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一話  腹ペコハンター と出会いました。

一話  腹ペコハンター と出会いました。




 炊き立ての白米からただよう、甘くて優しい匂い。

 出汁と味噌の食欲を誘う湯気。

 米を握り、塩を適度にまぶしてお皿にのせただけの夜ごはん。


 ぜいたくな料理ではない。けれど、私にとっては最高の食事だった。


「おいしそー! いただき……」

 両手を合わせたその瞬間。


 ――ゴゴゴゴ……。


 玄関の外から、低く鈍い音が響いて思わず手を止めて耳を澄ます。


「……何の音?」


 不思議に思ってドアを開けると、一人の青年が立っていた。


 最初に目についたのは、腰に佩かれた深紅の鞘に納められた太刀。

 黒く大きなコートが玄関いっぱいに広がり、威圧感のある佇まい。


 視線を上げると、黒髪の前髪が顔を隠すように垂れていて、その隙間から美しい紫色の瞳がちらりとのぞいていた。


 何か言いたそうなのに、口を開かず黙っている。


 静かだ。けれど、その存在感だけで空気が張りつめていく。


(あれ、この人……どこかで……)


 既視感に胸がざわついたとき、記憶の端に引っかかった人物がよみがえる。


「……あ!」


 思わず声が出た。

 ……あの有名なトップハンター、「暴食」の久遠紫己くおん しきさんだ。


 食べれば食べるほど強くなるという、希少スキル「暴食」。

 誰もがパーティーを組んで挑む亀裂を、彼はただ一人で制覇する。

 そして毎回、大量の魔石を持ち帰る。そんな姿が街中のビジョンを賑わせていた。


 愛想のない無口キャラだが、その実力は業界トップ。

 初めて間近で見たけれど、凄いイケメン。

 人気あるのわかる。


 私なんて美容院代をケチった襟足の長いセルフウルフカットだし、地味な黒目茶髪と平凡な顔だし。


 こんな触れられるような距離にいるのが不思議なくらい住んでる世界が違う人間だわ……。


 だって、こんなボロアパートの前に彼が立っているなんて、現実感がなさすぎる。


「……」

「……」


 短い沈黙が流れた。そして……。


 ぐぅ~~~~~~。


 重低音のようなお腹の音が、彼の腹から鳴り響いた。


(ちょ、地鳴りじゃなくて……腹の音!? 空気が振動してるんだけど!?)


 私が固まる中、彼の視線は部屋のちゃぶ台へ。

 そこに置かれたおにぎりと味噌汁に、まるで獲物を見つけた獣のように釘付けになっていた。


 興奮を示すように荒く吐かれる息。

 血走った紫の瞳を見てしまって、体がびくっと震える。


「あ、あの……?」


 恐る恐る声をかけると、……彼はいきなり土下座した。


「ご飯を、食べさせてください!!」


 闇色のコートに包まれた広い背中が、呼吸に合わせて上下する。

 頭をこすりつける姿に、私の思考は追いつかない。


(は、初対面の大物が、ボロアパートの玄関で土下座!? なにこれ!?)


