5分前タイムリープ ―彼のためなら何度でもやり直す―
「夜ご飯できたぞー、まいかー! アチチッ、皿あっち!」
「う、うん」
私は、千寿まいか。
大好きな彼氏である凪くんと同棲中の、世界一幸せな21歳。
凪くんは心が綺麗で、とにかく人に優しくて、でもちょっぴりおドジさんで……。
顔もスタイルも良く、私には本当にもったいないほどの、素敵な彼氏です。
――そんな彼が、今から10秒後に。
「机の上、片付けたかー? 熱々の麻婆豆腐が到着するぞー」
「待って凪くん! 無理に運ばないで!」
私は凪くんの行動を止めようと、部屋中に叫声を響かせる。
なぜなら10秒後に、凪くんの首が折れるという、悲劇が待っているから……。
凪くんは私の制止に構う事なく、小走りで熱々の麻婆豆腐を運び始めた。
この流れ、この光景、私は幾度となく目にしてきた。
――だって私は、タイムリーパーだから。
私は小学生の頃、ひょんな事から『5分前の過去に戻れる能力』を使えるようになった。
どうしてこの身に能力を授かったのか、なぜ5分前の過去に戻れるのか。
詳しい事はサッパリ分からないが、とにかく能力を使える事実を受け止めて、今まで生きてきた。
たまに、『どうせ過去に戻れるなら、もっと長時間戻らせてよ、神様ケチ臭いな』と、欲張りでワガママなクレームを天に叫んだ事もあるけど……。
今まさに、もう1度そのクレームを叫びたいと、心の底から思っている。
なぜなら10秒後に訪れる凪くんの悲惨な事故を回避するため、私は何度も直近の5分をやり直しているから……!
「お願いだから、運ばないで! 私が代わりに運ぶから!」
「大丈夫、大丈夫! 今日は勝手に、豆板醤をたっぷり入れたぞ! だって味変は俺の当番じゃん、なんつってー!」
「まただ、また凪くんの同じ台詞……」
無邪気な子供のように麻婆豆腐を運ぶ凪くんを目にし、私はボソボソと悲嘆を呟く。
この面白くないダジャレも、いったい何度聞いただろう。もう20回、いや30回?
聞き慣れすぎて、もはや面白くないとも思わなくなってきた。
「おっと……うわっヤベェ!!」
両手で麻婆豆腐を持ちながら、床に落ちていた雑誌に足をつまずかせ、前傾姿勢で倒れていく凪くん。
そして凪くんの目の前には、無造作に置かれているバランスボールがひとつ。
――ボヨーンッ……。
――ガチャン!
順を追って聞こえてきた、バランスボールの情けない弾み音と、耳を劈くようなお皿の割れる音。
凪くんは転倒した拍子に、お腹からバランスボールにダイブし、弾んだ勢いのまま前のめりに床へと落下した。
見苦しくド派手な落下の後に、首は変な角度に曲がり、凪くんの体はピクリとも動かなくなった……。
無気力に横たわる、凪くんの体。
小さく弾みながら転がっていく、凶器のバランスボール。
面影もないほど激しく割れた、白いお皿。
床に落ちても美味しそうな、凪くんの麻婆豆腐。
かなりダサい転び方だったが、大惨事である事に変わりはない。
私は生死の確認や救急車の手配より、自ら5分前に戻って事故を回避する方が良案だと考え、この光景を見る度に過去へと戻り続けている。
「もう、どうすればいいの? バランスボールを破ろうとしても、ハサミもカッターも見つからないし。ここ幼稚園? 噛みちぎろうとしても、歯がゴムに押し返されるし。
バランスボールを片付けても、なぜか凪くんが自ら凶器になるバランスボールを持ち出して、同じ結末を迎えるし……。てか、何でわざわざ持ち出すの、そういう習性なの?」
一筋の涙が、私の頬をつたって口角へと流れる。
「また、やり直そう。そして、次は……」
私は抜け殻のように立ち尽くし、5分前に戻る能力を発動させるため、指をパチンと鳴らした。
この悲劇に、終止符を打つために。
そして大好きな凪くんと、5分後の未来を迎えるために……!
