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11.奪われた記憶

(ここはどこ……? わたしは、どうしてここに……)


 痛む頭を押さえながら寝台から起き上がったルフェリアは、自身がここにいる経緯を辿ろうとし――そして、何も思い出せない(、、、、、、、、)ことに気づいた。


 自分が何者で、どういう生い立ちで、どこからやってきて、なぜこの場所にいるのか。

 頭の中に黒い靄がかっているようだ。自分の名前以外何ひとつとして、はっきりとはしない。


 記憶が一切なくとも、それが普通の状態でないことはわかる。

 事故か、病気かは分からないが、なんらかの理由があってこのような状況になったのだろう。


 ルフェリアは恐る恐る寝台から降り、周囲を観察して回ることにした。


 ――広く、美しい部屋だった。


 家具や丁度品は一目で一級品だと分かる優美な意匠をしており、カーテンや絨毯は優しいクリーム色で統一されている。

 甘い花の香りに誘われてそちらに目を向けると、淡い色の花々が花瓶の中で綺麗に咲き誇っていた。


「素敵なお部屋……」


 そう呟いた時だった。

 急に部屋の扉が開き、黒いワンピースに白いエプロンを付けた若い女性が入ってきたのは。


(メイド……?)


 記憶はなくとも知識はあるようで、彼女の装いを見るなり、ルフェリアはそう判断していた。


 メイドはルフェリアを見るなり目を大きく見開き、手にしていた盥をその場に取り落とす。

 そして――。


「だっ、誰か! お嬢さまが目を覚まされました……!」


 そう叫びながら、どこかへ走り去っていってしまう。

 唖然としながらその後ろ姿を見送ったルフェリアは、付いていっていいものかどうか迷い、結局は部屋の中に留まることにした。


 程なくして、先ほどのメイドがひとりの男性を連れて戻ってきた。


 どこか慌てた様子でやってきた彼は、明らかに人間ではなかった。


 闇より濃い漆黒の衣服。艶やかな黒髪。そこから生える、ねじれた黒い角。

 肌は陽光を知らぬような雪白で、金色の瞳は全てを見透かすように妖しく輝いている。

 容貌は年若く見えるのに、纏う空気はいっそ老獪にすら思えた。

 

 ――恐らくルフェリアはこれまでの人生で、これほどの美形を見たことはないだろう。

 目が覚めるなどという生やさしいものではない。魂が震えるほどの極限の美。そして、圧倒的覇者の威圧感。


 人は並外れて美しものを見ると、自然と畏怖の感情を覚えるものだ。

 見とれることすらおこがましいと感じ、ルフェリアは自然と目を伏せる。

 けれど、男性はそれを許してはくれなかった。


「――目覚めたのか、ルフェリア」


 名を呼ばれ、ルフェリアは弾かれたように顔を上げる。

 男性が気遣わしげな目で、ルフェリアを見つめていた。


「どこか具合の悪いところはないか? 頭痛や、吐き気は?」

「いいえ……大丈夫……です。あの、あなたは? それに、わたしはどうしてここに……」


 名を呼んだということは、この男性はルフェリアにとって近しい立場の人なのかもしれない。

 期待を込めて問いかけてみると、彼はどこか安堵したような表情をしながら、ルフェリアの手をとった。

 その手つきは優しく、そしてどこか恭しく、壊れものに触れるかのようだ。


「まずは食事を。それから、ゆっくり話そう。お前は一年も眠っていたのだから」


§


 男性は、名をセリオスと言った。

 セリオスは軽い食事だけで満腹になったルフェリアをソファに座らせ、自身はその隣に腰掛けて、これまでの経緯を説明してくれる。


 ――曰く、この世界は人間界とは違う次元にある、魔界という場所らしい。

 魔界には魔族と呼ばれる種族が暮らしており、セリオスは彼らを統べる王なのだそうだ。


 そんなセリオスの元に、ある日人間の娘が現れたという報せがもたらされた。

 魔界と人間界を繋ぐ唯一の門である、王城の水鏡から現れた娘――それがルフェリアだ。


「人間界と魔界とでは環境が違う。〝門〟を通った際、お前の身体は魔界にも適応できるよう作り替えられているが――その変化によって、身体には一時的に大きな負担がかかってしまった」


 ルフェリアは魔界に姿を現した時点で既に気を失っており、それから一年もの間、滾々と眠り続けていたそうだ。

 その間、セリオスは毎日のように花を持ってルフェリアの見舞いに訪れ、清拭やリネン替えなど身の回りの世話などをメイドたちに命じていたらしい。


 初めて知った事実に、ルフェリアは途端に青ざめた。

 

「た、大変なご迷惑をおかけいたしました……! 突然現れたわたしのためにそこまでしていただいて、なんとお詫びすればよいか……」


 なんとか彼らの親切に報いたかったが、記憶のないルフェリアにできることなど限られている。

 記憶があったところで、魔王たるセリオスに見合う礼ができたかどうかは疑問ではあるが。


「あの、お礼にもならないとは思うのですが、記憶が戻るまでの間このお城で働かせていただくことはできないでしょうか」


 差し出せるものはないが、労働力となることくらいはできるかもしれない。

 そんな希望を抱いて口にした言葉だったが、すぐさま却下された。


「お前をここで働かせる……? とんでもない」

「そ、そうですよね……。厚かましいことを申し上げました。どうか忘れてください」


 途端に自身の言ったことが恥ずかしくなり、ルフェリアは俯いた。

 この城には、きちんと教育を受けた使用人がたくさんいるのだろう。ルフェリアが思いつきで働いたところで、彼らに迷惑をかけるだけだということに、どうして気づけなかったのだろう。


(こんな風だから、わたしは――)


 何か、胸の奥が軋むような音がした。

 それがなんなのか思い出す前に、ルフェリアの肩にセリオスがそっと触れる。

 はっとして顔を上げると、彼は柔らかな眼差しでルフェリアを見つめていた。労るような表情にはどこか、別の感情も滲んでいるような気がした。


「すまない、お前を否定したわけではないんだ。お前はまだ目覚めたばかりで、体調も万全ではない。しばらくゆっくり休んで、今後のことはそれから考えるのでも遅くはないだろう」

「陛下……お気遣いありがとうございます。記憶が戻って、何か陛下に差し出せるものがあれば、何でもお礼させていただきます」


 ルフェリアの言葉に、セリオスは複雑な顔をして笑う。

 その表情の意味を、ルフェリアが知ることはない。

 

 ――そう、ルフェリアは知らぬことだ。

 彼女の記憶を奪ったのがセリオスであり、二度と、その記憶を戻すつもりがないことを。

 ルフェリアの心を守るため、彼は彼女の過去を消した。

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