 だが彼のお腹からは、止まることなく警報のような重低音が鳴り響いている。


 ……このまま追い返したら、あまりにも後味が悪い。


 私は腹を括り、彼の前にしゃがんで目を合わせた。


「立ってください。……お腹が空いているのって辛いですよね。粗末な物しかないですけど、食べていきますか?」


「ぜひ!!」


 食い気味の返事に、彼の瞳が期待で輝いた。


 任務帰りなんだろうか。服も汚れている。亀裂の出口を出ると、周囲十キロ圏内のランダムな場所に飛ばされるらしいし、きっと偶然ここに辿り着いたんだ。

 こんなささやかな匂いしかしない、ただのおにぎりと味噌汁に目を潤ませて渇望しているなんて。

 どれだけ極限状態だったんだろう。


 そう考えると同情心が湧き上がる。


「どうぞ」


 私は体を横に面して部屋への道を開けた。

 女の一人暮らしの部屋へ不用意に男を招き入れるのは危ないとは思いつつ、私は直感でこの人なら大丈夫だと思った。

 部屋に入れると、彼は吸い寄せられるようにちゃぶ台の前に腰を下ろす。


 ささやかな食事の乗った小さなちゃぶ台の前に、成人男性がちょこんと正座をしている姿はなんともアンバランスだ。

 どうみても量が足りない。



「それだけじゃ足りませんよね。……待っててください。スキルを使うので、すぐできますから」


 私が胸の前で手を上下に重ね開くと、柔らかい光が灯った。

 スキル「癒しの空間」が発動する。


「食材の種類がないのであまり変わり映えしたものは作れませんが」

 そう言いながら光の中に作りたい料理を描く。

 光が部屋に満ち、温かな香りとともに料理が次々と形を成す。

 握りたての塩むすび。出汁香る味噌汁。野菜の皮で作ったきんぴら。そしてとっておきのウインナーはタコさんの形にしてお皿に添えて並べた。

 狭いちゃぶ台が、料理で埋まっていく。


 品数が増えるほどに彼の顔が輝いていくのがわかって、作る手が止まらない。

 最後の一品を置いて向かい合わせに座ると、「ヨシ」と言われるのを待つ犬のように私の顔を見つめた。


「温かいうちに、どうぞ」


「はいっ!」


 ようやく「ヨシ」と言われた彼は目を輝かせて大切そうにおにぎりを手に取り一口頬張った。



「……っ!!」

 彼の瞳が大きく見開かれる。

 ぱくぱくと二口でお茶碗一杯分のおにぎりが消え去り、味噌汁に手を伸ばす。

「んん……ッッ!」

 またしても彼の目が輝きを増した。

「うまい……っ! なんてうまいんだ……っ!」

 ただのおにぎり。ただの味噌汁。

 けれど彼は宝物のように、一口ずつ噛みしめながら夢中で食べていく。



 食べるごとに彼の紫の瞳が輝きを増し、私は胸がじんわり熱くなった。


 私の作ったご飯を、こんなに幸せそうに食べてくれるなんて……。

 それに、私のスキルが他人の役に立ったのは初めてだ。

 嬉しい。私のスキル、使えない役立たずじゃなかった。


 使えない。使いどころのないスキルだなんていうたびに笑われていた。

 でも、こんな風に役に立つときが来るなんて……。


 私は自分が食べるのも忘れて夢中でご飯を食べる紫己さんを嬉しい気持ちで見つめる。


 

 ずっと見ていたい。もっとたくさん食べて欲しい。


「ふふふ……」

 私は無意識に笑ってた。


 だって、この瞬間がなんでかとっても幸せだったんだもの。


 ちゃぶ台の上が空になり、私は再びスキルで料理を作って並べる。


 それを五回ほど繰り返し、食べ終えるころには、家にある食料はすべてなくなってしまっていた。

 私自身は夕飯を食べ損ねたのに、不思議と後悔はない。

 お腹は空いているのに心は満たされて、とても幸福だった。


 やがて、粗茶を飲んで一息ついた彼がするすると私に近づいてきて手をぎゅっと握った。


「あの……?」


 あまりに距離が近い。


 この人、近くで見ると本当に顔が整っている。

 

 意思とは関係なく勝手に胸が高鳴ってしまう。

 だってこんなに近くで格好いい男の人に触れられるなんて初めてなんだもの。


「……あなたのご飯を、毎日食べたい」


「ええええ!?」


 顔が一気に真っ赤になる。どう聞いてもプロポーズじゃない!?

 全然いやじゃない、いやじゃないし、むしろ食べる姿をずっと見てたいって思ったけど……!


