満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。では、満足しない豚と満足した愚者ならばどちらの方がよいだろうか。 その②
──『閃光』vs『焦恋魔』。
『焦恋魔』村田智恵は暴力をあまり好かず、『閃光』は村田智恵のことを好いているので本来であれば始まらないはずの戦闘であったが、『閃光』の傲慢な言い草に智恵が耐えられなくなり、勝負が行われることとなる。
弓使いであるアレンは、自分が欲しいものを得るためなら容赦はしない。たとえ相手が、自分の欲する想い人だとしても──。
「──〈千射観音〉!」
「え、えぇぇ!?」
『閃光』がそう技名を口にしたことで、智恵はその本気度に驚きが隠せない。
智恵は、『閃光』と同じ弓使いである美緒の弓裁きを見ているし、技もみせてくれたから〈千射観音〉がどんな技かを知っているのだ。
〈千射観音〉は、MPを消費してその名にある通り1000本の矢を放つ技である。今回の勝負のルールにより、智恵は一度でも『閃光』の攻撃が理由で傷ついたら、その時点で栄を殺されて『閃光』の妻になることが確定する。
智恵は、『閃光』の隣に立ち純白のウエディングドレスに身を包んでいる姿を想像してしまい──
「そんなの、嫌だ!」
そう口にして、自らを狙う無数の弓矢に対して、剣を引き抜く。愛剣の名は、トリカブト。
花言葉は、「栄光」。栄が光──だ。
「──〈星屑斬り〉!」
剣を振るい、後方に下がりながらその矢を弾く。一度でも掠れば、その時点でゲームオーバーだ。
智恵は、叫び声を挙げたい衝動に駆られながらも、なんとか肺から声を漏らさずに矢を弾き続ける。
──と、ここは城内都市パットゥにある一室。
もちろんここは『古龍の王』が自らの権威を証明するために建てられた建物のため、西荻窪駅徒歩18分の風呂無しアパートなんかより何倍も大きいことは確定しているけれど、それでも共工と稜と梨央が戦った空間よりかは遥かに狭い。
だから、智恵は後方に下がり続けることができずに、壁が近付いてくるが──
「上!」
智恵は壁の方へ飛び、そのまま壁を大きくキックして受け身を取りつつ背中から床に落下する。しっかり受け身は取れたようで、大した痛みも無く矢を全て回避することに成功した。
ガバリと起き上がった智恵は、『閃光』の方へと剣を向けて、殺そうとして来た『閃光』に対して文句を口にした。
「ちょっと!なんで殺そうとしてくるの!?」
先程の〈千射観音〉が全て当たっていれば、智恵は今頃死体になっていただろう。
勝負のルールは「先に一撃を与えた方が勝ち」というものだ。そのため、殺すどころか指の一本だって切断する必要はないのに、『閃光』は明確に殺意を向けた。
「僕はチエの強さを知っている。僕達と一緒に麒麟を倒した後も、霊亀と鯀の討伐に貢献した。唯一神よりも女神なチエが、僕の攻撃が回避できずに全部当たるとは思わなかったからさ。それに、回復ポーションなら用意してある。麒麟討伐作戦の為に必要以上に買い占めたからさ」
「回復ポーションがあるならどれだけ怪我をしてもいいの?」
「駄目なの?」
「──」
ドラコル王国で生まれ育った『閃光』と、デスゲームを生き延びていた智恵の回復ポーションや怪我に対する捉え方は違う。きっと『閃光』以外にもこの世界で戦い抜いた猛者達の中には、彼と同じ考えを持つ人は多いだろう。まぁ、智恵達の仲間である『剣聖』は怪我をほとんどしないし、『無敗列伝』は回復ポーションを使いたいときに持ち合わせていないので、『閃光』と同じような考えはしていない。
そのため、実質的に初めて『閃光』のような考えに触れる智恵にとって、それは理解できるようなものではない。
──そして、回復ポーションを使用して後に回復が許されるのなら、先程のような攻撃が『閃光』から絶えず飛んでくることの証明だ。
一発ずつ放ってお互いにできる限り目立たない怪我にする──みたいな戦闘を予想していた智恵にとって、『閃光』の暴挙は予想外のものであったし、その次に頭の中に浮かんできたのは、智恵は近距離攻撃の剣なのに、『閃光』は遠距離攻撃の弓矢と、圧倒的に『閃光』の方が有利なことだ。
「こっちは近付かないと攻撃できないのに、そっちは遠くから攻撃してくるのズルい……」
智恵が頬を膨らませてそう怒りを口にする。だけど、そんな怒りは『閃光』には通用しない。ただ、
「チエの怒ってる顔も可愛いね。結婚したら、どれだけの表情を見せてくれるのかな?ずっと見ていたいよ」
「──呆れた」
智恵の如何なる感情も、『閃光』の前では「可愛い」で片付けられてしまう。怒ることだって馬鹿馬鹿しく思えてきた智恵は、肩を落として小さくため息をつく。
『閃光』に対しては、どんな言葉も表情も、ただのご褒美にしかならない。
そうなってしまうと、ただ鬱憤が溜まる一方なので智恵はまともに『閃光』の相手をすることを諦めて、次なる一手に出る。
──それは、単純で明快だ。
話しててイライラするなら話さなければいい。
「──もう、いい」
そう言葉を漏らし、智恵は剣を握って『閃光』の方へと走り出す。その走り方は、剣士として様になってきていた。
「──来たか」
迫ってくる智恵に対して、焦りを見せずに『閃光』は弓を引く。容赦なく、智恵の額を狙った矢は勢いよく放たれて──
「〈流星の矢〉」
「──ッ!」
『閃光』に迫る智恵に向けて放たれた光り輝く矢。音速で迫る一筋の煌めきを前に、智恵は大きく目を見開き、そして──