天空の小部屋
明らかに、カノッサ機関のメンバーは動揺しているようだった。
今や、青海ひかると桐谷静久に注意を払っている人間すら、少なかった。誰も皆、下の階で行われている戦闘が、気になって仕方がないのだ。次々とメンバーが、援軍として下に送り込まれていった。
青海ひかるは、今ならいけると判断した。静久と、目くばせをする。
「今だ! 走って走って走って!」
桐谷静久は、無我夢中で走り始めた。一瞬、振り返る。青海ひかるが見張りに飛びかかり、後頭部に一撃を与えたあと、反対方向に逃げていくのが見えた。
――とにかく逃げなくちゃ! でもどこへ行こう?
静久は走りながら、必死にあたりを見渡した。テーブルにかかっている、ひらひらしたレースのようなものを、とっさに掴む。走りながら、レースを頭からかぶった。これで、少しは顔を隠すことができるだろうか?
後ろのほうで、複数の人間の怒号が聞こえた。何かをひっくり返すような物音もする。静久は振り返らず、走り続けた。幸いにして、見張りの数が極端に少なくなっていたため、途中誰にも会うことは無かった。
エレベーターに乗って、下に降りられればいいんだけど――この建物は、どこに何があるのかさっぱり分からない。ひとまず向こうに見える、あの部屋に入ってみよう。
駆け込んだ瞬間、静久は想定外の雰囲気に、思わず息を飲んだ。
そこには、リボンをかけられたたくさんの椅子が前を向いて、整然と並んでいた。前方には不思議な光があふれ、飾り気のないシンプルな台の上に、綺麗なブーケと、十字架が配置されている。それは、どこか神聖さを感じさせる、静謐な空間だった
――これは――チャペル、なの?
六本木ヒルズクラブには、結婚式を行えるようにチャペルが用意されている。静久が逃げ込んだのは、そこだった。足元を見ると、白い絨毯が十字架のある祭壇へと続いていた。
きれい……。とても綺麗な場所だ、と静久は思った。思わず、ゆっくりと一歩を踏み出す。同時に、頭の片隅で「もうここは、行き止まりだ」と感じていた。追っ手が来た場合、これ以上逃げることはできない。それは分かっている。それは分かっているけれど……静久は先ほどのレースをかぶったまま、何かに導かれるように、仮想世界のバージンロードを、二歩、三歩と歩いた。
胸の中に、祈りにも似た感情が湧いてきた。静久は、そっと目を閉じた。
どれくらい、その場に立っていたのだろうか? やがて、背後に人がやってくる気配を感じた。
静久はゆっくり振り返った。
そして――そこに来た男を、じっと見つめた。