「――まいかー、もう直ぐ調理終わるからなー。あと5分くらい待っててくれよ!」
キッチンから聞こえてくる、凪くんの声。
私は何も知らない凪くんを助けるため、再び5分前へと戻ってきた。
そして料理中の凪くんの元へ、私はセカセカと歩みを寄せた。
「ねぇ凪くん、ちょっと大切な話があるの。ソファーで話せないかな?」
「えっ? でももう直ぐ、夜ご飯できるぞ」
「いいから、お願い!」
私の声量に驚いたのか、凪くんは目を点にして、片手でフライパンを握り続ける。
「わ、分かったよ。俺、まいかに何か怒られる事でもしたかなぁ……」
私は凪くんの手をギュッと握り締め、誘導するようにリビングへと向かい、ふたりでソファーに腰掛けた。
「あのね、凪くん。実は私、ずっと凪くんに隠していた事があるの」
何度5分前に戻っても、私ひとりの知恵と力量では、デッドラインを越えられない。
だから凪くんに全てを打ち明け、一緒に回避策を考えて貰おうと決意した。
なのに、私の声は微かに震えていた。
これから凪くんに伝えるのは、5分後に訪れる悲劇と、私の持つ能力の事。
私はまだ、誰にもこの能力について明かした事がなかった。
だから怖い、本当は言いたくない。大好きな凪くんが、もしも私の能力に嫌悪を抱き、受け入れてくれなかったらと思うと……。
「隠し事? ハハッ、何だそんな事か。様子がおかしかったから、俺も身構えちゃったよ。
何を打ち明けてくれるかは別として、まずはありがとう、まいか」
「えっ?」
モヤモヤと曇っていた私の心が、凪くんの優しい笑顔ひとつで、少しだけ晴れ間を取り戻した。
「だって俺への隠し事が、今から隠し事じゃなくなるんだよな? その殻を破るのって、誰でも勇気がいるし、相手を信じていなきゃできない事だと思うぞ。だから勇気を出してくれて、俺を信じてくれて、ありがとう」
「凪くん……」
「あと俺もさ、何を打ち明けられたって、まいかへの愛が薄まったりする事は絶対ないから。安心して話してくれ。
あ、でもその逆は大いにあり得るから、俺の心を愛でパンクさせるのはダメな」
凪くんは私の両肩にソッと手を置き、無邪気な明るい表情を浮かべてきた。
嬉しさの余り、私は思わずポロポロと涙を落とし始める。
「凪くんありがとう、本当にありがとう。こんなに泣いてちゃ、話なんてできないよね」
私は溢れる涙をゴシゴシと拭き取り、気持ちを切り替えるため背筋を伸ばした。
「凪くん、驚かないで聞いてね。実は私、5分後の未来から来たの」
「………………んっ?」
驚きを通り越したのか、凪くんは口を固く噤み、私からぎこちなく目を逸らした。
「やっぱり、固まっちゃうよね」
「あぁいやっ、ごめん。驚きの余り、一瞬だけ頭の中がメルヘンになってた。
つまりまいかは……俗に言うタイムキーパーってヤツなのか?」
「いやっ……それ時間を計る人。それを言うならタイムリーパーだけど」
「そうそう、タイムリーパー! でもそれ本当に!? 本当に5分後の未来から!?」
「う、うん。まぁね。それでね、ここからが本題なんだけど、残り5分もないから私の話を……」
「そうかー、凄い力だなぁ! 5分戻りかぁ!」
私の話を遮り、楽しそうに天井を眺め始めた凪くん。
「5分前に戻れる力があったら、いろんな事ができるよなぁ!
