02.あたたかな場所
一週間後にはルフェリアは早速、オルトランド伯爵領の屋敷へ迎え入れられた。
伯爵家は大変裕福な家庭のようで、屋敷の建物は荘厳かつ広大で、使用人が三十人余りもいた。
「ようこそいらっしゃいました、お嬢さま」
「お困りのことがございましたら、なんなりとお申し付けくださいませ」
玄関に勢揃いした使用人たちは、まるでルフェリアが生粋の令嬢であるかのように、恭しく出迎えてくれた。
恐縮しながら彼らに軽く挨拶をした後、ルフェリアはティールームに通される。
「いつもここで家族団らんを行うのよ。これからはあなたも、一緒ですからね」
「ルフェリアは、甘い物は好きかい?」
「はい、大好きです」
孤児院では滅多に食べられなかったけれど、だからこそ、たまに町の婦人会から差し入れされるクッキーはご馳走だった。
ルフェリアの答えに、伯爵はにこにこと目を細める。
「そうか、そうか。ではルフェリアのために、菓子職人に腕をふるうよう伝えておこう」
「タルトでもガトーショコラでもムースでも、なんでも好きなものを言ってちょうだいね」
夢のような言葉に、ルフェリアは目を大きく瞠る。
扉が外側から開かれ、誰かが飛び込んできたのはその時だった。
「父上、母上! 僕の妹はどこですか!?」
どこか興奮したようにやってきたのは、十二、三歳くらいの少年だった。その後ろには、まだ小さな男の子もいる。
「こら、オルフェン。行儀が悪いぞ。――それに、ユリクスまで連れてきて」
「すみません、父上。だけど、早く妹に会いたくって」
オルフェンと呼ばれた少年はルフェリアを目にとめると、ぱっと目を輝かせた。
つかつかと大股でやってきて、ルフェリアの両手をとる。
「初めまして! 私は長男のオルフェン。妹ができてとっても嬉しいよ」
「……ねえしゃま?」
「そうだ、ユリクス。彼女がお前のお姉様になるんだぞ」
「はじめまして、オルフェン……お兄さま。それに、ユリクス」
ぎこちなく挨拶を返すと、気を遣った伯爵夫人が横から説明を加えてくれる。
「オルフェンは十五歳で、ユリクスは三歳よ。ふたりとも、ルフェリアが来ることをとっても楽しみにしていたの」
快活そうな兄と、愛らしい弟。
ふたりとも、夫人によく似たけぶるような金髪に、夏空のような澄んだ青い目をしていた。
タイプは違うけれど顔立ちはそれぞれに美しく、天使のようだ。
一気にふたりも兄弟が出来たことは嬉しい。けれどそれ以上に、ルフェリアはいたたまれなくなった。
屋敷に来る道中、伯爵夫妻は『シュエリーナ』について教えてくれた。彼女は夫人と同じ、淡い金髪に青い目をしていたそうだ。
ルフェリアの持つ濃い茶色の髪も、褪せた緑の目も、どちらもこの国では非常に平凡な色だった。その上、ルフェリアはやせっぽちで、院長からはいつも「みすぼらしい子だ」と言われていた。
本当に自分のような人間が、この美しい家族の一員になっていいのだろうか。
やはり要らないといって、捨てられはしないだろうか。
赤子の時に捨てられていたという過去が、ルフェリアの足をすくませる。
「ルフェリア、どうしたんだい?」
ルフェリアの表情が曇ったことに気づいた伯爵が、気遣わしげに声をかける。
言うべきかどうか迷った末、ルフェリアはおずおずと口を開いた。
「本当に、わたしなんかがこんな素敵なおうちに住んでもいいのですか……?」
伯爵は驚いたように目を見開き、夫人と顔を見合わせる。
やがて彼はルフェリアの頭をそっと撫でると、不安を拭うような優しい声で言った。
「わたしなんか、なんて悲しいことを言わないで。私たちにとって君はもう、実の娘のように大切な存在なんだよ」
「最初は慣れないかもしれないけれど、どうかわたくしたちのことは本当の家族だと思って、ぞんぶんに甘えてくれると嬉しいわ」
「そうだよ、ルフェリア。うちには女の子がいなかったから、私もユリクスも、君が来てくれて本当に嬉しいんだ」
一家は口々に優しい言葉をかけてくれ、俯くルフェリアを全員で抱きしめてくれる。
これまで横暴な院長の下で怯えて暮らしていたルフェリアにとって、生まれて初めて受けた『家族』の愛情は、どこまでも温かいものだった。
§
その日から、ルフェリアの生活は一変した。
