満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。では、満足しない豚と満足した愚者ならばどちらの方がよいだろうか。 その③
「──〈流星の矢〉」
一切の容赦をしない『閃光』から放たれる、智恵が初めて見る技である〈流星の矢〉は、『閃光』の意思を継いだと言わんばかりに、容赦なく智恵へと襲い掛かる。
「──ッ!」
一筋の光が、智恵の方へと迫る。音速を超えた速度で移動してくるその煌めきに少しでも掠れば、その周囲の肉を巻き込み抉っていくことは間違いない。
高威力なその技を前にして、智恵は為す術も無く敗退し──
「──っと!」
智恵はここで為す術も無く敗退してしまうほど、愛の軽い女ではない。
彼女は、ブリッジをすると言わんばかりにその場で大きく仰け反り、その上を流れ星が通り過ぎる。そのまま一本の矢は壁に突き刺さった。
「──こんなところで負けてられない。栄は殺させない!」
上半身を持ち上げてからそう口にする智恵。栄を想う彼女の瞳に映ったのは、驚いたような顔をした『閃光』であった。
「──まさか、師匠からの教わった新技の1つを防がれるなんて……」
肩をダラリと垂らして、泣きそうな声でそう口にする『閃光』。だが、顔だけはしっかりと智恵の方に向けられていた。
「流石はチエだ。僕が見込んだだけの女。僕の想像を超えてくるね」
『閃光』はそう口にすると、微笑を浮かべてからゆっくりと弓を智恵の方へ向けて、矢を放つ準備をする。
「──また」
智恵はすぐに自分の方へ弓が放たれることに気が付き、すぐに動き出す。
──逃げるのではない、『閃光』の方へと突き進むのだ。
「──斬る!」
一撃でいい。掠るだけでいい。そうすれば、『閃光』は納得してくれる。
それに、放たれる矢から逃げ惑うだけでは永遠に『閃光』に攻撃をすることができずに、ジリ貧で負けるのはあまり頭のよくない智恵にもわかるような事実だ。
「──〈速射〉!」
「──っと!」
正確無比に智恵の方へと矢を放つ『閃光』であったけれども、それを剣で弾かれてしまう。
智恵の足元にその矢が乾いた音を立てながら落ちる。『閃光』は、すぐに次の矢を構えて智恵の方へと放つ。
「〈速射〉!〈速射〉!〈速射〉!」
智恵の接近を阻むように、何発も〈速射〉を放つ『閃光』ではあるが、その全てを回避されてしまい、智恵に刺さっているような様子はない。
「──もう、アレンの弓には慣れたわ!」
「──僕の弓に慣れてくれて僕は嬉しいよ。それなら、これはどうかな」
そう口にして、アレンは弓矢を真上に引いて、天井めがけて矢を放つ。
──が、それは空中で何かに反射したかのように、滑降するように智恵の方へ落ちていく。
「──ッ!」
アレンのことだから意味のないことはしないだろうと思っていた智恵だったが、まさか自分の方へ方向転換するとは思っていなかった。しかも、弧を描くように落下してくるわけでもなく、鋭角を描くように落下してくるのだ。
「──だけど、なんとか!」
そう口にして、智恵は右手に持つ剣を横に持ち、落下してくる矢を弾くことを試みる。その時──
「──〈速射〉」
「──ッ!」
空中から迫る一本の矢に集中していた智恵のところに真っ正面から迫る1本の矢。
「避け──ッ!」
空中から迫る一矢と、目の前から迫る一矢。その両方を対処するのに、腕は2本じゃ足りないし、剣は1本じゃ足りない。ならば──
「私だって!」
智恵はそう口にすると、両手で持っていた空中を上空に投げる。空中でクルクルと回転するそれは、空中から迫る一矢の軌道を変えて適当な方向に変えた後、重力に従って落下し、その最中に智恵の目の前から迫り来る一本を巻き込んみ、一緒に地面に落下する。
「よし!」
そう口にすると、智恵は折れた矢を無視して愛剣トリカブトだけを拾い、『閃光』の方へと再度走り出す。
「──ッ!今のも当たらないの!?」
智恵も、先程のガードは上手くいくとは思っていない半分投げやりなところがあった。
だけど、頭の中で栄ならどうするか──と考えたときに、栄はこうやって投げて両方の対処をすると思ったから、智恵はそれを真似しただけだ。
「──ぐ!次は」
そう口にして『閃光』は次なる一手を智恵に放とうとするが──
「えい!」
「──ッ!」
智恵の方から飛んでくるのは、一本の矢。
剣士である智恵が持っているはずのない一本の矢が、智恵の手から直接投げられて『閃光』の方へと飛んでいく。
この矢は、さっき弾いた時に地面に落ちたものを拾ってもしもの時の用意しておいたのだ。
『閃光』は、次の弓矢の装填に集中していたため、迂闊にも智恵が弓矢を回収しているところを見逃していたのである。
智恵が『閃光』に向けて矢を投げたことにより、『閃光』は弓矢を構えるのに失敗し、ロスタイムが生まれてしまう。その間に、智恵は『閃光』に近付いて──
「〈三日月斬り〉」
「──ぁ」
誰かを傷付けることを望まない慈悲に包まれた智恵の剣が、『閃光』を撫でるように攻撃する。
だが、そこには確かに傷が付き、浅い三日月型の傷口から、プックリと血が滲み出た。
「──あ……あぁ」
驚きのあまり、声が出ない『閃光』は、そのまま数歩後ろに下がった後に尻餅を付いた。
「──勝負は終わり。私のことは諦めて」
智恵はそう口にして、尻餅を付いた『閃光』に背を向ける。
──誰の目から見ても、2人の間で取り決められた勝負は智恵の勝利であった。