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迷える若人

 メルが外へと出ると、まだ店主たちの口論は続いていた。


「何度も言うが、お前は伝統を軽んじ過ぎるぞ! そんなことできるわけないだろう!」

「やる前から決め付けるなよ! 俺はただ、新しい可能性を試したいだけなんだ!」


 店主と言い争っているのは、彼とよく似た顔立ちの青年だった。


 髪の毛を短く切り揃えている店主とは違い、若者らしく伸ばして後ろで縛っている様は、一見すると些か軽薄そうに見える。

 だが、真っ黒に日焼けし、鍛えられた腕とゴツゴツの指が、彼が仕事に真摯に取り組む好青年であることを示していた。


「…………おじさまのお子さんかな?」


 背格好から成人はしていると思われる男性を見たメルは、そそくさと二人へと歩み寄って声をかける。


「すみません、何かありました?」

「あ? お、お嬢ちゃんか……すまない。うるさかったな」

「いえいえ、それよりそちらはおじさまのお子さんですか?」

「あ、ああ……こいつは恥ずかしいところ見られちゃったな」


 まさかメルが話しかけてくるとは思っていなかった店主は、後頭部を掻きながらバツが悪そうな顔をする。


「お嬢ちゃんが気にすることはないよ。別に殴り合いをするつもりはないからよ」

「ハハハ、その時はボクが穏便に解決してあげますよ」


 メルは自分が来ている白いローブを指差しながら、得意気に笑う。


「ご覧の通りボク、巡礼の魔法使いなので人助けはお手の物です」

「お、おう、そいつは気を付けなきゃいけねぇな」


 メルが言う人助けが、魔法を使ったものであると店主は悟り、額に冷や汗を浮かべる。


 店主がおとなしくなったのを見たメルは、その隙を突いて店主の息子へと声をかける。


「それで、お兄さんはおじさまと何があったのですか? もしかして、恋人と付き合うのを反対されているとか?」

「……そんな甘い話だったら苦労はしねぇよ」


 身内の恥を晒すつもりはないのか、店主の息子は大袈裟に嘆息すると、メルたちに背を向けて歩き出す。


 トボトボと肩を落として歩く様は、不貞腐れた子供そのものであった。


「あっ……」


 その途中、店主の息子の腰のポーチから何かが落ちたのを見て、メルが駆け寄って落し物を拾う。


「あの、何か落ちましたよ?」

「ああん?」


 声をかけられた店主の息子は、ちらと後ろを振り返るが、


「いらねぇよ。捨てておいてくれ……後、間違っても食うんじゃないぞ」


 吐き捨てるようにそう言うと、今度こそ振り返らずに立ち去っていった。




「…………行っちゃった」


 店主の息子が立ち去るのを見送ったメルは、手の中に残ったものを見る。


「これは、魚の切り身?」


 白い手の平サイズのものは、綺麗に三枚におろし、柵状に切り分けられた魚の切り身だった。


 陽光を受けてキラキラと輝く魚の切り身は、まだ処理されて時間が経っていないのか、しっとりと濡れていてぷるぷるとメルの手の中で踊る。


 これが地面に落ち、土などの汚れが付いていなかったら、ちょっと醤油を垂らして齧り付いていたかもしれない。



 そんなことをメルが考えていると、


「これは、あのバカが捌いたフクフクの身だよ」


 彼女の手から白身魚を掠め取った店主が、処理された切り身を見て大きく嘆息する。


「フッ、ずっと未熟未熟と思っていたけど、中々やるじゃないか」

「そうですね……ただ、まだ毒が残っているみたいですけど」

「わかるのかい?」

「はい、毒が見えると何かと便利ですからね」


 ニッコリと笑って自分の目を指差すメルを見て、店主は感心したように大きく頷く。


「なら、お嬢ちゃんに説明するまでもないかもしれないけど、あいつはこれを商品化しようとしているんだよ」

「えっ?」

「わかるだろ? こんなのが表に流れ出た日には、あちこちで食中毒が発生して大惨事だよ」

