夏祭りの夜
覇王は今年で、三十歳になった。いつかは結婚するのだろうと漠然と考えていたが、このままヴァーチャルゲームに没頭していると、繰り返す日々の中で、すぐに四十歳になってしまいそうな気がした。だから婚活をはじめたが……現実は、そう、甘くなかった。
考え事をしながら、神社の境内を歩いていると、ふと呼び止められた。
「あ、あの、覇王さんじゃないですか?」
振り返ると、鮮やかなオレンジの浴衣を着た女性プレイヤーが、目に飛び込んできた。頬は提灯に明るく照らされ、黒目がちの瞳が輝いている。
――誰だろう?
覇王は、プレイヤー名のShizukuという名前を見ながら、思い出そうとした。
「あ、忘れちゃいましたか……? 先日、『初心者狩りの山田』さんに絡まれていたところを、助けて頂いたものです。シズクっていいます。」
「ああ……着ている衣装が違うので、分からなかった。」
その浴衣はとても似合っている、と思ったが、そんな浮ついた言葉を口に出す勇気は、覇王にはなかった。代わりに、ぶっきらぼうに言葉をつないだ。
「それで、シズク。俺に何か用か。」
「い、いえ……あの、やっぱり用がないと、話しかけちゃいけませんか?」
「……!」
用がないのに、話しかけてくれるというのか。覇王は内心、驚いていた。
シズクのはにかんだ声や、控えめな仕草。それにショートボブの髪型と艶やかな着物姿が、ひどく覇王の心をざわつかせた。――夏の夜のせいだろうか?
「……用がなくても、話しかけてもらって大丈夫だ。」
「じゃあ……少しお話させて下さい!」
覇王はゲーム内キャラクターに、両手を広げて肩をすくめるポーズをとらせた。覇王がこうしたアクションをとることは、珍しい。精一杯の、照れ隠しだった。
「覇王さんの装備って、浴衣じゃないのですね。」
「ああ。夏祭り用の装備は、買うのを忘れてしまった。」
「あ、ごめんなさい、浴衣がどうというより、その、すごそうな鎧に興味があったものですから。……なんていう装備ですか?」
「『ブラック・ドラゴンの鎧』だ。」
話しながら、覇王は少し、シズクから目をそらした。先日の失敗に終わった顔合わせを、思い出さずにはいられなかった。こんなつまらない会話をしても、印象を悪くするだけだと知りながら、半ば自暴自棄になって、次の言葉が出てくるのを止められなかった。
「確かに高いが、俺は500万ゴールドぐらいの装備なら、悩まずに買ってしまう。」
「……!」
シズクが声を失っている。くだらない自己ピーアールに、引いてしまったのだろうか。覇王がおそるおそる、シズクの顔をうかがうと、彼女がこちらをじっと見ているのが分かった。
「……すごいですね……。いいなあ、そんなセリフ、言ってみたい……。」




