13.遺された者たち
話はおよそ一年前に遡る。
伯爵家の人々は皆、身勝手な養女の振る舞いに苛立っていた。
このところ、ルフェリアの態度は目に余るものがある。
なんの罪もないシュエリーナを虐げ、貶め、その上皆から責められると、図々しくもまるで自分のほうが被害者かのように振る舞うのだ。
おおかた、実子であるシュエリーナに自身の立場を奪われると思い、嫉妬しているのだろう。
『わたしが、お姉さまの婚約者を奪うような形になったから……。お姉さまはきっと、傷ついたんだわ』
優しいシュエリーナはそう言ってルフェリアを気遣っていたが、なぜ実子である彼女が、養女に気兼ねしなければならない。
ルフェリアは養女としての分をわきまえるべきだ。
カロウェン侯爵家との婚約が破談になったのも、元はといえば彼女がどこの馬の骨ともわからない養女だからではないか。
貴族同士の婚姻は、血筋が何より尊ばれる。
実子が見つかったのであれば、そちらが優先されるのは当然のことだろう。
ルフェリアには新たに、身の丈に合った婚約者を用意するつもりだったというのに、その機会をふいにしたのは他でもない彼女自身だ。
ルフェリアはこれまで散々、家族の愛情を独り占めしてきた。長い間孤児院で暮らし、家族のぬくもりを知らなかったシュエリーナを哀れに思いこそすれ、たかが婚約が破談になったくらいで悋気を起こすなどなんと性根の醜いことか。
それに比べてシュエリーナは、恵まれない立場であったにもかかわらずいつも周囲を明るい笑顔で照らし、楽しい気持ちにさせてくれる。
少々奔放なところもあるが、それすら愛嬌に思えてしまうほどに、彼女は魅力的な娘だった。
自身の立場を奪ったルフェリアに対しても、それは変わらない。
シュエリーナはルフェリアを『お姉さま』と呼んで敬い、常に彼女を立てるように振る舞った。
ルフェリアがもっと気立てのよい娘であれば、シュエリーナともうまくやっていけたであろうに、そうでなかったのが残念でならない。
それだけではない。
ルフェリアはシュエリーナを虐めるだけでは飽き足らず、その毒牙をユリクスにまで伸ばした。
幼い頃から彼女を姉と慕い、いつも後をついて回り、よく懐いていたユリクスを、あろうことか階段から突き落としたのだ。
あまつさえ、その罪をシュエリーナに擦り付けようとしていた。
ルフェリアの腐りきった本性も見抜けず、長い間家族として厚遇していた自分たちの浅はかさに、伯爵家の人々は自己嫌悪にすら陥っていた。
可哀想なユリクス。
あれほど姉を慕っていたのに、その姉によって、もう二度と目覚めることができないかもしれない身体にされてしまうなんて。
殺されても足りないほどの罪を、ルフェリアは犯した。それでも、彼女を修道院送りというごく軽い処罰で済ませた自分たちの冷静さを、褒めてやりたいくらいだ。
だというのに、ルフェリアは家族の寛大な心遣いすらも無下にした。
厳しい環境での生活を厭ったのだろう。彼女は修道院に送られる直前に家出をし、それから三日も音沙汰なしだ。
生かしておいてもらえるだけでも感謝すべきだというのに。
どこに行ったのかはわからないが、所詮はぬくぬくと育てられた娘。後ろ盾もないまま家を飛び出し、外の世界でたったひとり、生きていけるはずがない。
どうせすぐに戻ってくるだろう。
伯爵も、夫人も、そしてオルフェンも。
皆がそう思っていた。
オルトランド伯爵家からルフェリアが消えて一週間――屋敷の門を、王宮からの使者が叩くまでは。
「このたび貴家のご令嬢、ルフェリアさまが聖女となり、無事にお役目を果たされました。国王陛下はその尊い犠牲に深い感謝を示され、その証として貴家を侯爵家として陞爵し、多大なる報奨金をお与えになります」
思いも寄らぬ知らせに、初めは皆、何かの間違いだろうとまともに取り合わなかった。
あの性悪娘が、そのような殊勝な真似をするはずがない。
そうだ、きっとこれは、ルフェリアの仕組んだいたずらなのだ。
どこか近くに潜んでいて、家族が驚愕するさまをほくそ笑みながら観察しているに違いない。
「おい、ルフェリア! どこに隠れている。どういうつもりか知らないが、役者まで雇って私たちを騙そうとは、お前は本当に根性が曲がりきっているな!」
「ルフェリア、残念ながらわたくしたちはこんな見え透いた手には乗らないわ。同情を引いて、修道院行きから逃れようとしているのでしょう」
「さあ、早く姿を現すんだ。くだらないことばかりして私たちの気を引こうとして……。もう子どもではないんだから、こんなつまらない真似はよしなさい」
伯爵夫妻もオルフェンも呆れ笑いを浮かべながら、ルフェリアの浅知恵を嘲った。
ただひとり、シュエリーナだけが表情を引きつらせていることにも気づかないままに。
「残念ながら、これは芝居でもいたずらでもございません。私たちは正式に、王宮から派遣された使者なのですから」
使者が、手にしていた書簡を伯爵に渡す。
その時初めて伯爵は、そこに押されているのが本物の玉璽の印影であることに気づき、動揺をあらわにした。
「これは……確かに本物だ」
「なんですって!?」
夫人とオルフェンも遅れて書簡を覗き込み、そして青ざめる。
ルフェリアの仕組んだ、たちの悪いいたずらだと思い込んでいた彼らの脳が、先ほどの使者の言葉をじわじわと理解しはじめた。
――ルフェリアが、聖女となった? 役目を果たした?
