幻影の本懐、愚者の純情
「やった!栄、勝ったよ!」
『やったな、智恵』
私がイマジナリー栄の方を向くと、幻覚だから色素の薄い彼はどこか誇らしげな笑みを浮かべて私のことをそう褒めてくれる。
『閃光』との戦いの動きは、全てイマジナリー栄の指示に任せていた。
私とイマジナリー栄は、『閃光』の中にも同じように幻覚の誰かがいると推察し、その人物を私だと特定した。だから、『閃光』の頭の中にいる私は、私がどう動くのか教えるかもしれないと考えたから、私は栄に頼りきりにすることで、『閃光』の頭の中にいる私の指示を全く意味のないものにしたのだ。
──と、私はイマジナリー栄から目を離して、私が殺した『閃光』の方を見る。
頭のてっぺんから真っ二つに引き裂かれて、右半身と左半身の2つに分かれて死亡した彼は、どこか幸せそうな表情で死んでいた。
HP回復用ポーションを使おうと、回復魔法を使おうと、死んでいる人を蘇生することはできない。
もう、『閃光』の命は戻らない。
『──智恵は優しいな』
「そう?」
『あぁ。アレンはしつこく智恵に言い寄ったんだろ?それなのに悲しめるなんて凄いことだよ。俺には無理だ』
イマジナリー栄のその言葉と一緒に私の頭の中に浮かんできたのは裕翔の面影だった。
きっと、イマジナリー栄の頭の中にも同じ顔があるかもしれない。
──実空間も脳内も沈黙が生まれた数秒後、栄は咳払いをしてから私の方を見てこんな提案をする。
『本当の栄を助けに急ごう』
「うん、そうだね」
私は、アレンの死体を前に顔の前で両手を合わせてから少し重い扉を開けて外に出る。
今いるのが第何層かなんてわからないけど、栄はきっと最上層にいるはずだ。すぐに栄のいるところに向かわなければならない。
──と、智恵はこうしてイマジナリー栄の存在を脳裡に映したまま行動を続ける。
彼女の頭の中からイマジナリー栄が消えるのは、栄と再会した時になるだろう。
だが、前にも話した通り『七つの大罪 第伍冠 強欲者』には明確なデメリットが存在しており、実体のない幻影は、その体の持ち主の肉体を──今回の例で言えば、イマジナリー栄は、智恵の肉体を乗っ取ろうと画策しているのだ。
だから、『閃光』との戦いでも色々と理由を付けて自分の考えに従うように指示を出していたし、智恵もその言葉に素直に従っていた。
──智恵は、イマジナリー栄が自分の肉体を乗っ取ろうしていることなんて思いつきもしない。
それは、智恵が愚者であるからではない。栄のことを心の底から想っているからでもない。
多くを望むものは、その欲すものを疑ったりはしないのだ。欲しいものの価値を疑うような真似はしないのだ。
だからこそ、智恵の肉体はイマジナリー栄に蝕まれ続ける。
栄と出会いイマジナリー栄が脳からいなくなるのが先か、智恵の肉体がイマジナリー栄に乗っ取られるのが先か。
タイムリミットは、刻一刻と迫っていた──。
***
「──まさか、貴様と同じ場所に転移するとはな」
「なんだよ、俺じゃ不服か?」
視点は移って、第四層から第五層へと続く階段前。
茉裕の〈離散〉で、接触していなかったのにもかかわらずたまたま同じ場所に転移したのは『勇剣』中村康太と『高慢姫』森愛香の2人だった。
文句を口にする愛香に眉を寄せる康太であったが、当の愛香本人は康太のことなど気にせずに階段を登っていた。第四層から第五層へと続く階段は全部で5つあるが、この階段はその中の1つだろう。
「あぁ、ちょっと待てよ!」
康太はそれに付いて行くように愛香の背中を追いかける。階段を登り足を動かすのと同時、鞘が動く音がする。
愛香と康太の2人が並んで階段を登りきると、第五層で待ち受けていたのは──
「──お前らッ」
