力もあってどうにか突破できたようだが、それが無ければ、果たしてリヒトは基地へと帰ってこれていたか。
リラの無鉄砲は今に始まった事では無いと推察するが、だからといってベルランドにはどうすることも出来なかった。
勿論、これが本題ではない。
「次に、基地で起こったロウ・ローレントの件だが……とりあえず、これを見てくれ」
言うと、ベルランドはリラ・アーノート自身の資料を手渡した。
不審に思いながらも目を通し始めたリラの目の色が、見る見るうちに変わっていく。
「……なんですかこれ」
「ああ、おかしいと思うだろう。何せ、後で役所に問い合わせて知ったのだからな」
そこに書かれた文字列は、資料の一番上にあり、その者のパーソナルデータを現している。
だが、文字列。
その文字列が、決定的に違う。
「私の本名は“リレイア・アーノート”……リラっていうのは、昔から呼ばれていた呼び名なんです」
「だから、パーソナルデータに“リラ・アーノート”と表記されているのはおかしい」
「でも、これ……なんでこんな事を?」
その言葉に、ベルランドは回答に詰まる。
真実を教えるべきか、秘匿すべきか。
「……分かりかねるな」
「そうですか……」
重々しく開いた口から飛び出したのは、秘匿の言葉。
彼女はまだ、戦争で弟が死んだと思っている。
ならば、その記憶を蒸し返すことはあるまい。
そうしてしまえば、彼女の中で、“ロウ・アーノート”は二回死んでしまう。
それは彼自身の優しさであり、責務であり、また、逃避であった。
「あ、そうだ。これを渡してくれと、ある人に」
「む。これは?」
リラが取り出し手渡したのは、何の変哲も無い茶封筒であった。
中身は手紙のようで、光に透かせば白い紙が一枚だけ見える。
送り主の名も、何も無い。
「じゃあ、私はこれで……」
一礼し、リラは隊長室を退室した。
一瞬呼び止めようかと思うが、呼び止めるに相応した理由が無い事に気付き、止める。
手に持った封筒を一度振るが、やはり何も危険性は感じられない。
危険だ、と副官は止める。
が、それよりも早く、ベルランドは封を切っていた。
「……やはり、手紙か」
それを開く前に、副官を見やった。
その意図に気付き、副官は一度頭を下げて部屋を退出する。
こうして、彼は部屋にひとりとなった。
「ふぅ」
一度息を吐き、手紙を手に取った。
白い便箋を開く。
ベルランドの目に映ったのは―――
何も考えずに書いてると今回のように大苦戦します。しました。
今度から書くときはもっと練って書こうと思いました。まる。