エリノアの懺悔
反射で反論したものの、ヘッドロックかけたのに、急に慈愛深くなった義理の姉がとにかく意味が分からなかった。
しかし、どうやらルーシーは気が晴れたらしい。ニコニコして店の前を離れて歩き出すルーシーの足取りは軽くなっていた。
「──ま、それでね。ミズ・クレンゲルは、一度ご結婚なさったんだけれど、最初の旦那様はよそに女の人を作って出て行ったんですって。それで周りには、男の人は懲り懲りと言っておられたみたいだけれど、親類たちに、ジヴ様はとても誠実だから結婚したらどうだって勧められてその気になったみたい」
「え⁉︎ なんですかその勝手ではた迷惑なご推薦は⁉︎ いえ、クレンゲル様はとてもお気の毒ですけれど……」
事情を聞いて、エリノアは複雑そうに驚いている。それでは親類たちが口出ししなければ、ルーシーの恋敵は生まれなかったということではないか。気の毒そうな顔をするエリノアに、ルーシーは「本当にね」と肩をすくめてから、瞳を尖らせる。
「最近では毎週のようにジウ様の家に来て女主人を気取っているらしいわ」
ルーシーはミズ・クレンゲルの過去を気の毒だとは思っているようだが、それでも彼女がジヴと結婚も婚約もしていないのに、まるで彼の妻のような振る舞いをしていることは腹立たしく思っているようだった。
そして、そのミズ・クレンゲルは、すでにジヴがルーシーを家に招いたことを耳に入れていて、彼女を堂々と牽制してきたというから、ずいぶん肝も据わっている。思わずエリノアの喉がごくりと鳴った。
「な……なんと言われたのですか……?」
エリノアは、これまで散々没落や貧乏を他人に馬鹿にされたことには耐えてきたし、病弱だった弟を貶した者へは喧嘩を売ってきたが……こういった恋愛にまつわるバトルに巻き込まれたことはない。この猛々しいルーシーさえも、時には弱らせてしまうその争いは、エリノアにとっては幽霊話並みに怖かった。エリノアが恐る恐る尋ねると、ルーシーは不貞腐れたような顔になり、口を開く。
「……『ジヴは素敵な男性ですもの、あなたみたいなお嬢ちゃんに慕われるのも無理はないわね。でもお嬢ちゃんはもう少し同世代のお坊ちゃんたちといらっしゃるほうが気も合うのではなくて?』……ですって。本当に端々に棘があるったら……。要するに、相手にされるわけないから引っ込んでろと言いたのね。でも、私としてはわざとらしくジヴ様のことを呼び捨てて聞かせてきたことが一番腹が立ったわ!」
ルーシーはプリプリと憤慨。エリノアは心配のあまり、ルーシーの手を取って引いた。
「そ、そんな……そ、それで──ジヴ様は? ジヴ様はどのような反応を? まさか受け入れていらっしゃる……?」
もしジヴ本人もその気であれば、太刀打ちが難しい。エリノアが心配そうに尋ねると、ルーシーはしゅんと顔を萎れさせた。
「そんなの……絶対違うと思いたいけど……。怖くて聞けるわけないっていうか……」
「……」
エリノアは一瞬口をつぐんで義理の姉の顔をしみじみと見た。
この将軍家令嬢で、拳も心臓も強いルーシーが怖いなんて。恋愛とはつくづく恐ろしいものである。
そんなふうに、心配やら感心するやらでエリノアがルーシーの顔を眺めていると。彼女は今度は決意の眼差しでグッと拳を握りしめている。
「だけど、だからこそ今回はいい機会なのよ。今回こそ、私、ジヴ様にその辺りのお話を伺ってくるわ。そして可能なら……」
そこでルーシーは言葉を切り、エリノアの瞳を真っ直ぐに見る。
「……私、ジヴ様に、妻にしていただきたいと、つ、つつつ伝えてくる!」
「ぉ……おお!」
ルーシーの目は真剣で、その奥には決意が燃え上がっている。──ただ、頬は真っ赤であり、握りしめた拳がぶるぶる震えていて。エリノアからすると、なんとも気丈で可愛らしい決意表明であった。そんな義理姉に、思わず感嘆の声をあげた娘はつられてビチビチ懸命に拍手を捧げている。が──。
ルーシーの顔はすぐにまたしゅんと萎れ、上向いていた視線も急落し、その唇からはため息が零された。
「⁉︎ お姉様⁉︎」
「ただね……それをミズ・クレンゲルが黙って見過ごすかしらという気はするのよね……」
義理姉は心配そうに、彼女が邪魔しにくるのではと言う。