例えば、テストでカンニングがバレても、内容を記憶したまま戻れるし。朝起きるのが嫌でも、5分戻れば二度寝ができるし。映像の巻き戻しが面倒でも、5分戻ればリモコン操作しなくていいし。ラーメンを完食しても、5分戻ればニ度食いできたりするし。
ハハッ! 俺って、ズル賢い事しか浮かばないな!」
凪くんは頭をポリポリと掻き、引き攣った笑顔を向けてくる。
どうしよう。私、それ全部やってきた。
遠回しに『ズル賢い』認定された気分……!
「い、今はそんな妄想いいから! 私の話を聞いて! 5分の短さナメないでよ!?」
私の大声に、凪くんはビクッと肩をすくめた。
「ご、ごめん、つい興奮して。それで、まいかは何で5分後の未来から戻って来たんだ?」
「言い辛いんだけど、凪くんに知恵を借りたくて……。今から5分も経たない内に、凪くんは転倒の拍子に、首を折るの……」
「…………………………」
私の打ち明けに凪くんは黙り込み、部屋は重たい雰囲気で包まれた。
「何度も5分前に戻って、凪くんを助けようと色々試してきたけど、最後は必ず同じ結末を迎えるの。
だからお願い、ふたりで一緒に5分後を迎えられるように、力を貸して欲しいの。凪くんのために、そして何よりふたりの明るい未来のために!」
私は顔を俯かせる凪くんの手を取り、心を込めてギュッと握り締める。
すると少しの間を置き、凪くんは私の背中に両手を回し、力強く抱きしめてくれた。
「まいかの様子からして、今の話は本当のようだね。俺を助けるために、苦しい思いをさせてごめん。
きっとまいかの事だから、必死に何度も5分前を繰り返して、諦めず頑張ってくれてたんだと思う。何度も俺の首が折れるのを見ながら、気が狂うほど必死に……」
「当たり前だよ、だって大好きな凪くんのためだもん。でもこれ以上、凪くんの苦しむ瞬間を見たくない、もう終わらせたい。
だからこうして、打ち明ける事に決めたの」
「俺に自覚はないから、想像で話す事しかできないけど。俺もこれ以上、まいかに辛い思いはさせたくない。必ずふたりで乗り越えよう」
「ありがとう、凪くん」
「それで……。確かさっき、俺は転倒して首を折るって言ったよな?」
「うん、そうだよ」
「ならさ……こんな感じで、俺を5分間抱きしめ続けていれば、必然的に転倒なんて起こらないんじゃない?」
凪くんの囁いてくれた提案に、私は頭の中が真っ白になる。
どうして、そんな簡単な策が思い付かなかったの?
考えてみれば、凪くんさえ動かなければ、回避できる事故だった。
何度も5分前に戻りながら、私の意識は自然とバランスボールにしか向かなくなっていたのかも。
「名案だよ凪くん。むしろそんな単純な事に、気づいてあげられなくてごめんね」
「大丈夫、謝らないで。まいかは何度もタイムリープしてきたんだろ? 疲れて思考が鈍ったって、全然不思議な事じゃないぞ」
優しさが詰まった言葉に胸が熱くなり、私は凪くんの右肩に顔を埋めた。
そんな時……。
「スンスン、スンスン。おい、なんか焦げ臭い……焦げ臭い!」
何かの臭いに反応した様子で、その場に立ち上がった凪くん。
「ヤベェ、麻婆豆腐! コンロの火付けっ放しだった!」
凪くんはキッチンの方に視線を向け、慌てて駆け出そうとした。
そんな凪くんを止めようと、私は凪くんの服を両手で掴む。
「待ってよ! 今動いたらダメ!」
「止めないでくれ! まいかと5分後を迎えるなら、焦げた麻婆豆腐じゃダメなんだ!」
「ど、どういう理屈よ!」
「だから、もう1度だけ5分前に戻ってくれ! そうすれば、5分前に戻れる能力の事を知らない俺と、美味しい麻婆豆腐が待ってるから!」
私は凪くんの真意を考えながら、ゆっくりと服から手を離す。
もしかして、能力の事を打ち明けた私を、庇って……?