 びっくりして手を振り払う。


「ちょっ、初対面で何言ってるんですか!?」

 慌てて距離を取る私に彼は慌てて居住まいを正す。

「失礼しました。まずは自己紹介ですね」


 咳払いをした後、正座で向かい合ったまま彼は名刺みたいにハンターカードを差し出した。


「俺は久遠紫己、二十五歳。白狼ギルドのハンターです。趣味は仕事。あなたの料理に惚れました。よろしくお願いします!」

「よ、よろしく?」

 目の前に突きつけられたギルドカードを勢いで受け取ってしまう。

 そうすると久遠さんはふにゃりと嬉しそうな笑みを浮かべた。

「……っ!」

「あなたの名前を教えてください」

 ギルドカードを持った手はいつの間にか、大切そうに両手で包まれている。

「北沢あかね。二十二歳。フリーアルバイター。趣味は……読書かな?」

「あかねさん……。あかねさんとおっしゃるのですね。いい名前です」

「ありがとう、ございます?」


 どうしよう。久遠さんのテンションについて行けない。


「あかねさん」

「は、はい」

「あなたの料理を毎日食べたい! 本当に素晴らしい料理の品々でした。例えるなら、そう、まさに天上の味! 俺はあなたの料理ほどおいしいものを食べたことがない!」

「大げさでは……?」

「大げさではありません!」

「ひっ……!」

 両手に包まれた右手が強く握られた。

「すみません、痛かったですか?」

「いいえ、あの、驚いてしまって……」

「よかったです。こんなに可愛らしい手を痛めてしまったら大変ですから」

「……かわ」

 この人……、天然なのかな!? 

 労わるように撫でる手付きが優しいけど、恥ずかしい。

 そして引き抜きたいのにそれはさせてくれない!


 さらに距離をじりじり詰められ、今は完全にひざを突き合わせている状態で逃げ場がない。


「あかねさん」

「はい」

「まずはお渡ししたギルドカードを見てください」

 思わず勢いで受け取ってしまったけれど、これは一般人が手にしていいものじゃない。

 気付いて慌てて返そうとしたけれど、それを彼が柔らかく押しとどめる。

「俺を知って欲しいんです」

 お願いされるような目で見つめられたら断れない。

「……拝見します」

 渡されたカードを見る。

 

 これが本物のハンターカード。

 材質のわからない真っ白いカードに金色の文字で彼の名前と年齢、所属ギルドと等級、それからスキル名が記されていた。

 真ん中には七色のホログラフでSの文字が刻印されている。

 一般人がおそらく一生目にすることはないそれをまじまじと見つめていると、紫己さんがカードを持つ私の手を包む。


「俺のスキルは暴食というのですが」

「はい。メディアで見て知ってます」

「俺のことを、知っていてくださったんですね」

「紫己さんは……有名人なので」

 そんなに嬉しそうに見つめないで欲しい。

 至近距離のイケメンは心臓に悪いんです!


「暴食は食べれば食べるほど強くなるスキルなんです」

「はい」

 暴食は食べ物を効率よくエネルギーに変換して、戦うことが出来るスキルで、亀裂へ入るときは必ず大量の食事をしてから向かう。

 バイト先でつけられていたテレビでよく流れていた暴食の紫己のニュース。

 亀裂へ入る前の準備映像で、彼は山ほどの料理を飲むように流し込む光景が映されていた。


 体のどこにその量が入るのだと、広げられているおいしそうな料理の映像をよだれをたらしそうになりながら見たものだ。


 そんなことを思い出してる間に紫己さんの話は進んでいたらしい。


「俺のペナルティですが……」

「待ってください! ペナルティの話は……!」

 私は慌てて紫己さんを止める。


 スキルには必ず“ペナルティ”がある。

 けれどスキルとは違い、ペナルティは信頼できる人以外には秘匿にするべきものだ。

 ペナルティはその人の弱点にもなり得る。

 特にハンターのペナルティは機密事項だ。


 さらりと何を言うのだと顔を青くしている私に、紫己さんは顔を綻ばせ柔らかく微笑んだ。


「あなたには。いえ、あかねさんだから聞いてほしい」


 真剣に見つめられ、そんな風に言われたら聞きたくないとは言えなくなってしまった。


 私の様子を嬉しそうに見つめ、紫己さんは口を開く。


「俺は十二歳で「暴食」を開花しました。けど同時に、「味覚障害」というペナルティを背負ったんです」


「……味覚障害?」


「はい。食べ物の、味も匂いも……全く感じないんです」


「……っ!」


 信じられない。

 あの大量の料理。ぜんぶ味がしてなかったってこと!?

