表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/40

【第26話】知らない女子に呼び出された件

【第26話】知らない女子に呼び出された件


 呼び出しを食らった。


 ◇


 遡ること数時間。昼休み。保健室。


 飴を渡した。いちご味。在庫は潤沢だ。神代さんが包み紙を丁寧に剥きながら笑った。


「湊くん、今日も持ってきてくれたんだ♡」


「……約束だから」


 約束。いつから約束になったのか。「来週も持ってくる」と言ったのは月曜だ。三日で習慣化した。人間の順応力は高い。特に、俺の順応力は神代さん関連に限って異常に高い。


 弁当を食べた。今日は鶏の照り焼き。つやつやしている。味が染みている。副菜の卵焼きに小さく顔が描いてある。スマイル。脱力系の。この人は弁当に遊び心を入れてくるタイプだったのか。


「湊くん、今日の放課後も図書室行く?」


 昨日の図書室の続き。また行くか、と聞かれている。


「……今日は、ちょっとわからない」


 神代さんが小首を傾げた。一瞬だけ残念そうな顔が見えたが、すぐに笑顔に戻った。


「そっか。じゃあ、また今度ね♡」


 今度。この人は「今度」を当然のように設定する。一回きりではない前提。図書室が保健室と並ぶレギュラーの場所になりつつある。


 チャイムが鳴った。神代さんが立ち上がる。切り替え。三秒。完璧装着。


「じゃあね、湊くん♡」


 ドアが閉まった。穏やかな昼休みだった。──穏やかなままでは終わらないことを、このときの俺はまだ知らない。


 ◇


 木曜日の放課後。六時間目が終わって鞄に教科書を詰めていたら、教室のドアに人影が立った。見覚えがない。女子。二人組。制服のリボンの色がうちのクラスと違う。隣のクラスか、あるいは別学年か。


「あの、黒瀬くん……ですよね?」


 名前を知っている。俺の名前を知っている見知らぬ女子。この時点で嫌な予感が全力疾走を始めた。マラソンではない。短距離だ。百メートル級の速度で不安が駆け抜けた。


「……はい」


「ちょっとお話したいことがあるんですけど、屋上に来てもらえますか」


 屋上。放課後。女子からの呼び出し。


 この構図を客観的に見たら何になるか。ラノベの告白イベントだ。屋上で「好きです」と言われる、あのテンプレ。主人公が階段を駆け上がり、屋上の扉を開け、夕日の中に髪をなびかせたヒロインが立っている──。


 だが俺は主人公ではないし、この二人は昨日の廊下で俺と神代さんを見ていた三人のうちの二人だ。あの品定めの視線。気のせいではなかった。


「……わかりました」


 選択肢がない。「無理です」と言えれば話は早い。だが「無理です」が言えないからこそ俺はコミュ障なのであって、コミュ障は総じて押しに弱い。逃走経路がないまま、階段を上った。


 ◇


 屋上。


 十月の風が強かった。フェンスの向こうにグラウンドが見える。部活動の声が遠く聞こえる。サッカー部のホイッスル。吹奏楽部の金管。日常の音が、屋上では一段階小さくなる。遠い場所にいる気分。


 扉の前に三人がいた。昨日の廊下の三人。制服のリボンは──二年。別クラスだ。神代さんと同じクラスかもしれない。


 三人とも真剣な顔をしていた。怒っているわけではない。緊張している。俺以上に。手を前で組んでいる子、スカートの裾を握っている子、スマホをポケットに出し入れしている子。三者三様の落ち着かなさ。


