命
夫が体調悪いので病院へ行ったら初期のALSと診断された。筋ジストロフィーだ。
治療方法は無い。
ただ終わりを待つだけだ。
「進行は遅いかもしれません。やりたい事やりましょう!」
志保は暗澹たる気持ちになる。
やっと見つけたのだ。
西成のおっちゃんを失くしてからずっと。
また私の手からこぼれ落ちていくのか?
夫は志保の手を握る。
「大丈夫!僕は死ぬ瞬間まで諦めないから!
だから、志保も諦めないで。」
おっちゃんも夫も自分が大変なのに…志保を心配してくれる。
そして先に消えていくのだ。
「すぐどうこうなる訳じゃないし、日々を精一杯生きよう!」夫は微笑んだ。
もうすぐ新しい人事が発表される。
ずっと暗かった黒田さんが明るくなった。
「どうしたんですか〜?なんか急に元気になりましたね?」志保が聞く。
「ふふっ、悩んでも仕方ないかなぁ〜と思えてきてね。」黒田さんがとうとう抜けたのか?
「そうですよ!なるようにしかなりませんよ!
私も組対に希望出してたけど、違うかな?と思えてきました。
今ある幸せを大事にしたい!って気持ちに変化してきました。」志保なりに人の意見を聞き、夫の病気を支えるため、どうするべきか?考え出した。
「フフッ、良いなあ〜僕はもう何にも無いからね。
これから失うばかりだ。だから…」そこで口を噤んで笑った。
まるでいたずらっ子みたいに。
なんだろ?表情は明るいのに胸がザワザワする。
この感じ、知ってる!
中学の通学路に住んでたお兄さんが、いつもスゴい音楽掛けて中に引きこもってたのに、ある日飛び出してきた。
その顔がやっぱり笑ってた。
狂人みたいじゃなく清々しいホッとした顔だった。
その瞬間、やっぱりザワザワした。
翌日から雨戸がピッチリ閉められて、あんなにうるさかった音楽も中から聞こえなくなった。
1週間後、中から首吊りの腐乱死体が発見された。
鼻歌を歌いながら、引き出しを整理しだす。
イヤな予感がする。
「もう、帰るんですか?」それにしても机を整理するかな?変じゃない?
「うん、もう早引きさせてもらうよ。長期の休暇取ったから!」瞬く間に片付けて帰ろうとする。
志保は腕をつかむ。
「あの…お土産リクエストして良いですか?」とにかくこのまま返しちゃダメだ!
「あ〜、長いから忘れちゃうと思うよ。適当に買ってくるよ!じゃ!」少し不快そうに手を振り払われた。
その瞬間分かった!
周りの人にも言いたい。でも、どう言えば良い?
分からない。
とにかく、刑事課の部屋から出た黒田さんを追う。
「あっ、待って!」と声を掛けたが黒田さんは無視してエレベーターの扉をしめた。
急いで、窓の外を見る。
『誰か止めて!その人、死ぬ気だ!誰か!』心の中で叫んだ。
警察入り口の立ち当番と話していた。
やはり、久々の晴れやかな顔だ。
立ち番の警官と笑いながら話してる。
「あれ?私の気のせいだったかな?私が嫌われてるだけ?」とか思って顔を引っ込めた。
翌日、課長や係長、署長まで話し込んでる。
署員も刑事課に署長が来てるのでザワつく。
「志保、ちょっと来い!」と呼ばれる。
「多摩地区で路駐の車から黒田の遺体が発見された。
硫化水素自殺だ。遺書もあったらしい。」志保は固まる。
やはり勘違いじゃなかった。
ずっと苦しんでた人が解放される希望で笑うのだ。
あれは死を決意した安堵の笑いだった。