ギルド《ボンド》〜リオの光〜
ギルド《ボンド》の番外編になります。
本編が未読でも、単話として読める内容になっていますので、読んでいただけたら幸いです。
なんだかおかしいなって思っていた。
いつも暗い表情の両親が、鼻歌を歌ったりして機嫌がいい。僕に笑いかけてくれて、頭も撫でてくれた。
いつも身体の汚れは、川で水浴びをして落とす。それなのに温かいお湯を沸かしてくれた。身体の芯までポカポカと温かくなったのは初めてだ。
食事の量も多かった。普段そんなに食べていないから、完食できずに残してしまった。お腹が減らないから、おやつにしている野菜の皮や木の枝をかじることもなかった。
家は少し揺れただけで崩れてしまいそうなものだし、狭いのに変わりはないけれど、家族三人でピッタリひっついて寝られて、僕は幸せだった。
名前を呼ばれて目覚め、扉の外から家を覗き込んで両親が手招きしていた。眠い目を擦りながら外に出ると、慌てたお母さんに手を掴まれた。少し痛い。
「目を擦ったら、赤くなっちゃうでしょ。綺麗な色をしているんだから我慢しなさい」
手を引かれて外に出ると、怖そうな男の人がたくさんいた。お母さんの後ろに隠れようとしたら、僕は背中を押れた。一歩前へ出ることになる。
落ち着かなくて後ろを振り返ると、お父さんに「前を向きなさい」と叱られた。両親はニコニコと愛想のいい顔をしている。僕のことはいっさい見ない。
正面に向き直ると、目の前にしゃがみ込んだ男の人がいて、驚きすぎて仰け反った。
大きな手が僕の頬を挟む。色々な角度から顔を見られ、怖くて動けない。
「いい色をしているな。名前と歳は?」
「リオ、七歳です」
震える声を絞り出した。
いい色って、僕の目のこと? さっきお母さんに「綺麗な色」と言われたから、多分そうだ。
「七歳にしては小さいな。身体も細すぎる。だが、この目は高く売れる。ツラも悪くねぇから、将来性で買われるだろう」
男の人はお父さんに麻袋を渡す。大きく膨らんでいて、金属が擦れる音が聞こえた。重量もありそうだ。
「見た目で買ってもらわなきゃいけねぇから、あまり目立たないところにするか」
木に身体を押しつけられ、身体を数人の男の人に押さえられて身動きが取れない。
「え? なに? 怖い! お母さん、お父さん、助けて!」
僕が声を上げても、両親には届かなかった。麻袋の中身に夢中で、二人とも見たことのない満面の笑みをしていた。僕のことなんて、視界に入っていないみたいだ。
襟足を掻き上げられる。
「少し熱いけど我慢しろよ」
忠告と共にうなじに何かを押し付けられた。ジュッと聞こえ、熱いと痛いが混ざって僕を襲う。耐えられなくて泣き叫び、もがこうにも押さえつけられていて身体は動かない。
肉の焼ける臭いに胃液がせり上がる。僕から臭っている。焼けているのは僕だ。胃の中のものを吐き出して、意識を手放した。
目覚めは最悪だった。ガタガタと揺れる硬い床に手足を拘束されて、転がされていたから。辺りは薄暗くて、ここがどこなのか全くわからない。
「かゆい」
うなじが我慢できないほど痒い。縛られていて、手はうなじに届かない。仰向けになって、硬い床にうなじを擦り付ける。
「起きたのか」
聞き覚えのある声に、身体を硬直させる。僕の顔を掴んで、目を見ていた人だ。
「治癒術で治してやったんだ。烙印が消えないように、中途半端にしか治してないから、掻くと傷だらけになるぞ」
「……ここはどこですか? 烙印ってなんですか? 僕はなんで縛られているんですか?」
寝返りを打って腹這いになり、床に手をついて起き上がった。
「そんなにいっぺんに聞くな。ここは荷馬車の中。俺はお前の親からお前を買った。相場より高く買ってやったんだから感謝しろよ」
僕を買った? 両親が夢中になっていた麻袋の中身はお金? 最後に見た両親の顔は、初めて見る心からの笑顔だった。僕じゃなくて、お金を見ていた。
「今は首都に向かう途中だ。奴隷のオークション会場で、お前を高値で売る。烙印は奴隷の証だな。オークションに登録する番号を焼き付けた」
「奴隷? 僕なんて売れません。重たいものなんて持てないし、字だってわかりません」
働き手が欲しいなら、体力のある頭のいい大人を選ぶはずだ。小さくて細くて頭の悪い子供なんて、買っても邪魔になるだけだ。
「その目がいい。透き通るような薄緑色の瞳は、観賞用にピッタリだ」
「……僕は目を取られちゃうってことですか?」
