歴史と変革と
「はぁ!? そんなわけないだろう」
メルの考察を聞いたジャッドは、強くかぶりを振って捲し立てる。
「だってその漁師は、その後すぐにフクフクの毒で死んだんだぞ?」
「そうですね。ただ、死因は最初のフクフクではなく、二匹目以降のフクフクだと思うんです」
作業を続けながら、メルは紫色に光っている内臓を指差す。
「フクフクの毒は神経と筋肉に作用する神経毒、多分、テトロドトキシンという毒です」
「て、てとろ……何だって?」
「テトロドトキシンです。この毒はとても強力で熱に強く、酸にも強いため、普通の調理法では分解できないんです。そして……」
メルは指を二本立てると、真剣な表情になる。
「食べて発症まで早くてニ十分、遅くて三時間程度と言われています。だから最初にフクフクの毒を食べていたら、救出されるまでに毒が発症して無事じゃすまないはずです」
「そ、そうなのか?」
メルの迫力に気圧されたジャッドが見る先は、フクフクの毒を何度も治療しているラーナだ。
「うん、間違いないわ」
大きく頷いたラーナは、シスターとして何人もの患者から得た知見を披露する。
「フクフクの毒の症状としては唇や舌、手足の痺れからはじまり、次に酷い頭痛が起こって徐々に全身の感覚が鈍くなっていくの。最終的には呼吸する筋肉すら動かせなくなって、呼吸困難で死ぬのよ」
「マジかよ。こいつの毒が強力だとは聞いてたけど、そこまでだったとは……」
「普段は私がすぐに治療しちゃうからね。ジャッドのお父さんも奇跡的に助かったけど、運が悪かったらあんたはここにいなかったんだからね」
「そう……か」
決してフクフクの毒を甘く見ていたわけではないだろうが、それでも毒に対する正しい知識を知らなかったジャッドは、紫色に光る肝を見て小さく震える。
「大丈夫ですよ」
怯えの見えるジャッドに、メルが優しい声音で話しかける。
「確かにフクフクの毒は怖いですが、正しい知識を持って正しく捌けば、おいしく頂ける極上の食材なのは間違いありません」
「そうか……そうだな」
過去のラクス村の人と同じく、フクフクのおいしさの魅力に取り憑かれたジャッドは、目に光を灯してメルを見やる。
「メル、教えてくれ。どうして最初の漁師はフクフクを食べても無事だったんだ?」
「はい、お任せください」
メルは「コホン」と一つ咳払いをして、自身の考えを披露する。
「フクフクを食べても無事だった理由……それはフクフクは、生きている間は無毒なんです」
「生きている間は?」
「はい、そして死後硬直がとても早く、血液の沈殿も早いから、普通に捌いただけでは無毒化が非常に難しいんです」
昨日、ジャッドが捌いた時も僅か数十秒で身の殆どが有毒化したことから、早さを極めた程度で無毒化は期待できない。
「ただ、フクフクの毒はラクス村の人たちの長年の研究によって、壺漬けという形で毒を抜く調理法が確率されているんです……これは、実はとても凄いことなんです」
「そうなのか?」
「はい、それだけテトロドトキシンという毒は解毒が難しいんです」
普通の調理法ではテトロドトキシンを分解することは非常に難しいが、実はその方法が全くないわけではない。
多くの人が有毒で食べられないと思っているフグの卵巣、これを食べる方法がある。
その調理方法とは、フグの卵巣を数カ月塩漬けにした後、糖味噌に三年ほど漬けることによって毒素を消失させるというものだ。
これは糖味噌の乳酸菌による分解作用で、テトロドトキシンが少しずつ減るからと言われているが、それと似た調理方法にラクス村の人たちも辿り着いたというわけだ。
「ですからジャッドさん、もし、フクフクを無毒で捌くことができるようになっても、壺漬けの技術だけはなくさないようにしてもらいたいです」
「それね。酒の肴としては、フクフクの壺漬けは本当に最高の料理だから」
メルの進言に、ラーナも大きく頷いて続く。
「変革もいいけど、大いなる先達たちの努力も無駄にしてはダメよ。だからジャッド、全てが終わったらお父様に壺漬けの作り方を教わりなさい」
「……わかったよ」
ラーナからの説得に、ジャッドはゆっくり頷く。
「確かに親父もいつまでも元気、ってわけじゃないだろうからな……」
まだ不承不承といった感じでであったが、ジャッドの中で確実に何かが変わったことを見て、メルとラーナは顔を見合わせて笑う。
ラクス村の明るい未来を想像して笑みを零したメルは、しっかりと血を絞り切ったフクフクの切り身をジャッドたちに見せる。
「少し話は逸れましたけど、フクフクを捌く時は、できるだけ生きている時と近い状態を維持することができれば……」
「毒が……殆どなくなる?」
「そういうことです」
メルが差し出した切り身は、切り口付近に僅かに紫色の光が見えるが、それでも身の大部分は透き通った綺麗な白身をしていた。
「流石に完璧になくすのは難しいですが、それでもここまで毒が抜ければ後は簡単です」
そう言ってメルは、包丁で紫色に光っている部分をトリミングすると、手慣れた手つきで手早く三枚におろす。
「はい、これでフクフクの三枚おろしの完成です」