 確かに飲むように食べていたけれど、ずっと無表情だったけど……。



 ご飯は元気の源。

 どんなに嫌なことがあったって、おいしいご飯を食べて、ぐっすり眠ればまた頑張れる。

 そうやってずっと生きて来た。


 ご飯の味を感じなくなってしまったら、私はどうやって生きて行けばいいかわからない。


 自分の身に置き換えてしまったらその絶望感は計り知れない。

 ましてこの人は仕事のために人の何倍も食べなくてはいけないのに……。


「味のない食事は、心を蝕みました」


 楽しいこと、やりたいこと、好きなこと、嫌いなこと。

 年を重ねていくたび、感情が消えて行った。

 そう告げる紫己さんは苦しそうで、握られた手に力がこもる。


「俺の生きる意味は、人々のために魔石を取って帰ってくることだけになったんです」



 五十年前、地球のエネルギー源は枯渇した。

 石油もガスも石炭も消え、再生可能エネルギーでは生活を支えるには足りない。

 絶望する人類の前に現れた「時空の亀裂」。


 中には未知のエネルギーでできた怪物たちがひしめいていた。

 放置すれば外へ溢れ出す脅威。しかも亀裂内では電子機器も兵器も使えない。

 怪物たちと戦える武器は剣や弓といったアナログのものだけ。

 生身の人間がそれらに対処するのはほぼ不可能だった。

 

 けれどそんな中、怪物と戦う力を持った人間が現れた。

 亀裂が現れたと同時に開花した戦うスキルを持った人々。

 今を時めくハンターという職業だ。

 彼らが中に入り怪物を倒して落ちる魔石。

 それが今現在人々の生活を支える新たなエネルギーとなっている。


 ハンターたちが命がけで戦ってくれているからこそ、私たちは快適な暮らしができる。



 そんな中でも一番貢献してくれている彼が、こんな苦しみを抱えていたなんて……。


 私が知っている華やかな世界の裏側にショックを受ける。


 驚いている私に、紫己さんは淡く微笑んだ。


「でも、あなたのご飯は……おいしかったんです」


 紫己さんが、満ち足りたように笑みを浮かべる。


「スキルを開花して初めて、味がしました」

「……紫己さん」

 彼の感動が伝わってくるようだった。

「あなたの部屋の前を通りがかるとおいしそうな匂いがして、久しぶりに空腹を感じたんです」

 あんなささやかな匂いしかしない私の料理に惹かれたのはそんな理由だったんだ。

「ごはん、おいしかった……」

 万感の思いを込めた声。

 私の手を握る紫己さんの手が小刻みに震えている。

 確かスキルを開花したのが十二歳。今が二十五歳だって言っていたから、十三年も味のしない食事をし続けていたことになる。



「あなたにしかできない。俺の希望なんです」

「い、言いすぎですってば! それに私スキルを使って作ったので、もしかしたらスキルを使って作れば……!」

「もう試しました」

「……」

「あらゆる可能性を試して、全部だめだったんです。だから俺は全てを諦めることにしたんです……」

「紫己さん……」

「でも、俺は運命に出会いました。俺の女神」


 感動したのは分かったけれど、女神はさすがに言いすぎー!


「あかねさん……」



 紫己さんが愛しい人の名を呼ぶように私を呼ぶ。

 胸の奥が熱くなる。


 長い前髪の隙間から覗く紫色の瞳から目を逸らせない。


 だって、あまりに幸せそうな顔なんだもの。


 その顔のまま紫己さんは。


「あなたの作った食事を毎日食べたい」


 熱のこもった声でそう囁いた。


 口説かれてる、わけじゃない。

 ましてやプロポーズなんかでもない。

 純粋なお願い。


 でも、耳に届くその声は限りなく甘くて。



 ただ……あまりに幸せそうな紫己さんを前に、私は頷いていた。






 やがて迎えが来たと言って、名残惜しそうに何度も振り返りながら帰って行った。








 眠って起きて、翌朝。


 いつもの朝。

 ペラペラの布団に目覚ましのアラーム。ほとんど物のない古い八畳一間の室内はあまりにいつも通り。

 お腹は空いているけれど、それもいつものこと。

「……夢、だったかな?」


 だったらあまりに非現実すぎる夢を見た。



 息を吐いて布団から起き上がり、顔を洗って歯みがきをしていると玄関をノックする音が聞こえた。


「はーい」


 こんな朝早くから誰だろうと、玄関を開けると、そこには積み上がった段ボールの山があった。

 箱に書かれている名前を見る限り中身は食材や生活必需品。

 ……そして。

「おはようございます、あかねさん!」


 満面の笑みの紫己さんが、また立っていた。


「ご飯を食べさせてください!!」


 ご近所に響き渡る元気な声。


 夢じゃなかった。


「……ふふ、はい」


 夢ではなかったと理解した私は笑い、頷いた。




 ……こうして、腹ペコハンターとの奇妙な縁が始まった。








今日はもう一度18時に投稿します。

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