14.罪が暴かれる時
オルトランド伯爵一家のそうした醜いやりとりを、セリオスは魔界の水鏡を通して全て見ていた。
遠い場所で起こった出来事や、人の記憶を覗くことのできる魔道具――。ルフェリアの魂に刻まれた記憶を知ることができたのも、この魔道具のおかげだ。
それからの彼らは、想像以上に醜悪だった。
両親も、兄も、それぞれが互いを責め立て、ルフェリアを虐げた責任を押しつけようとする。
果ては『ルフェリアは本当は良い子だったのに』だの『あんな優しい子をどうして疑ったのか』『そもそも初めに疑ったのは自分ではない』などと言い合うさまには、乾いた笑いが零れるほどだ。
一度ルフェリアに侮蔑を向けたのなら。
一度シュエリーナを信じたのなら。
最後までそれを貫き通せばよいものを。
しかし、無理もない。
彼らは一方の言葉だけを鵜呑みにし、ろくに事情を調べることもせずルフェリアを断罪するような浅はかな人間だ。
養女の死という衝撃的な出来事がなければ、今でもルフェリアの悪口を言い続けていただろう。
ルフェリアに記憶があれば、彼女はそんな家族を見てどう思っただろう。
(優しい彼女のことだ。きっと、彼らを赦したのだろう)
これまで受けた仕打ちも、ぶつけられた罵倒も全て水に流し、そんなルフェリアの優しさに家族は救われるのだ。
だが、ルフェリアが赦してもセリオスは赦さない。
(彼女が、それを望まないだろうことはわかっている)
それでも決して――決して、彼らはルフェリアに赦されるに相応しい人間ではないのだから。
§
――その日、オルトランド伯爵家にはひとりの来客があった。
ルフェリアとシュエリーナが育った、あの孤児院の院長だ。
セリオスはその光景を、水鏡越しに見ていた。
なぜか青ざめ、やつれきった姿で現れた院長は、伯爵夫妻の前に跪いて懺悔した。
それは彼女が行った、ある偽装工作について。
きっかけは、地元の農家夫婦が「家の前に捨てられていた」と言って、孤児院に赤子を連れてきたこと。そしてその赤子が持っていたブローチを、院長が密かに横領したことだ。
ブローチは見るからに高価そうで、捨て子にはとても不釣り合いだった。
これまでの人生でお目にかかったこともないような豪奢なブローチを前に、院長の心に悪魔が囁いた。
イニシャルが入っているため、売り払えば足がついて横領が発覚してしまうかもしれない。
けれどきっとこの赤子は、どこかの貴族の落とし子だ。
ブローチを証拠に「高貴な生まれである」と言えば、いずれ貴族の養女に出すことができる。あるいは、実の親が探しにきた際、これまで育てた分の謝礼をねだることだってできるだろう。
けれど、ひとつ誤算があった。
部屋でそのブローチを磨いている際、うっかり孤児のひとりにそれを見られてしまったのだ。
その孤児が、院長の一番のお気に入りであるシアーシャだったのは幸いだった。
院長は口止めする代わりに、いずれ彼女を貴族の養女として売り込むことを約束した。
上昇志向が強く自尊心の高いシアーシャにとって、平民のまま人生を終えることは許しがたい苦痛だったようだ。彼女は喜んでその条件を受け入れた。
罪悪感などなかった。
元々ブローチを持っていた赤子は、院長に言わせれば「つまらない容姿の少女」に育ってしまった。
こんな娘を見せても、誰も貴族の血筋とは信じてくれないだろう。
その点、淡い金髪に青い目を持つ美しいシアーシャであれば、高貴な生まれと言っても不自然ではない。
養女にするなら、美しいほうがいいに決まっている。
唯一、オルトランド夫妻が最初に孤児院を訪ねた際、別の娘を養女として望んだことだけが誤算だったが――。
結局、院長の目論見は現実のものとなった。
なんとブローチと共に捨てられていた赤子は、オルトランド夫妻が長年探し続けていた娘だったのだ。