「そう……ですね。これはちょっとボクでも遠慮したいかな」


 毒の有無だけでなく、それがどれほどの効果を及ぼすかまで理解しているメルは、思わず切り身に齧り付きそうだったことも忘れて店主に質問する。


「でも、どうしておじさまのお子さんはその切り身を商品化しようだなんて?」

「そりゃあ、あいつもフクフクのうまさに取り憑かれたからだよ」

「うまさに……取り憑かれた?」

「ああ、お嬢ちゃんもさっき壺漬けを食べて言っていただろ? しっかり味付けしていても、魚の旨味が残ってるって」

「ああ、そういうことですね」


 皆まで言わなくても、メルは店主の言いたいことを理解する。


 メルが指摘した通り、フクフクは毒を抜くために色々な手順を踏み、さらに毒を抜くのに使った様々な薬草類の苦味やえぐみを消すため、大量の調味料や香辛料で味付けをしている。

 普通の食材なら確実に味が死んでしまうような処理を施しても、フクフクはまだ旨味を内包している。


 なら、もしこれらの処理をせずにフクフクの身を食すことができたら、一体どれだけうまいのだろうか? そう考える者が現れてもおかしくはない。


 店主の息子はそんなフクフクのうまさに取り憑かれ、どうにか無毒のまま魚を捌くことができないかと試行錯誤しているようだった。


「あいつの考えもわかる。俺もかつて何度か挑戦をしたこともあった」

「おじさまも?」

「ああ、結果として三日三晩ベッドの上で激しい吐き気と腹痛、そして指先一つ動かせないほど倦怠感にうなされることになったけどな」

「災難でしたね」

「そうでもない。教会に担ぎこまれなかったら俺は確実に死んでいた。そう考えると、決して高くない授業料だったというわけさ」


 当時の状況を思い出したのか、店主は自分の手を何度も開いたり閉じたりを繰り返しながら嘆息する。


「だから、あいつにはどうにかこんな馬鹿なことは止めさせて、真っ当な道に進んでもらいたいんだよ」

「真っ当な……道」

「そうだよ、せっかく俺が皆と同じように……皆に笑われないようにしてやろうと思っているのに……全く、親の苦労を無下にしやがって」

「むぅ……」


 意気消沈した店主が自分の気持ちを吐露していくと、打って変わってメルは頬を膨らませて不機嫌になっていく。


 だが、そんなメルの変化に気付くことなく、店主の愚痴は止まることを知らない。


「そもそも先人たちの多大な犠牲の上にできあがった壺漬けを、あいつ程度がどうにかするなんて土台無理な話なんだよ。今すぐあんな無謀なことは止めさせて……」

「そんなの、やってみなきゃわからないじゃないですか!」

「おわぉう! ど、どうしたお嬢ちゃん、いきなり大声出して……」


 驚いた店主が飛び退くと、顔を真っ赤にしたメルが怒り顔で睨んでいた。


 何か怒らせるようなことをしただろうか? 店主が困惑していると、目に涙を浮かべたメルが顔を上げて静かに切り出す。


「決めました」

「な、何を?」

「ボクがお兄さんに協力して、フクフクを無毒のまま解体してみせますよ」

「えっ、何で……お嬢ちゃん!?」


 慌ててメルを止めようとする店主だったが、彼女は伸ばされた手をするりと抜けて店主の息子が消えて行った方へと駆けていく。



「ど、どうなってんだ。一体……」


 どうしてメルが怒ったのか、訳が分からない店主は困惑するしかない。


「あちゃ~、やっちゃった」


 するとそこへ、ワイングラスを片手でくゆらせながらルーが現れる。


「ああなったメルは止められない、だから好きにさせるといい」

「お、お姉さん、いいんですかい?」

「ああ……」


 ルーは静かな笑みを浮かべると、メルが立ち去った方を見やる。


「きっとメルなら、新しい風を吹かせてみせるよ」


 そう言って店主に食事代を払ったルーは、メルたちが行きそうな場所を聞いて後を追いかけていった。

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