ルーシーの狂乱
ルーシーは、精一杯笑顔でいながらも、心の中では今すぐ泣き出したいほどつらかった。
これほど胆力が備わった娘でも、やはり初めての失恋の痛手は深々と胸に突き刺さる。
その痛みを知って、改めて、自分はこんなに彼が好きなんだなと感じると、しみじみと、悲しい。
ふと、ルーシーの心の中に、応援してくれたエリノアや、娘の恋愛にヤキモキしていた父タガートの顔が思い浮かんだ。いつでも令嬢の心の中の一番温かい場所にいてくれる彼らを思うと、目頭が熱くなった。
(……ごめんねパパ、エリノア。期待を裏切ってしまったわ……)
特に父はとてもがっかりしそうな気がした。
獅子のように雄々しい父は、しかしああ見えてとても子煩悩だ。……そんな父に『おっさん!』と連発するルーシーもルーシーだが……。ともかく。そんな子煩悩な父が、常々ルーシーの伴侶についてとても心配していることを彼女も知っている。
ルーシーはぐっと勇ましい顔をする。
(でも……安心してパパ。私、この経験でまた強くなってみせるわ……)
こうなったらもうルーシーには、遠くからジヴを見守れるよう、王立図書館の警備職に就くしかない。いや、それとも反対に、この恋を忘れられるようジヴの姿も見えぬような場所に配属される女兵士か騎士を目指すか。
ルーシーは不意に苦笑する。こんな痛みを胸に抱えてさえ、自分のしぶとさ、豪胆さが笑えた。しぶとさの向かう方向が、ジヴに食い下がるほうに向かわないところが彼女らしかった。
(……なんだか……爆速で出世してしまう気がするわ……)
ヤケクソで敵将敵兵どころか、同僚上官に至るまで。皆バッタバッタ倒しまくる無双な未来が思い浮かぶ。……それはそれで……父は胃が痛くて泣く気がするが……。
まあまあ、ともかく。
その根性と気合の入りまくった顔で、「最後に」と、笑顔を向けられた紳士はとても驚いたようだった。
ルーシーは、できるだけジヴに気を使わせないようにハキハキと話す。
「ジヴ様、それでは私、やっぱり今日は帰ります。魔術に詳しい者の手配はしておきます。あとからお屋敷に──」
「ま、待ってください、違います!」
ルーシーが悲しみを押し殺し、体育会系な面持ちで長椅子を立つと。珍しく少し慌てた様子のジヴも、追うように席を立つ。普段はどんな時もゆったりと穏やかに話す紳士が、少し早口で令嬢を呼び止めた。
「違うのです。ルーシー君、私は、けして君を拒絶しているのではありませんよ?」
「……え?」
その言葉に、ルーシーの勇ましい顔が、ポカンと崩れた。
ジヴはすぐにテーブルの向こう側からルーシーのほうへ回ってきて。まんまるの瞳で自分を見上げてくる令嬢を見つめた。
「私は『話し合いたい』と君に申し上げました。話し合いたいのです、君と私が、共に生きていけるのか」
ジウのその言葉に、ルーシーの顔が愕然とする。
「え……そ──……それは…………」
まさかという思いで、声が掠れた。額からはほとほとと汗が滴り落ちる。
そんな彼女を見て、伝わったことにホッとしたのか、ジヴはまたいつも通りの穏やかな口調に戻り、真摯な眼差しで柔らかく微笑む。その頭はしっかりと頷いた。
「はい。君の気持ちを受け入れられないと言っているわけではありません。ただ……現実的な話、私はこの歳ですから、君より先に老い、死に行きます。ですから、君のためを思うのならば、もっと同じ時間を生きている若者がいい」
「……」
無情な現実を突きつけられ、気丈なルーシーが泣きそうな顔をする。
今目の前にいる彼が、天寿という定めに従い、自分よりも先にこの世を去る。それは、失恋よりも耐え難い苦しみのように思えた。
ルーシーは涙を堪えて、その定めに挑むような気持ちでキッパリと言った。
「……それでも、一緒に居とうございます。いいえ、そんなことをおっしゃられたら余計に諦められなくなります。今すぐジヴ様を攫ってしまいたくなる」
ジヴを真っ直ぐに見るルーシーの瞳は本気であった。この屋敷に来てから、ずっとしおらしかった令嬢の瞳は、今やガラリと色を変え、彼への強い焦がれを露わにした。それは鷹のように鋭く、炎のように激しい。
ジヴは、そんな、初めてみる令嬢の激情に驚きつつも。なぜだかとても心が波立った。
彼の人生の季節は、すでに秋という静かな頃。しかし、ルーシーの瞳を見ていると、自分の時間が夏に戻ったような爽やかな風を感じた。
青くも、豊かな気持ちが鮮やかに心の中に射しこんできて。ジヴはルーシーに微笑みかける。
(え……ジヴ様……?)