「で、では、あの子は今……」
「瘴気の湖に身を投じ、汚れを浄化してくださいました。大変ご立派な最期でございました」
「何か、言い遺したことは――」
「何も。ただ湖に向かう道中で、昏睡状態に陥った弟君のことを大変心配なされて――。報奨金を、彼の今後の治療費に役立ててもらえればいいと」
伯爵夫妻とオルフェンは、揃って顔を見合わせた。
普通、自ら階段から突き落とした弟の心配をするだろうか。彼の治療費に役立ててほしいと、命を投げ出すだろうか。
「何かの間違いでは……。だって、ルフェリアはそんな殊勝な子では。そう。そうよ、きっと人違いですわ」
「信じたくないお気持ちはわかります。ですが、こちらの遺品をごらんになれば、信じていただけるかと」
使者が差し出したのは、ルフェリアがいつも身につけていたペンダントだった。
伯爵が彼女のために異国から仕入れた、この世にふたつとないデザインのペンダント。
オルトランド伯爵家で初めて迎えた誕生日の際に贈られたそれを、ルフェリアは肌身離さず身につけていた。
「そんな……」
夫人が、血の気を失って失神する。
傾き、くずおれそうになった身体を伯爵が慌てて抱き留める。
オルフェンは青ざめた顔のまま、立ち尽くしていた。
――自分たちは、何か重大な間違いを犯したのではないか?
そんな思いが、今更ながら彼らの胸に去来する。
そもそも、ルフェリアは本当にシュエリーナを虐めていたのだろうか。
小さな頃から控えめで大人しかったルフェリアが、誰かを陥れるような真似をするだろうか。
そういえばユリクスはいつも、ルフェリアの味方だった。
家族の誰もがシュエリーナの言うことを信じても、ユリクスだけはルフェリアのほうを信じていた。
自分たちは、シュエリーナこそが伯爵家の正当な娘であるという思いに囚われ、目を曇らせていたのではないか。
伯爵とオルフェンの視線は、自然とシュエリーナのほうへ向けられた。
「シュシュ……。お前は本当に、ルフェリアがユリクスを突き落とすところを見たのかい?」
「お、お父さまったら……。わたしの言うことを疑うの? わたしは確かに、ルフェリアお姉さまがユリクスを階段に向かって突き飛ばすところを見たのよ」
「ではなぜ、ルフェリアがユリクスのために聖女になり、治療費を遺そうとなんてしたんだ?」
「それは……。きっと、良心の呵責に耐えられなくなったのよ! 自分の犯した罪を後悔して、それで、少しでも償おうと――」
伯爵とオルフェンは、必死なシュエリーナの言葉を嘘と断じることはできなかった。
なぜならあの日、あの時、事件現場にいたのはたった三人だけ。
そのうちのひとりは既に亡くなっており、もうひとりは昏睡状態に陥っているのだから。
けれど、一度心に芽吹いた疑いの種を消し去ることは、もうできなかった。
「ねえ、どうしてふたりとも、そんな目でわたしを見るの!? わたしはあなたたちの本当の家族なのよ! まさかこの期に及んで、ルフェリアを信じようというの!? たかが養女を――」
「シュエリーナ、もうその話はいい。……今はただ、静かに過ごさせてくれ」
もはや伯爵とオルフェンがシュエリーナに向ける眼差しは、すっかり冷え切っていた。
 