自室として与えられたのは、南向きの日当たりのよい一室。
柔らかな薄紫色のカーテンとクリーム色の壁紙が特徴的な、いかにも女の子らしい部屋だった。
艶やかに磨かれ、鏡のように光る飴色のテーブルに、曲線を描いたジャガード生地のソファ。真っ白な飾り棚には、可愛いぬいぐるみや人形が飾られている。
いずれも、ひと目で高級だとわかる品々ばかりだ。
クローゼットの中には色とりどりのドレスや帽子、おしゃれなデザインの靴が所狭しと収められ、毎日違うものを身に着けることができるほどだった。
身の回りの世話は全て専属の侍女が行い、細々と気遣ってくれた。
定期的に医師がやってきて、良い薬を処方し、栄養指導をしてくれたおかげで、病気がちだった身体はすぐに丈夫になった。
休日以外は評判の家庭教師がやってきて、貴族令嬢として相応しい立ち居振る舞いや知識を教えてくれる。
元々読書が好きだったルフェリアにとって、新しい知識に触れられる機会が増えたのは本当にありがたかった。
それに、家名に恥じない立派な淑女となって、早く家族へ恩返しをしたい気持ちもあった。
授業時間が終わっても熱心に質問をしたり、資料を読みふける姿に、伯爵が「もっと気楽に過ごしていいんだよ」と苦笑したほどだ。
伯爵は大きな貿易会社を経営する実業家でもあり、たびたび異国の珍しい品々をルフェリアのために手に入れてくれた。
見たことのない模様の絹織物、珍しいオルゴール、縁起物のお守り。
とりわけルフェリアが気に入ったのは、漆黒の羽を持つ小鳥だ。なんでも、異国では縁起の悪い鳥として忌み嫌われているらしい。
父は「もっと綺麗な小鳥をあげるから」と言ったけれど、売れ残ったその小鳥がなんだか自分のように思えて、放っておけなかった。
ルフェリアはその子を『パール』と名付け、大切に可愛がった。
休日には夫人と共に、他家のティーパーティーに参加することもあった。
たかが養女とルフェリアを侮る者もいたが、そのたびに夫人は「余計な言葉は気にしなくていいのよ」「誰がなんと言おうと、あなたはわたくしの大切な娘」と言ってくれた。
おかげでルフェリアはどんなときも、胸を張っていられることができた。
晴れの日にはオルフェンに連れられて町を歩き、花や宝石、菓子に陶磁器などさまざまな物を買い与えてもらった。
買いすぎだと恐縮するルフェリアに、オルフェンは「妹を幸せにするのが、兄としての役目だからね」と笑っていた。
小さなユリクスは、ルフェリアによく懐いた。
たびたびルフェリアの部屋にやってきては、庭に咲いていたという花をプレゼントしてくれる。
成長した彼は、植物や動物に興味を持ち、よく図鑑を読みふけっていた。『ルフェリア』の花言葉を教えてくれたのは、彼だ。
ルフェリアという植物は決して華やかではない。
むしろその反対で、白い花は雑草に埋もれるかのごとく小さく控えめだ。
けれどユリクスは「〝優しい心〟だって。ねえさまにぴったりだね」と言ってくれた。
その言葉だけで、捨て子の証のようだった自分の名を初めて好きになれた。
ルフェリアの幸せを語る上で、外せない人物がもうひとりいる。
一歳年上の、婚約者のヒュエルだ。
カロウェン侯爵家の長男である彼と引き合わされたのは、ルフェリアが十二歳の頃だった。
元々彼は、オルトランド伯爵夫妻の誘拐された愛娘、シュエリーナの婚約者として定められた相手だったらしい。
シュエリーナがいなくなり婚約は白紙になったが、このたびルフェリアという養女を迎えたことで、再び婚約話が持ち上がったらしい。
養女ということで、特にカロウェン侯爵夫人は難色を示したそうだが、ヒュエル自身はルフェリアに対してとても好意的だった。
「はじめまして。君が僕の婚約者? チョコレート色の髪とオリーブ色の瞳が、とっても素敵だね!」
初対面の時から気さくで明るい彼と、ルフェリアはすぐに打ち解けることができた。
一緒に彼の家のバラ園を散歩したり、ユリクスを巻き込んでかくれんぼをしたり、侍女たちのお供でピクニックに行ったり――。
ヒュエルはジョークが得意で、いつもルフェリアを楽しい話で笑わせてくれた。
恋や愛という感情はまだわからないけれど、大人になったら彼と結婚するのだという事実は、幼いルフェリアの胸を確かにときめかせた。