「ツラも悪くないから、目だけを取られることはないんじゃないか? 成長すれば愛玩奴隷としても使えるしな。酷い目に遭いたくなければ、愛想良くしてろ。その方が高く売れるし、俺も儲かる」
男の人は下品な笑い声をあげる。
僕はお腹いっぱい食べられなくても、お金なんてなくても、お父さんとお母さんがいれば幸せだったのに。二人は違ったんだ。僕よりもお金を選んだ。
目を擦るのを止めたのだって、僕のためじゃなくて、目の色を見せるためだったんだ。
嗚咽を漏らしながら涙を流した。
「今のうちに枯れるほど泣いておけ。まだしばらくかかるから。首都に着く前日からは、絶対に涙は流すな。腫れぼったいツラじゃ、値が下がる」
休憩を挟みながら進み、三日ほど経った。
荷馬車を引く馬が暴れたようで、大きく揺れた。僕は転がって身体を打ちつける。
「どうした? なにがあった?」
男の人が外に向かって声をかける。
「盗賊です。絶対に出てこないでください」
周りが騒がしくなった。
荷馬車の外では怒号が飛び交い、金属がぶつかる音が響く。うめき声や悲鳴も響いていた。
怖い。
耳を塞いでしまいたいのに、手を縛られていてできない。震える身体を丸めて、キツく瞼を閉じた。
音がやみ、ほろが捲られる。身体をビクッと跳ねさせ、勢いよく顔を上げた。
男の人が小さな悲鳴をあげて「命だけは」と頭を床に擦り付ける。盗賊なんだ。護衛の人はやられたんだ。
盗賊の持つ剣は、ドス黒い液体が滴っていた。それを振り上げると、月明かりに照らされて鈍く光る。
「ガキとおっさんかよ。護衛なんて雇っているから、金目のものがあると思ったのに」
盗賊の手首が動き、剣が振り下ろされると思って瞼を閉じた。
僕は生きるのを諦めた。死ぬのは怖いけど、生きていても怖いことばかりだ。
うめき声とドサリと身体が地に沈む音を聞いた。僕じゃなくて先に男の人がやられたのか。それなら次は僕の番だ。
「大丈夫か?」
心配をはらんだ声に瞼をそっと開く。
目の前にいたのは盗賊ではなく、月に照らされて銀色の髪が煌めき、見たこともないほど綺麗な中世的なお兄さんが立っていた。低い位置でまとめられた長い髪がたゆたう。
外見では分かりにくいけど、声でお兄さんだとわかった。
「大丈夫か?」
もう一度聞かれて頷いた。
「近くの街まで行って、憲兵を呼んできてくれ」
お兄さんが大きな鳥に紙を向ける。クチバシで挟んで、羽音を響かせ飛んでいった。
「一応聞く。一緒にいるのは親か?」
お兄さんは僕を拘束しているロープを切ってくれた。
「違います」
「そうか。家まで送ろう」
家? 僕に帰る家なんてない。
黙っていると男の人が口を開いた。
「そいつは俺が買った。勝手に商品を持って行くな。そいつが欲しいなら金を置いていけ」
僕は商品……。俯いてうなじを隠すように、震える手で覆った。
「この子は商品ではない。人間だ。人身売買は禁じられている。すぐに憲兵がくるから、金よりも自分の身を心配したらどうだ」
お兄さんが僕の裸足の両足を布で覆う。
「こんなものしかなくてすまない」
手を引いて僕を荷馬車から下ろしてくれた。布で包まれているから痛くない。
すぐに温かな手に耳を塞がれる。男の人が声を荒げているようだけど、何を言っているかは分からなかった。
しばらくして大きな鳥が帰ってきた。少し待つと、馬に乗った人が駆けてくる。
僕以外の人は全員連れて行かれた。誰もいなくなると、耳から手が離れていった。
「あの、どうして耳を塞いだんですか?」
「子供に聞かせるような内容ではない」
お兄さんは眉間に皺を刻んで、不機嫌そうに吐き捨てた。
「君は自由だ。家に帰らなくていいのか?」
「……帰っても、また売られると思います」
お金を手に入れたら、お母さんもお父さんも、僕のことなんて見えなくなったみたいだった。
「私とくるか?」
お兄さんは僕のことを助けてくれた。怖い人じゃない?
夜に街の外で一人でいても、魔物の餌になるだけだ。
「お兄さんと一緒にいきます」
お兄さんは僕を鳥の背中に乗せる。お兄さんも飛び乗った。
目も開けていられないほどの速さで飛んでいく。鳥は大鷲で名前はフリューゲルと教えてくれた。人が乗れるほど大きな大鷲がいるなんて初めて知って驚いた。
近くの街に降りる。大きな建物がいっぱいで、口を半開きにして見上げた。
「宿の前に服と靴を買いに行く」
お買い物がしたくてこの街に来たんだ。僕ははぐれないように小走りでついて行く。お兄さんは振り返ると、歩くのが遅くなった。
僕に合わせてくれたのかな?
