年季が違うえげつなさ byグレン
その日、早朝から己の屋敷で起こった奇妙な出来事を語りながら。
ジヴ・ハーシャルは、その話に真剣に耳を傾けてくれる令嬢に、とても気持ちがなごんでいた。
引き合いに出しては失礼なので、彼は絶対に口にはしないが……これがもし、先ほど話題に出たミズ・クレンゲルであれば、事情を聞いても絶対に自分から帰るなどとは申し出なかっただろう。
あの女性は強引で、身を引くということを知らない人である。
実はジヴは、もう何度もミズ・クレンゲルに、自分は彼女と結婚する意思がないということを伝えている。
しかし、いくら断っても、彼女はそれを『ジヴの遠慮』と言い、自分より若いミズ・クレンゲルへの『気後れ』だと解釈する。
そうではなく、ジヴは単に、彼女との対話のできなさが気にかかっているのである。
彼女は幾度断っても毎日屋敷に来るし、ジヴが他人には踏み込んでほしくないと思うところまで入り込もうとする。
ある時は、ジヴの部屋の調度品が勝手に変えられていたり。またある時は、『この屋敷は殺風景でいけないわ』と言って、屋敷のあらゆるところに花をいけたり。だが……ジヴは職業柄多くの書物を屋敷に収集している。そこに水気のあるものはできるだけ置きたくないのである。
それなのに彼女は、華やかになった屋敷の中に唖然とする彼に、鼻高々『ほらね、女主人がいるだけで屋敷が見違えるようでしょう?』……と、上目遣いでこう来る。
ミズ・クレンゲルとしては、こうした振る舞いで、早く使用人や、周りの者たちに、『自分にはこうする権利があるのだ』と知らしめ、さっさと外堀を埋めてしまいたい。
だが、実は一番大事なジヴ本人に関して言えば、これらはまったくの逆効果なのであった。温厚なジヴでさえ辟易することもしばしばである。
しかしどうやら彼女は、親類たちの力添えがあるのだから、ジヴの意見などいかようにも変えられると思っているらしい。
そもそもジヴは職務が忙しく、家を空けがちだ。その間に屋敷へ入られると、どうにも止めようがない。
もちろん屋敷を預けている家人たちには、留守中には人を入れるなと言ってあるが、そうすると彼女はジヴの親類を引き連れてきて、強引に屋敷を開けさせてしまうのだ。
親類たちも、ミズ・クレンゲルとの結婚を強く後押ししているから協力的で、これもまた厄介だった。
おせっかいな叔父叔母らは、ジヴがやめてほしい旨を伝えても、『まあまあ、彼女もお前を好いているゆえなのだから、大目に見てあげなさい』と、うやむやにする。
……これはまだジヴは知らぬことだが……。そうこうしているうちに、家人たちも次第にミズ・クレンゲルをジヴの身内のように扱い始め、今では親類たちがいなくても彼女を自由に屋敷に出入りさせるようになってしまっている。
実は先立って、そのせいである事件が起きた。
それは、今目の前にいるタガート嬢を、王宮の宴でエスコートした晩のこと。
令嬢を家に送り届けてから屋敷に帰ると、そこにはミズ・クレンゲルが待ち構えていた。
彼女は恐ろしい顔で烈火の如く怒り、ジヴを激しく責め立てた。
『令嬢と共に王家の宴に行くなんて!』
『私になんの相談もなく!』
その剣幕にジヴは驚いた。彼女はこれまで、強引ではあったが、彼にはいい顔しか見せてこなかった。
だが、それほど身分の高くないミズ・クレンゲルからすると、王家の宴など天上の世界である。
そんな滅多にない機会に、彼が自分ではなく、他の女を連れて行ったということが、身が震えるほどに腹立たしかった。
宴に女性を同伴するのなら、自分を連れて行くべきだということだのだが……しかし、もちろんこれはまったくの筋違いであり、誤解でもあった。
そもそもはルーシーが行くべき宴に、ジヴがエスコート役として呼ばれたのだから、ミズ・クレンゲルがそこに入り込む余地はないのである。
だが、その経緯を知っても尚、ミズ・クレンゲルの怒りは収まらない。
彼女は泣き喚き、その子供のような聞き分けのなさ。ジヴは困惑したが、さらに彼が驚いたことは別にもあった。
その令嬢のエスコートは、彼が急遽引き受けたものだった。わざわざ誰かに話したりはしないし、知っているのは準備を手伝った家の者だけだ。
にも関わらず、それが何故か当日中にミズ・クレンゲルに伝わっている。
考えずともすぐに分かる。つまり自分の屋敷の中に、彼女にあれこれ情報を流している者がいるのだ。
ジヴは呆れた。使用人が家の主人の内情を漏らすなどもってのほか。しかも、その恥ずべき行為で得た情報で、彼女は臆面もなく自分を責め立ててくる。
『ミズ・クレンゲル、さすがにそれは礼に欠いた行為なのでは……?』
そうやんわりたしなめると、彼女は顔を真っ赤にして反論する。
『何がですか⁉︎ 私はあなたの身内です! しかももう皆、私たちが結婚すると思っているのですよ! 将来の夫のことに配慮するのは当然じゃありませんか!』
この堂々たる主張には……ジヴはなんて対話が困難な女性だろうと痛感。
自分が嫌がることを、彼女は『配慮』と言う。嫉妬や怒りのせいでもあるのだろうが、まるで相手の気持ちを考えていない。
その後も彼女の興奮は冷めやらず。『なぜ私にこんな仕打ちを! 恥をかかされた!』とひたすら怒り、涙ながらに『こんなにあなたを愛しているのに!』とヒステリックに嘆いた。
そんな彼女の主張を根気強く終いまで聞いたあと。ジヴは穏やかに言った。