彼の発言に、ある種の決闘のような気持ちで言葉を返したルーシーは。そんなジヴの変化に気がついた。
気のせいだろうかとルーシー。
自分を見つめる紳士の眼差しは、これまでと、どこかが違う。どこか──とても、甘い。
その眼差しにはルーシーが戸惑う。それは、これまで彼が見せてくれていた、紳士的で、しかしどこか心の距離を感じるような礼儀正しい微笑みではなく……。なんだか、見つめられていると、だんだん気持ちが落ち着かなくなってくる。
堂々と、しかし大真面目に『ジヴを攫いたい』とまで宣言したルーシーの顔は、いつの間にか再び真っ赤になり、激情はやや鎮火され、気迫が霧散した。
何事かと戸惑う頭は、カッカと熱くてどうしていいか分からなくなった。つい恥ずかしくて俯くと、ジヴが、優しく言った。
「──では……そういたしましょうか」
「……え?」
あっさりとした言葉にルーシーが思わず顔を上げる。ポカンとして紳士の顔を見つめると、彼はニコニコと続ける。
「ああ、もちろん攫ってくださいと言っているわけではありません。……私に残された時間が君より少ないということを分かった上でも、それでも共に過ごすことを望んでくださるのなら──私は悠長なことをせず、すぐに君に求婚させていただこうと思います」
ふふふと、紳士は目元を和らげて笑う。
「なにせ、時間を無駄にできませんので」
「……、……、……ぇ………………?」
ルーシーの──目が点になった。
しかしどうやらあまりのことに、さすがの彼女もすぐには状況を把握しきれなかったらしい。令嬢は、しばしジヴを食い入るように見つめたまま、困惑顔でつぶやく。
「ぇ……? ちょ、ちょっと、待ってください……? ……え? ……ぁ、の……、……、……っっっえ⁉︎」
オロオロと手を掲げたり、下ろしたり。そうかと思えば頭を抱え、その場でブルブル震える己の足を見下ろしたり。そうしてあたふた取り乱したルーシーは、数秒後、やっとその重大な申し出を理解した。
──その瞬間。令嬢の驚きは、叫びとなって、まさに、脳天も口も裂けてしまいそうない勢いでその唇から発声された。
ジヴの屋敷に響く、驚愕と狂乱の、大、大、大絶叫。
「おや」
そのボリュームには。ジヴは軽やかに笑い。それを屋敷のはじの使用人部屋で耳にした家人たちは、皆、びっくりして跳び上がった。
「ヒィ⁉︎ な、何⁉︎ また誰かが悪夢でも⁉︎」
「て、天罰なの⁉︎ お、お許しください女神様‼︎ 愚かな企みの手助けをしようとしたことをお怒りなのですね⁉︎」
もう二度と、あんな恐ろしい悪夢は見たくありません! どうかお許しください‼︎ ……と。
どうやら後ろ暗いところのあるらしい者たちは、怯えきり、青ざめて、涙ながらに天に向かって祈りだしたとか。
お読みいただきありがとうございます。
なんだかこうなりました笑
おじ様を攫うと豪語する令嬢が豪胆すぎて、ルーシーらしいなぁと思いました。
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