「……あの、わざわざ来てくれてありがとうございます」


 礼を言われた。呼び出しておいて礼を言うのか。告白イベントどころか株主総会の冒頭挨拶みたいだ。「本日はお忙しい中ご足労いただき」のやつだ。


「私たち、神代さんのクラスの──」


 やはり同じクラスだった。神代さんの、同級生。つまり「完璧な神代澪」を毎日間近で見ている人たちだ。


「単刀直入に聞いてもいいですか」


 三人のうち、一番背の高い子がまっすぐ俺を見た。ポニーテール。目に力がある。部活をやっている人間の目だ。


「黒瀬くんは──神代さんの、彼氏さん……ですよね?」


 来た。


 この質問。何度聞かれたかわからない。八代に。クラスメイトに。柊に。そのたびに否定できず、沈黙し、首を横に振るだけで終わってきた。


 だが今日は状況が違う。相手は神代さんの同級生。神代さんの"外の顔"を知っている人たちだ。俺がどう答えるかで、神代さんにも影響が出る。


「……付き合っては、いません」


 言えた。今回は言えた。嘘ではない。正式に付き合ってはいない。


 三人が顔を見合わせた。信じていない。「保健室で毎日一緒にいる」「弁当を作っている」「体育祭で看病した」「図書室で二人きりだった」──情報はすべて揃っている。昨日の図書室も見られていた。


 ポニーテールの子が少し困った顔をした。


「あの……付き合ってないって言っても、それはちょっと──」


「えっと、私たちは別に怒ってるとかじゃなくて」


 二人目が割り込んだ。背が低い。丸い眼鏡。声が柔らかい。


「神代さんのことが心配なんです」


 心配。


「澪──神代さんって、本当に頑張りすぎなんです。クラスでも生徒会でも、全部完璧にやろうとして」


 知っている。俺はそれを知っている。教室の「さすが神代さん」。完璧な笑顔。帳消しにされる疲労。金曜の夜中三時。先週の保健室で見た、コンシーラーで隠された目の下の隈。


「でも最近、ちょっとだけ変わったんです。保健室に行った後、少し表情が柔らかくなるっていうか。前より息が楽そうに見えるっていうか」


 三人目が言った。ショートカット。声が小さい。眼鏡の子のうしろに半分隠れている。


「それが黒瀬くんのおかげなんだろうなって、私たちは思ってて」


 朝倉先生と同じことを言っている。杏と同じことを言っている。サンプルが増えた。だが今回のサンプルは俺の知人ではなく、神代さんの同級生だ。毎日教室で"完璧な神代澪"を見ている人間からの観察データ。


「だから──」


 ポニーテールの子が姿勢を正した。部活のミーティング前の構えに似ている。


「彼氏さん、じゃないかもしれないけど。澪の隣にいるなら──ちゃんとしてあげてください」


 ちゃんとしてあげてください。


 五秒。沈黙。屋上の風がフェンスを鳴らした。


「澪は頑張りすぎだから。限界でも『大丈夫』って笑うから。そういうとき、止められる人が必要なんです」


 眼鏡の子が言った。声が震えている。心配は本物だ。


「私たち、クラスメイトなのに……止められないんです。澪が笑ってると、大丈夫なんだって信じちゃう。あの笑顔に負けちゃうんです」


 負ける。完璧の笑顔に。言葉は丁寧で中身は──いや、この三人は消費ではない。搾取でもない。本当に心配している。だが「大丈夫」の壁を越えられない。


 ショートカットの子が小さく言った。


「黒瀬くんは、保健室では澪のそばにいるんですよね。だったら、教室では見えない澪を知ってるんですよね」


 教室では見えない澪。保健室の「ふぅ」。お花畑のモード。鎧を外した呼吸。金曜日の「嫌なこと」。泣きそうな笑顔。いちご味の飴。


 知っている。たぶん、この三人より知っている。


 ──だが。


「ちゃんとしてあげてください」。この言葉が重い。ずしりと、肩にのしかかる。


 ちゃんとする。何を。どうやって。飴を渡すこと? 隣にいること? 「ひどいな」と言うこと? それが「ちゃんと」に該当するのか。俺にできるのはそれだけだ。そのくらいしかできない。それで足りるのか。足りているのか。


 朝倉先生は「いてくれるだけでいい」と言った。神代さんも「いてくれるだけでいい」と言った。だが目の前の三人は「ちゃんとしてあげて」と言っている。「いるだけ」と「ちゃんとする」の間には距離がある。


「…………」


 言葉が出ない。漏斗の口が詰まっている。言いたいことはある。「俺にはできることが限られている」「でもやれることはやっている」「たぶん」。──「たぶん」がつく時点で自信がない。