『今回のことは、私が、タガート嬢をエスコートしたかった。ただそれだけのことです』
事実その通りだった。
今回は勇者直々の指名であったということもあるが、ジヴにとって、ルーシー・タガート嬢は、共にいて楽しい相手だ。
よく図書館を訪ねてきてくれるが、奥ゆかしい反面、話してみると、若いが考えがはっきりとしている。
おまけにジヴが好む舞踊の達人で。彼も何度かその踊りを目にしたことがあるが、その踊りはさすが将軍家のご令嬢と誰もが唸るような、それはそれは見事で凛としたものだった。
ジヴは、その令嬢の嗜みが、まさか自分のために始められたことだとは知らなかったが。その若さであれだけの踊りを身につけていて、さらに武芸にも秀でているという彼女は、どんな努力をしているのかと感心するばかりであった。
だから、そんな彼女が困っているというのなら、是非とも助けになりたいと買って出たのだ。
もちろんこんな父親ほどに歳の離れた自分が、若い彼女のエスコートなどと少しだけ気がかりではあった。宴の際も、山吹色のドレスを身に纏った彼女は本当に美しくて、その隣に自分が並んでもいいものか、不安でもあり、申し訳ないような気持ちでもあった。
けれども、彼女は照れ臭そうにしながらも、どうやら自分の同伴を心から喜んでくれている様子。その笑顔は、本当に可愛らしくて。とてもジヴを幸福な気持ちにさせてくれたのだった。
──ところがだ。
そんな和やかな気持ちで挑んだ王家の宴で、ジヴは思いがけない彼女の一面を知ることになる。
彼女の義理の妹、勇者エリノアが生き別れの弟と再会した時、取り乱した勇者のために、彼女はなんと、国王らの前に跪いたのだ。
その瞬間の驚きは、今でも鮮明だ。
あの楚々とした令嬢が、国王と王妃の前に進み出て、迷いなく床に膝を突いた。
その姿は、潔く、毅然としていて。凛とした瞳には、彼女の勇者エリノアに対する深い愛情が見て取れた。
ジヴは、そんな彼女を美しいとさえ思った。そう思うほど、とても心打たれたのである。
ゆえに彼は、『彼女ともっと話がしたい』と思った。彼女の、自分が知らない勇敢な一面を、もっともっと知りたいと思った。だから、彼は彼女を自宅に招待したのだ。
そのことに対して、ミズ・クレンゲルにとやかく言われる筋合いはない。
何より、ルーシー嬢に温かい義姉妹の情を見せてもらい、清々しい気持ちで帰宅したところに、この騒動である。
水を差すようなミズ・クレンゲルの癇癪には本当に疲れ果ててしまった。
彼女は時に激しく罵り、かと思えばさめざめと泣いてジヴの胸に縋ってくる。
そんなミズ・クレンゲルに、ジヴは静かな眼差しで突きつけた。
『ミズ・クレンゲル、私は会いたい人に会い、話したい人と話します。それを阻む権利は、あなたにはないのです』
その答えに、彼女は一度絶句して。一瞬ののちまた激しくジヴを罵った。
そんな激情のままに振る舞う彼女を、ジヴはとても哀れに思った。
翌日、彼女は『怒りのあまり、興奮しすぎてしまった』と謝罪に来たが、もうジヴは彼女の本質を見た気がして、その印象は現在まで覆ってはいない。
「…………悪夢、ですか?」
ジヴから聞かされた事情があまりにも意外で。ルーシーは目を瞠り、思わず彼の言葉を繰り返してしまった。
と、ジヴは少し困ったような顔で頷く。
「はい、そうなのです。複数人の家人が床から出てこぬと聞いて、私もはじめは感染症や食中毒の類いを疑ったのです。もちろん医者を呼びました。しかし、医者の見立てでは、皆、身体には問題無いそうです。──しかし、皆、ひどく怯えていて……」
ジヴは、説明しながらも、彼自身も事態がよく飲み込めないという表情。
「……その原因が……悪夢、ですか……」
「それがなんとも不思議で。皆、布団の中で震えながら、口を揃えて、昨夜一晩中、恐ろしい木の化け物に襲われる夢を見たと言うのです」
えっ? とルーシー。
「それでは……皆が同時に同じ夢を見たということですか?」
問うと、ジヴは「どうやらそのようなのです」と頷いた。
「怯え方を見ると、とても嘘を言っているようには見えませんでした」
その言葉にルーシーは驚いて目をまるくする。
そりゃあもちろん人間悪夢を見ることもある。子供なら、それで怯えることもあるだろうが……大の大人が寝台から起き上がれないほどの悪夢とは? それに、そんなに恐ろしい夢を、複数人が同時に見たというのも解せなかった。
……ふと思う。
(ん? 木の、化け物……? …………化け物じゃないけれど……エリノアのところにそういうのがいたような……)
だが、記憶するその心当たりの者は、いつもほのぼのと茶を啜っているようなちびっ子である。
悪夢だとか、化け物といった言葉にはそぐわない。それにルーシーは彼が力を使っているところをほとんど見たことはなかったから──……。
実はあの子供が、意外に恐ろしいことを平然とやってのける──禍々しい樹木の姿で獲物を追い詰め、脅かし、無情に喰らって。精神に言いようのない恐怖を植え付ける──……なぁんてことは。ルーシーは想像だにしなかった。
(「おやご存知ない? 本気になったら、私よりえげつないのが(元)老将殿ですよ♪ あは♪」※グレン談)
お読みいただきありがとうございます。
メイナードも色々闇が深そうです。
まあ、強引さで言えばルーシーも大概ですが。笑
ジヴとの交流をきっかけに、全人類に慈愛を施せる女性に……は、ならなそうですね!( ´ ▽ ` ;)




