素晴らしい王様
藁を編んだ日よけ帽子に黒い法衣、すっかり埃にまみれた巡礼者の外套をお召しになって、持ち物と言えば鳴杖一本と頭陀袋一つだけという、見るからに貧しげな巡礼の坊様が、川縁の道を上流に向かって歩んでいられました。
坊様が背負う頭陀袋からは、合唱する二つの声が聞こえます。
「ああ素晴らしい王様
家来からも民からも
子どもからも大人からも
皆から愛されている
大きいお国の大きいのお城の
素晴らしい王様
ああ素晴らしい王様
万歳、万歳、万歳」
歌に合わせて川沿いの道を歩いていた坊様は、この歌と、ご自身の鳴杖が立てるじゃらんじゃらんという音のその他に、何も聞こえないことに気付きました。
目の前には国境の石の壁が迫ってきます。壁には大きな門がありました。
ですが門扉はありません。開いているのではなく、壊され、外れているのです。
坊様は鳴杖を鳴らしながら門を潜りました。
道の敷石は剥げ、町の家々は崩れ、麦の畑は焼き払われ、泉の水は濁り、らい麦の畑は踏み荒らされ、泥炭は掘り尽くされていました。
国中にひどい臭気が満ちていて、大きな蠅が飛び回っています。
ああ、何と言うことでしょう。農民も町民も職人も商人も金持ちも貧乏人も、それから王様の家来衆も、みな死体になっています。
頭陀袋の口からこれを見た、一揃えの脚と一揃えの腕は、真っ白になって、口を揃えて言いました。
「これは一体どういうことだ。私たちの国はどうなってしまったのだ? 私たちの王様はどうなさっているのだ?」
「お城に行って確かめるが良かろうよ」
頭陀袋の底で、一つの心臓が苦しそうに言いました。
一揃えの脚と一揃えの腕は頭陀袋から飛び出すと、各々それぞれてんでに、全速力で走り、必死に這いずって、お城へ向かって行きました。
「お前様は行かないのかね?」
坊様が頭陀袋の底の一つの心臓に訊ねました。
「私は自分では動けません。私を動かすのは私の持ち主と、持ち主と出会った他人だけです」
一つの心臓の答えを聞きますと、坊様は応えて言いました。
「よろしい、ならば拙僧がお前様を動かしてしんぜよう」
坊様は頭陀袋をしっかりと抱え持って、お城の方へ歩いてゆきました。
お城の外と中を結んでいた跳ね橋も壊れて焼かれて落ちておりました。
でもお城の周りの水堀の土手がどこかで切られているらしく、すっかり干上がっていたお陰で、ゆっくりとお堀の底に降りて、ゆっくりと登れました。
なので、少し時間は掛かりましたが、坊様と一つの心臓はお城の中に入って、王様の寝室に無事にたどり着きました。
その少し掛かった時間というのは、まだお城が大きくなかった頃にお城から放り出された一揃えの脚や一揃えの腕が、てんでに走り回って這いずり回って迷ってたどり着いたのと、とんど同じ位の時間でした。
一揃えの脚と一揃えの腕と、坊様に抱かれた一つの心臓は、一緒にベッドの前までやって来ました。
白い掛布の下に、確かに何かが入っているような膨らみがありました。
そこから声がします。
「そこにいるのは誰だ?」
怯えたような、疑ったような声でした。
ですが一揃えの脚と一揃えの腕には、それが彼らの王様の声だと、はっきり解りました。
「王様、王様。私でございます。あなた様の脚にございます」
「王様、王様。私でございます。あなた様の腕にございます」
一揃えの脚と一揃えの腕は、泣いて喜びながら、同じに言いました。
「誠に余の脚か? 誠に余の腕か?」
王様はまだ少しだけ怯えたような、疑ったような声で、再び下問したのです。
「誠にございます」
「誠にございます」
一揃えの脚と一揃えの腕は、また同じに言いました。
「ならば命じよう。ここへ参れ。我が脚、我が腕よ。余の元へ来て、再び余の脚となり、腕となれ」
王様が少し元気を取り戻した威厳のある声色で言いますと、一揃えの脚と一揃えの腕は一も二もなくすぐさま嬉しそうに応えたのです。
「承知いたしました」
「拝命いたしました」
そうして、ベッドの上にピョンと跳ね上がった一揃えの脚と一揃えの腕は、掛布の中に潜り込んで、ごそごそもぞもぞと動き回りました。
ごそごそもぞもぞが止むと、掛布の膨らみは、はっきりとした人間の形となりました。
その人間の形をした物は、むっくりと起き上がりました。
骨の上に革を貼り付けたような体をしています。
胸にぽっかり穴が開いていて、肋骨の下は空っぽになっていました。
人間の形をした物は、先ほどまで一揃えの腕の一本であった腕を伸ばして、坊様を指さして言いました。
「そこにいるのは誰だ?」
坊様は答えませんでした。一つの心臓も何も言いませんでした。
「そこにいるのは誰だ?」
人間の形をした物は、先ほどまで一揃えの脚の一本であった脚を伸ばして、ベッドから降りました。
坊様は答えませんでした。代わりに訊ね返しました。
「あなたはどなたですか?」
「余は王である」
人間の形をした物は、すぐさま答えました。
もう一度坊様は訊ね返しました。
「都合の悪いものを切り捨て、都合の良い甘言ばかり聞き、真実を見ようともしない、心を失った王ですか?」
「余は心を失ってなどおらぬ。余の心臓はそこにあるのだ。元に戻せば良いだけのことである」
人間の形をした物が、坊様が抱いた頭陀袋を差して、威厳のある人のような口ぶりで言いました。
「王が命ずる。余の心臓よ、我が胸に戻れ」
間髪を入れずに、一つの心臓が答えました。
「断る」
人間の形をした物はゆっくりと後ろに、仰向けに倒れました。
乾いた皮膚と肉が埃になって舞い上がりました。
首がベッドの角に当たった拍子に頭がもげて落ちたのは、恐ろしい景色でありました。
そうして一度繋がりを取り戻した脚も腕も、根元からポロリと外れてしまいました。
彼らが再び泣いたり話したり歌ったりすることはありませんでした。
坊様は頭陀袋の口を開けて、中味に語りかけました。
「さてお前様、これで良いのかね」
一つの心臓は何も答えません。
頭陀袋の中には、拳ほどの大きさのカラカラに乾いた何かが入っているだけでありました。
このおはなしは、これでおしまい。