砂海の因縁 その①
──死。死。死。
脳裡に過るその絶望から、その場しのぎのギリギリ回避を連発している男──成瀬蓮也。
蓮也の命を奪わんと、右手に持たれた剣を大胆に、かつ豪快に、けれど正確に振るうのは龍種の中で最も堅実であると言われる『砂漠の亡霊』である三苗であった。
「無理無理無理無理ィ!」
自分に光魔法をかけてバフを享受する蓮也は、三苗の放つ斬撃をこれまで回避し続けている。
この世界に来たばかりの彼では動きもせず逃げることができなかっただろうに、回避できているのは進歩だと言えるだろうか。
蓮也は使える限りの魔法を使用してみたが、三苗の間隙を縫ってダメージを食らわせることは難しい。
もちろん、巨大な炎を放てばいつかは三苗の纏っている鎧に火が移り、その体を灰色の煙が蝕むだろう。
──が、真っ向勝負を失っている現在、蓮也の魔法は三苗に効果があるようには見えない。
蓮也がAランク魔法の〈紅焔神の涙〉を放つけれども、その猛焔は三秒の剣によって一刀両断されてしまった。
要するに、目の前にいる三苗は何でも斬ってしまうのだ。
イレンドゥ砂漠での三苗戦で、〈世界氷結の理〉が通用したのは、愛香が三苗の気を惹いていたからに過ぎない。
タイマンで戦っている三苗にとって、蓮也の魔法に当たるはずがない。ましてや、それが足止めではなく命を奪おうとしている者なら尚更だ。
「どうして、どうして誰もいないんだよッ!話が違うじゃんか!」
蓮也が聞かされた話では、勇者一行と『剣聖』が一丸となって、城内都市パットゥに立ち入り、1体ずつ着実に確実に敵を倒して、『古龍の王』と戦う算段だった。
昨晩は寝れなかった時に、皇斗から「魔法が必要な時は指示を出す。戦闘は余や『剣聖』に任せておけ」などと言われて安心していたのに分断されてこうして龍種と戦わされている。
蓮也は1人だ。
そんなことは立てられた作戦の中になかったから、この状況を引き起こした大罪人である『魔帝』こと園田茉裕に対して苛立ちを見せる。せめてもう1人あれば動ける可能性も増えた。
そう嘆いても過去は変わらず。ただ、冷たい剣先が蓮也に触れ──
「──志操剣固」
「──かはッ!」
蓮也の体をいとも簡単に切り裂いた冷徹な一撃。
逃げ惑う蓮也であったが、その強力な一撃を前には反応が遅れて、背中をバッサリと斬られてしまう。
常時逃げ腰だった彼は姿勢が悪かったので上半身と下半身で泣き別れすることにならなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろうか。
蓮也は、己を守ってくれる──とは言い切れない者の、己を守ってくれる可能性のある魔法杖を握りしめながら前方に吹き飛び、そのままゴロゴロと転がっていく。
広い空間のため壁にぶつかることはせず、何もない床で止まり、蓮也はうつ伏せになりながら薄く目を開けて近付いてくる三苗の方を見る。
その鎧には傷一つだって付いていない。
蓮也は、1ダメージも与えることができていないことの証明である。
「──嫌だ」
小さく、そう口に出す蓮也。魔法杖を握りしめ、パックリと割れた背中を刺激しないようにその場から逃げるように地面を這って動く。
痛い。痛い。痛い。
背中が悲鳴を上げている。熱い、痛い、苦しいの三重奏。
蓮也を操縦しているのは恐怖だ。1秒でも長く生き、なんとか三苗から逃れる方法を必死に思案する。
──蓮也はザコだ。
運動なんてできないし、高2の頃の球技大会だって試合前に逃げ出した。そのせいでクラスの卓球は不戦敗なり、チームメイトだけでなくクラスメイトからも攻められた。
──蓮也はバカだ。
この学校に来れたこと自体が奇跡だ。
手紙が送られてきたときは「ついに僕のことをわかってくれる人がいた」とも思ったが、天才しか集められないはずのこの学校に来てすぐに自分の弱さを理解し打ちのめされた。
──蓮也はクズだ。
自分可愛さに睦月奈緒を殺した。デスゲームだから仕方ない──って言い訳をして殺した。
この学校でもクラスメイトを敵に回したけど、第8ゲームで友情が芽生えたような気がしていた。
栄を助けるためにクラスの皆で一つになってこれまで頑張って来た。球技大会よりも怖いはずなのに、蓮也は逃げることをしなかった。
──蓮也は男だ。
奈緒を殺してしまった第4ゲーム。本来ならば殺されることを、栄は助けてくれた。
栄は命の恩人だ。だから──
「──僕も、栄を助けないと!」
その言葉と同時、蓮也は強く魔法杖を握る。使用するのは、自分を助けるための回復魔法──
──ではなく。
「くらえっ!〈世界氷結の理〉!」
イレンドゥ砂漠で三苗を足止めする際に使用したAランクの氷魔法を使用する蓮也。あの時と同じように、三苗を氷漬けにしてしまえば、防戦──いや、逃亡一方だった蓮也にも攻撃のチャンスが回ってくるのだ──が。
「──剣坤一擲」
「──ぁ」
剣閃。
氷が生み出されたのと同時、その根元から一刀両断されて崩れ去る。
蓮也の一発逆転の唯一の方法であり、希望となるはずだったその魔法は、すぐに霧消するのを見て、蓮也の心は黒一色に塗りつぶされる。
「──あ……あぁ……」
蓮也の口から、もう詠唱は飛び出ない。彼はもう、三苗に殺される運命で──
「栄、いるかぁ!」
その言葉と同時、この広い空間を囲う壁が壊される。
そこに現れたのは、傲慢で強引で、それでいて剛健で豪傑な彼女──。
「──と、妾に因縁のある相手しかこの城の中にはいないのか?」
壁を打ち破り、三苗と蓮也の一騎討ちに乱入してきたのは勇者一行のNo.2と呼ぶに相応しい女傑──『高慢姫』森愛香。
蓮也と同じく三苗と因縁のある彼女は、『総主教』との戦いを早々に終わらせ、『砂漠の亡霊』との再戦を開始するのであった。
「──あの時、貴様に勝てなかったことだけが心残りだ。あのゴーレムだけじゃ肩慣らしにすらならなかったし、『古龍の王』討伐までのウォーミングアップでも始めるとするかな」
そう口にして、愛香は右手に持たれていた槍を握り直して部屋の中心にまで移動する。それを見た三苗も、それに応えるように愛香の方へと動き出した。
「妾の名前は森愛香。貴様、名は何と言う」
「──」
「──名乗る名を持たぬ、ということか。つまらん男だな」
いつか耳を撫でたその声を聴き、蓮也は砂の味を思い出す。あの時は確か、康太の傷を治したんだっけか──。
そんなことを思い出しながら、同じように回復魔法を自分に用いて背中の傷を治す。ポーションを飲まなければ、MPがなく魔法は使えない。
蓮也が、そう口にしてMP回復用ポーションを摂取している間に、三苗は1本の刀を握り──
「──主客転刀」
疾風迅雷。
刀を一振りしただけで、愛香の目の前まで移動して、愛香の勝負を挑むのであった。
いつでもどこでも何度でも、この高飛車女王を前にしては誰もが挑戦者になるのである。
思ったより、思ったより長くなった。
でもまぁ、愛香には逆らえないから仕方ない。
愛香が登場するシーンは愛香にメガホンを盗られているので、俺の意見は通りません。
惚れた弱みってやつ