本当は言いたくなかった私の気持ちを、汲んでくれたの……?
「まいかなら、きっと上手くできる! それと過去に戻ったら、5分前の俺に伝えてくれ。『愛してる』ってな」
まるで犠牲になるヒーローのような台詞を言い残し、凪くんはキッチンへと駆け出した。
「愛してる……って、待ってよ! それって私に対して? まさか自分に対して!?」
私が疑問を叫んでいる内に、凪くんは決められた運命に従うように。
――ボヨーンッ……。
足をつまずかせ、バランスボールの転倒芸を披露し、当たり前のように首を折った。
今回の転倒、今までで1番の滑稽なんですけど……!
「次で、次で絶対最後にする!」
私は即座に、指をパチンと鳴らし、5分前へと戻っていった。
「――まいかー、もう直ぐ調理終わるからなー。あと5分くらい待っててくれよ!」
5分前に戻るなり、聞き慣れた凪くんの声がキッチンから聞こえてくる。
私は凪くんに返事もせず、ただ真っ直ぐにキッチンへと向かう。
そして凪くんが使用中のコンロに手を伸ばし、急いで火を消した。
「お、おいっまいか。何で火消すんだよ。もう直ぐ出来上がるのに」
凪くんは不思議そうに、私を見つめてくる。
しかし私は構う事なく、凪くんの背中に手を回し、静かに抱きしめた。
「ごめん凪くん。何も言わないで、黙って5分だけ抱きしめさせて」
「いやでも、これから麻婆……」
「いいから、黙って5分だけ」
私は無理やり発言を遮りながら、凪くんの胸に顔を埋める。
これで絶対、終わりにしたい。
ふたりで一緒に、5分後を迎えたい。
私は強い思いを抱きながら、凪くんの背中を握り締める。
すると凪くんも何かを悟ってくれたのか、力強く私の体を抱きしめ返してくれた。
――お願い。時間よ、5分後に進んで……!
暫くの間、私たちのいるキッチンに静寂の時が流れた。
「………………もう、5分経ったかな?」
「5分どころか、もう20分くらいこのままだぞ。そろそろ動いていいか?」
凪くんの囁きに、私は時計へと視線を向けてみる。
「本当だ20分も経ってる……うん、ありがとう凪くん」
私たちは同時に、互いの背中に回した両手を解いた。
「急にどうしたんだよ、まいか……って。大丈夫か? 凄い疲れた顔してるが」
凪くんは心配そうに、私の顔を覗き込んできた。
「う、うん……かなり疲れた。ちょっと凪くんの事を、密かに30回くらい救っていたから。救えたのは、その内の1回だけだけど……」
「ハハッ、なんだよそれ。よく分からないけど、一応ありがとな」
「気にしないで。それより私も、30回も救えなくてごめんね」
「んん? 何でまいかが謝るんだ? 俺を救ってくれたのなら、それだけでまいかは俺の天使だぞ」
思わぬ凪くんの表現に、私は勢いよく顔を上げた。
「――1回でも救ってくれて、ありがとな。まいか」
誰よりも優しい笑顔を向けてくれる、私の大切な凪くん。
私からすれば、凪くんだって私の天使だよ。本当に救えてよかった。
私には5分前に戻れる能力があるけど、凪くんにはそんな私を5分後に導いてくれる、相性ピッタリな能力があるのかな……!
「疲れてるだろうから、ソファーで待ってな。すぐに麻婆豆腐作るから。いい匂いだろー」
「うん。今回のは、本当にいい匂い」
作品を読んでいただき、ありがとうございます!
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現在連載中の長編も、新たに書き出す予定の短編も、心を込めて書いて行きたいと思います。