その頃の…
この騒動の頃。
女豹婦人コーネリアグレースは、一人のんびり王都にあるトワイン姉弟の昔の家にいた。
少し手狭の古い家の中に、モッフリ大きな猫顔の魔物。
居間のテーブルの上には彼女が淹れた紅茶のカップ。彼女はそれを椅子に座って優雅に飲んでいる。
「はあ、こじんまりとした根城、落ち着くわ……」
室内は彼女が念入りに掃除し終えていて、どこもかしこもピカピカ。床にも窓枠にも埃ひとつないし、窓も鏡のように輝いている。
実はコーネリアグレースは、トワイン姉弟がこの家を離れて以降、ずっとこの家の掃除を定期的に請け負っていた。
家主のタガート家は、この家からエリノア達が離れても、他の者には家を貸し出さなかった。
家の中は、未だにほとんど姉弟が暮らしていた頃のまま。離宮にも、アンブロスの屋敷にも、必要なものはなんでもこの家以上に揃っている。エリノアとブラッドリーは、それぞれ自分の気に入りのもの(例※ブラッドリー、エリノアに作ってもらった服やお土産の品など。エリノア、ブラッドリーが昔描いてくれた似顔絵などなど)だけを持って新しい家に移り、ここはルーシー達の善意で、家具などはそのままの状態となっていた。
(ま、でも本当に完全な善意かどうかは怪しいけれどね)
茶を口に含みながら、コーネリアグレースは薄く笑う。
商魂逞しいルーシー嬢によれば。
『ほほほ、だってこの家の周り、エリノアが勇者になったおかげですっかり観光地化してるのよ? わずかな賃料を取るより、そっちで稼いだほうが余程儲かるの♡』
──だ、そうである。
令嬢は、ちゃっかり家の前の広場にエリノアの銅像を立て、別にあった空き家で、“勇者エリノアゆかりのお菓子”とか“勇者と聖剣様の似顔絵グッズ”なるもの売り出し商売を始めている……。
中でも、“勇者エリノアファンブック”なるものが大いに売れ行きを伸ばしているらしく……それを聞いた婦人の息子グレンがゲラゲラ大笑いしていた。二番目に売れているのが、“勇者と聖獣様ぬいぐるみセット”らしい。もちろん、聖獣様とは魔将ヴォルフガングのことであり……白いふかふかの犬のぬいぐるみにまたがり、聖剣を掲げたエリノア人形は子供達に大人気らしい。もちろんヴォルフガングは壮絶に嫌そうだったし、エリノアもまさかそんなグッズ類が出回るとは思っていなかったらしく唖然としていたが……。その実すべてのグッズの第一購入者は彼女の婚約者ブレアである。
まあ、ともかくそのようなわけで。
すっかりトワイン姉弟の家の前は賑やかで。コーネリアグレースとしては、家をそのままにしてくれているのはありがたいが、正体を隠すために気を使うので勘弁して欲しかった。
実は彼女は、この人間界に来て初めて得た小さな根城を気に入っている。
魔王ブラッドリーが居を移したアンブロス家の屋敷は、魔界から手下が大勢呼び寄せられたせいでかなり騒々しい。おまけに自分の娘達も全員あちらへ来てしまって落ち着く暇がなかった。
「まったく……あの子達はいつになったら落ち着くのかしら……」
長男のグレンは最近頻繁にエリノアの離宮に行っているからあまり面倒はないが……。娘達の姦しさときたら……。リードという獲物がいるだけあって、娘達の争奪戦は凄まじいことになっている。おまけに最近はアンブロスの領地にも彼が姿を見せると、いつも領主の傍らにいる貴公子として領民の娘達からも評判になっているらしく……娘ら(とブラッドリー)の嫉妬が嵐のようで、コーネリアグレースはほとほと困り果てている。
「……まあ、あちらはリードちゃんに任せるしか……ないわね……」
ほほほとわざとらしく笑いながら、コーネリアグレースは無責任発言。
娘らは魔物。寿命も長く、したがって娘時代も長い。これはまだまだ先は長そうで、いちいち付き合っていては身が持たないと思う婦人であった。
「でもねぇリードちゃんが早く、どの娘と、決めてくれたら揉めませんのにねぇ……まあ、今のところマリーが一番優勢なのかしら。ほほほ、ま、とはいえ、ブラッドリー様の執着が弱まらないことには絶望的ですわ。あれ、どうにかしていただけません?」
ころころと笑う婦人。と、その瞳が──で? と、傍の床にチラリと移動する。
「……エリノア様は、いつまでそうしておいでなのです?」
婦人の呆れたような、愉快そうな横目の先には、床の上に這いつくばったエリノアの姿が。
床に張り付いた娘は、必死の形相で、汗を拭き拭き、雑巾で床板を磨いている。
「……もう、エリノア様ったら……そこはあたくしがすっかり磨いてしまってきれいですのに……無意味なことなさるわぁ」
「ぅ、ぅう……」
やれやれとため息をつく婦人の言う通り、エリノアが磨いている床はすっかり掃き清められ、水拭きもされたあと。
しかし言われたエリノアは、手を止めげっそり顔で振り返って「いいんです……」と、細い声で言った。
「これは……気持ちを落ち着けるためにやっているんで……いいんです、運動みたいなものです……」
しおしおと答える娘に、コーネリアグレースは三角の黒い耳をパタパタと動かし、いかにも迷惑そうな顔。
「そうは言いましてもねぇ……ずっとそうしていられると、あたくし落ち着かないんですけれど。ここには一人時間を楽しむために参っているのに……。まあいいですわ。エリノア様が、せこせこ働いておいでの姿を見ても、ま、面白いと言えば面白いですしね。それでええと……なんでしたかしら? 義理の姉君がおデートで落ち着かないっておっしゃってました? ほほほ、まあったくご自分のことでもないのに、そんなにオロオロしてどうなさるの」
愉快ね〜と、コーネリアグレースは茶を飲んでいる。笑われたエリノアは、両方の眉尻をこれ以上ないくらいに下げていた。
お読みいただきありがとうございます。
姉弟の家の周り、すごいことになっていそうです笑




