令嬢は、急にデレる
──此度エリノアには重大な任務があった。
『手段など選ばない』などと豪語する義理の姉ルーシーが、できるだけ穏便に恋愛成就を達成してくれるよう──恋敵たちと血みどろの争いなんかを繰り広げないよう、魔王なんて引っ張り出さなくても済むように!
しっかり彼女をサポートして、できるだけ普通の恋愛へ導かなければならなかった……。
そのためには、まずルーシーの現状をよく知っておかなくてはならない。エリノアは、ルーシーの供をして街を歩きながら、これまで彼女に聞かされた恋バナを整理した。
ルーシーに聞いた話によれば、現在ジヴをめぐる恋の戦いには複数人のライバルがいるらしい。
そのうちでも強力な人物として浮上しているのは、ジヴの兄の婚家の親戚だというラウラ・クレンゲル。
彼女は親類というだけあってジヴと関係も近く、本人もとても美しい女とのこと。話をしてくれた時、エリノアは、ルーシーの言葉の端々に彼女に対する小さな引け目のようなものを感じた。
(もしかしたら……その方が姉さんにとっての最大のライバルなのかな……)
そう当たりをつけたエリノアは、大通りの店を覗き込むルーシーに話を切り出した。すると、あれほど威勢の良かった令嬢の顔からは、ふっと笑みが消える。
「ね、姉さん? だ、大丈夫……?」
エリノアは驚いて尋ねたが、ルーシーはなんとも複雑そうな顔で指先を軽く振って見せた。
「……大丈夫よ。……ミズ・クレンゲルね……彼女は見るからに成熟した女性って感じで素敵な方よ。年齢はジヴ様の十歳くらい下で、私みたいに歳が離れすぎてるってこともない。それにすごく気立もいいって噂なの。ま──それが本当かどうかは怪しいけど。私みたいな女にも堂々当て擦りをしてくるところを見ると、結構肝は据わってると思うわ」
「そ、そうなんですか……」
ルーシーの雄々しさは周知のこと。その彼女に対抗しようとは、恋の力が手伝っているとしてもかなりの強者である。エリノアがまだ見ぬ“ミズ・クレンゲル”を想像して恐々としていると……不意にルーシーが表情を曇らせた。
「まあ……あちらからしたら私なんて小娘よね……」
ルーシーは、通りかかった店のショーウィンドウのガラスに映る自分を見て、やるせなさげにため息をこぼしている。どうやら……やはりジヴと自分の年齢差をとても気にしているようだ。
「いえね、ジヴ様と私の年齢が離れているのは別にいいの。あの方は年月をかけて魅力を培われたの。それは幸いよ。よくぞあんなに素敵になってくださったと声を大にして言いたいくらい! ……でもね……その魅力に見合うものを、私がまだ築けていない。それが問題よ……」
ルーシーはガラスの向こうを睨みながら悔しそうに呻く。ジヴは五十代の紳士で、ルーシーはまだ二十代前半。自分はまだまだ経験不足だとルーシーは歯噛みする。その話をエリノアが心配そうに聞いていると、ルーシーはしゅんとして言う。
「私は私なりにジウ様に追いつきたいと励んでいるけれど……人生経験において先を行くお姉様方に、『生きた時間が足りぬ』と攻撃されると……それを武器にされたら、こっちは太刀打ちできないじゃない⁉︎ 生まれた時は私にはどうしようもできないし、私の人生に深みが出るまで待ったってジヴ様との生きた時間の差は埋まりやしないんだから……!」
「! お、お姉様落ち着いて! ひ、日傘が折れます!」
くやしいことでも思い出したのか、令嬢は力一杯日傘を握りしめている。鍛えたお嬢様に血管が浮き出るほどに両手でわし掴まれた日傘は、かわいそうに悲鳴を上げるように軋んでいる。おまけに綺麗なショーウィンドウの向こう側では、店員と客がルーシーの恐ろしい顔をガラス越しに見て慄いている。それに気がついたエリノアは必死で彼女を宥める。
「い、いや、でもほら! そこはジヴ様と奇跡的に同じ時代に出会えたことを感謝いたしましょうよ! と、歳なんか、ただの数字! 大事なのは姉様がどれだけジヴ様を想っているかだけですし、姉さんが生きてきた時間の濃さは多分そこらへんのお姉様方には太刀打ちできぬ濃厚さですよ⁉︎」
どこの世界に魔王とヤンキー顔で喧嘩して、魔物を引き連れ王子を拉致し、父である将軍と義理の妹たる勇者に白目を剥かせるほどに元気のいい女性などいるだろう……。
エリノアは必死に訴える。……ちょっと……キレ気味だ。どうやらルーシーを心配した当時の大変さを思い出しているらしい……。
「それらの人生経験だけでも姉さんの人生は他の女性に比類なきものでは⁉︎ いくらお相手が天女の如き素晴らしき女性でも、姉さんなら十分勝負になるに決まってます! か、勝ちましょう! 姉さん!」
「…………」
……なんという体育会系な励ましだろうか。
必死にルーシーを宥め、ショーウィンドウから引き剥がそうとしているエリノアは、彼女の首に腕を回し、もはやヘッドロックしてしまっている。
が──そうされているルーシーの方はといえば、もちろん少しも応えたふうもなく、よろめきもしないからこちらも相当に体育会系。エリノアは必死すぎるほどに必死だが、ルーシーは普段の鍛え方が違う。自分をショーウィンドウから必死で引き剥がそうとする義理の妹の顔を、ルーシーはじっと見ていたが──……不意に、その身体が素早く動いた。
彼女はエリノアの腕をなんなく上に外し、そしてエリノアがギョッとしているうちに、逆に背後から彼女の頭を己の腕のなかに閉じ込めた。
「⁉︎」
その目にも止まらぬ一連の動きに、エリノアが目を瞠る。
あっさり背後を取られた娘は、一瞬にして目の前からルーシーが消えたことに驚き、そのまま仕返しでもされるのかと身構えたが──……どうやらそうではなかった。
エリノアの頭を後ろから抱え込むように抱きしめたルーシーは、その黒髪にすりすりと頬を擦り付けている。
「……アンタのそういうとこ好き」
「⁉︎ ⁉︎」
エリノアのこのド根性精神は、将軍家に生まれたルーシーには妙に馴染む。しかもエリノアは、軽々しく相手のことを貶めない。ルーシーの恋敵に対しても、恋バナにありがちに、『そんなおばさんなんか全然!』とか『姉さんの方が若いんだから!』などと言ったりしない励ましは、ルーシーにはスッキリ耳に入るのだ。
「……よし、勝つわ、私」
急なデレに困惑するエリノアをよそに、ルーシーは奮起した。そしてエリノアを撫で回しながらしみじみつぶやく。
「あーエリノアって可愛いわぁ……あ〜んな腹黒い弟がいるのに、どうしてこうまっすぐ育ったのかしらねぇ」
「⁉︎ ⁉︎ ブラッドだって、か、可愛いもん⁉︎」
意味は分からずとも、そこだけは譲れぬエリノアであった……。
お読みいただきありがとうございます。
なんとも仲良しな二人でした。