砂海の因縁 その③
「──蓮也、どういうつもりだ!」
愛香の心音が過去ないほどに騒ぎ立て、体温が上昇していることを体の芯から実感する。
死。
第8ゲームで──いや、デスゲームを回避してから──それ即ち、生まれて初めて、これほどまでに「死」を実感したのは初めてだった。
愛香はこれまで、様々な相手と拳を交えて槍をぶつけて誰よりも自由に気高く生きてきた。
デスゲームが開始してからは、その鮮やかな体術でどれだけの敵を撃墜して来ただろうか。
彼女は、デスゲームという死地や死線を何度だって乗り越えて来ていたし、それだけに「死」を実感することもあったし、後1歩届かなければ、後1ピース足りなければ死亡していた──だなんて状態に陥ったこともある。
暗所恐怖症である彼女が暗闇の中で感じる恐怖とはどこか違った、生物としての根底からにじみ出る本能的な恐怖を味わったのは、蓮也による攻撃が初めてだった。
それがどうしてか、理由はわからない。
後ろに飛ぶだけだったから回避はできたし、攻撃としては三苗を飲み込もうとしたものだ──そう予測するのは簡単だった。それに、あの攻撃はあくまで三苗を狙ったものだろう。
──それだと言うのに、死を覚悟してしまった自分がいた。
それがSランクの魔法の凄み──というものなのか、それとも生物が恐怖を抱く炎による攻撃だったからなのかはわからない。ただ、「死」を直感した自分がいたのだけが事実だ。
愛香が、自分の心拍を押さえつけながら蓮也の方へと迫っていく。
死への恐怖というものは、既に蓮也に対する苛立ちへと変わっていた。まだ自分が剣槍を交えて戦っていたのに、それを気にしない攻撃は何事だ──と。
愛香が蓮也の方へ近付けば近づくほど、彼の顔から色が失われていく。
怒りのあまり頬が紅潮していく愛香とは対照的な不健康なほどの蒼白さだった。死にかけたのは愛香なのに、蓮也の方が死にそうだった。
それが、魔法を放ってはいけないタイミングで放ってしまったことに気が付いたことによる反省から来るものなのか、それともSランク魔法を放つことで大量のMPを消費したがためにそんな色になっているのかは、愛香にはわからない。
「ご、ごめんなさい!僕、僕!」
慌てふためく蓮也は、紫がかった髪と目を泳がせながら呂律の回らぬ口で謝罪の言葉を吐き出した。
「黙れ。言い訳など妾は聞かぬ!」
「ごめんなさい、僕!僕!」
フツフツと、腹の底から怒りが湧き上がってくる。
きっと、息子の仇である孫悟空が何食わぬ顔で自分の元へ鉄扇を借りに来た羅刹女は、今の自分のように怒っているのだろう。かの邪知暴虐な王の悪政に激怒したメロスは、今の自分のような心持ちだったのだろう。この激情は、アナーニにいたところを急襲されて捕らえられ、軟禁されて退位を迫られたボニファティウス8世の起こした錯乱に迫る憤りだろう。白髭を馬鹿にされたエースは、花京院を殺しジョセフを死の淵際まで追い込まんだDIOに対しての承太郎は、ネフェルピトーに対する怒りと憎しみが限界突破したゴンの気持ちが、今の愛香にはよくわかる。
「──待って、やめて!ごめんなさい、ごめんなさい!」
蓮也のそんな声が耳に届いて始めて、自分が右手にある槍を振り上げていたことに気が付いた。
このまま振り降ろしてしまっても、愛香には特に支障はない。蓮也など、放っておいてもいつかは死ぬような存在だ。思い出せば、康太もよく「殺せ」だとか言っていたはずだ。
康太に「ありがとう」だなんて感謝されるのは癪だけど、この憤りを発散するにはそれが一番だ。
「妾が貴様を殺そうと、何も問題はないはずだ。処す」
「嫌だ、嫌だ死にたくない!」
そんな命乞いを無視して、愛香はその槍を振り降ろす。が──
「僕が死んだら、栄が悲しむよ!」
そんな戯言に耳を傾けて槍を寸前で止めてしまった愛香は、自分に甘いのか。それとも、栄に甘いのか。
ただ、事実として愛香が蓮也を殺す寸前で槍を止めたことだけが残る。間髪入れずに、蓮也は必死に言い訳を紡ぐ。
「僕が死んだら栄は悲しむ!たとえ愛香さんが敵に殺されたって嘘を憑いても、栄は俺を助けるために死んじゃったのか──とか言って悲しむはずだ!そう思うでしょう?」
一理ある。
愛香は、苛立ちの中にある冷静な部分でそう思ってしまった。
愛香にとってはどうでもいい虫けら以下の命だが、栄にとってはクラスメイト1人分の命だ。
心優しい栄なら蓮也が死亡すれば悲しむだろうし、悪くないのに反省会を開くことだろう。
「それに、僕を殺したら皆に嘘を憑こうが憑くまいが、愛香は罪か罪悪感を覚えることになる!嘘を憑けばそれに対する罪悪感を覚えて、殺したって正直に白状すれば人殺しとして邪険にされる!それは僕が一番わかってることだ!それでも、僕を殺すの!?」
「──クソ。萎えた」
蓮也の言い訳に耳を傾けた時点で愛香の負けだった。
蓮也は言い訳に関しては百戦錬磨。言い訳の天才と言ってもいいかもしれない。
康太に散々責められても尚、こうして生きていることがその天才さの証明だと言えるだろう。
「──萎えた。萎えた。つまらん男だ。貴様など、殺す価値もない」
愛香はそう口にする。蓮也の表情など見ない。笑顔でも泣き顔でも、見たら吐き気がするだけだ。
「今度から魔法を放つときは宣告しろ。そうしなければ次はない」
魔法杖を奪い取ってしまえばいいのに、チャンスを与える時点で自分も柔くなったものだ──愛香は自分でそう思う。栄の考えが伝染ったような気がしてなんだか不快だ。
だけど、不快なのに心地よさもある。それがもっと不快だった。
「茶番は終わりだ。貴様も貴様も、次はない」
そう言い放ち、2人の話を律儀に待っていた三苗に対して、愛香は再度槍を向ける。
──砂海の因縁は、再び動き出した。