院長はすぐさまシアーシャにブローチを持たせ、伯爵夫妻のもとに送り出した。幸にしてシアーシャの持つ髪や目の色は、伯爵夫人と全く同じだったため、夫妻はすっかり彼女が本当の娘であると信じ込んだ。
これまでシアーシャを育ててきた分の謝礼金をたっぷり支払ってもらったおかげで、院長の懐は一気に潤った。それから約二年の間は、贅沢三昧で夢のような生活を送ることができた。
しかし――。
『最近になって、悪夢を見るようになったんです』
乾いてひび割れた唇から、院長は掠れた声を零した。
『お前の悪事は全て見ている。悪事には必ず報いがある。お前は地獄に落ちるだろう――と、黒い影が囁きながら私を延々と追い続けてくる夢を。そしてわたくしは、生きたまま黒い炎に焼かれるのです』
初めのうちは、そういった悪夢を見ることもあるだろうと軽く考えていた院長も、それが毎日続くようになると、さすがに恐ろしくなってきたようだ。
もちろん、セリオスの仕業だ。魔族は心を操り、幻覚を見せることができる――が、そんなことを院長が知る由もない。
そんなことができるのは神か、あるいは悪魔か――とでも思ったことだろう。
得体の知れない超常的な存在が、自身の犯した罪を毎夜責め立ててくるという出来事に、院長は日に日に精神を削られていった。
そして――罪を懺悔すれば赦されるかもしれないという一縷の望みにかけて、今日ここへやってきたというわけだ。
憔悴しきった院長の告白を聞き終え、伯爵夫妻は唖然としていた。
『つまり……我々がこれまでシュエリーナと呼んでいた娘は、我が家とは縁もゆかりもないよそ者だと……?』
『では……では、本当のシュエリーナはどこに? まだ、孤児院にいるのなら……』
伯爵夫妻が、縋るような眼差しで院長を見る。
もし、まだ本物のシュエリーナが孤児院にいるのであれば、自分たちの心が少しでも救われる――そんな気持ちでいたのだろう。
しかしその直後、院長の口から飛び出した言葉に、ふたりはますます顔色を失った。
『ルフェリアです。ルフェリアが、ブローチと共に捨てられていた赤子なのです』
『嘘、嘘よ……』
『そんなことがありえるはずがない! 嘘を言うな、この詐欺師め!!』
被害者ぶって泣き崩れる伯爵夫人と、ぶるぶると震えながら院長に罵声を浴びせる伯爵を前に、セリオスは失笑を禁じえなかった。
「自分たちの手で、ずっと探し求めていた愛娘を死に追いやった気持ちはどうだ? ……だが、ルフェリアはもっと辛かったはずだ」
水鏡の間の窓から、セリオスは城の庭園に目をやる。
夕焼けに照らされた庭園には、メイドと共に散歩をするルフェリアの姿があった。
一年間眠り続けていたおかげで弱った足腰を鍛えるためにと、このところ毎日、朝夕になると散歩に出かけているのだ。
何を話しているのか、メイドと楽しそうに笑い合う彼女を見ていると、すさんだ心が癒やされるようだ。
ちらりと水鏡に視線を戻すと、遅れて部屋へ飛び込んできたオルフェンとシュエリーナが何やら醜い言い争いをしているようだった。
(――こうなれば、後は直接手を下さずとも勝手に転落していくことだろう)
冷たい眼差しで一家を一瞥したセリオスは、魔力を込めた指先で水鏡の表面にそっと触れる。
すると水面に映る光景が移り変わり――今度は、ひとり寝室で眠るユリクスを映し出した。
最後までルフェリアを慕い、信じていた弟。
彼だけは、これから始まるであろうオルトランド伯爵家の悲劇に巻き込むわけにはいかない。
セリオスは水鏡の中に手を突き入れ――その向こうにいるユリクスを、すくい上げた。
いつもお読みくださりありがとうございます!
次か次で完結かなと思いますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです




