06.不協和音
その日を境に、下女たちはルフェリアから距離を取り始めた。
両親やオルフェンがいる場所では、今までと変わらぬ態度で真面目に仕事をする。しかし陰ではルフェリアが声を掛けても素っ気ない態度を取り、あからさまに無視するようになったのだ。
「――使用人を見下して……」
「自分だって元々は……」
そんな陰口が聞こえてきたことも、一度や二度ではない。
聞きとがめて注意したこともあるが、彼女たちは「ルフェリアお嬢さまのことを言ったわけではございません」と言い逃れするばかりだ。
冷ややかな空気は徐々に伝播していき、やがて下女だけでなく侍女たちともギクシャクなり始めた。
ルフェリアといると、盗難の冤罪をかけられるかもしれない――そんな噂がそこかしこで囁かれる。
一方で、使用人たちの間ではシュエリーナの評判が瞬く間に上がっていった。
気さくなシュエリーナは、休み時間のたびに使用人たちの部屋に顔を見せ、お菓子やらお茶やらを差し入れしているらしい。
「シュエリーナお嬢さまって本当に素敵な方よね! 誰かさんと違って、使用人だからって見下したりしないし」
「わたし、この前可愛らしいブローチをいただいたわ。友情の証ですって!」
使用人思いなのは素敵なことだ。だけど伯爵令嬢として、必要な一線は引くべきだ。
そう思って一度だけ注意したことがあるが、シュエリーナは不思議そうな顔をしていた。
「あら、どうして? 使用人がいなければ、わたしたちは生活できないわ。彼女たちには感謝すべきよ」
そんな話をしているわけではなかったのだが、シュエリーナは聞く耳を持ってはくれなかった。
仕方なく両親に相談したが、父も母も大して気にした様子はなかった。
「シュエリーナは孤児院生活が長かったんだ。貴族としての振る舞いがまだわからないとしても、仕方ないだろう」
「あまり厳しくしないで、おおらかな目で見てあげないとね。ルフェリアはそんな狭量な子じゃなかったでしょう?」
天真爛漫で気さくなシュエリーナは、すぐに伯爵家に溶け込んでいった。
両親はシュエリーナを掌中の珠のように大切にしたし、オルフェンも新しい妹に夢中だった。
「シュエリーナは僕にそっくりだね」という兄の嬉しそうな言葉を聞くたび、ルフェリアは家族と全く似ていない自分の容姿を思い、いたたまれない気持ちになる。
「僕、シュエリーナ姉さまのことあんまり好きじゃない……」
ユリクスがそんなことを口にしたのは、シュエリーナが屋敷にやってきてひと月も過ぎた頃だった。
ユリクスは人見知りではあるが、他人に対してはっきり好悪をあらわにするようなことはこれまで一度もなかった。
それだけに、ルフェリアは驚いてしまう。
「どうしてそう思ったの?」
「うまく言えないけど……。なんだか、すごく嫌な感じがするんだ。シュエリーナ姉さまが来てから、父さまも母さまも兄さまも、使用人たちも皆おかしくなったし……ルフェリア姉さまは、あまり笑わなくなったよね」
このところ両親とオルフェンはシュエリーナにつきっきりで、ルフェリアの部屋を訪ねてくるのはユリクスだけになっていた。
ソファの上で膝を抱えたまま不安そうな表情をするユリクスを前に、ルフェリアは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
いつの間にか弟に、こんなにも気を遣わせてしまっていたのだ。
「ごめんね、ユリクス。だけど、シュエリーナはこの家の本当の娘なんだもの。お父さまやお母さま、オルフェン兄さまが、長く離れていた彼女を大切にするのは、当然のことなのよ」
「だけど……僕はルフェリア姉さまのほうがずっとずっと好きだよ」
「まあ……! ありがとう。わたしもユリクスのこと、とっても大好きよ」
ルフェリアは思わず、ユリクスを抱きしめた。
弟は腕の中でくすぐったそうに身じろぎをしたが、それでも抵抗することなく抱擁を受け入れてくれる。
ユリクスはルフェリアの恩人だ。ユリクスのおかげで、ルフェリアは卑屈にならずにいられるのだから。