見覚えのある風貌と声を聴き、2人は少し目を開く。その男はかつて共に旅をした異常なまでに運がない中年──
「──『無敗列伝』ッ!」
「よし、敵だな。殺す」
康太がその特徴的な二つ名を呼び、愛香が咄嗟に敵認定して細長い槍を引き抜いた。すると、当の『無敗列伝』は──
「ストップ!ストップ!ストーップ!俺は敵じゃねぇよ!」
壁にもたれて座っていた『無敗列伝』がガバリと立ち上がり、大きな声でそう主張する。
「──本当に敵じゃないのか?」
愛香は先程開いた目を細め、訝しむようにして『無敗列伝』のことを見る。
「本当だ。別に俺はお前らと対立するような理由はないだろ!」
「じゃあ聞かせてほしいんだが、どうして俺達をおいて出て行ったんだよ」
康太が言うのは、今から一週間前のことだ。手紙を残しておいてくれてはいたが、そこには『無敗列伝』が探していた『顕現する神の食指』の正体が『総主教』だから、『総主教』を殺しに行く──という旨だった。
「手紙読んでないのか?」
「読んだ。『無敗列伝』が俺達のことを考えてくれてたこともわかてった。でも、ずっと心配してたんだよ。こっちは」
康太の、非人間に対する優しさ。その言葉を聴いて、静かに『無敗列伝』は唇を噛んだ。
「別に妾は心配してなかったがな。犬死にしててもどうも思わない」
「失礼だな、お前」
折角康太がいい雰囲気を創り出したのに、愛香はそれを悉く折る。
思わずツッコミを入れる『無敗列伝』だったが、視線を康太の方へと戻して、こう口にした。
「その話の延長戦なんだが、俺は『総主教』を追ってここまで来た。それで、この扉を一枚挟んだ向こうには、『総主教』がいるってわけだ」
『無敗列伝』は、『総主教』を追って砂漠を越え山を越え、雪の海を泳いで城内都市パットゥまでやって来たようだ。そして、お目当ての人物がついに壁の向こうにいるらしい。
「──が、一つ問題が発生だ」
「問題って?」
「『総主教』が、驚くことにこの王国戦争に敵側──即ち、『古龍の王』や『魔帝』の味方として参加しているってことだ」
「──んな……」
その衝撃の事実に驚きが隠せない康太。愛香は、一切表情を変えずにその『無敗列伝』の話を聴いていたが、『無敗列伝』の方へ──いや、その背景である壁の方へと歩いて行って──
「ならば妾達で倒す。それだけだ」
その言葉と同時、愛香は槍を振るう。すると、目の前にあった壁が崩れて広い空間が現れた。その部屋の奥に君臨していたのは──
「──おぉ、そのお姿。アイカさんではないですか。お久しぶりですね」
優に7mは超えそうな巨体──ゴーレムの上に乗ったその女性は、初めて出会った時と同じように嘘を顔に貼り付けて笑みを浮かべている。だが、その女性のオーラは出会った時とはまるで違っていた。
「おい、何勝手に壁に穴を開けんだよ!」
愛香のことを糾弾する『無敗列伝』や康太も、体から葉を生やした泥や粘土でできているゴーレムの上に乗った『総主教』の目の前に姿を現す。
「──『無敗列伝』さんにコウタさんもいるのですね。お久しぶりです」
「『総主教』──いや、ウェヌス・クラバス・ホーキンス」
『無敗列伝』が、そこにいる女傑──『総主教』の名を呼ぶ。
「はい、そうです。『総主教』ウェヌス・クラバス・ホーキンスとは、私のことです」
勝利に対する絶対の自信があるのか、『総主教』は焦った様子を見せることはない。そんな『総主教』を見て、愛香はこんな宣言をする。
「久しぶりだな『総主教』。貴様の顔面を蹴飛ばしに来た」
「蹴飛ばしてもらって構いませんよ。やれるものなら、ね」
──『総主教』と『高慢姫』、『総主教』と『勇剣』。
そして、『総主教』と『無敗列伝』。
それぞれが持つ『総主教』との因縁が今、衝突する。