「……わかりました」


 絞り出した。二文字。「わかりました」。何がわかったのかは自分でもわからない。だが他に言える言葉がなかった。


 ポニーテールの子が頭を下げた。深く。


「ありがとうございます。──急に呼び出してすみませんでした」


「澪には内緒にしてください。知ったら怒ると思うので」


 眼鏡の子が付け加えた。神代さんが怒る。想像がつかない。──いや、つく。「私のことは私がやるから」。完璧な人は、心配されることを許可していない。


「あ、あの。それと──」


 ショートカットの子が最後に、少しだけ笑った。


「図書室、いいと思います。澪、昨日帰ってから、ちょっと嬉しそうだったので」


 昨日の図書室。やはり見られていた。そして今日、このタイミングで呼び出された。計画的だ。この三人も事前偵察を怠らないタイプだ。


「……どうも」


 それだけ言って、屋上を出た。


 ◇


 階段を降りた。二階、一階。廊下。下駄箱。靴を履き替えた。


 保健室に向かおうとした。足が止まった。


 今日は、行けない。


 理由。明確にはわからない。ただ、「ちゃんとしてあげてください」が頭の中で反響している。あの三人の声が、ポニーテールの真剣な目が、眼鏡の震える声が、ショートカットの小さな笑みが──全部、頭の中を巡っている。


 保健室に行けば神代さんがいる。甘い声で名前を呼ばれる。飴を渡す。弁当を食べる。いつもの時間。


 だが今日、その時間の中に「ちゃんとしなきゃ」が混じる。混じった瞬間、いつもの距離感が変わる。自然体でいられなくなる。


 神代さんに会えば気づかれる。この人は鋭い。俺の表情の変化を、秒単位で観測している。目が泳いだら一発でバレる。


 ──嘘をつけない。


 隠し事ができない相手の前に、隠し事を抱えて座ることはできない。少なくとも今日は。


 スマホを取り出した。


『今日、保健室行けない。用事ができた』


 送信。十秒で既読。


『そうなんだ。大丈夫?』


 大丈夫。いつもは神代さんが言う台詞だ。大丈夫の裏側を知っているのに、自分が使う。


『大丈夫。明日は行く』


『わかった♡ 明日ね♡』


 ハートが二つ。画面の中で光っている。あの笑顔が浮かんだ。お花畑の。朝露の。図書室の半透明の。


 スマホをポケットにしまった。帰り道を歩いた。


 ◇


 帰り道。十月の夕方。空が広い。屋上から見た空と同じ色。オレンジと紫の境界。


 「ちゃんとしてあげてください」。


 反芻する。何度も。自動再生が止まらない。


 ちゃんとする、の定義が不明だ。一般的な「彼氏」の行動規範ならば、デートに連れていく、プレゼントを贈る、記念日を覚える、困ったときに助ける──そういったリストが想定される。


 だが俺は彼氏ではない。正式には。噂の中では既に確定しているが、実態としては「保健室で隣に座っている人」だ。弁当を食べる人。飴を渡す人。「……うん」と言う人。それだけの人間に、「ちゃんとする」の権限があるのか。


 あの三人は「彼氏じゃないかもしれないけど」と言った。肩書きは問うていない。「隣にいるなら」が条件だ。隣にいるなら、ちゃんとしてくれ。


 隣にいる。いる。毎日いる。保健室で。最近は図書室でも。


 だがそれは「いるだけ」だ。朝倉先生は「いるだけでいい」と言った。神代さんも同じことを言った。それで十分だと、二人は言った。


 十分なのか。


 飴を渡す。「ひどいな」と言う。「来週も持ってくるか」と言う。「ここも悪くない」と言う。全部、小さい。針の穴を通すような行動。もっと大きなことができるべきなのではないか。


 ──だが、大きなことが正解とは限らない。朝倉先生の言葉を思い出す。「言葉が上手い人がいい相手とは限らない」。大きな言葉、大きな行動。それは「さすが神代さん」「頼りにしてる」と同じ構造になりかねない。言葉が立派で、中身が空っぽ。


 じゃあ、今のままでいいのか。


 答えが出ない。出ないまま、家に着いた。


 ◇


 部屋。天井。仰向け。


 スマホの画面が暗い。神代さんからの追加メッセージはない。「わかった」で終わっている。深追いしないのがこの人の距離感だ。聞きたいことはあるだろう。「用事って何」「本当に大丈夫?」。聞かない。待つ。


