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12.魔界の王

 魔界には五十年に一度の周期で、人間の贄が捧げられる。

 清らかな乙女を魔界へ繋がる湖に投じることで、人間界に蔓延る瘴気やあらゆる病魔を祓うことができる――。人間たちは、そう思っているようだ。


 確かにそれは間違いではない。

 人間たちが『瘴気』と呼び忌み嫌うものは、魔族たちにとっては空気と変わらぬものだ。ありとあらゆる物体が持つ魔力が、空気中に滲み出ただけのこと。

 それもまた、魔界を構成する一要素のひとつに過ぎない。


 しかし、人間にとって猛毒となるそれをたっぷりと含んだ湖に身を浸せばどうなるか。生贄の身体は瘴気を吸収し、その命と引き換えに一時的に瘴気を『浄化』した形となる。


 人間たちは生贄のことを『聖女』と呼び、死後その家族に報奨金を与えるらしいが、なんとも反吐が出る制度だ。


 これまで湖を通じて魔界へやってきた生贄たちは皆、元は孤児だったらしい。

 莫大な報酬と『一族から聖女を出した』という実績が欲しい。さりとて実子を差し出したくない貴族が、急ごしらえで孤児を養女とし、生贄として送り出す。


 人間たちは魔族を悪魔か何かと恐れているようだが、人間のほうがよほど悪魔と呼ぶに相応しい醜悪さではないか。


 ともかく歴代の魔王たちは、瀕死の状態で魔界へやってきた乙女を哀れに思った。彼女たちを救うため、魔力によってその身体を作り替えることにした。

 脆弱な人間の身体が、魔界の瘴気にも耐えられるように。


 当代の魔王であるセリオスの前に『聖女』が現れたのは、今からちょうど一年前。

 艶やかな茶色の髪をした若い娘は、やはり全身を瘴気に浸したせいで今にも死にそうだった。


 肌は酷く青ざめ、黒い荊模様が身体中に浮かび上がり、彼女の身をむしばんでいた。

 目の前でなんの罪もない命が儚く消えていくのを、見捨てるような冷酷な真似ができるはずはなかった。


 歴代の魔王と同じように、セリオスはその圧倒的な魔力で彼女の身体を作り替えることにした。

 そしてその過程の中で、彼女の――ルフェリアの魂に刻まれた記憶を垣間見ることとなる。


 孤児だった彼女は、初めの内は養父母のもとで幸せに暮らしていた。

 優しい兄と、可愛らしい弟。親切な使用人たちに囲まれ、何不自由ない生活を送っていた。


 しかし、実の娘という女が現れてからというもの、その生活は一変する。

 シュエリーナというその女は、生来の性悪だった。


 元々孤児院では、院長に気に入られているのをいいことに、他の子供たちを虐げるような性格だった。

 それは成長してからも変わらなかった。

 シュエリーナはあえて自分が被害者ぶることで、ルフェリアが周囲から孤立するよう仕向けたのだ。


 シュエリーナは実に容易く、家族たちを操ってみせた。

 彼らはシュエリーナだけの言い分を信じ、ルフェリアの言葉に一切耳を貸さなかった

 そしてルフェリアはどんどん、家族から冷たく当たられるようになっていった。


 ――あまりの悲惨さに、初めて見た時は怒りで全身が震えるほどだった。


 シュエリーナの性格の悪さに吐き気がしたのはもちろんだが、それ以上に、家族の浅はかさは軽蔑に値する。

 これまで彼らは、ルフェリアの何を見てきたのだろう。


 記憶を覗いただけのセリオスですら、彼女が心優しく純粋で、ひたむきな少女であることは十分にわかったというのに。


 大抵の人間であれば、家族を恨んだことだろう。心の底から不幸を願われても仕方のないことを、彼らはした。

 しかしルフェリアの魂は、どこまでも清らかで美しかった。


 彼女は自ら、生贄となることを志願したのだ。

 自分を養女として迎えてくれた家族に、最後の恩返しをするため。

 そしてシュエリーナによって昏睡状態に陥った弟のために、少しでも治療費を遺そうと。


 ズタズタに心を傷けられ、踏みにじられながらも、決して優しさと感謝を忘れなかったルフェリアに、セリオスはたちまち心を奪われた。

 こんな高潔な者は、これまで見たこともなかった。

 まだ彼女と直接言葉を交わしたこともない――魂を垣間見ただけだというのに。その純粋さに惹かれている自分に気づいた。


 傷付いた心を、自分が癒やしたいと思った。

 いや、いっそ傷付いたことや辛い記憶は全て忘れ、魔界で新しい人生を歩み直せばいいと。


 だからセリオスは、ルフェリアの記憶を消した。

 それは、セリオスの自己満足だったのかもしれない。


 だけど、耐えられなかった。

 彼女がいつか目覚めた時、悲しい記憶によって再び傷つけられることが。柔らかな心が、邪悪な人間たちの悪意によって再び踏みにじられることが。


 そうして、彼女がまっさらな心のまま目覚めるのを待つことにした。

 魔力によって身体を作り替えるというのは大変なことで、人によっては十年も二十年も目覚めないということだってありえる。


 それでも、セリオスは根気強く彼女の目覚めを待ち続けた。

 毎日、庭から摘んできた花をルフェリアの眠っている部屋の花瓶に飾り、眠る彼女に話しかけた。

 いつか、返事がくる日を心待ちにしながら。


 ――そして今日、ルフェリアがようやく目覚めた。


 彼女と初めて直接言葉を交わせたことに、セリオスの胸はいつになく高揚していた。

 ルフェリアは、自身が記憶を失っていることや、これまで世話になったことに対して負い目を感じているようだが、そんなことを気にする必要はないのだ。


 彼女はただ、この城で穏やかに過ごしてくれればいい。

 何も思い出さなくていい。

 何も、知らなくていいのだ。


 この一年の間に、彼女の実家であるオルトランド伯爵家が偶然重なった(、、、、、、)不幸によってすっかり没落したことも――彼らの後悔も。

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