相手がすでに彼の家の女主人になったつもりでいるなら、堂々乗りこんできてもおかしくはない。
「いえね、乗りこんで来られるのが怖いんじゃないのよ? ただ、せっかく二人でお話しできるという貴重な機会を邪魔されるのが悲しいの」
しょんぼり漏らされた言葉に、エリノアはそうりゃあそうだろうと心底思った。
(せっかく想い人に招かれたのに、その場にそんな人がいたら姉さんが可哀想……)
ルーシーだって口では、戦うとは言っていたが、好きな人の前でバチバチしたくはないだろう。できれば心穏やかに、ジヴにときめきながら過ごしたいはずだ。
エリノアは慌てた。
「そ、それは……ジヴ様になんとかしていただけないのですか? その日は他の客を断っていただくとか……」
「だって客のつもりがない人なのよ……?」
彼女が何度か対面したミズ・クレンゲルから受けた印象から言えば、平気でその場に乱入してきそうだという。
「な、なんと、お、お厚かましい……」
慄くエリノアに、ルーシーは再びため息を吐き。しかし彼女はすぐに、滅入ってしまった気持ちを散らすように首を大きく左右に振った。
「愚痴ってごめんエリノア。まあ──それでも来るなら立ち向かうしかないわよ。だってあちらだって必死なんでしょう。私だってジウ様に愛されるためならなんでもしたいと思うもの。恋は戦いだから仕方ないわ」
ルーシーは、強気にニッコリ義理の妹に微笑んだ。
その顔を見たエリノアは、少し納得行かなそうに眉尻を下げている。
エリノアは、ルーシーがこの機会をどれだけ楽しみにしていたか知っている。それなのに、こんな重大な不安要素を抱えていることが気の毒でならなかった。
自分も過去にはブレアとの茶会の折に、側室妃ビクトリアが乗りこんできて大変だった記憶がある。あんな大変な思いはルーシーにはしてもらいたくない。
(なんとか……できない?)
エリノアは考えた。
ルーシーはエリノアに、『魔王だろうと王子だろうと引っ張り出して協力してもらう!』と豪語していたが……。義理の妹と話すうち、もとより正々堂々真正面から戦うことを好む勇ましい彼女は、すっかりそのことを忘れて、自力で立ち向かう気でいるようだ……。
エリノアも、流石にブラッドリーやブレアに協力させるのはやりすぎだと思うが……。
(──いや、そんな強力すぎる権力に協力依頼しなくても、私、できることがあるわ……!)
エリノアはそうよと密かに拳を握りしめる。
ルーシーは、恋敵のことを『あちらも必死』と言った。ならば、こっちだって必死でもいいだろう。
(わ、私だって必死だもんね! ルーシー姉さんを幸せにするために!)
あっちは“ジヴの親類”などという強力なステータスを持ち合わせた女性だ。こっちだって、“勇者の義理姉”というステータスを生かしてもいいではないか! と……。
どうやらエリノアは、義理の姉を平穏に恋愛させたいと思っていたはずが……ルーシーを手助けしたいあまり、ルーシーとは逆にその“裏技”に手を出す気になってきてしまったようだ。
とはいえそこはやはりエリノア。ミズ・クレンゲルにやや罪悪感を感じているのか、いつの間にか懺悔するように両手を組み合わせしまっていた。
(っ申し訳ありませんミズ・クレンゲル! 人外力──使わせていただきます! い、いえ、さすがに魔王とブレア様はやめときますけど! そ、それ以外の戦力で!)
エリノアは、必死で握りしめた両手を、大きく天に掲げた。
──と。
そんな──いきなり無言で明後日のほうに向かって懺悔し始めた娘に、ルーシーが不審そうな顔をしている。
「? エリノア? ちょっとここ往来よ? わかってんの?」
周囲では、いきなり天と交信し始めた(?)娘に。立ち止まった町人たちがヒソヒソ話をしながらエリノアを見ている。
「……あれは……聖剣の勇者様では……?」
「ほうなるほど……ああやって天の女神様と通信しておられるのだな……?」
「いや、もしかしたらこの場で祈りを捧げて、この町の邪気を祓い、聖なる力を施しておられるのやもしれん……」
なるほどさすがだ……と。
幸い人々の目は優しかった。
お読みいただきありがとうございます。
エリノア、すっかりその気になってきました。
駆り出されるのは、やはり黒猫か…白犬か…もしくは新顔の牡牛か…