 その待ち方が、完璧の中にある優しさだ。──完璧じゃないか。「待つ」は完璧の外にある行動だ。完璧な人間は問題を即座に解決する。待つことは不完全を許容する行為。つまり神代さんは俺に対して、完璧を手放している。


 あの三人に言えなかったことがある。


 「俺は彼氏じゃないけど、大事な人だと思っている」。柊には言えた。だがあの三人には言えなかった。言えば「じゃあ告白してください」という話になる。責任が発生する。責任。彼氏の責任。隣にいる人間の責任。


 保健室は無責任な空間だった。何も求められない。何も期待されない。ただいるだけでよかった。


 だが図書室に出た瞬間、外の空気に触れた。廊下で目撃された。屋上に呼び出された。保健室の外には「責任」がある。


 保健室の中だけなら、永遠に「いるだけ」でいられたかもしれない。だが俺自身が「保健室の外で二人で過ごしたら」と考え始めた。図書室に行った。「ここも悪くない」と言った。壁の外に一歩出た。


 一歩出たら、もう戻れない。一歩出た先には、あの三人がいて、「ちゃんとしてあげて」が待っていた。


 これが保健室の外の世界だ。噂と視線と責任の世界。甘さだけでは済まない。


 ──でも。


 「図書室、いいと思います。澪、昨日帰ってから、ちょっと嬉しそうだったので」


 ショートカットの子の声が残っている。嬉しそうだった。帰ってから。教室で。クラスメイトにわかるくらい。


 あの半透明の笑み。「ここも、いいよね」の柔らかい声。あの小さな笑い。あの時間が、教室にまで残っていた。


 俺が図書室に行ったことに、意味があった。保健室の外に出たことに。飴の百二十円と同じだ。小さいが、届いていた。


 天井を見た。暗い。スマホの画面だけが光る。


 明日は金曜日。保健室に行く。飴を持っていく。いつも通りに。


 だが「いつも通り」の中に、何か一つ、足す。何を足すかはわからない。言葉なのか、行動なのか、態度なのか。


 わからないが、「いるだけ」の自分から、半歩だけ前に出る。それが「ちゃんとする」の俺なりの解釈だ。正解かどうかは知らない。だが何もしないよりはましだ。


 ──そういえば。


 明日、教室から神代さんのクラスが見える。二組の教室は、俺の教室から渡り廊下を挟んだ向かい側だ。見ようと思えば見える。今まで見ようとしたことはなかった。保健室の神代さんしか知らなかった。教室の神代さんを、見たことがない。


 あの三人が言った。「教室では見えない澪を知ってるんですよね」。裏返せば、俺は「教室の澪」を知らないということだ。保健室の神代さんは知っている。図書室の神代さんも少し知った。だが教室の──「完璧な神代澪」を、俺はまだ自分の目で見ていない。


 見てみたい、と思った。


 怖い、とも思った。


 完璧な鎧を纏った神代さんを見て、俺は何を思うのか。あの人が「ふぅ」と息を吐く前の姿を見て、保健室の神代さんとの落差に何を感じるのか。


 もしかすると──「ちゃんとする」のヒントは、そこにあるかもしれない。教室の神代さんを知らなければ、保健室の神代さんを守る方法もわからない。


 スマホが光った。


 神代さんではなかった。杏だ。


『湊くん今日保健室来なかったね? 澪ちゃんちょっとさみしそうだったよ〜』


 心臓に針が刺さった。細い針。だが深い。


『明日は行く』


『りょーかい! 澪ちゃんに伝えとくね〜』


 伝えなくていい。伝えなくて──いや、いい。伝えてくれ。俺が「明日行く」と言っていたことを。それくらいの情報なら、むしろ届いてほしい。


 天井の染みを数えた。三つ。毎晩同じ数。変わらない。


 変わらないものと、変わったもの。保健室の天井の染みの数は知っている。数えたことがある。だが教室の、神代さんの教室の天井を、俺は知らない。


 明日。金曜日。保健室に行く。飴を持っていく。そして──もし機会があれば。


 神代さんの教室を、見てみよう。


 窓の向こうの。完璧の、あちら側を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