§
シュエリーナが屋敷に迎え入れられ、二ヶ月が経った頃。
オルトランド伯爵家では、ガーデンパーティが開かれることとなった。
元々はルフェリアの誕生日パーティとして予定されていたものだが、一緒にシュエリーナのお披露目式にもしようと、オルフェンが提案したのだった。
主役がふたりになることを両親は気にしていたけれど、ルフェリアの胸は別の事で一杯だった。
なんといったって、パーティにはカロウェン侯爵夫妻と共にヒュエルが招かれているのだ。
このところシュエリーナを迎えたことで伯爵家は忙しくしており、ヒュエルに会えるのは久しぶりのことだった。
ルフェリアは少し気合いを入れて、上品な淡い青色のドレスに身を包み、髪に白い花飾りをつけて臨むことにした。
本当は髪を編み込みにしたかったけれど、侍女たちにことごとく支度の手伝いを断られてしまった。そのため、自分で仕上げた不格好な髪型を、鏡の前で何度も手直しする羽目になってしまった。
パーティの開始時刻ギリギリに支度を終えて庭に出ると、そこには既に大勢の招待客たちが集まっていた。
その中にヒュエルの後ろ姿を見つけ、声を掛けようとしたルフェリアは、ぎくりと身を強張らせる。
彼の向かいにはシュエリーナがおり、軽やかな笑い声を上げながら楽しそうに会話をしている最中だったからだ。
しかもシュエリーナは時折、ヒュエルの手を取ったり腕に触れたりして、大層親密そうに振る舞っている。
ヒュエルもヒュエルで、満更でもなさそうな表情をしているように見えた。
婚約者のいる男性が、他の女性と親密にしている姿を注目されるのは外聞が悪い。
シュエリーナはともかく、それがわからないヒュエルではないはずなのに。
「あの……ふたりとも」
目立たないようそっと近づき、静かに声をかけると、シュエリーナが弾むような声を上げた。
「まあっ、ルフェリアお姉さま! 今日のドレス、とっても素敵ね」
「ありがとう、あなたのドレスも素敵よ。それにヒュエルさま……お久しぶりです。ごきげんよう」
「ああ、ルフェリア。ちょうどシュエリーナ嬢から、君の話を聞いていたんだ。とても良い姉上で、尊敬しているってね」
「いやだわヒュエルさまったら。そのお話はふたりだけの秘密って言ったでしょう?」
そう言って、シュエリーナはまたベタベタとヒュエルの腕に触れる。こうしていると、どちらが婚約者なのかわからない。
周囲の視線を集めている事に気付き、ルフェリアは慌ててシュエリーナに向き直った。
「シュエリーナ。あなたは私の姉妹とはいえ、貴族令嬢が婚約者のいる男性に親密に触れるのはあまりよくないわ。あなたもいずれ、素敵な男性と婚約するのだし――」
「ご、ごめんなさいお姉さま……。わたし、ヒュエルさまと仲良くなりたくて……」
やんわりと注意すると、シュエリーナは大げさなほどしゅんとして俯いた。傍で見ていたヒュエルが、眉間に皺を寄せてルフェリアを軽く睨む。
「そんなに厳しく言う必要はないんじゃないか? シュエリーナ嬢は僕の妹になるんだし、未来の兄として慕ってくれているだけだろう」
「だけど、貴族令嬢としてのたしなみが――」
「わたしが悪いの! わたしが、貴族令嬢としてしっかり振る舞わなきゃいけないのに……。育ちが悪いせいで、お姉さまにご迷惑をおかけして……」
とうとうシュエリーナは泣き出してしまった。
両手で顔を覆い、肩を震わせるシュエリーナの姿に、周囲は遠巻きにこちらのほうを気にしている。
「どうした? 何があったんだ」
「ルフェリア嬢が、シュエリーナ嬢を育ちが悪いと罵倒したそうですわよ」
「まあ……ご自分だって孤児院育ちなのに、同じ境遇の妹君を気遣って差し上げられないのね……」
そこかしこから、そんな声が上がる。
青ざめたルフェリアは、助けを求める気持ちでヒュエルを見つめた。しかし彼はルフェリアではなくシュエリーナの肩を抱くと、うんざりしたような顔を向けてきた。
「君がこんなに心が狭いとは……少しがっかりしたよ」