お兄さんがお店に入り、僕もその後に続く。入ったのは子供服のお店だった。
「好きな服を選べ」
「え? 服って、お兄さんの買い物じゃないんですか?」
「私はいい。君の服と靴を買う」
好きなものを選べって言われても、いっぱいありすぎるし、こんな綺麗な布に袖なんて通せない。オロオロしていると、お兄さんがしゃがんで僕と目線を合わせる。
「コレなんか似合いそうだが、どうだ?」
「えっと、それにします」
「次に買う時は、自分で選べるようになれよ」
お兄さんは困ったように笑って、服と靴を買ってくれた。そのまま着てお店を出る。
こんな格好したことがないから不安でしょうがない。
「宿に行って食事にしよう」
宿屋のレストランに入って、お兄さんと向かい合って座る。メニュー表を見せられるけど、僕は字が読めない。
「遠慮せずに、食べたいものを選べ」
「ごめんなさい。字が読めません」
「どれだ? 難しい字があったか?」
「……全部読めません」
学校もなく、教えてくれる人もいなかった。字を読むことも書くこともなくて、話せれば困ることがなかった。
「そうか。好きな食べ物はなんだ?」
「好きな食べ物?」
真剣に考えてみたけど、分からなかった。
「普段は何を食べていたんだ?」
「野菜とか葉っぱとか煮込んだものですね」
お兄さんは片手を上げて店員さんを呼んだ。
「パン粥を作ってもらえますか?」
店員さんは返事をすると、キッチンに伝えに行く。
「君の名前と歳を聞いてもいいか?」
「リオ、七歳です」
「リオは食事が足りていないのではないか? 歳の割に身体が小さくて細い」
「お腹いっぱいになったのは、一度しかありません」
僕が売られる前日の食事は、残すほど多かった。
「これからはたくさん食べて、大きくなろう」
目の前にお皿を置かれる。コレがパン粥? 湯気が立ち上って熱そうだ。ふーふーと息を吹きかけ、恐る恐る口に運ぶ。
「美味しい!」
目を見開いて飲み込む。
「パンをミルクで煮込んでくれたみたいだな。ゆっくり食べろ」
時間をかけて全部を食べ切った。
お部屋に着くと温かいお湯で身体を綺麗にした。
お兄さんは長い髪を乾かすのが大変そうだ。
「リオ」
名前を呼ばれて紙を渡される。
なんて書いてあるかわからない。
「読めません」
「リオ、君の名前だ。これから少しずつ覚えればいい」
「お兄さんの名前はどうやって書くんですか?」
お兄さんは僕の手から紙を取ると、僕の名前の下に文字を書く。
「私の名前はルーカス」
ペンを借りて、ルーカスさんが書いた隣に真似をして書いた。
「僕の名前とルーカスさんの名前」
「ああ、きちんと書けている。だが、ペンの持ち方が違う」
ルーカスさんが持ち方を教えてくれるけど、手がプルプルしてしまう。握った方が書きやすい。
「これもそのうち慣れる。今日はゆっくり休め。少し街まで遠いから、明日も別の街に泊まって、その次の日に私の暮らす街に着く」
「ルーカスさんが住む街はどんなところですか?」
「すごく賑やかだな。たくさんの家族もいる」
たくさんの家族か。僕はひとりぼっちになったけど、ルーカスさんの家族は温かい人たちなんだろうな。ルーカスさんが家族の話をした時、表情が優しくなったから。
「素敵な人たちなんですね」
「ああ。私は捨て子だから、血は繋がらないがな。私はギルドに所属している。ギルドのみんなが家族だ」
ルーカスさんの住む街、楽しみだな。
瞼が重くなってきた。
「リオ、おやすみ」
「おやすみなさい」
きちんと寝る前の挨拶ができたかわからない。言いながら夢の中に落ちたような気がした。
フリューゲルに乗って、二日間空の旅を楽しんだ。
ルーカスさんの住む街は、人が多くて活気に満ちている。
街の東にある、古くて大きな建物が、ルーカスさんの所属する『ボンド』のギルドハウス。中に入ると、大勢の人がルーカスさんの帰りを待っていた。「おかえり」と声をかけられ、ルーカスさんは僕を紹介してくれる。
僕のことも歓迎してくれて、食堂で美味しいスープとパン粥を食べさせてくれた。
ボンドのみんなは、楽しくて温かい人たちだった。
お腹いっぱいになって、ルーカスさんとギルドハウスを出る。
雲ひとつない青空が広がっていて、眩しいほどの日差しに目を細める。
「リオを育ててくれる家を探そうか」
……そうか。ルーカスさんといられるわけじゃないんだ。
「それとも、私の家にくるか?」
視線を落としていたら、そんな声が聞こえて、すぐに顔を上げた。
ルーカスさんの銀の髪は、キラキラと輝いている。お日様より、眩しくて暖かい光だ。
「迷惑じゃなければ、ルーカスさんの家がいいです」
「迷惑なら誘っていない。これからよろしく、リオ」
「はい! よろしくお願いします、ルーカスさん」